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ニシノジャパン(1)岡崎、ハリルとW杯を語る  文科系

2018年04月17日 10時50分43秒 | スポーツ
 このブログ・フットボール記事で最も多くを書いてきたと言える岡崎慎司は俊輔や憲剛以上の理論家だと、僕は観てきた。理論家という意味を、こう理解してのことである。FWであれば、そのチームとしての得点法を最も鋭く論じられる人、DFであればそのチームとしての失点ゼロのやり方を最も鋭く論じられる人、と。でなければ、あんな鈍才があそこまで上り詰められる訳がないのである。なんせ、清水に入った05年の彼は足は遅く、技術も拙くって、5番目以下のFW。長谷川健太監督らからかけられた期待も小さかったのは、有名な話だ。それが、22歳で代表に入って、あれよあれよ、「南アW杯各大陸予選段階の、世界得点王」になってしまった。これは出場ゲーム数が多い代表の絶対的レギュラーFWという意味でもある。かって日本代表にはいなかった絶対的存在(のFW)ということになる。以降、日本人が世界比較で弱いFWとして、プレミアまで。そして、プレミア優勝チームのレギュラーまで。彼の成長の歴史には驚かされるばかりだった。まるで、中田ヒデのような。

 そんな彼もすでに32歳。ハリル解任を受けたW杯までの今後を語った。
 ちなみに、ハリル解任を受けても、マスコミでまともな論議は本当に少ない。読者が記事を選択するための参考になる筆者名すらついていず、W杯に向けては毒にも薬にもならぬような話か、断片的すぎて「それが何?」というようなものか、とにかくそんなのばかりが目立ち、こちらは「読んで損した.時間の無駄。俺は忙しいんだぞ・・・」と後悔ばかり。中田ヒデとか著名人の名前を使ったインタビュー記事なんかでも、聞き取り者の水準によるのだろうが、毒にも薬にもならぬ論調が多過ぎると感じている。

 さて、そんな中で以下のこれは光った。17日のネットで、スポルティーバのインタビュー記事である。聞き取った記者の力もあるのだろう。 ブラジル敗戦の苦い教訓をちゃんと踏まえた質問をしたからこそ、岡崎からこんな言葉が引き出せたという内容だと愚考した。

 ところで、ちかごろ名ライター・木崎伸也の名を聞かないが、愚か者らにバッシングでもされたのだろうか。 

『「僕は『つなぎたい』とか、『速く攻めたい』という議論自体がおかしいと思っている。後ろからつないでいくサッカーを、『世界を相手にしたときにやれるか?』といったら、まったく別問題だと思う。ただ、その融合というか。ある程度つないでから、縦に速いサッカーをする。そういうふうに融合していかないと、世界では勝てないと思う。この状況で監督が交代したなら、『どんなスタイルで行くか?』っていう次元の話じゃない。
 まずは監督が選手を選び、その選手の特徴をチームに当てはめて、力を出し切らせるところで世界と戦っていく。そういう意味では、ハリルさんがやってきたことも無駄じゃない。むしろ、ハリルさんの時期は、今までの概念を破壊してくれるという意味で、すごく大きかった
 今までやってきたことは、間違いなく無駄ではない。勝つためには守る時間も必要だし、守った後に速く攻めることも大事だと思う。そして、たまにボールをつながないと、早く攻める時間帯も出てこない

『「『ただ蹴る』『ただつなぐ』という議論はもう遅れているかなと。『すべてをやる』というわけではないけど、タイミングとか、そういうものもプランを緻密に練るというか。
 極端なことを言えば、最初の45分や65分は、ほんとに守って、ラストの20~30分で1点を獲りにいくとか。そういう進め方もあるかもしれない。『W杯は別モノ』と考えるべきだと思うんですよね。あそこには魔物がいると思う。自分たちの理想を掲げても、それをさせてもらえない何かがあるので。
 あとは、結果が出るかどうかは、もう自信の部分だと思う。代表に選ばれた選手は、チームとして『結果を出しにいく』と信じて戦うべき。誰が選ばれるかわからないし、選ぶ側も難しいと思うんですけど。でも、むしろ今は全員にチャンスがあると思う。
 そして、選ばれた人間は、同じ方向を向いてサッカーをするしかない。日本もブラジルW杯で反省した部分がある。つなぎたいというより、みんな勝ちたいと思うので。だから、『勝つために何をしていくのか』になると思います。どんな状況にしろ、勝つことに全力を尽くす』
コメント (3)
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右翼政治思想のある偏見   文科系

2018年04月17日 08時59分19秒 | 国内政治・経済・社会問題
 これは、昨日のエントリ-「僕の9条堅持論」の補足にあたる文章であり、2015年にある所に書いたもの。右翼思想、その国家論の本質の一つと観るに至ったものです。しかも、こういう偏見を持っている人には、この論議の決着を経ないと他のどんな政治話をやっても入っていかないような論理的な壁になっているもの、とも。さしずめ安倍首相や日本会議議員などは、みな以下のように考えていると観てきた、そんな偏見だと考えています。
 ちなみに、日本でこういう思想を初めて体系化して語ったのは、明治期の東大総長、加藤弘之。戦前の天皇制国家論の理論的な柱の一つでした。では・・・


