昨日、春休み中の子どもと一緒に東京お台場方面へ出かけたところ、黒や紺の真新しいスーツに身を包んだ新社会人と思しき多くの若者を見かけた。
そう言えば、昨日は4月1日だった。 晴れて新社会人となった若者が、入社式に臨んだのであろう。
昨年来の世界的経済不況のあおりを受けて、内定先の企業から内定取消しの措置をやむなくされたり内定辞退を迫られたりの事態が相次いだ中、昨日の入社式に出席できるに至った若者は、一応“恵まれた”立場にあるのだろう。
朝日新聞3月31日(火)付夕刊記事によると、入社目前となった3月下旬に、内定先企業から自宅待機や関連会社への転籍を求められるケースも相次いでいるとのことである。
4月1日の入社式のみは出席できるものの、翌日から自宅待機扱いで賃金も6割しか支払えないとの文書を内定先企業から送付され、事実上“内定辞退”の勧告を受けたに等しい新社会人等も少なくない現状のようだ。
肌寒い気候が続き、桜の開花も足踏み状態の今年の春であるが、この気候と平行して、心寒く厳しい春を迎えている新社会人も多い実態のようである。
私もウン十年前に上京し、新社会人となった。
オイルショックの数年後のことであるが、その頃の社会情勢と言えば、おそらくオイルショックから回復し景気は上向きの頃だったのではないか、と推測する。就職難と言う程の時代ではなかったとも記憶しているが、職種によっては求職が求人を上回り、多少就職に難儀した学生も存在したようだ。
そんな中、医学専門職としての国家資格を3月に取得することが条件の上での就職であった私の職種の場合、当時200%の就職率を誇り“引く手あまた”の状態だった。病院へ就職する人が圧倒的多数の中、私は当時としては“斬新”な選択であった医学関連民間企業への就職を自ら希望して難なく内定し、上京したといういきさつである。
(正確に言うと、少なくとも私の職種に関しては当時は“内定”などという言葉すらなかった。就職試験と国家試験に合格すれば“就職決定”であり、それをこちらが辞退した場合困惑するのは企業側だったと推察する。)
私の場合、時代的背景なのか、専門職種だったためなのか不明だが、当時は現在のように一見して新社会人とわかるような黒紺スーツを着ている人は珍しく、もう少しラフな格好をしていたように記憶している。特に研修期間中など、ほとんど普段着で出勤して何らとがめられる事はなかったものだ。
外見はともかく、まだまだ“若気の至り”の塊のような私には、新社会人としての確固としたポリシーなど当時は何もなかった、というのが今思えば正直なところである。
私の場合、専門職種であったことが幸いして既にレールは敷かれているも同然だった。そのレールを踏み外さずに進んでさえいれば、ある程度は私の人生は安泰であることは目に見えていた。人間関係等の職場において付随するトラブルを乗り越えつつ前に進みさえすれば、安定した暮らしが保障されているも同然だった。
ところが、自分の仕事に真面目に取り組み、職業経験をはじめ様々な社会経験を重ねて真の“大人”になっていくにつれ、人間とは“幅”が生じてくるものだ。その幅が大きくなってくるほど、自分の世界も広がっていくものである。そうなると、たとえ専門職で安定収入を得ているとは言え、現在の自分の職業や雇用されている企業等の、たかだか一社会システムの一編に過ぎない狭い世界から羽ばたきたくなるのが“野心家”としての自然の摂理なのではなかろうか。
(若い世代の方々には誤解のないように申し上げたいのだが、現状からの単なる“ドロップアウト”では先々の自分の更なる発展には繋がりにくいと私は感じる。他者の評価は二の次にするとしても、必ずや自分なりの“成功観”を持ってgraduateした後に、次に羽ばたくステップが待ち構えているのではないだろうか。)
結果として、私は自分なりに努力してそれまで築き上げた医学分野の専門職種も企業勤務による安定収入も捨て去って、新たな世界へと旅立ち現在に至っていることに関しては、当ブログで何度も既述の通りである。
そんな経歴のある私は、時代の趨勢や自分が置かれた境遇にかかわりなく、自分の人生とは自分の力で切り開いて行くものだと年齢を重ねた今尚確信している。そのためには、時代の変遷や社会の動向に関しての情報収集をまめに行い、自分が今置かれているそれぞれのスタンスにおける状況の客観的把握、理解、そして将来的展望が必要不可欠であるとも考える。
特に今年は、新社会人の皆さんにとって多難で厳しいスタートとなっていることは、周囲の誰しもが周知の事実であろう。
そのような厳しい社会的背景の下にあっても、新社会人の皆さんにとっての人生は今スタートラインに着いたばかりだ。ご自身の生き様をどのように描いていくのかは、やはり皆さん次第であろう。
どうか、現在のこの逆境にめげずご自身のポリシーを培いつつ、個性を発揮して今後共精進されますように。
そう言えば、昨日は4月1日だった。 晴れて新社会人となった若者が、入社式に臨んだのであろう。
昨年来の世界的経済不況のあおりを受けて、内定先の企業から内定取消しの措置をやむなくされたり内定辞退を迫られたりの事態が相次いだ中、昨日の入社式に出席できるに至った若者は、一応“恵まれた”立場にあるのだろう。
