棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

娑婆世界--52愛欲曼荼羅

2008-12-26 09:49:39 | 大人の童話
団広報担当のクチサキ・アーユー・コーユー師のあとを引き継ぎ、偉大なる尊師様が著した「堪忍抄」の理解と実践に向けての話などおこがましいのだが、ここで娑婆世界のことに目を向けてみよう。
「ナに!私は誰だと? 若輩者ですが教団の裏方責任者とでもいうか、イベントコーディネーター的な庶務を担当しているモーリー・アーゲー・ウーマイという者です」

娑婆世界を改めて見てください。これが私たちも含めて君たちが住む社会です。
宗教も哲学も科学も喜怒哀楽全てが、ここから生まれ出る「娑婆チャンコ鍋」ではないですか。
ドーーレ、耳を澄まして市井の営みを聞いてみましょう。

「○○株に投資したら儲けてね。それを元手に¥に投資したらまたまた大当たり。そうだ、あなたもやってみないか。ぜったい損はさせない。そんなお金が無い。
土地があるんじゃーないすですか。ゼロから始めた私のことを思えば、すぐに蔵がたちますよ」

「おばーちゃん助けて!。ワタシ事故を起こしてサー。今なら示談にしてくれるって弁護士さんがいっている。ここへ振り込んで!!」
「オレオレオレサー。いまさーおれるにおれなくて、オレの口座に大至急振り込んで!!」
「警察ですが。おたくのお孫さんが・・・・」
「税金の還付金がありますので、口座番号を・・・・」

いやいや次々と在りますねー。悲しいまでの人の弱さと、欲望の渦だですが尊師様の教えに浴すれば、心身ともに浄化されていくことをお約束できます。
注--広報担当者のこと--11月11日

山は雪ズラ

2008-12-25 18:17:36 | 山郷の暮し
いつものごとく浅間温泉にいく。
「さぶくなったいねー。山は雪ズラ」とご常連から。
松本と言えば西空にそびえる、アルプス連山の山岳都市。「山は雪ズラ」は当たり前のことですが、ここでいう山はアルプスではなく、藪山が連なる東山のことです。
中でも「美ヶ原高原」は標高2000m前後。まずこの周囲に根雪がつくと冷え込んでくる。そして、17-800Mあたりまで白くなると、アルプスおろしと合体し、冷凍庫のごとくになってしまうのです。
今年の師走は早い時期に美ヶ原が白くなりましたが、その後の気温が高く、寒風が吹きぬけた日もわずかです。我が家でも水溜りが、サランラップをかけたような程度の薄氷がはるだけ。
早い雪降りでスキー場はホットしたようですが、その後が大変なようです。でも、雪は無い方が生活するには楽です。

この世は美しい--51愛欲曼荼羅

2008-12-25 09:21:21 | 大人の童話
シがこの教団に入信したきっかけを話したが、お判りのとおり大多数の入信者とかわりがない。言い換えれば「現世利益」の願望で、君たちのように純粋に精神の問題から宗教に向かい合う者は少ない。多くの宗教教団が、そんな一心に答える宗教的体験者であるとも思えないのだか・・。
「現世利益」を望むことは悪いことではないが、似たような者どもを集めて、まことしやかなことをいっていればいいのだ。其の程度のほうが、信者を獲得しやすい。似非宗教といえばそおいえないこともないが、多少なりとも宗教的体験者が、わずかな体験談を売りものにしている。けっこう、其のことを寄り合って楽しんでいるのが今日流行の教団でもある。
企業宗教って称されるほど莫大な利益を生むのだ。末は政界に乗り出していくといえ手もある。権力の権化となってゆくのだ。
だが!!我が教団の本質は、ダンジテそんな類のものでなく純粋に心--より高い精神世界を目指しているが・・方便もあるというものさー。
この世は美しく、活力に満ち満ちている。マーー難しく考えずに幾が熟すのを待つのもいいかも知れぬ。

長い話でワシも少々疲れた。君もほんとうによく聴いてくれた、ありがとう。
おあとはモーリアゲ・ウーーマイ師に語っていただこう。

クリスマスばんざーい

2008-12-24 16:50:06 | 賢犬さくら
クリスマス前後はごきげんな日々です。どこの家に行っても「サクラやほら!」と肉つき骨がもらえる。
お父さんがくれる 肉の部分などすっかりしゃぶりきり、なおかつスープにとったという 肉なし骨とはわけがちがう。
たいてい鶏のももだで、皆さん骨が刺さるからと心配してくれるが、ほとんどが骨そそん症みたいなものでボロボロで心配アリマセン。
お隣のおじさんなんか、クリスマス・パーティーや忘年会の残り物をワザワザもってきてくれるほどです。
私はキリストさんもマリアさんも知りませんが、人間が食べ飽きるほど肉を食べるお祭りなのでしょうか。
「オレのところはクリスマスとは無関係だ」と、お父さんはいつものようにヤッコで焼酎をのんでいるだけ。そんなことは先刻承知のことで、密かに備蓄しているのです。
以前のことですが、私が蓄えた秘密の場所に骨がありません。犯人はお父さんで、いたずらに別なところに。いまは、お隣の畑のある場所に蓄えていますが、どうも油断が出来ない。
そうそう、お父さんの姪のお姉さんが「サクラにも・・・」って持ってきてくれた肉はどこえいったのだろう。

