棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

屋根の上の犬

2008-12-15 18:22:56 | 賢犬さくら
わたくし賢犬サクラは、昨夜はごきげんでした。
久しぶりにトンソクおじさんが、お土産を持ってきてくれました
十分に骨をしゃぶった上に、酒臭いトンソクおじさんとしっかりオネンネ。
精力十二分。野山を駆けまわり、ついでに猫をおいかける。
勢いあまって、お隣の物置の屋根にあがってしまった。
猫のヤツにはさらに高い木に登られ、くやしいが吠えるだけ。
ところでどうやって降りようか・・・。

「サクラが吠え立てるときはこんなもんだ。父ちゃんは腰がイテーから助けてやれネーゾ。自分で登ったんだから、自分で降りろ」
お父さんは写真だけ撮って帰ってしまった。
木の上の猫とにらみ合っていても問題は解決しそうもない。
登ってきたところはたしかあの箱から・・
思い切って箱に飛び移ったのはいいが、箱が崩れるとは想定外だった。
チョット痛かったがあとはよろしく、お父さん・・・・。

哲学と科学 41愛欲曼荼羅

2008-12-15 09:10:12 | 大人の童話
矛盾だらけのお話ですね・・・」
ありがとうその通りだ。ワシは君の意見をある種の賛辞だとも感じている。
なぜならば、哲学的真理に到達するまで紆余曲折、矛盾の積み重ねの中から一滴の光明を手にすることなのだから。
古代ギリシャから芽生えた初期の哲学は「宇宙論者」だったのだ。
足元の大地はどんな形をしているのか。光り輝く太陽は、月は。見上げる星星はナンなのか。
いわゆる自然哲学と科学の区別はごく最近のことだ。

蓄積された「哲学」を学ぶのはゴールが見えるであろうが、「哲学的探求」をしようとするなら、時間と根気のかかるゴールが見え隠れする世界なのだ。
現代の偉大な哲学者、サー・カール・ポパーの著書の中に「果てしなき探求」となずけたのは意義深いものだ。
学と宗教との関係は?」そおくると思った。正直ワシは君に、いっぺんに納得できる言葉を持っていない。数学の方程式を解き明かすのとは訳が違う、詰め込み知識とも違う。
古今の哲学者の説を勉学する、と言うにはゴールがあるが、「哲学する」とは君自身が「果てしなき探求」の道に分け入ってくれ! としかいえない。
信じる心と信者とは、同次元ではないと同じで、哲学を学ぶことと 哲学スルとは異なっている。
シンドイコッタ!!

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本