初任地の高松支局の先輩・同輩5人が集まった飲み会で、「大阪本社三悪支局長」が話題になったとき、そんな二人に仕えた私が「奈良で仕えた支局長は陸軍士官学校出身で、戦争で生き死にの過酷な体験をしてきたのに、下を思いやる気持ちが乏しかった。強圧的で上から目線の性格は変わらないのだろうか」と話しました。
すかさず、同じく二人に仕えた先輩が「岡山支局長は特攻隊だぜ」と返しました。その支局長は私も知っていますが、この方も狭量で高圧的な対応をする人でした。
岡山県・宇高港と高松港を結ぶ宇高連絡船が霧で運航中止となり、岡山で足止めになったことがあります。岡山支局に赴任している友人宅に泊めてもらおうと、岡山支局に行きました。友人と食事に行こうとしたら、支局長に「霧で何が起こるかわからないのだから、支局を離れる奴があるか」と叱られました。そんな心配をしていたら、支局に一日中いなければならなくなると、私は心の中で思いました。それにしても「そんな強い調子で言わなくてもよいのに」とも感じました。
「人は悲しみが多いほど、人には優しくできる」「涙の数だけ、人は優しくなる」と私は信じていましたから、あの支局長が特攻隊帰りとは驚きました。生死がからんだ修羅場を経験しても、人の性分は変わらないのかもしれません。
学生時代、愛読した作家の高橋和巳さんのエッセイに「中国に従軍した兵士の三分の一は、中国人の農家の手伝いに行ったりして、友好的でした。三分の一は、中国人のものを奪ったり、レイプをしたりしました。残る三分の一は我関せずでした」といった文章を読んで、納得できないものの、人間ってそんなものなのか、とぼんやり思っていました。
嫌な性格を変えようとしないと、そのうち生きづらくなります。「徳は孤ならず」というではありませんか。