小心者 S・Yさんの作品です
あるサークル活動の一環として「戦争と平和の資料館・ピースあいち」に行くことになった。私は昔から戦争関連の映像や書物は苦手なので積極的な参加ではない。展示は予想通りの残酷なパネルばかりであった。企画展は「戦争の中の子どもたちと動物たち」がテーマ。胸が苦しくなって目を覆いたくなる。
「目をそらさないでください。これが戦争です」というような大きな文字が飛び込んできた。そう、わかっている。そんなことはわかっている。この目の前にある地獄絵図のような光景、そして戦争という名のもとに平然と無差別殺人が称賛される光景。だが私は、赤ん坊や子どもの悲惨な写真はどうにも正視できない。
ふつふつと怒りがこみ上げる。戦争をしてきた国、しようとする国や人に強い憤りを感じる。なんの権利があってまじめに生きている人々、ましてや子どもたちや動物たちをも巻き込んで無残に死に追いやるのか。愛知県下の空襲時の写真や体験記にも胸が塞がった。
帰宅してからも脳裏には惨い映像が張り付いたまま。やはり虚弱な私の神経は耐えられそうになかった。満州事変から十五年続いた戦争を国民は防ぐことができず、一方向を向いて突き進んでしまった。なんとも恐ろしいことだ。その時代、その現場に居合わせたら、私だって同様に流されてしまったことだろう。だからこそ自分の確かな目や、思考を、しっかりと持たなければと、今更ながら感じる。
戦後七十数年という長い年月が過ぎ、戦争体験者も少なくなり、戦争という負の歴史も徐々に遠くなっていく。だが今も世界のあちこちでは戦争や紛争が絶えないのも事実。
しかし、世界では平和のための努力も続けられていることにホッとする。
このピースあいち資料館も発端はひとりの老女性からの寄付から始まったのだとか。戦争を繰り返してはならない。そのためにも戦争を伝え、平和を考える活動を続けるという趣旨のNP0の会員らで成り立っている。全員ボランティアである。が、財政は弱体で、寄付や助成金で補っているのが現状。
すぐさま私も賛助会員になった。ちっぽけなことしかできないが生きてる限りは応援したい。気の小さい私はあの資料館で活動する勇気はない。情けないがそれが私という人間なのだ。ボランティアで活動されている方々には頭が下がる。後々、私の知人の中にも何人か活動されていることを知って非常に驚いた。ますます自分が情けない。
会員になってしばらくしたころ、資料館から分厚い冊子が贈られてきた。開くと解説とともに戦争時の写真が掲載されている。慌てて閉じて、本棚の奥にしまった。また動悸が激しくなってくる。惨いものには蓋をして、見なかったことにするつもりなのか、と自問する。私は小心者だ。いや偽善者だ。
あるサークル活動の一環として「戦争と平和の資料館・ピースあいち」に行くことになった。私は昔から戦争関連の映像や書物は苦手なので積極的な参加ではない。展示は予想通りの残酷なパネルばかりであった。企画展は「戦争の中の子どもたちと動物たち」がテーマ。胸が苦しくなって目を覆いたくなる。
「目をそらさないでください。これが戦争です」というような大きな文字が飛び込んできた。そう、わかっている。そんなことはわかっている。この目の前にある地獄絵図のような光景、そして戦争という名のもとに平然と無差別殺人が称賛される光景。だが私は、赤ん坊や子どもの悲惨な写真はどうにも正視できない。
ふつふつと怒りがこみ上げる。戦争をしてきた国、しようとする国や人に強い憤りを感じる。なんの権利があってまじめに生きている人々、ましてや子どもたちや動物たちをも巻き込んで無残に死に追いやるのか。愛知県下の空襲時の写真や体験記にも胸が塞がった。
帰宅してからも脳裏には惨い映像が張り付いたまま。やはり虚弱な私の神経は耐えられそうになかった。満州事変から十五年続いた戦争を国民は防ぐことができず、一方向を向いて突き進んでしまった。なんとも恐ろしいことだ。その時代、その現場に居合わせたら、私だって同様に流されてしまったことだろう。だからこそ自分の確かな目や、思考を、しっかりと持たなければと、今更ながら感じる。
戦後七十数年という長い年月が過ぎ、戦争体験者も少なくなり、戦争という負の歴史も徐々に遠くなっていく。だが今も世界のあちこちでは戦争や紛争が絶えないのも事実。
しかし、世界では平和のための努力も続けられていることにホッとする。
このピースあいち資料館も発端はひとりの老女性からの寄付から始まったのだとか。戦争を繰り返してはならない。そのためにも戦争を伝え、平和を考える活動を続けるという趣旨のNP0の会員らで成り立っている。全員ボランティアである。が、財政は弱体で、寄付や助成金で補っているのが現状。
すぐさま私も賛助会員になった。ちっぽけなことしかできないが生きてる限りは応援したい。気の小さい私はあの資料館で活動する勇気はない。情けないがそれが私という人間なのだ。ボランティアで活動されている方々には頭が下がる。後々、私の知人の中にも何人か活動されていることを知って非常に驚いた。ますます自分が情けない。
会員になってしばらくしたころ、資料館から分厚い冊子が贈られてきた。開くと解説とともに戦争時の写真が掲載されている。慌てて閉じて、本棚の奥にしまった。また動悸が激しくなってくる。惨いものには蓋をして、見なかったことにするつもりなのか、と自問する。私は小心者だ。いや偽善者だ。