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官僚独裁って、どういう奴等だ!  文科系

2012年09月16日 13時41分08秒 | 国内政治・経済・社会問題
 12日「30年代で稼働原発ゼロ方針」政府決定表明に関わって、翌日即座に官僚たちからいかにも横暴なやり方で反旗が翻された。この間の新聞を注意深く読み、過去の重大局面での「政と官の対立的やりとり」を振り返ると、その内容、意味がとてもよく分かる。以下の文章の結論を改めて先取りしておくが、「この国は官僚独裁である」「日本国家権力とは、各省の互助会である」。

 政府が14日の「エネルギー環境会議」に向けてこの方針を表明したとたんに、青森で枝野経産相が、こんな談話、見解表明。
【経産省としてはすでに建設許可が与えられた原発について、変更することは考えていない】
 皆さん、こんなことって許されるものかと、改めてお互いよく考えてみようではないか。会社の取締役会が重大方針変更を表明したそのとたんに、その一部門がこれに反旗を翻した。「いや、ウチの部は既定方針をつらぬかせていただきます。(新方針に矛盾することになると言われても、そんなことは知ったこっちゃありません)」
 実は、枝野大臣談話のこの部分がミソなのだ。「経産省としては・・・・」。この言葉、確かに既視感がある。鳩山内閣を挫折させたのも、菅内閣をばらばらにしたのも、すべてこういうやり方、考え方だったのだから。こういうやり方に従わない大臣には、省庁あげてサボタージュを敢行してまで貫かれたという、そんなやり口なのであった。内閣で何を決めても「いや、ウチの既定方針はこうだから」と各省が叫ぶ。その背景には官僚たちのこんな珍妙な理論があったことも明白であろう。「内閣とは、各大臣のことである。(内閣の総意などというものは存在しない)」。この姿そのものについてもまた、自民党政権に遡ると既視感がある。全省の事務次官会議でこういう慣例がずっと続いてきたはずだ。「一省でも反対することは、次官会議では決定されない」。
 こうして、日本政府、国家権力というこの代物は、先のこんな定義が似つかわしい。「日本国家権力とは、各省の互助会である」。

 さて、こういう文脈で観てこそ、枝野大臣の内閣への反旗表明の意味が分かるというものだろう。とんでも無い国家運営、国家理念というべきではないだろうか。そしてこの点については、国家権力を目指している全政党が怒り心頭に発するべき悪習慣と言えるはずだ。これに反対せずして国家権力を取ろうなどとほざく政党は、名目的権力が欲しいだけの俗物政党であると断言して良い。民主、自民、生活、公明、共産、社民を問わず、一致して自らの存在理由を回復しようという気概があるなら、官僚にこんなふうに足元を見られ操られるはずがないことなのだが。枝野発言をこういう観点から問題にする政党がいたか?
「内閣の総意を各省で切り崩していくやり方は、全政党の敵である」

 何が3権だ。何が内閣だ。そして何が、議院内閣制だ。何が、「国会は日本国憲の最高機関である」だ! なお、日本の大マスコミがこんな悪辣な官僚に手を貸していることが、この流れを最大限保証していると、声を大にして付け加えたい。
 どんな物事にも軽重がある。最も重い物を問題にしなければ、他は何を語っても仕方ないだろう。国家にとって最も重いものは国民主権と、国民がだれに国家意志決定を委ねたかという最高国家権力の問題だろう。それをこれだけあからさまに踏みにじっているって、これを放置している政党も政党だよ。ニヒリズムになるね。
 議院内閣制に基づく民主党政府の行政権を1省庁が踏みにじったら、国会に関わる全政党が一致してこれを阻止すると言うのが筋だろう。踏みにじったことに責任ある大臣と、これに関わった官僚全部の首を切ってでも。こんなことは、全政党が一致したらすぐに出来ることである。政権ほしさにこういう原則を顧みない政党がいるから、オール一体官僚にやられてしまうのだ。何が三権、何が行政権か?
コメント (4)
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