朝日新聞3月31日(火)付夕刊記事によると、入社目前となった3月下旬に、内定先企業から自宅待機や関連会社への転籍を求められるケースも相次いでいるとのことである。
4月1日の入社式のみは出席できるものの、翌日から自宅待機扱いで賃金も6割しか支払えないとの文書を内定先企業から送付され、事実上“内定辞退”の勧告を受けたに等しい新社会人等も少なくない現状のようだ。
肌寒い気候が続き、桜の開花も足踏み状態の今年の春であるが、この気候と平行して、心寒く厳しい春を迎えている新社会人も多い実態のようである。
私もウン十年前に上京し、新社会人となった。
オイルショックの数年後のことであるが、その頃の社会情勢と言えば、おそらくオイルショックから回復し景気は上向きの頃だったのではないか、と推測する。就職難と言う程の時代ではなかったとも記憶しているが、職種によっては求職が求人を上回り、多少就職に難儀した学生も存在したようだ。
そんな中、医学専門職としての国家資格を3月に取得することが条件の上での就職であった私の職種の場合、当時200%の就職率を誇り“引く手あまた”の状態だった。病院へ就職する人が圧倒的多数の中、私は当時としては“斬新”な選択であった医学関連民間企業への就職を自ら希望して難なく内定し、上京したといういきさつである。
(正確に言うと、少なくとも私の職種に関しては当時は“内定”などという言葉すらなかった。就職試験と国家試験に合格すれば“就職決定”であり、それをこちらが辞退した場合困惑するのは企業側だったと推察する。)
私の場合、時代的背景なのか、専門職種だったためなのか不明だが、当時は現在のように一見して新社会人とわかるような黒紺スーツを着ている人は珍しく、もう少しラフな格好をしていたように記憶している。特に研修期間中など、ほとんど普段着で出勤して何らとがめられる事はなかったものだ。
外見はともかく、まだまだ“若気の至り”の塊のような私には、新社会人としての確固としたポリシーなど当時は何もなかった、というのが今思えば正直なところである。
私の場合、専門職種であったことが幸いして既にレールは敷かれているも同然だった。そのレールを踏み外さずに進んでさえいれば、ある程度は私の人生は安泰であることは目に見えていた。人間関係等の職場において付随するトラブルを乗り越えつつ前に進みさえすれば、安定した暮らしが保障されているも同然だった。
ところが、自分の仕事に真面目に取り組み、職業経験をはじめ様々な社会経験を重ねて真の“大人”になっていくにつれ、人間とは“幅”が生じてくるものだ。その幅が大きくなってくるほど、自分の世界も広がっていくものである。そうなると、たとえ専門職で安定収入を得ているとは言え、現在の自分の職業や雇用されている企業等の、たかだか一社会システムの一編に過ぎない狭い世界から羽ばたきたくなるのが“野心家”としての自然の摂理なのではなかろうか。
(若い世代の方々には誤解のないように申し上げたいのだが、現状からの単なる“ドロップアウト”では先々の自分の更なる発展には繋がりにくいと私は感じる。他者の評価は二の次にするとしても、必ずや自分なりの“成功観”を持ってgraduateした後に、次に羽ばたくステップが待ち構えているのではないだろうか。)
結果として、私は自分なりに努力してそれまで築き上げた医学分野の専門職種も企業勤務による安定収入も捨て去って、新たな世界へと旅立ち現在に至っていることに関しては、当ブログで何度も既述の通りである。
そんな経歴のある私は、時代の趨勢や自分が置かれた境遇にかかわりなく、自分の人生とは自分の力で切り開いて行くものだと年齢を重ねた今尚確信している。そのためには、時代の変遷や社会の動向に関しての情報収集をまめに行い、自分が今置かれているそれぞれのスタンスにおける状況の客観的把握、理解、そして将来的展望が必要不可欠であるとも考える。
特に今年は、新社会人の皆さんにとって多難で厳しいスタートとなっていることは、周囲の誰しもが周知の事実であろう。
そのような厳しい社会的背景の下にあっても、新社会人の皆さんにとっての人生は今スタートラインに着いたばかりだ。ご自身の生き様をどのように描いていくのかは、やはり皆さん次第であろう。
どうか、現在のこの逆境にめげずご自身のポリシーを培いつつ、個性を発揮して今後共精進されますように。
子どもの将来の自立を願うあまりに、子どもの事に躍起になり出しゃばり過ぎる自分を反省する日々です。
我が子の場合、本人の志望が昔から明確なことに助けられます。(コメント欄ですから、量さんにはこっそり教えますが、我が子の志望は“芸術系”なのです。)
私にとっては過去においてまったく経験のない世界ですので情報収集に躍起にならざるを得ないのですが、とにかく本人の希望を叶えるべく親として最大限の努力をしたいと思っています。(実は子どもが小学校高学年頃から、既にその努力は始まっていたのですが。) 時間の経過とは早いもので、もう大学進学に向けて具体的に対処する時期となりました。
後3年間、母親として頑張ります!
