夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

我が家の周辺を散策して、76歳の私は、幾たびか微苦笑させられて・・。

2021-03-04 14:25:45 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
生家も近く、結婚前後の5年間を除き、この地域に住んで早や70数年となる、
年金生活の身である。

そして我が家は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
ささやかに過ごしている。


こうした中で、午前中のひとときは、
殆ど毎日のように小公園、住宅街の小道などを歩き、季節の移ろいを享受している。
季節の移ろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。



昨夜、私のパソコンに記憶させている写真を眺めていると、
昨年の3月3日に於いて、我が家の近くに流れている野川の上流で、
早咲き桜が開花した情景が映し出されていた・・。





この情景を見た私は、明日のひととき訪ねてみようと、
独り微笑んだりした・・。


このような心情を秘めて、本日、野川の両岸にある遊歩道を歩いたりした・・。



やがて昨年に早や桜を鑑賞した所に着いたが、小さな莟(つぼみ)がたわわになっているだけで、
どうしてなのょ・・、天上の気候の神々に訴えるように、青空を見上げたりした・・。




春は古来より、春に三日の晴れ無し、と伝えられているので、
やむえないか、と思ったりした・・。

この後、菅総理の一貫性のない新型コロナウィルスの対処に、

脳裏から舞い降りて、微苦笑をしたりした。

やはり日頃の思いが重なり、多くの国民は戸惑い、
いつになったら終息させる具体的に総合対策が、出来るのか、
と無力な私でも思い憂い、苦笑をしたりした。


やがて帰路として歩き出し、川面は早春の陽射しを受け、
のどかな情景の中、川辺の近くに於いては、
先生に引率された園児たちの歓声が聴こえたりしてきた・・。




私は無念ながら孫はいないが、こうした園児たちの歓声は、
歓びを感じ、明日への希望に光明を深めて下さるょ・・と心の中で呟いたりした・・。

やがて我が家の近くに、ここ一カ月眺めてきた白梅を、
立ち止まり眺めたりした・・。





このようにしなやかに生をまっとうしている白梅に、
私も重ねられたら・・と思いながら、我が家の門扉に近づいたりした。
コメント
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