 あるブログの共同運営を大学時代からの友人に頼まれてかっきり十年やってきたが、そこでいろんなネット右翼諸氏とやりあってきた。ブログ名称に「憲法九条」が入っているゆえなのだろうが、こういう方々の訪問が絶えなかったからだ。たとえば、
『平和を願い、母国を愛する一未成年から反論させていただきたい。…………以上、反論があれば随時丁重にお返しさせていただく故、フェアに品のある議論を望む』
 これは「平成の侍」と名乗られたお方がこの八月十九日に僕の文章に寄せてきた長文コメントの前後だが、たった一回僕が出した回答に対して、もうお返事が何もなかった。僕の文章内容が彼が考えたこともないようなものだったから再回答のしようがなかったのであろうが、はてこれは「フェアに品のある議論」であったのかどうか、難しいところだ。
 こんなふうに知識も思考力も様々な方々を相手にしたこの十年、実に多領域の勉強をさせられたし、いろいろ考えさせられつつ今日まで来た。慰安婦問題は明治維新以降百年の日朝関係史学習にまで拡がっていったし、南京虐殺や「連合国史観」は「アジア・太平洋戦争史」の復習に繋がった。こちらが学んでいくごとに「これだけ稚拙な知識しかない相手が、どうしてこれだけ自信ありげに頑張れるのだろうか」と気付き始めた。その度に訝り、考え込んで来たのがこのこと。これだけ確信ありげに語るのは、世界も狭いからというだけではなく、自分を納得させ、確信させる信念を何か持っているからだろうが、それって何なんだろうかと。これらすべてにおいて、同じ人間という生き物に、どうしてこれだけ見解の相違が生じるのだろうかと、そんな哲学的問題意識をも温めつつ、相手の言い分を観察してきた。
 そこで最近になってようやく気付いたのが、これだ。

 米国は実体経済がIT産業ぐらいしかない。サービス業ばかりで、相対的貧困者と格差が大問題になっている先進国である。サブプライムバブルや九年にも及ぶ紙幣大増刷・官製バブルなどなどマネーゲームで儲けて、日本やBRICS諸国相手の現物貿易収支大赤字をその分カバーしている。がこの国、戦争が流行ればその苦手な現物経済もなかなかの物なのである。兵器産業でいえば世界ダントツの実力があるからだ。貧乏な国、地域には、本来廃棄すべき多量の中古品などの廃棄料が収入に転化する。日本や石油成金国などには第一級の高価な最新兵器などなど。世界のどこかで戦乱が起こるほどにこの商売はいつも大繁盛だ。

 ところで、戦争は無くならないと語る人は当然、こう語る。「国が滅びないように、国土防衛が国として最大の仕事」。こういう人々が世界に増えるほど、貿易大赤字国の米国は助かる。いや、助かるという地点を越えて、今の米国は「テロとの戦い」とか、以前なら「共産主義との戦い」などなどを世界戦略としているからこそ、地球の裏側まで出かけていったりして、あちこちで戦争を起こしているのである。まるで、人間永遠に闘う存在だという世界観を広める如くに。失礼を承知で言うが、「人間必ず死ぬ。貴方も間もなく死ぬ」と大いに叫べば、葬式屋さんが儲かるようなものではないか。

 さて、戦争違法化が、二十世紀になって世界史上初めてその国際組織と法が生まれたりして着手されたが、地上から戦争はなくせるのだろうか。この問題で極めて簡単な正しい理屈が一つある。戦争はずっとなくならないと語る人は「その方向」で動いていると言えるのだし、なくせると思う人はそういう方向に「参加していく」のである。つまり、戦争が未来になくなるか否かという問題とは、人間にとって何か宿命的に決まっているようなものではなく、今及び将来の人間たちがこれをどうしようと考え、振る舞うだろうかという実践的な問題なのである。世界の政治課題というものは、人間が決めるものだと言い換えても良いだろう。ところが、人間が決めるものだというこの真理を意識せずして否定する以下のような「理論」に最も多く出会えたのだと理解してから、僕の頭はすっきりした。
 社会ダーウィニズムという今は誤りだとされた社会理論がある。その現代版亜流の世界観が存在するようだ。「動物は争うもの、人間もその国家も同じだろう。そうやって、生物は己自身を進化させてきたのであるから」。この理論で言えば夫婦ゲンカも国同士の戦争も同じ(本質の)ものになる。そして、夫婦ゲンカは永遠になくならないから、戦争もそうだろうと、大威張りで確信できるわけだ。
『動物の争いは永遠になくならないのだから、人間も永遠に争うものである』
『人間は争うものだから、国家の戦争も無くならない』
 これが、ネット右翼諸氏の世界と政治を観る無意識の出発点なのである。最近、そう気付いた。対案はこれしかない。「二十世紀には人類史上初めて戦争違法化に向けた国際法、国際組織も生まれたではないか」などの歴史的事実と戦争はなくせるという世界観とを広めていくこと。その実を例え少しずつでも、粘り強く作り広げていくこと。

 以上ありふれて見えるようなことを書いたが、正面からは案外批判されてこなかった誤った戦争に関わる信念が巷に溢れていると言いたい。この日本には特に広く。集団主義ムラ社会の中で激しい競争を演じてきた団塊世代以降では、自然に持つ世界観なのかも知れない。
コメント (2)
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