夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

日本の高齢者は、なぜこうも「不機嫌」なのか、つたないサラリーマン航路を歩んだ72歳の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2017-05-16 15:47:20 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの『東洋経済オンライン 』を見たりしていた中で、
【 日本の高齢者は、なぜこうも「不機嫌」なのか
           ~会社にへばりつこうとすることと密接な連関~ 】と題された記事を見た。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
どのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった・・。

この記事を書かれた御方が、初めて知るコミュニケーション・ストラテジストネットの岡本 純子さんであり、
『東洋経済オンライン 』に5月16日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・日本の高齢者は、なぜこうも「不機嫌」なのか
             

世界中に「怒り」が蔓延する中で、特に最近、日本で話題になるのが、キレる高齢者だ。

駅や病院などでの暴力、暴言、犯罪などが取りざたされ、高齢者に対する若い世代の反感の声が強まっている。
まさに、世代間闘争の様相を呈しているが、なぜ、日本の高齢者は「不機嫌」なのか。
そこに処方箋はあるのだろうか。

気がつくと、確かに、身の回りでも、頑迷で不機嫌なお年寄りを見掛けることが多くなった。

筆者も先日、こんなシーンを目撃した。
電車内で、やや足を伸ばして座っていた若い女性に対し、
途中から乗ってきた高齢の男性が、その足を軽くたたき、「邪魔じゃねえか」とキレ、つかみかかるようにして声を荒げた。

その後、その女性も負けじと「あんた、触ったでしょ」と応戦、すさまじい言い合いバトルに発展した。
高齢男性にとっては、その反撃が意外だったようで、逃げるように降りたが、女性が猛然と追いかけていく展開となった。

別の日には、バスの中で、子供が泣いているところを母親が必死であやしていたのだが、
後ろに座っていた老夫婦が顔を見合わせ、
「ああいうのは、親が何とかすべきだよねえ」などといらいらしながら話しているのを聞いた。
             

☆高齢者は本当に「キレやすい」? 

保育園の建設に「うるさくなる」と反対する。
若い駅員を怒鳴りつける。
店員にいちゃもんをつける。

人の言うことを聞かず、自分の主張ばかりを声高に叫ぶ――。
そんなイメージばかりが増幅し、高齢者害悪論がはびこるが、
はたして、高齢者は本当に若年層よりも「キレやすい」のだろうか。

確かに、高齢者が怒りやすい、という説はよく聞く。
高齢になると脳の前頭葉が収縮し、判断力が低下し、感情の抑制が利かなくなるというものだ。

また、男性の場合、男性ホルモンであるテストステロンが低下し、
60代、70代になると、女性の更年期にも似た抑うつ症状が起きるという。

こういったことから、欧米でもGrumpy old man syndrome (気難しいお年寄り症候群)、
Irritable male syndrome(イライラ男性症候群)といった症状が顕在化するとも言われている。
             

☆定説は?

しかし、驚くことに欧米では、「年を取ると、より性格が穏やかになり、優しくなる」というのが定説だ。

筆者も通算6年ほど、イギリスやアメリカで暮らしたが、
お年寄りになればなるほど、話し方がゆっくりになり、気は短くなるというより、長くなる印象がある。

一昔前までは日本でも、こちらのイメージのお年寄りが多かったように思う。

科学的に見ても、そういう傾向を実証するデータは多い。
今年1月にイギリス・ケンブリッジ大学の脳科学者たちは、脳の分析調査を発表、
「年を取るほど脳の前頭皮質が薄くなり、よりしわになることなどから、気が長くなり、穏やかになる」と結論づけた。

ケンブリッジの科学者の言葉を借りれば、
「人間は年を取るほど、神経質ではなくなり、感情をコントロールしやすくなる。
同時に、誠実さと協調性が増し、責任感が高まり、より敵対的でなくなる」のだそうだ。

これはまさに、日本の高齢者に対する評価とは真逆である。
             

☆人は年を取るほど幸せを感じるはずなのに…

不満を抱える日本の高齢者。
これは世界的な幸福度の調査からも垣間見える。

そもそも、幸福度を測るランキング調査などにおいて、
日本は先進国の中では、かなり低い順位に終わることが多い。

たとえば国連の「World Happiness Report 2017」によれば、
日本の幸福度は世界155カ国中51位。
サウジアラビアやニカラグア、ウズベキスタンなどよりも低い。

OECDの「Better Life Index(2015)」によれば、人生に対する満足度は、38先進国中29番目だ。
これについては、日本人はこうした調査において、低めの点数をつける傾向があるとの指摘がある。

