2024.07.20付バックナンバーにて「『硬膜下血腫』で入院していた義母が施設に戻った…」と題するエッセイを綴り公開した。
最終部分の一部のみを、以下に再掲載させていただこう。
元々認知症状がある高齢者が93歳近くになって。
施設内でもどこでも場所を選ばず転ぶことが常習となって…
ついに「硬膜下血腫」での入院を余儀なくされ、その病院でも扱うのが難義なため施設へ戻された事実を鑑みると。
如何に病院や施設の係員の方々が、義母のために努力を重ねてくれたとて。
当然ながら限界があり。
施設内でもどこでも場所を選ばず転ぶことが常習となって…
ついに「硬膜下血腫」での入院を余儀なくされ、その病院でも扱うのが難義なため施設へ戻された事実を鑑みると。
如何に病院や施設の係員の方々が、義母のために努力を重ねてくれたとて。
当然ながら限界があり。
義母との人物とは、そんな周囲の人物の「限界状態」を自ら創り上げつつも、その事実すら認知不能で…
それでも尚 この世に未だ生存させられるとの、ある意味で「究極辛い」運命を背負ってまでも。
今生き続けているのだろう…
(以上、本エッセイ集バックナンバーの最後の一部を再掲載したもの。)
あれから2週間が経過した昨日、義母の息子である我が亭主が義母を伴い病院受診をした。
と言えども、これが口で言うほど安易な事である訳も無い。
何分、車椅子にての移動しか方策が無い義母だ。
そんな義母を如何に病院まで連れて行ったかと言うと。
やはり、「介護タクシー」を利用したに決っている。
この「介護タクシー」だが、タクシー乗車がエレベーター(リフトというべきか)形式で、患者は車椅子に乗ったままタクシー内への乗車が叶うようだ。
その操作のすべてを介護タクシー乗務員が執行してくれるようで、付き添いの亭主は義母が乗り込んだ後にタクシーに乗って病院へ行けば済むとのことで、いとも簡単スムーズに病院へ着き、また病院から施設へ戻れたらしい。
そんなサービス付きなのに通常のタクシーとさほど料金が変わらないのは、国家からの援助金がかなりの利率出るからのようだ。 (国家も有用な介護手段を考慮し実行に移したものと、拍手しておこう。)👏👏👏
亭主が言うには、義母は施設内転倒により「硬膜下血腫」を患ったにもかかわらず。 その後の回復力がすばらしく、現在では車椅子生活ながらも、(上記の)介護タクシーに乗せれば、病院まで連れて行けるまでになっているとのこと。
そして 昨日は亭主の事を自分の息子と認識できるレベルにまで回復していたようだ。 ただし、会話は無理なのは必然であろうし、今後の回復も望めないかもしれない。
それでも 食事に関しても意欲が多少出てきている様子で、一人で何とか食しているとのことだ。
それにしても、やはり「硬膜下血腫」の影響は大きく、今後は車椅子生活を余儀なくされる人生となろう。
そうだとして、原左都子が思うに。
以前、亭主が未だ現役で仕事に励んでいた時期には、妻であるこの私が義母の病院受診等々すべてに付き添ったものだが。
その当時の事を思い起すに。
既に認知症状に苛まれていたにもかかわらず、身体は元気でとにかく口数が多い義母だった!😖
この義母の病院受診付添いをするのが、大仕事だったと振り返る…😵
嫁の私が付き添うと心より安心する様子で、全面的におんぶにだっこなのだ!😭
病院の電光掲示板を見つつ義母の「番号が出たら診察室へ行きます!」、との指導を嫁の私が毎回しても、一切聞く耳を持たず。 とにもかくにも、日頃の施設暮らしで溜まりに溜まっている自身の愚痴話を“大声で!”(義母の耳が遠いせいです…)で、私にぶちまけ続けるのだ!!😱
やっと義母の診察時間となって、心より安心した私が義母を引き連れて診察室へ出向いたものだ…😂
そんな義母の世話を 亭主が定年退職後は亭主に引き継いで後は、その厳しい任務から解放されている私だが。
それにしても、世の高齢者や障害者介護環境が(介護タクシー等々の採用により)急激に進化している事実に心より安堵する。
今後もどうか、国や自治体のそれら弱者に対する介護環境の改善(援助)体制が充実することに期待したいものだ。