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小説 祐介のワールドカップ(後編)   文科系 

2012年09月08日 17時19分06秒 | 文芸作品
 そしてさて、二〇〇二年三月二十七日、ポーランド、ウツジ。ウクライナ戦を先発出場で無難に終えた祐介に、願い続けたチャンスはやってきた。このゲームでも先発に選ばれて、また何よりも、中田英寿と小野伸二がおよそ五か月ぶりにゲームに加わっている。彼らとの合否に自分をかけ続けて四年、その実証の場が初めて与えられ、現実にその結果を出せるかという日がやってきた。しかも、ヨーロッパ組の次の参加は五試合後、そのノルウェー戦は既にワールドカップ日本代表発表直前の、調整ゲームになっていることだろう。
 〈自分の場合、この選手選考ゲーム・ポーランド戦のチャンスをとらえ損なえば、ノルウェー戦のチャンスはもうあるまい)
 そう思い起こす度に昨夜から何度も、胸の辺りでおこった震えが全身に伝わっていた。心理学者・トルシエは、こういうものを乗り越えるかどうかも、観察しているのだろう。『ハートが強い、弱い』がいつもの彼の口癖だし。鹿住さんの『からっとした戦闘性』、なかなかの言葉かも知れない。そんな自問自答をしてみるのだが、体の震えは収まるわけもなかった。
 そして今、フィールドに出ていく。ついさきほど、控え室で先発メンバーが発表されたばかりだ。これもいつものトルシエのやり方だけれど、『心理学者』が試みる挑発なのだろう。そう勘ぐるとまた、ますます体が震えて来る。『もうやるしかない』、こんな時に誰もが言う言葉が出て、それが頭のなかで何度も繰り返されていた。
 同じ時、鹿住の方も一種厳粛な決意をもってテレビに臨んでいた。祐介が周囲とともに成すことを、それも彼が絡んだ得点という結果周辺の事実だけを、順に見届けてやるのだと。祐介の今日のプレーに関わっては、得点以外の他のどんな場面も、事実以外のどんな修飾語も、意図や評価へのどんな訳知り顔 も、一切意味がない。当然これは、ビールを飲みながらできるいつもの観戦とは全く違ったものだ。得点の実況中継を見届けるのではあるが、それをやる自分にも『からっとした戦闘性』が要求される、そんな実況中継と言えば良いだろうか。

 さて、祐介が繰り返し描いてきたイメージシンクロプレー、複数プレイヤーの同調プレーは、早くも前半十分に得点をあげた。それは、こんなふうに展開している。
 左サイド低目の位置でボールを持った中田。低い位置のせいかそれとも敵の油断からだったのか、とにかく彼の周囲には珍しく敵のプレッシャーはない。小さくドリブルしながら、首を大きく回してフィールド全体を見回している。祐介の方は、右サイドライン寄り、ハーフラインよりやや下がり目。
 〈フリーなヒデさんなら、この距離のパスも精度は十分〉
 と、催促するような感じで中田の方を見つめて前へゆっくりと数歩。すると、おそらく二人の目があったのだ。フィールド左後方から、サイドチェンジ様の一見何気ないロングパスが飛ばされた。右前の広大なスペースの、さらにその右端の一角に向かって。全力疾走で、右サイドラインぎりぎりやっと追いついた祐介。まだ敵も遠く、余裕を持ってゴール方向に顔を向ける。二人の味方フォワードがおのおの一人の敵を引き連れてゴールに迫っているのが見えるだろう。その遠い方、高原の肩の高さへ、祐介からアーリークロスが飛ぶ。跳び上がってこれを地面に落した高原、相手デイフェンダーと競り合いながらシュートして、ゴール。中田と祐介によって右、左、そして前へと、セオリー通りに速く、大きく振られたポーランドが、最後にゴール前で一対一にされて、競り負けたという場面だった。
 「一点目はとくに、ユウスケがいいクロスをあげてくれた」、試合直後にこの場面にふれて、中田は祐介の手柄と語っている。

