新幹線事件で60か所も刺されながら、自らの命を犠牲に刃物を振り回す男から2人の女性の命を守った梅田耕太郎さん(享年38歳)は、大学の同期生の息子と知り、その不運に言葉を失いました。
高校、大学の同期生のN君は、耕太郎さんの父と大学で同じゼミナールでした。N君の話では、ゼミ仲間で梅田君を慰めようという話が持ち上がりましたが、ご本人が体調を崩しているうえ、「慰めようがない」ことから、実現できていないといいます。
耕太郎さんは長男で、神奈川県の名門私立の栄光学園中・高校から東京大工学部に進学しました。大学時代はテニスサークルで活躍したスポーツマンでした。姉も東大卒で、優秀な姉弟と近所でも評判でした。
梅田君と私はクラスもゼミも別々でしたが、共通の趣味である麻雀で、雀荘で顔見知りの、いわゆる雀友でした。とはいえ、一緒に打った覚えはなく、会えば、あいさつする程度でした。ただ、大学で新聞社に就職したものは数えるほどでしたから、彼が日本経済新聞に入ったことは知っていました。
私が卒業した大学は、いわゆる国立二期校で、一期校を落ちた受験生が入るところでした。梅田君も東京大を落ち、1年浪人したものの、希望はかなわず、二期校に進学しました。それだけに、姉弟が自分の希望だった東京大に入り、さぞ自慢の息子、娘だったことでしょう。
N君によると、梅田君は事件の前から体調が思わしくなかったそうです。梅田君の体調の快復を祈るばかりです。
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