だから、国際比較にはあまり意味がないという人もいるが、
それはさておき、問題は、日本では年を取るほど、不幸だと感じる人が多いという結果である。

人は年を取るほど、幸せを感じる人が増える。
これは欧米などで顕著な傾向だが、日本では、まさにその逆。

年代別の幸福度を追った調査では、先進国においては、
幸せは若いころに高く、中年で低くなり、高齢になって再び上がるというまさにUカーブの傾向がある。

17~85歳までの2万3000人を対象にしたロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの調査では、
最も幸せなのは23歳と69歳だったそうだ。
一方、日本では年を取るにつれ、幸福度が下がっていく。

年を取れば幸福になるという傾向について、英『エコノミスト』誌は
「年を取るほど、争いごとが少なく、争いごとに対するより良い解決法を出せる。
感情をコントロールすることができ、怒りっぽくなくなる。

死が近づくと、長期的なゴールを気にしなくてよくなり、今を生きることが上手になる」
と分析しているが、なぜ、こうした現象が日本では起きないのか。
             

これには多くの原因が考えられるだろう。
朝日新聞の声欄では、「キレる高齢者が増えている」と指摘する若者の意見に対し、
高齢者の立場からさまざまな意見が寄せられている。

「暇なんだ」、「話し相手が欲しい」、「自分にイライラしている」、
「私たちは一生懸命働き、そのおかげで日本は先進国入りをし、東京オリンピックまでやれた。
お国のために働き続けてきた私たちの言動を大目に見てほしい」、

「昔のように3世代が一緒に暮らすことも、
お寺で法話を聞いた後に、他の信者と会話を楽しむことも少なくなった。

人生に対する不安や不満を、誰も本気で聞いてくれない。
老年期は寂寥(せきりょう)感がつのるばかり」などといった声が集まった。
             

☆満たされない承認欲求

病気、身体的な不自由。金銭的な不安。

さまざまな要素は折り重なるとしても、これは世界各国共通の話である。
「なぜ、日本だけが」という話については、(略)筆者が特に、大きな要因ではないかと考えるのは、
高齢者の深刻な孤独感、そして、満たされない承認欲求だ。

以前、日本の中高年男性が特に孤独であるという話(日本のオジサンが「世界一孤独」な根本原因)を書いたが、
社会的孤立感は幸福度を最も大きく下げる原因であり、
都市化、過疎化、核家族化、少子化などによって、その度合いは年々、加速している。

と同時に、人としての生きがいの重要な柱である「人に認められたい」という欲求が
満たされる機会が、ほとんどなくなってしまっている。

「承認欲求」は人間の根源的な欲求の1つだ。
子育てや仕事で認められ、感謝され、必要とされていた自分が、
いつの間にか、邪魔な存在になっている、と感じるとき、人は生きがいを失うのではないか。

そこに重なるのが、「特に、経済的ニーズがない人でも、いつまでも会社や組織にへばりつこうとするのか」
という疑問だ。

企業のトップなどを経験した後、顧問や相談役などとして、会社に残り続けようとする人たちは少なくない。
今、大変なことになっている電機メーカーを含めて、顧問や相談役がワンフロアに集結し、
「老人クラブ状態」というのは、よく聞く話だ。

何でも、こういう人々は、「部屋」と「黒塗りの送迎の車」と「秘書」、
この3種の神器を失うことが、何より怖いのだという。
             

☆エグゼクティブは退職後、チャリティ活動へ

ひるがえって、欧米などでは、企業のトップや幹部は、日本のエグゼクティブの10倍も100倍も稼ぎ、
とっとと辞めて、リタイアメントライフを送るのを楽しみにしている。

世界に散らばるセカンドハウスを行き来したり、好きな趣味に没頭したり、講演活動をしたり。
リタイアメントはまさに、夢を実現する待ち焦がれた時間でもある。

こうしたエグゼクティブは退職後、チャリティ活動にいそしむ。
たんまり稼いだおカネをごっそりと寄付し、〇〇図書館、××ホール、などと名前を冠した施設を造ってもらう、
慈善事業に寄付して、ありがたがられる。

また、それほど余裕がなくても、ボランティアなどして、社会貢献をする。
こうしたことで「承認欲求」「名誉欲」を満たしていくのだ。
             

日本ではこうした話は、あまり聞かない。
黒塗りに固執するおじさま方が恐れているのは、社会から認められなくなる、必要とされなくなる、
そういった高齢者特有の喪失感なのだろう。

批評家の浅田彰氏は、「(ドナルド・トランプ勝利の背景には)白人男性を中心とする『サイレント・マジョリティ』の『承認』欲求、
つまり、過剰な『承認』を受けているかに見えるマイノリティへの嫉妬と憎悪が異様に亢進していたことがある」と看破したが、
日本のキレる高齢者の怒りのマグマの源泉は、同様の「満たされぬ承認欲求」といえるのかもしれない。

