団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

難病の妻を介護して26年

2018-11-12 09:22:36 | 健康・病気

80歳前のHさんは自らを「介護屋さん」と名乗っています。26年前、妻が体の筋肉が動きにくくなる難病にかかりました。定年後も勤めていた会社をやめて、ヘルパーの資格を取りました。妻を介護するためです。

妻の病状は年々、進行し、動くこともままならなくなりました。食事から下の世話まで一人でしました。子どもたちはいましたが、仕事や家事・育児に忙しい世代です。頼むわけにいきません。それに、会社員時代、妻に支えられて仕事一筋でやってこられたのですから、今度は妻を支える番だと思ったといいます。

その間、介護の技術を向上させたいと考え、介護福祉士の勉強を始め、その資格も取りました。妻をデーサービスセンターやショートステイに預けて、福祉施設で働き始めました。でも、勤めて5年後、妻の病状がさらに悪化し、寝たきりになり、勤務をやめました。

それでも、妻が元気だったときは、車いすを押して、旅行にも行きました。旅先で目を輝かす妻の顔を見るのが好きでした。その妻は今年1月、亡くなりました。「さびしいです。妻を失うことがこんなにさびしいとは思いませんでした」

その代わりというわけではありませんが、登下校する子どもたちの見守りをするボランティア活動を始めました。「26年間の介護経験、福祉施設で働いた経験を生かしたボランティア活動に取り組みたい」とHさんは話していました。

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74歳で老衰で亡くなるなんて!

2018-11-09 09:16:00 | 健康・病気

かつて勤めていた会社から定期的に社内報が送られてきます。必ず目を通しているのがお悔やみ面です。先輩、同僚、後輩の訃報は知っておかなければならないからです。

最新号を読んでいたとき、思わず手が止まりました。74歳の旧友の男性の死因に老衰死とあったからです。「74歳で老衰で亡くなったの」。私には面識がない他本社の先輩でした。新聞の死亡欄は欠かさず見るようにしていますが、70代前半の老衰死は聞いたことがありません。

老衰死は、老化によって細胞や組織の能力が低下し、多臓器不全により恒常性の維持が困難になり、生命活動が終わることです。がん、心不全、脳卒中、肺炎などの疾患による死亡原因がわからない場合、医師は老衰死と判断するようです。多臓器不全を死因とするケースもありますが、高齢者の場合、老衰死といえそうです。

でも、厚労省の人口動態統計を調べてみて、驚きました。2017年に老衰で亡くなった60~64歳が男性13人、女性6人、65~69歳で男性111人、女性53人もあったと記載されていました。「70代どころか、60代も老衰で死亡しているのですか」

「神より与えられたタラント(能力)を全て使い果たしたならば、その人は死ぬのである」(内村鑑三)といわれますが、そうして亡くなるならば良し、としなければならないのかもしれません。老衰で亡くなるのは、脳は炎症や萎縮により機能が低下し、苦痛を感じることはないといいます。

 

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家内が老人ホームに入ったので私も入ります

2018-11-08 09:35:22 | 健康・病気

80代前半の男性の知人から「年賀状を失礼する旨」のはがきが届きました。

それには「家内が4月に老人ホームに入りましたので、私一人となり、食事その他の不便を感じるようになりました。このため、私も最近、ホームに入居しました。従って、誠に勝手ながら、年賀状が出来なくなりました」とありました。

私が男性と知り合ったのは24年前のことです。「商売は生活をかけた戦争です」と言い切る、仕事一筋の人でした。一人娘が結婚し、以来、夫婦二人暮らしでした。落ち着いた老後を過ごしていることは、年賀状からも伺えました。

その奥様が体調を崩しました。自立した生活を送ることが難しくなり、ホームに入居しました。家事は奥様に任せっぱなしだっただけに、とたんに生活面での支障が起こりました。食事は外食ですませていたものの、掃除、洗濯などは自分でやらなければなりません。