 そしてもう一つ、祐介が思い描いてきたなかでも最もダイナミックなイメージが、前半四十三分、二点目のゴールとなって実現する。鹿住は、ビデオのこのシーンを何度巻き戻して観察したことだろう。それも、スローにしたり、一次停止を入れてみたり。それでも足らずに、読み得る限りの新聞を集めて、このシーンの言語表現を幾度も確認してみたものだった。ビデオには現れない同時他場面の動きや、関係選手の声などを調べるためである。
 ことの起こりは、センターラインからやや相手寄り、右サイド側四分の一ほどの地点。戸田の激しいプレッシャーにあわてた敵が、センターライン方向にミスキックという場面から、このイメージシンクロ劇は始まった。戻ってきたそのボールをかっさらった祐介が、前方の密集集団から逃れるように下りてきた中田に、走り違いながらボールを預ける。その時「走ります」と中田に告げたかどうか、祐介はそのまま右サイドライン沿いを首輪を外された猟犬さながら、晴れ晴れとダッシュ。ボールを受けた中田の方は祐介を気にする素振りも見せず、全く逆の左後方へ時計回りにドリブルしつつ敵を避けていく。
「フィールド左サイドに大きく振ると見せかけた」と書いた新聞記事もあった場面だ。祐介はその問も、ダツシュを続行。すると、頃合を計っていたように中田、いきなり体の向きを百八十度回転させて、「ノールックパス」、別の新聞にあった表現だ。これを中田は、右前方、祐介の数歩前にぴたっと合わせた。「ノールックパス」が事実ならば、祐介が走った方向も距離も中田には見なくとも分かっていたということになろう。さらにその上、反転振り向きざまのパスをこの方向、距離に合わせたというわけである。
 ボールに追いついた祐介の方は、余裕をもってやや内に切れ込むと、低く強いクロスをゴール前へ。それが、このあまりの速攻にパニック状態といった相手守備陣の一人に当たってゴールから遠ざかって来るところを、既にそこに詰めていた中田が駆け寄って、「セオリー通りに前に詰めていた。おもいっきり打った」。これも報道陣が後に伝えた本人の言葉である。四肢をいっぱいに延ばしたキーバーの、広げた左脇下を抜けたボールは、ゴール低くに飛び込んでいった。
 鹿住がビデオで計ってみた時間では、中田にボールを預けてから祐介のクロスまで、六秒余。合計二十二人の敵味方がコンマ何秒で繰り広げる予測至難の舞台では、非常に長い時間だ。祐介は 〈預けたボールは必ず返る〉と信じて走り、中田の方も〈なんとしても返し届けねば〉と決意してキープに努める。基本的な二人の同調プレーではあるが、それにしても裏切られなかった信頼関係が六秒。実際のゲーム上でそれも重要な厳しいゲームにおいてはなおさら、こういう信頼に応えるためにこそ、二人はトレーニングを積んできたとも言えるだろう。対するゲームの敵は、この信頼を引き裂くべくイメージを湧かせ、努力を重ねてくる。このような破壊意図に抗し、六秒もかけて成功したイメージシンクロ。祐介が中田に賭けたというのは、こういった同調場面を彼とこそより多く作りあえるはずだという戦略的狙いであった。そしてこの狙いは、年季を経たペアさながらに二点を演出することによって、果たされたのである。
 「ヒデさんが入って球をしっかりキープしてくれるので、前のスペースへ走り込むタイミングが取りやすかった」、ゲーム後に報道された祐介の言葉である。そして四年ぶりのこのたった一ゲームだけで、「祐介とヒデとは、相性の良い攻撃オプションである」という世論を形成してみせたのであった。

 なお、このゲームの左サイドを任された小野も、ゲームの後、報道陣にこう語ってみせた。「右サイドからの攻撃が多かったので、僕は左でサポートする形に徹していた。(中略)僕の場合はディフェンスをガチガチにやった」。もともと攻撃的才能も豊かな小野が、天秤の関係にある祐介を自由に動かすようにサポートに努めたと、証言を残したわけである。初めから意識したわけでもないだろうが、〈祐介の方がこりや得点の確率が高いぞ〉、そんな観測をゲームが進むにつれて強めていったという推論もありえよう。神経質なほどに『攻守のバランス』に拘るトルシエだ。この戦略的同調も当然見抜いたはず、さぞやご満悦といったところだろう。


 「このポーランド戦だけで祐介が代表を確実にしたと、僕は思ったなあ」
 好みのバーボン・プラントンゴールドを嘗めながら鹿住が言った。アルコール臭の薄いストレートな強い味と、独特のスモーキーさとが気に入って、この日とうとう彼にしては大金を覚悟してキープしたものだ。日本の〇二年ワールドカップが終わって一か月ほどの七月中旬に、二月以来初めて鹿住の店で二人は再会していた。
 「ちがうよぉ。四年もほかっとかれたら、もう心配するばっかりですよぉ。試合後の報道でも、『自分は厳しいと思ってる。自分ではワールドカップはまだ見えてない』と喋ってるはずです」
 「じやあ、確信はいつ生れたの?」
 「ヒデさんがチームに完全に溶け込んだと信じられた時かなぁ。それには、大きいことがいくつかあってね」
 そう断って話し始めた祐介の物語を、鹿住は後に幾度振り返ったことか。

