棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

精霊が遊ぶ空

2008-12-03 17:11:49 | 山郷の暮し
暖かく、雲の一点もない空の日がつづいています。
日が落ちわずかに黄色を帯びた16-30分の西空から、飛行機が白い息を吐きながら私の空に近ずいてきます。白い飛行雲が薄いオレンジ色になると、手品を見たように消えてしまいました。時おり吹く風に冷たさがあります。
5時、アルプスはたちまちシュルエットと変わり、谷はたちまち闇夜となってしまいました。
木星と金星と離れて、オッ月様は真上に、地球はここに。

師走の初日の夜の始まりは、南西の空に、お天道様を親分にした月・金星・木星が寄り添い、冴えわたっていました。その夕刻に、おもわず、ぜひ空を見てくださいと投稿。眺めていると、6時半ごろからニコニコマークが描かれだした。
ちょうどそのとき来客があり写真は撮れませんでしたが、客人には気がつかなかったと喜ばれた。
報道もブログにも、ニコニコ顔の様子がつたえられていました。
昨日の宵の口に写真を撮ろうと思ったが、そおわいかない。
オッ月様の方が上になってしまい、ニコニコ顔にはならなくなってしまった。
写真--月・太陽・精霊よりF50

信じるものは・--30愛欲曼荼羅

2008-12-03 08:52:54 | 大人の童話
昨日は戦争に対し宗教家はシカトウを決め込んでいる、と身も蓋も無いことをいってしまった・・・。オフレコだぞ。
真意は歴史を顧みたとき、戦争の要因に宗教がいかにかかわり複雑にしてきたか。
終焉に向けての活動は、宗教というより苦しみ耐え忍んだ衆生の願いからだ。
ワシは美味いとこ取りの教団のありかたに、頭にきてついつい本音がでてしまった。

歴史とは、単なる記録の集積ではない。
無数の名も残らない人々の営みが織り成した、重厚な絨毯のようなもの。
一本の糸は人々の血肉・感情で、織り成していることを、忘れてはなるまい。
ところが、記された「歴史」は、時々の為政者・権力者によって、都合のいいように改ざんされてきた。
歴史は、人々の感情の賜物だなどと、能天気なことを言う気はもうとうない。

真実など永久にわからない。
この世は宗教的真実が本当なのか、科学的な事実が正しいのか、食い違っているのが現在の真実だ。
これから先、明らかになるとも思えないし、その必要もない気がする。
だが、真実は己がこれだと思えば在る。思えなければ無い。
哲学的講釈で暇つぶしをする前に、ワシの言うことを信じなさい。

じるものは強い。信じるものは救われる。
信じるものはありがたい。信じるものはおめでたい。
信じるものは お家繁盛家内安全宝くじ当たる棚からぼた餅なんでもOK

何事もそうなる(願望成就・達成)と信じれば、そうなると信じることだ

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本