妻の節約術の中で、夫が一番して欲しくないことは 「スーパーのポリ袋を大量に持ち帰ること」 だそうだ。 以下、「1円でも安いものを探してスーパーをはしごすること」「風呂の水を2回使うこと」… と続くらしいのだが…
確かにいる。私も目撃したことがある。 スーパーのレジを通過後の買い物を袋に入れる台に置かれている、惣菜の煮汁等の漏れ防止のためにスーパー側が設置しているポリ袋を “ぐるぐると手繰って” 大量に持ち帰る女性が!
その行為を“合法”と捉えているらしき女性達も存在するようである。 「このポリ袋を持って帰るといろいろ使えて便利よね」「そうね」 などと話しつつ、当然の権利のごとく2人で大量に持ち帰った女性達を目撃したこともある。
“盗人猛々しい”とはこのことかもしれないが、これ、立派な窃盗罪なのではなかろうか??
これに対して「1円でも安いものを探してのスーパーのはしご」や「風呂の水を2回使う」などは、まだしも主婦の健気な節約術であるのかもしれない。
ここで私事を述べると、原左都子は両方共絶対やらないね~~。
「スーパーのはしご」に関しては “タイムイズマネー!感覚” が鋭い私にとっては時間的ロスの損失感の痛手の方がずっと大きいし、 「風呂水2度使用」については、“綺麗好き・潔癖症”気味の私の心理眼には風呂水に雑菌等の微生物がうようよ浮いているのが見えてしまうからである。
さて、上記の「夫の妻にしてもらいたくない節約術」報道と時を同じくして、5月1日朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”に 「もっとお金持ちだったら、と」 と題する主婦からの相談が寄せられていた。
以下に、この相談内容を要約して紹介しよう。
40代の主婦であるが、子どもの頃からあまり裕福ではない家庭に育ち母が節約する姿を子供心にもせつない気持ちで見ていた。 結婚した今は昔よりはるかに良い暮らしをさせてもらっているが、夫の給料は高くなく家計は赤字である。 毎朝スーパーのチラシを見て1円でも安い店をチェックし、「一人1個限定」商品に関しては家と店を何度か往復したりして購入している。 だが、自分が買った商品が他店でもっと安い値段で売られているのを発見した時のショックといったら、それはそれは憂鬱な気分である。ポイントカードを忘れてポイントをつけてもらえない時も後々まで落ち込む。 日々の買い物でこれ程に落ち込む私は、もっとお金持だったらこんな悩みはなくなるのにと今の生活を恨めしく思うこともある。人生このままでは楽しくないが、どうしたらいいのか。
私論に入ろう。
「原左都子エッセイ集」において毎度おなじみの朝日新聞“悩みのるつぼ”の例外ではなく、“ほんとにこんな奴が存在するの??”と思ってしまいそうな、私にとってはまたまたアンビリーバブルな相談である。
現在40代の主婦ということは、20年程前の学生時代にちょうどバブル期に遭遇していた年代ではなかろうか? 当時は新卒者が就職において“超売り手市場”の時代で、(極端に表現すると)誰でもどこにでも就職できた時代であったと私は記憶している。
この相談主婦のこれまでの人生の経緯をこの相談内容からは把握できないが、“結婚して昔に比べればはるかに良い暮らしをさせてもらっている”との記述より、ご自身には就職の経験がないものと推測できる。 職業経験がないまま、現在の家庭で主婦業に専念しておられるのであろう。
それはそれでよしとしても、これは一体どうしたことなのだろう?
この主婦の人生の目的は日々のスーパーでの買い物にしかないのかと、この相談を読む限り思えてしまうのだ。
確かに現在は厳しい不況が長期に及んでいる時代ではある。 それにしても、もう少し発想の転換ができないものなのだろうか。
朝日新聞に投稿したということは、少なくとも新聞を購読できる程度の家計の経済力と新聞を読む時間的余裕があるのであろう。 そうであるならば、家計を立て直す別の手立てに思いを馳せることも可能であろうに…
「もっとお金持だったら…」などというこの相談者の発想自体が至って他力本願的であり、自分の人生において自ら「お金」と直にかかわった経験が皆無であることの証明なのではなかろうか。
まずは、この世を一人の人間として自立して生き抜いていく第一の手段として、自分でお金を稼ぐことにより自分なりの「お金持ち」になるべく少しは努力をするべきであろう。 そうではなく「結婚」により生活の安定を得ようとの選択枝も今現在尚あり得るのかもしれないし、逆バージョン(夫が妻の収入に依存する)も存在する今の時代のようでもあるが…
この相談主婦にとっての自立の手段の結論が 「結婚」 であったとしたなら尚更、日々そのお金を稼いで家計を支えてくれている夫への配慮を最優先するべきではないのか。
にもかかわらず、その矛先が日頃の“スーパーの買い物”にのみ結集され、金銭感覚がその域を超えられないでいる貧弱な発想が、端から見ていて何とも辛い思いである。
今からでも遅くはないから一度でも自分で「お金」を稼ぐことにチャレンジしてみて、自分自身の「お金 対 生活」感覚を紡いでみれるといいのだが…
それは無理だとしても、今一度新聞のいろんなページを読んでもう少し視野を広く持ち、日々のスーパーでの買い物だけではない自分なりの「お金に対する執着」の矛先を探り直してみてはいかがなものだろうか。
確かにいる。私も目撃したことがある。 スーパーのレジを通過後の買い物を袋に入れる台に置かれている、惣菜の煮汁等の漏れ防止のためにスーパー側が設置しているポリ袋を “ぐるぐると手繰って” 大量に持ち帰る女性が!
