ソリャーそうだろう。釈迦は六道輪廻からの解脱が目的で、永遠に存在するとするとした古代からの観念をあえて取り上げず、霊魂は問題外というこにした。
本来の仏教教学の世界では、「霊魂の世界」の問題はタブーになっているのだ。
ところがだ、日本仏教は日本古来の神道的な霊魂観とミックスしたもので、元祖のインド人が聞いたらビックラこいてしまうだろう。
霊魂の存在を認めてしまっている、日本仏教界は、なんとなくこの問題を 棚上げしてきた、ともいえる。
日本の仏教系新興宗教は、日本人が否定しきれない「霊魂の存在意識」に仏教的教理をくっつけているとも取れる。
仏教は教理的には、神や創造者にたいしての信仰は唱導はしていないが、現実には仏像が生まれ、寺院や仏塔がある。
仏教徒にとって仏像などの聖遺物が、祈りや供え物や献身のたいしょうになっているのは承知であろう。
ブッタは決して自分が神などと唱えなかったが、あらゆる意味で神格化されてしまったのは、凡夫のなせた業ともいえよう。
わが尊師様の教え、すなわち我が教団の立場も、霊魂の存在を否定はしていない。
つまり、純粋な仏教哲学のような、唯一無二の解脱目的だけでもない。ということにはなるが・・・。
もちろん、オカルト宗教や、信じていれば悟れる(菩薩になるとかとか)・霊能者になれる、などという飴玉プレゼントの似非宗教とはダンジテ違う!!
映像-「釈迦生誕曼荼羅」 油彩 180×180
本来の仏教教学の世界では、「霊魂の世界」の問題はタブーになっているのだ。
ところがだ、日本仏教は日本古来の神道的な霊魂観とミックスしたもので、元祖のインド人が聞いたらビックラこいてしまうだろう。
霊魂の存在を認めてしまっている、日本仏教界は、なんとなくこの問題を 棚上げしてきた、ともいえる。
日本の仏教系新興宗教は、日本人が否定しきれない「霊魂の存在意識」に仏教的教理をくっつけているとも取れる。
仏教は教理的には、神や創造者にたいしての信仰は唱導はしていないが、現実には仏像が生まれ、寺院や仏塔がある。
仏教徒にとって仏像などの聖遺物が、祈りや供え物や献身のたいしょうになっているのは承知であろう。
ブッタは決して自分が神などと唱えなかったが、あらゆる意味で神格化されてしまったのは、凡夫のなせた業ともいえよう。
わが尊師様の教え、すなわち我が教団の立場も、霊魂の存在を否定はしていない。
つまり、純粋な仏教哲学のような、唯一無二の解脱目的だけでもない。ということにはなるが・・・。
もちろん、オカルト宗教や、信じていれば悟れる(菩薩になるとかとか)・霊能者になれる、などという飴玉プレゼントの似非宗教とはダンジテ違う!!
映像-「釈迦生誕曼荼羅」 油彩 180×180
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