縁はいなもの--50愛欲曼荼羅

2008-12-24 08:41:28 | 大人の童話
んだ身の上話になってしまったが、正直、病から来る自身喪失自暴自棄になり、他人に会うことすら苦痛になってしまった。闇に迷い込むことは真に恐ろしいもので、もがく自分をさらに痛めつけ、とうとう自殺までしでかした。
いやー今から思えば笑ってしまうのだが、縄を確り結ぶ力も無く、ぶら下がったのはいいのだが、ズルズルと引き下がってしまった。
そのおり軽く頭を打ってしまい、軽い脳震盪をおこしてしまった。
気がついたとき、病のことなど忘れ、何年かぶりで一人大笑いをしたヨ。
どこの宗教でもいい、これから最初に出会った教団に入信しようと決めたのだ。
それが今の教団で、尊師様からひたすら堪忍努力しなさいといわれてから、ワシはスッカリ生き返ってしまった。
小難しい教理や大いなる力を得ることへの「修行の必要」を感じることはそれからのことだ。

信は病を得て、行く先の不安をかんじたからだった。
逆に言えば、病を得たから人の迷い・悩み・願い・・・様々な人間模様が見えるようになったといえる。
今は至って元気。科学・現代医学が及ばない、世界もあることを体得したのだ。
病は気から。気を高めていくことが、生命の根源 だと悟ったのだ。
今から思えば「とはそおなるべきして、そおなった」としみじみ思う。縁とは理屈でない結びつき。「そおいう力」を感じることが出来たのだよ。
映像-歓喜の踊り F50 墨画


休日だったのかーー

2008-12-23 17:34:43 | 山郷の暮し
めずらしく姪が彼氏とやってきた。
「二人してずる休みか??」
「モーーおじさんは相変わらずネーー。今日は天皇誕生日で休日だよ」
日曜祭日と無縁な、毎日お正月のような日常。それにしても、極まった格好だが暑苦しそうな姪のすがた。
「お日様ポカポカでおしゃれも大変だなー。マフラーはオバーではないの・・・」
「少ないボーナスでやっと買ったんだけど、あったかくてなんだか変!!」
ブランド品の上着を脱ぎ、携帯デンワをせわしくプッシュし続ける。
「軽井沢のイルミネーションを見に行くの。おじさんも行かない」
うれしいけれどオジャマ虫であることは必定。
我が家から一直線、車で一時間半ほどの距離だ。
夕刻が迫ると雪雲がアルプスを包みだし、ピリッとする寒気が流れてきだしました。今夜も見事な星空になるでしょう。

唐突ですが、天皇さん(75歳)も皇后さんもお年の割には老けておられる。
よっぽどの激務なのであろう。麻生総理も激務には違いないが、ニヤニヤ言いっぱなしというわけにいかない。
陛下は落ち込んだ経済状態に「・・・心が痛む」と。

入信のきっかけ-49愛欲曼荼羅

2008-12-23 08:52:37 | 大人の童話
教を語りだしたら限が無く、それこそ一生の問題で、あわてて結論を得ることはない。そこでだ、君らになにかの足しになればと思い、ワシがこの教団に入信したきっかけを話そう。
ワシは君たちのように、真剣に真理を求めて宗教者に接したわけではなかった。
あらゆる宗教団体が信徒獲得手段としておこなっている「病気治癒への願望」がきっかけだった。
君らより少し歳を得ていたころ、不治といわれた大病を病んだ。
病み付かれると、それまで見向きもしなかった「何かへの信心」によって治るならそれこそイワシの頭だってお願いをする気分に陥ってしまうものだ。
とても宗教的真理の追究などという、高尚な次元ではなかった。

そんなこころの隙間を見透かしたように、様々な勧誘があった。
しかし、みんな眉唾物に感じ、しまいにゃー腹が立ってきた。勧誘に来た彼らにというより、弱き者に見られる自分自身にだった
つまりだ、ワシは多少なりとも 精神的に強い人間だと自負していただけに、漬け込まれてくることに耐えられなくなってしまったのだ。
それこそ堪忍袋の緒が切れてしまい、暴力的なことまでしでかしてしまったよ。
そんな折、今ワシが心から尊敬している「クチサキ・ウーマイ師」にお会いした。
もちろん師のお話など少しも理解できず、信じることも出来なかったが「貴方が必要でこの世に存在している。堪忍しなさい」との言葉が心につきささってしまった。その時ハッ!!と天啓に導かれた などということでなく、死にかけ寸前の自分が「この世に必要で存在している」という意味と言うか、己の価値が解らなかった。