その行為を“合法”と捉えているらしき女性達も存在するようである。 「このポリ袋を持って帰るといろいろ使えて便利よね」「そうね」 などと話しつつ、当然の権利のごとく2人で大量に持ち帰った女性達を目撃したこともある。
“盗人猛々しい”とはこのことかもしれないが、これ、立派な窃盗罪なのではなかろうか??
これに対して「1円でも安いものを探してのスーパーのはしご」や「風呂の水を2回使う」などは、まだしも主婦の健気な節約術であるのかもしれない。
ここで私事を述べると、原左都子は両方共絶対やらないね~~。
「スーパーのはしご」に関しては “タイムイズマネー!感覚” が鋭い私にとっては時間的ロスの損失感の痛手の方がずっと大きいし、 「風呂水2度使用」については、“綺麗好き・潔癖症”気味の私の心理眼には風呂水に雑菌等の微生物がうようよ浮いているのが見えてしまうからである。
さて、上記の「夫の妻にしてもらいたくない節約術」報道と時を同じくして、5月1日朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”に 「もっとお金持ちだったら、と」 と題する主婦からの相談が寄せられていた。
以下に、この相談内容を要約して紹介しよう。
40代の主婦であるが、子どもの頃からあまり裕福ではない家庭に育ち母が節約する姿を子供心にもせつない気持ちで見ていた。 結婚した今は昔よりはるかに良い暮らしをさせてもらっているが、夫の給料は高くなく家計は赤字である。 毎朝スーパーのチラシを見て1円でも安い店をチェックし、「一人1個限定」商品に関しては家と店を何度か往復したりして購入している。 だが、自分が買った商品が他店でもっと安い値段で売られているのを発見した時のショックといったら、それはそれは憂鬱な気分である。ポイントカードを忘れてポイントをつけてもらえない時も後々まで落ち込む。 日々の買い物でこれ程に落ち込む私は、もっとお金持だったらこんな悩みはなくなるのにと今の生活を恨めしく思うこともある。人生このままでは楽しくないが、どうしたらいいのか。
私論に入ろう。
「原左都子エッセイ集」において毎度おなじみの朝日新聞“悩みのるつぼ”の例外ではなく、“ほんとにこんな奴が存在するの??”と思ってしまいそうな、私にとってはまたまたアンビリーバブルな相談である。
現在40代の主婦ということは、20年程前の学生時代にちょうどバブル期に遭遇していた年代ではなかろうか? 当時は新卒者が就職において“超売り手市場”の時代で、(極端に表現すると)誰でもどこにでも就職できた時代であったと私は記憶している。
この相談主婦のこれまでの人生の経緯をこの相談内容からは把握できないが、“結婚して昔に比べればはるかに良い暮らしをさせてもらっている”との記述より、ご自身には就職の経験がないものと推測できる。 職業経験がないまま、現在の家庭で主婦業に専念しておられるのであろう。
それはそれでよしとしても、これは一体どうしたことなのだろう?
この主婦の人生の目的は日々のスーパーでの買い物にしかないのかと、この相談を読む限り思えてしまうのだ。
確かに現在は厳しい不況が長期に及んでいる時代ではある。 それにしても、もう少し発想の転換ができないものなのだろうか。
朝日新聞に投稿したということは、少なくとも新聞を購読できる程度の家計の経済力と新聞を読む時間的余裕があるのであろう。 そうであるならば、家計を立て直す別の手立てに思いを馳せることも可能であろうに…
「もっとお金持だったら…」などというこの相談者の発想自体が至って他力本願的であり、自分の人生において自ら「お金」と直にかかわった経験が皆無であることの証明なのではなかろうか。
まずは、この世を一人の人間として自立して生き抜いていく第一の手段として、自分でお金を稼ぐことにより自分なりの「お金持ち」になるべく少しは努力をするべきであろう。 そうではなく「結婚」により生活の安定を得ようとの選択枝も今現在尚あり得るのかもしれないし、逆バージョン(夫が妻の収入に依存する)も存在する今の時代のようでもあるが…
この相談主婦にとっての自立の手段の結論が 「結婚」 であったとしたなら尚更、日々そのお金を稼いで家計を支えてくれている夫への配慮を最優先するべきではないのか。
にもかかわらず、その矛先が日頃の“スーパーの買い物”にのみ結集され、金銭感覚がその域を超えられないでいる貧弱な発想が、端から見ていて何とも辛い思いである。
今からでも遅くはないから一度でも自分で「お金」を稼ぐことにチャレンジしてみて、自分自身の「お金 対 生活」感覚を紡いでみれるといいのだが…
それは無理だとしても、今一度新聞のいろんなページを読んでもう少し視野を広く持ち、日々のスーパーでの買い物だけではない自分なりの「お金に対する執着」の矛先を探り直してみてはいかがなものだろうか。