書評を読むことを好む原左都子だが。
本日も、朝日新聞2021.11.13付「書評」のページより。
大坪庸介著「仲直りの理(ことわり) 進化心理学から見た機能とメカニズム」に対する 坂井豊貴氏による「加害者を許せば被害者も癒える」と題する書評を、以下に要約引用しよう。
先日、ある人からひどい目に遭わされ、後で謝罪されたが、私はその謝罪を受け入れられない。 関係は修復した方がよいのだろうが、赦す気になれない。
そんな時、書店でこの本を目にした。 著者は心理学者で、謝罪と赦しを論じている。 本のページを適当に開くと、太字で「またひどいことをしそうな相手は赦さない」と書いてあった。 わかる。 そういうことだ。 私が感じているのはそういうことだ。
私は相手がまた同じことをするから、赦す気になれない。 それは感情の働きだ。 ただし私は合理的に思考して、赦さないという判断をしてもよかったはずだ。 容易に赦すと、相手は再度同じことをしてきそうなのだから。
ここで興味深いのは、私が合理的な思考なしで、自動的な感情で「赦さない」と思えたことだ。 人間はこうした、赦しについての様々な感情を、進化の過程で獲得してきた。 その仕組みはよくできていて、自分にとって価値が高いほど赦しやすい。 (中略)
それでも効果的な謝罪は簡単ではない。 いくら口で悔恨の意を示しても、相手が信じるとは限らない。 そこで重要なのが謝罪にコストをかけることだ。分かりやすいのは被害の補償だが、工夫や手間暇もそれにあたる。「ここまでしてでも謝罪したい」とのシグナルが、相手に誠意として伝わり、癒しがを導くからだ。
被害者は、加害者を許さねばならないわけではない。 ただし、癒しは自分の傷を癒す。 許さずとも、赦そうとする態度をもつだけで、ストレスは軽減されるのだという。
(以上、朝日新聞2021.11.13付「書評」より一部を要約引用したもの。)
私め原左都子には、一生に渡り絶対に許せない人物が存在する。
それは、20数年前に絶縁した現在米国暮らしの実姉である。
いや、他にももっといるかもしれないが、既に縁が切れていて私側がすっかり忘れ去っている相手に関しては、もうそれでいいし、どうでもよい。
実姉に関しては、こちらは絶縁しているにもかかわらず、あちらが妹の私に対して未練たらたららしいのだ。
これに辟易とさせられる。 実母も私の姉に対する絶縁の壮絶な思いを理解しているにもかかわらず、「どうか気持ちを入れ替えて、私が死んだ後は米国の姉と復縁してくれないか?」と事あるごとに嘆願してきては。
私から「絶対に復縁などあり得ない!! 妹の私があの姉から長年(絶縁宣言をしたのが40代前半期故に、その長き年月に渡り私は姉からいわれなき虐待をされ続けてきた訳だが。)どんな目に遭わされたのかを、親として少しは分かってものを言え!」と私から吐き捨てられている。
確かにそうだよなあ。 書評者が書かれている通り、もしも姉が多額の補償金でも積み上げて「ここまでしても謝罪したい」と頭を下げてきたならば…
いや、私と姉との関係に於いては、それすら意味を成さない。
姉のカネなど一生涯一切要らん!し、私とて食うに困っている訳でもなし。
とにかく、姉が私側の絶縁要望に応えて一生涯私との間の縁切り状態を死守し、私の前に絶対的に姿を現さないことが、私のとっての最高の謝罪だ。
「仲直りの理(ことわり)」。
良き題名の著書だ。
世の中には、加害者を絶対に赦せない、というよりも“赦してはならない”との二者関係もある。
まさに、「またひどいことをしそうな相手」と長年に渡り顔を突き合わせねばならない“地獄”を味わわされた人間もこの世にいるものだ。
どうか、そのような関係に長年苦しんだ人間も存在することに配慮しつつ、「仲直りの理(ことわり)」に基づいて。
“絶対的に許せない”人間関係もある事を、ご理解いただきたい。