キレる高齢者が増えている、というが、それは社会全体に高齢者が増えたから、
そう見えるという側面はあるだろうし、

単に、年を取れば、気が短く怒りっぽくなるからということで、片づけられるものでもない。

そうした意味で、高齢者を疎外したり、単に批判したりしても、何ら問題は解決しないし、
今若くても、誰もがいつか同じように、自らの成功体験をひけらかす頑固で、
怒りっぽい高齢者になるかもしれないのだ。

高齢者の承認欲求という渇望を満たすためには、
新たな顕彰のシステムやコミュニティづくりのアイデアも必要だろう。

また、世代間、さらに高齢者同士のコミュニケーションが、質量ともに絶対的に不足している。
声をかける。あいさつをする。感謝をする。褒める――。

何げない言葉がけや会話から、お互いをハッピーにするきっかけは、生まれてくるはずだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)年の秋に、
大学を中退し、アルバイトや契約社員をしながら映画・文學青年の真似事して、やがて敗退して、
やむなくサラリーマンに転進する為に、コンピュータの専門学校で一年ばかり学んだ後、
この当時は映像・音響の大手メーカーの民間会社に、何とか中途入社出来たのは、1970年(昭和45年)年の春であった。

そして配属された音楽事業本部の片隅で勤めていた私は、
まもなくこの中のひとつの大きなレーベルが、外資系のレコード会社として新設され、私も移籍の辞令を受けて、
音楽に直接に関わる制作畑ではなく、商品、情報、経理、営業畑などの部門を異動したりして、
35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。
             

こうした中で幾たびもリストラが行われたりし、
やがて1998〈平成10〉年に音楽業界の売上の主軸となるCDがピークとなり、
この前後は、各レコード会社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、
人事配置転換による他部門の異動、出向、早期退職優遇制度により退職が行われ、リストラ烈風となった。

こうした中で、私の勤めいていた会社も、人事配置転換による他部門の異動、出向、早期退職優遇制度が実施された。
                    
そして激動の1998年(平成10年)の前後は、先輩、同僚、後輩の一部の人が、
やむなく第二の人生を選択し、早期退職優遇制度に申請を出されて、退職されたりした。

やがて私は1999年(平成11年)の新春、あえなく出向となった。
           
もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は都心にある本社に30年近く勤めたが島流しのように放り出され、
屈辱と無念さが入り混じ、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、朝は4時45分に起床して、帰宅は早くても夜9時過ぎが多く、奮戦したりした。
                    
出向先は少し遠方地にある各レコード会社が音楽商品のCD、DVDなどを委託している物流会社で、
この中のひとつの物流センターに異動させられて、
販売店からの日々変動の激しい日毎の受注に応じた出荷作業、
或いは返品を含めた商品の出入り、保管などの業務管理を行っていた。
             

こうした中でセンター長をはじめとする正社員の5名の指示に基づいて、若手の男性の契約社員、アルバイトの10名、
30代と40代の多い女性のパートの120名前後の職場であった。

やがて私は若手の契約社員、アルバイト、そして女性パート人達と業務上の打ち合わせ、親睦会、
そして現場での立ち話したり、管理部門として立場で、社内の事情を把握するにつれて、
意外と賃金を含め冷遇されていると解かってきた。

そして物流現場で多くの人達に効率よく動いて頂く為に、上に立つ方に様々なタイプがあることを知った。
短絡的に云えば、あたりは柔らかく指示するタイプ、或いは威圧的に形で指示するタイプであった。

私のそれぞれの若手の男性の10名、そして女性のパートの120名前後のお方に性格を知る必要があると思い、
ともかく私なりに脳裏に刻み、 多くのお方のその人なりの長所と短所を覚えた。

私は出向の身分で、ある面の責務は物流会社にゆだねられることもあった為か、
あたりは柔らかく接することができ、たとえばミスなど気付いた場合、
その当人の性格を加味し、人前を避けて注意したりした。

もとより再発防止が目的であるので、威圧的に行っても当人が傷つく場合が多いので、
これは私の性格からして避けたのである。
そして物流センターの現場では、出来る限り笑顔で大きな声で接していた。
        
やがて私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に、何とか定年退職を迎えられたのである。
             

まもなく出向先の物流会社で私の歓送会を開催して頂き、
女性のパート方達から花束、贈呈品、そして色紙にほぼ全員からの短かなメッセージを見た時、
涙があふれそうになり困ったのは事実である。

私は現場で立場の弱い人達から、限りなく多くの心の勉強をさせて頂いた。
指示する立場であれ、傲慢さをなくし謙虚な言動がいかに大切なのかを、
改めてこの人たちから多々学んだのである。

私は殆どレコード会社の本社で情報畑、管理畑で30年、その後の5年は物流会社に出向で、
サラリーマン生活を終えたのであるが、
今でもこの物流会社で出向したことは確かな心の節度として、かけがえのない貴重な財産と思っている。
             
