原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「追い出し部屋」で働いてみたいぞ。

2013年01月10日 | 時事論評
 職場に於ける「追い出し部屋」なる部署の存在を原左都子が初めて知ったのは、昨年放映されたNHK連続テレビ小説 「純と愛」 においてであった。

 上記「純と愛」で私が視聴したその場面を、我が記憶のみに頼って以下に少し再現してみよう。
 主人公純が働く大阪のホテルオーサキは経営難に陥り、外資系大手ホテルへ吸収合併される運命と相成った。 それと平行して無能な社員のリストラが実行されることとなる。
 幹部よりの再三に渡るリストラ勧告にもかかわらず自主退職を希望しない社員達が、大きなテーブル一つと椅子以外何も置かれていない薄暗い部屋へ召集され、日々そこで与えられる何らの生産性にも繋がらない小論文等の課題を虚しくこなしつつ、退社時間を待つ措置となる。

 これぞ「追い出し部屋」である。
 要するに「追い出し部屋」とは、企業の経営難等によりリストラ勧告をしたにもかかわらず自主退職を望まない社員達を、無常にも強引に辞職へと追い込むべく試練を与えるために用意された部署を指す。


 新年が明け幾日かが過ぎ去った頃、年末のアルゼンチン旅行出発以降たまりに溜まっている新聞の山を片っ端から爆読する作業に取り掛かった私だ。
 そこで発見したのが、朝日新聞12月31日付一面トップの 「配属先は『追い出し部屋』」 と題する記事である。
 1年を締めくくる大晦日の一面トップ記事として、この種の話題を提供する朝日新聞の一種偏向しているとも捉えられそうな趣味を私は好意的に捉える人種である。
 
 それでは早速、上記朝日新聞トップ記事を要約して以下に紹介しよう。

 赤字にあえぐパナソニックグループに、従業員達が「追い出し部屋」と呼ぶ部署がある。 本社より遠く離れた子会社内のその室内には100台程の古い机とパソコンが並ぶ。 その部署の主な仕事は他部署の「応援」である。要請があれば駆けつけて製品を梱包する等の単純作業に励む。 応援要請がないと就業時間を待つしかない。
 この部屋の正式名称は「事業・人材強化センター」。 ある女性社員は上司より「今の部署には君の仕事はない」と告げられ、子どもの事を考えて上記センターへの異動を受け入れた。 「そこへ行っても1年後はどうなるか分からない事は承知していますね」と上司に付け加えられつつ…。 
 このセンターの存在に関して会社側は「退職強要ではない」と説明しているようだが、社員側は「実質余剰人員を集めて辞職するよう仕向ける狙い」と受け止めている。 当該パナソニックの事例の場合、就職氷河期を勝ち抜いて正社員の座をつかんだ30代の世代においても上記センター配属、すなわち「社内失業」が増える現実のようだ。

 話題を上記朝日新聞2面に移そう。
 我が国日本では、経営難の企業が従業員を解雇することは過去の裁判例で厳しく制限されている。 そこで企業は仕事を与えられない社員に自主退職を促す手段に出て“人減らし”計画達成を目指すとの図式である。
 その一方、全国に広がる「追い出し部屋」を商機と見て活発に動くのが人材紹介・派遣を手がける人材サービス業界だ。 「社内失業者」の出向を受け入れるビジネスも出てきているとのことだ。
 最後に朝日新聞記者のまとめとして、「社内失業」や人減らしの増加は、経済の低迷と雇用政策の欠如がもたらす構造的な問題だ。 現時点において失業した人への支援は失業手当が軸で手薄なままだ。 政府の無策が続く……
 (以上、朝日新聞昨年大晦日のトップ記事より要約引用)


 朝日新聞よりの引用が長引いたが、ここで私事に入らせていただこう。

 原左都子が民間企業(現在東証一部上場企業であるが)に正社員として勤務していた1970年代から80年代半ばにかけても、当該医学関連企業に於いてリストラ対象職員を幹部が自主退職に導く手段は存在していたと認識している。
 それは 「左遷」 との個別的方策であるのだが、当時よりこの「左遷」に耐え抜いて生き残り、新たな実力を発揮する社員は少なくなかった事実を私は記憶している。
 
 いえいえ、過去に於ける「左遷」と現在の「追い出し部屋」とは、その時代背景及び企業側が置かれている経営難との切羽詰った事情等々、その趣旨が大いに異なることは私とて重々理解できているつもりだ。

 ここからは、原左都子の私論に入ろう。

 そうだとしても私が考察するに、「左遷」「追い出し部屋」… リストラ先の如何にかかわらずリストラ対象となる社員とは、もしかしたら単に直属の上司に嫌われただの、組織の経営理念に合わないだのとの、私に言わせてもらうと上層部の“狭い見識”がもたらした結果とも受け止められそうだ。 要するに、上に立つ人間の能力不足により有能な社員を使いこなせないだけの話かもしれないのだ。

 冒頭のNHK連続テレビ小説「純と愛」も同様ではなかろうか!?
 主人公純にはホテルの「社長」になりたいとの大いなる野望がある。 そんな純の純粋な野望を周囲がとことん潰し続けているドラマと解釈している私は、純には是非共何処かのホテルの「社長」になって欲しいと期待している。

 既に還暦に近づいている私は、まさか今後何処かの「社長」になろうとは一切欲していない。
 だが過去に於ける民間企業経験者加えて元公立高校平教員の立場として、当時実力なき経営者や上司に対しては何が何でも逆らい続けたい思いが我が体内から沸々と湧き出ていた事を、NHKドラマ主人公 純 から回想させてもらえるのだ。

 そんな原左都子から、「追い出し部屋」を設けている企業幹部に言いたいことがある。
 自分は会社経営者や顧問の身分だから、あるいは部署の上司の身分だから、狭い世界での弱者である部下をいたぶって「お前は『追い出し部屋』へ行け!」などと安直に指示していたのでは、後々真に実力ある部下から“しっぺ返し”を食らうことを認識しておくべきであるとの事実だ。


 表題に掲げた通り、年齢を重ねた今こそ私は「追い出し部屋」で働きたい思いがする。
 そこで弱者の立場として労働力を提供することにより、組織の上位に君臨する自ら力があると自負する人物達の真の実力の程に決戦を挑みたい故だ。

 現在世界競争力を失っている日本、そしてこれ程までの経済難の時代であるから故に、下に位置する弱者を排除する以前の課題として、上に立つ人材こそが自らの実力の程を鑑みて今後の進退を問い直すべきではないのか?!?
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