 物語の初めは、トルシエが組織的でないと批判してやまなかった中田がポーランド戦以降、トルシエの戦術に己を合わせ始めたということに関わるものだった。ちなみに、トルシエのポーランド戦総評に初めてこんな評価が入っている。「ヒデが献身的にチームのために戦ってくれた。彼によって我々の戦術が機能した」。理想のサッカーゲーム要素の六割は組織規律だというトルシエにして、最高の褒め言葉ではないか。それだけ中田が、トルシエの戦術的連携命令に従ったということであろう。
 この急変は、当時ほとんどの報道機関が取り上げたものだ。鹿住も、作家、沢木耕太郎が六月二十八日朝日新聞に書いたこんな記事を読んだことがあった。「中田は一貫してトルシエを嫌っていたと思われる。(中略)しかし、ワールドカップが近づくにつれ、中田はある覚悟を決めることになる。つまり、それがトルシエの監督するチームであろうとなかろうと、日本代表というチームの中で一定の役割を『演じる』ことを引き受けようとしたのだ。それがどのような契機で、なぜだったのかは、いずれ彼自身の口から明らかにされるだろう」

 そして祐介の物語はさらに、ポーランド戦のために合流したチームに中田が感嘆の声をあげた点があつたと、語り続けられていった。鹿住が後にナカタネットで確認した本人の表現では、こうなっている。
 「今まではだいたい食事が終わると、みんなさっさと部屋に帰っていったのに、今回の合宿は以前とは違って、みんな食事が終わってもず-っとテーブルに残って話し込んでいたのが本当に印象的だったな~。トルシエとも『些細なことだけど、こういう雰囲気って良いことだね』って話をしたんだ」
 祐介にとっても、過去の合宿と比べて、確かに驚かされた雰囲気だったということだ。例えば、ポーランド戦当日の夕食後、並んで座っていた中田と小野の所へ祐介が出かけていって、こんな会話が始まったらしい。

 「伸二さん、今日はサイドに張っててもらっちゃてぇ、ありがとうございましたぁ」と、これは祐介。にこにこしてうなづきながら何か言いかけた小野を押し退けて、横合いから、中田。「伸二が、横に張ってたか-。なか行くから頼んます、なんてしょっちゅう言ってたよ」。対して小野、「ヒデさんが、試合中に攻め方ばっかし話しかけてくるからついついですよ-。後ろはあなたがちゃんと下がってくれてるってのも分かってましたし。それにですね-、祐介は守備もちゃんとやってましたよ」。「確かにね。だけど、今日の祐介なら遠慮なくもっと前へ行けば良い。そしたら、俺も下がってやるよ。守備をやりながらだってパスは出せるから」、そして一呼吸おいて、中田はこんな言葉を続けた。
 「それにしても、祐介とは四年振りのゲームだね-。フランス代表目指して苦労しあった一番若い伸び盛りが一体なにやってんだと怒ってたんだけど、高原へのアーリークロス、あれはベッカム並みだったよ、ホントに」
 中田が、イングランド代表キャプテンの名前を引き合いに出した。祐介と同じ右サイドのスペシャリストである。「あのクロスは、ヒデさんのロングパスのおかげですよ。あんな遠くからあのスペースのあそこへですからねぇ。ぎりぎり届きました」と祐介。
「それがヒデさんでしょう。ロングパスの精度があるから、遠くもちゃんと見てるということ。だから祐介も前行って良いってこと。それにしてもあのクロスを、高原は上手く落としたね-」、小野が、黙って聞いていた向かいの高原に話を振った。高原が応えるには、「Jリーグの対戦で敵の祐介を注意して観てるけど、最近怖いんだよ。だから、自分のチームで右クロスを受けるような調子で構えてたね」。ちなみに高原は、現在のJリーグでずば抜けた最多得点チームのエースである。

 そこにいる者がみんな、各局面局面で生じるチームの穴を埋め合っていたらしい。そして、それぞれが仲間の長短をイメージしながらその特長を引き出して、さらにその上に自分のアピールを積み上げようともしてきたようだ。そうしてそこに、自分の代表選出を賭けてきたのだろう。すると、今日はさしずめ、一人一人が四年間描いてきたそんなイメージがほとんど実現できたということか。強いチームに二対ゼロで勝ったし、みんな嬉しそうだし。
 ゆっくりと、それとなく、周囲の一人一人の顔を見直してみた祐介だった。


 こうして選ばれた彼等日本チームの〇二年ワールドカップ結果は、一次リーグを三試合総得失点五対二の二勝一引き分け、一位通過、決勝トーナメントは○対一でトルコに敗北というものであった。なおこのトルコは、優勝したブラジルに負け韓国に勝って、三位になっている。祐介はこの四試合のうち一つが先発で二つが途中出場と、三試合に出た。そして、決勝トーナメント出場を決めたチュニジア戦で、中田寿のダイビングヘッド得点へのクロスを決めている。若いと言われた代表のなかでも最も若く、祐介、二十二歳になったばかりのワールドカップであった。

(おわり)
コメント (5)
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