(その先の論文課題等は手伝うとしても、実技に関してはどう考えても私の能力では手伝えないかなあ…???)
一番可能性が高いのが大学進学なんだから、それに備えておくのは当然なんじゃないでしょうか。楽な道ではありませんから、躍起になるくらいでちょうどいいはずですよ。
現役生は社会人ほど力がないので、親のサポートがあってやっと立っていられる存在です。
勿論親の中には覚悟のない人間もいますから中には支えてやった引き換えに、まるでなんかの資格でもあるかのように子供の自主性をかっさらっていくものもあるでしょうが、数の上ではそんな人は少ないのではないでしょうか。
原様とは違う世界の人々ですからそんな人と比べないで下さいね。
さすがに年齢を重ねてきますと体にこたえますので、ほどほどにせねばと思いつつ、やはり気質とは変えられないもので、あえて苦労を背負い込んではダウン寸前の連続です。
でも、楽せず精一杯生きていると得られる達成感が大きいですね! この達成感を味わいたくてまた精一杯です。
話が変わりますが、我が家の娘が高校に内部進学しました。義務教育を終了し、少しは肩の荷が降りるかと思っていましたが、甘くないですね。放っておけない性質の私としては、早くも大学進学に向けて躍起になってしまっています。子どもの自主性を尊重せねば、とは思いつつ、どうしても一人芝居で早くも苦労を背負い込んでいる私です…。
きっと心の中が不安と恐れでいっぱいになってしまうと思います。
ちゃんと生きていれば手ごたえがあるし、精一杯やればどんな結果になろうと後悔は少ないんだから、こっちの方がいいに決まってますよね。
ですが、国が貧しい時代に幼少時代を過ごした我々(おそらくisseiさんは、私よりもさらに国家自体が貧しい時代を乗り越えて来られていることと存じますが…)にとっては、今までの人生自体が甘くは無かったですよね?でも、それはそれで幸せでもありましたよね?
だから私も言いたいのですが、国政の歪みやそれ故の教育行政の歪みになぜ本気で立ち向かう人材が現在育たないのか、どうしても不思議な私なのです。
なんで、こんなに安直な人生を歩みたい人種ばかりが育っているのでしょう。まだまだ若くて体力もエネルギー等の労働生産性も十分にあるのに、なんで苦労せずに道が開けるとばかり思っているのでしょうか。どうして楽してネット等の不労所得に頼ろうとするのでしょう。
これでは、この国は破滅の一途です。誰かが健全な道程を伝授するべきですのに、なぜ、苦労をしてきたはずの年配者までが、若い世代の真似をしてネット収入に頼っているのでしょう???
だから、この国はこういう道程を辿っているのではないのでしょうか。
子どもは大人の真似をする生き物でしょう。
大人自体が今からでも遅くないので汗水たらす生き方を若者に伝授できたならば、この国も少しは変化するような気がする私です。
“汗水たらす”の意味合いが時代と共に変遷していることとは思いますが、そういう姿を子どもに見せられない大人が、増産されている社会であるような気もする私です。
ネット情報というのは、直ぐに過ぎ去る情報で重みがありません。
これに比して、新聞とは紙面による活字情報ですので、自分が欲する時に自分の欲求に応じて情報を入手できるというメリットがあります。
今尚旧人類で時間的空間的自由度を欲する私など、この新聞情報に主に頼る日々です。
このように考えると、むしろ、ネット人間とは時間や空間から“限界”という縛りを受けて暮らしている人種とも考察できますよね。
情報の入手手段は今の時代も自由な訳ですから、情報の発信に左右されず、受け手が自分の自由を謳歌して、新社会人に羽ばたいて欲しいものです。
しかし、これからが大変です。企業は人件費削減で少数精鋭で凌ごうとしています。
結果として、一人の社員に課せられる仕事の量が増えています。残業については40時間/月の規定など守られているのかと思えるほどです。心して掛からないと、はじかれてしまいます。
※前投稿でタイピングミスが有りました。「相互的」は総合的」に読み替えてください。
そして、国外へシフトする企業が多過ぎたのも政府の指導が行き届かなかった事が要因でもあります。大田区の中小企業などでは大変な事になっています。仕事がなくなって、廃業が後を絶ちません。相互的な手を打たないと物作り日本の基盤を失いかねません。大企業も中小企業も雇用に不安があったのでは未来に希望など持てる訳がありません。
以上がとても大切だと、私も思います。
ネット情報は、早くて膨大、でも新聞は文化ですから、必ずや新入社員に役に立つ・・・。
新入社員に、新聞を読んだ方がいいよと、アドバイスさせてください。