浴衣・温泉気分

2008-12-22 17:12:55 | 山郷の暮し
今朝は年末がまじかな時期に雨降りとは。例年でしたら雪になっているのでしょうね。東京や甲府などはバカ陽気とか。こんなときには風邪をひきやすくなります、ご注意を。

何年だったか忘れてしまったほど以前ですが、年暮れに大雪になってしまい、シンドイ思いをしたことがありました。今年はそんな天気にならないことを願いつつ、小雨が降る日は温泉にいきたいもの。
それも、冷たくとも露天につかるのが格別ですね。
多くの処では、温泉に行くといっても簡単ではないことでしょう。
そこで、自宅の風呂に温泉の元なんぞを入れ、出来れば浴衣をいるのが一番。
浴衣を着てコタツにしがみつくと、もーーナンニモシネーゾーー。という気分になる。
きっと廻りから、文句たらたらとなること必定でしょうが、休みの日には自宅のお風呂で温泉気分。できれば昼酒が最高。忘年会の飲酒とは一味違い精神衛生上最高気分。なにも小難しく言うことはナインですが・・。
とはいっても、お正月まではおあずけですねーー。

夕刻になると灰色の霧雨に白いものが混ざりだしました。
チョットひえてきました。綿入れを着込みましょう。


霊魂ってナンダ? -48愛欲曼荼羅

2008-12-22 08:46:28 | 大人の童話
リャーそうだろう。釈迦は六道輪廻からの解脱が目的で、永遠に存在するとするとした古代からの観念をあえて取り上げず、霊魂は問題外というこにした。
本来の仏教教学の世界では、「霊魂の世界」の問題はタブーになっているのだ。
ところがだ、日本仏教は日本古来の神道的な霊魂観とミックスしたもので、元祖のインド人が聞いたらビックラこいてしまうだろう。
霊魂の存在を認めてしまっている、日本仏教界は、なんとなくこの問題を 棚上げしてきた、ともいえる。
日本の仏教系新興宗教は、日本人が否定しきれない「霊魂の存在意識」に仏教的教理をくっつけているとも取れる。
仏教は教理的には、神や創造者にたいしての信仰は唱導はしていないが、現実には仏像が生まれ、寺院や仏塔がある。
仏教徒にとって仏像などの聖遺物が、祈りや供え物や献身のたいしょうになっているのは承知であろう。
ブッタは決して自分が神などと唱えなかったが、あらゆる意味で神格化されてしまったのは、凡夫のなせた業ともいえよう。

わが尊師様の教え、すなわち我が教団の立場も、霊魂の存在を否定はしていない。
つまり、純粋な仏教哲学のような、唯一無二の解脱目的だけでもない。ということにはなるが・・・。
もちろん、オカルト宗教や、信じていれば悟れる(菩薩になるとかとか)・霊能者になれる、などという飴玉プレゼントの似非宗教とはダンジテ違う!!
映像-「釈迦生誕曼荼羅」 油彩 180×180

散歩コースの分校跡

2008-12-21 17:36:51 | 山郷の暮し

「俺らはさんとう分校にかよったもんせ。稲倉(しなぐら)と三才山(ミサ山)は仲が悪く、よく喧嘩をしたジ」
と私の住む周囲のジッちゃまが語ってくれる。
正直・・それから三稲分校はさんとうと読むのだとわかったのです。
分校廃止後は1時間以上山道を抜けて本校に通った。「厳しかったケンド道中おもしろかったなー。今はスクールバスで都会っ子よりも歩かねー・・。良し悪しダンネ」
この谷の集落だけで、児童数100数十名とは・・。
いまわは園児はタクシーで送り迎え、スクールバスに乗っている子供は20名ほどだ。
松本市内を流れる女鳥羽川(めとば)の源流地帯で、三才トンルネ(昭和51年開通)が抜ける前は、歴史的にも抜け道のないどんずまりであった。
大動脈でありながらと、いまもって国道254のこのトンネル代500円は開通以来から有料。http://ryuomaru3.web.fc2.com/matumoto/sakuin/sb-5metoba.html
軽井沢のある東信の温泉にも気楽にいけるのだが、プラス1000円は考えてしまいます。この通行料がなければ、東西の交流はもっと盛んになると思うのだが。
ぼろ儲けをするところは、絶対にタダにはしないゾーーと言う声が聞こえてくる。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本