ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

被災地派遣の2名を慰問 岩手県は大槌町

2016-02-04 14:42:45 | かんじたこと、つぶやき

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所沢市は市民の皆様の気持ちに応えるべく被災地に職員を派遣しておりまして、

大槌町についてはこれで4年目になります。

27年度は

重光・友田の2名が町の少しでも早くの復興のために単身赴任して汗を流してまいりました。



そういう職員を慰問したい。

ずっと懸案でありましたが、ここで時間を取って、行かせていただきました。

新幹線で新花巻へ。そこから釜石まで電車で2時間半。そこから線路が流されているので車で迎えに来てもらいました。

まずは、町役場の街づくりの部門の職員にねぎらいのあいさつ。

この部門は ほとんどが他の自治体から来た職員です。
大鎚町出身の方は1割おられるのでしょうか?

土木などの技術職であり、設計したり、かさ上げをしたり、街づくりを進めます。

が、なんといっても大変なのは、地元地区の皆さんの合意づくりだといわれます。

町には入江があって、それぞれの入り江に発達した地域が津波で流されてしまいました。

そこでその地域ごとの街づくりを進めています。

平野町長さんをお尋ねもしました。


 私の前におられるのが平野町長さん  私の側の最も手前が派遣中の友田職員、私の横が重光職員

昨年の選挙で当選された平野町長は、震災時 総務課の主幹だったそうで、しかし、前々町長の加藤町長さん他40人もの職員が流されてしまい、代わりに対策本部を指揮したそうです。

町長不在ではいかんともしがたいと、その年の8月、選挙が行われ 碇川(いかりがわ)前町長さんが当選し、復興を進められました。

昨年の選挙では、碇川さんが敗れ、平野新町長が誕生したのだそうです。
津波で町長以下40人もの職員が亡くなった役場を保存するかしないかで、平野町長は「役場は残さない」を公約に掲げました。
が、それでも住民の意見は対立し続け、公約だからといって簡単には解体することができず、未だそのままなのだそうであります。

私が思うに、被災した多くの自治体は、復興に尽力してきた最初の首長さんが選挙で敗れ、新たな首長が誕生することが多いような気がします。

住民の生活に直接かかわる切羽詰まった課題を、政治が切り盛りしなければならない毎日の連続なのだ、

という状況なのでしょう。



 高台に上って、街の復興計画を説明受けました。震災時のこの高台からの映像も、youtubeで見た気がします。

ここは古くから栄えた町の中心部でした。大槌町役場が手つかずに残っています。






2m位かさ上げするなど、また、昔からの湧水池は保存するなど話し合いながらまちづくりが進められている町方地区。
ここに、たくさんの家や店が密集し、街がありました。

生き残った住民は、仮設住宅に、公営住宅に、そして、他市に避難して住んでいます。

町としては、みんなに戻ってきてほしい。 でも、はたして・・・・。

そういう悩みがあるのだそうです。

震災から5年がたとうとしています。

オリンピック・パラリンピック、そして、外国人の暴買い(インバウンド)で浮足立っている人もいます。

が、

省(かえり)みなければいけないことはあるのだ、と思いました。

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