半年間、頑張りましたが、慣れないことの連続で、疲れ切ったようです。考え抜いた末、奥様と同じ老人ホームで生活することを決めたそうです。確かに、家事ができないと、自立した生活を送ることができません。

私たち夫婦にも将来、何が起こるかはわかりません。カミさんに何があっても、一人で自立した生活ができるよう努めなければと思いました。まず料理ができるようになることが当面の課題です。

 

 

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「小金のある小市民がいちばん幸福だ」

2018-11-06 09:31:57 | 健康・病気

「お金もうけの神さま」と呼ばれた経済評論家で作家の邱永漢さん(故人)が「小金のある小市民がいちばん幸福だ」と書いていました。大金を持つとさらに大金が欲しくなるのが人の常です。小市民の普通の人たちならば、困らない程度のお金(小金)があれば、それで満足し、幸福だと感じるのでしょう。なーるほどです。

同じような言葉に「少欲知足」があります。欲が少なければ、足りていることを知る、です。小欲ではなく、少欲です。欲望が小さいのではなく、大欲のことは十分に承知したうえで、少ない欲で満足するのです。

「足るを知るものは富む」(老子)や「身のほどを知ることは幸せの近道」(日野原重明)も同じ趣旨の言葉でしょう。亡き父が繰り返し口にしていた「上を見れば切りがない、下を見れば切りがない」も同じ戒めのようです。

そんな生き方をした人に江戸時代の京都町奉行与力で随筆家・俳人の神沢杜口(かんざわ・とこう)がいると知り、「足るを知る生き方 神沢杜口の『翁草』に学ぶ」(立川昭二著、講談社)を読みました。立川さんは故人で元北里大名誉教授(医療史)。

神沢杜口は40歳を過ぎて、家督を婿養子に譲り、文筆活動に専念しました。老いても健脚で80歳になるまで、1日20キロは歩いたといいます。そうして見聞したことを随筆「翁草」200巻に書きました。「残る世を 其日ぐらしの 舎(やど)り哉」と詠っています。其の日其の日を老いの掘り出しと愉しく暮らすことが本意という意味だそうです。

86歳で亡くなり、事前に用意した辞世の句は「辞世とは すなわち迷い ただ死なん」。

辞世を人生と置き換えれば、「人生とは、すなわち迷い」、これは同感できるなあ。

 

 

 

 

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「ああなりたい」と憧れる20歳上のモデルを探しましょう

2018-11-05 09:32:53 | 健康・病気

105歳で亡くなるまで現役の医師だった日野原重明さんの著書「人生百年私の工夫」(幻冬舎)を読んでいたら「いつかああなりたいと憧れる生きたモデルを探しましょう」と呼びかけていました。

日野原さんは、60歳から先は人生観という羅針盤を持つことが大切、と強調します。とはいえ、確固たる人生観を身に着けることは簡単なことではありません。そこで、年の取り方のモデルを選びます。自分よりだいたい20歳先と思われる年齢の人で「ああなりたい」と憧れる人をモデルにします。

60歳の人は80歳、70歳の人なら90歳の人の中から、自分の20年先のモデルを探します。これという人が見つかったら、その人の服装のセンスから表情、仕草まで見習います。人生の取り組み方をまねします。

71歳のタケちゃんは20歳上は91歳です。身近に91歳のモデルは残念ながらいません。本の中ならおります。池波正太郎の「剣客商売」の秋山小兵衛です。酸いも甘いも嚙み分けた大人の対応ができ、人情味豊かで、金も切れ、剣の腕も抜群です。参考になるのでは、と池波正太郎の「大人の作法」を読みました。

そんなところに、20歳上のモデルを友人がフェースブックで紹介していました。山形県酒田市の現役バーテンダーの井山計一さん、92歳です。世界に広まっているカクテル「雪国」の発案者で、いまも自分のバーでシェーカーを振っています。しかも、自宅からの通勤は自転車です。来春、井山さんが主演する映画「雪国」が上映されるといいます。

生涯現役、あやかりたいです。

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