           
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施され、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
何よりも私なりに、出向先で体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。
                           
そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始め、早や13年生となっている・・。
             

今回の記事を私は読みながら、小心者の私は年金生活の中、高齢者が暴力、暴言、犯罪などに関しては、
お歳を召されて、今までこの人生、何を学ばれたのですか、と苦笑されたりし、
私は人の痛みを学んできたので《・・年を取ると、より性格が穏やかになり、優しくなる・・》このように感じたりした。

まして《・・企業のトップなどを経験した後、顧問や相談役などとして、会社に残り続けようとする人たち、
こういう人々は、「部屋」と「黒塗りの送迎の車」と「秘書」、この3種の神器を失うことが、何より怖い・・》
中小業で奮戦してきた私は、無縁であったが、心の節度が欠けた御方たち、と微苦笑をさせられたりした。

そして何かと気弱な私としては、年金生活の中、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩くことが多くなっている・・。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

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ある老夫婦の信念とふるまい、私はネットで学び、瞬時に魅了され、やがて敬服を深めて・・。

2017-05-15 15:58:58 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
ここ10日は小庭の手入れをすることが多く、本日も家内の支援を受けて、
朝の8時より5時間ばかり私たち夫婦は奮闘した。

やがて家内にお風呂に入ってもらう間、
私は主庭の片隅にあるテラスに簡易椅子に座り、微風に身をゆだねながら待機していた時、
一昨日にネットで偶然に学んだ、ある老夫婦のありかた、甦(よみがえ)りした。

『「お金より時間が大切」丁寧に暮らした老父婦 “つばた夫妻” が教えてくれたこと』と題された記事で、
【週刊女性PRIME】が5月13日に配信され、私は読みながら瞬時に魅了され、
やがて記事を読み終えた後、敬服を深めたりした・・。

無断であるが転載させて頂く。

《・・「お金より時間が大切」丁寧に暮らした老父婦 “つばた夫妻” が教えてくれたこと

橋田壽賀子賞を受賞したドキュメンタリー映画『人生フルーツ』は、
愛知県のニュータウンに暮らした老夫婦、つばた英子さん(89歳)としゅういちさん(享年90歳)の物語。

夫のしゅういちさんは、2年前に他界したが、映画は口コミで、人気を集め異例のロングランを続ける。
人々を惹きつけてやまない夫婦の丁寧な暮らしぶりを取材してきた編集者・吉川亜香子さんに語ってもらった。
             

名古屋市近郊のニュータウンに建つ小さな丸太小屋。
住宅街とは思えないほど緑濃い一角に、英子さんとしゅういちさんは住んでいる。

「玄関はありませんよ。お好きな場所からお入りください」
と、しゅういちさん。

私が初めてつばた夫妻に会ったのは、2008年の夏。
当時、83歳だったしゅういちさんは、声に張りがあって、大股ですたすたと歩いていく。

そんなしゅういちさんに驚く私に、英子さんが教えてくれた。
「年齢のわりに元気なのは、25年間、毎朝欠かさず飲んでいる生野菜ジュースのおかげなのよ。

“しゅうたん”には、好きなものを食べてと言っているの。
嫌いなものは無理に食べることないからって。
残すほうも嫌だと思うのよ」

お互いを「英子さん」「しゅうたん」と呼ぶおふたり。

英子さんは、よい意味で大雑把。
長年、主婦をしてきたからこその大胆な目分量と手加減で、ざくざくっと家事や畑仕事を進めていく。
ケーキを作っていて、どさっと砂糖をかけて周りにこぼしてしまっても「ま、ふけばいいでしょ」と涼しい顔。
             

しゅういちさんは、こまやか。
その緻密さを生かして、家全体のデザインから、書類や手紙類の管理、記録、整理整頓などを担当。

「ぼくの整理整頓の基本は、わかりやすく簡単に。
誰でも片づけやすいように、工夫しているんですよ」

色と形をそろえるのが、しゅういちさん流。
「瓶でも缶でも同じ色、同じ形のものが並んでいると、なんだか楽しい仲間たちみたいな気がしていいですよね」

“なんだか楽しい”それは、つばた家の暮らしにおける大切な要素なのだ。

2015年春。書籍『ひでこさんのたからもの。』の製作が始まった。
しゅういちさんは90歳、英子さんは86歳になっていた。

6月の暑い日。携帯に着信があった。
表示は「つばたさん」。嫌な予感がした。
いつもは手紙でのやりとりだけ、電話がかかってきたことは、なかったからだ。

「主人が亡くなったの」
「でもわたし、本は最後まで作るから。きちんとやりますから。大丈夫だから」

・・・しゅういちさんが亡くなった。
「お昼寝をしたまま、起きてこなかったの」
という英子さんの声が頭に響いていた。
             

繊細な心を持つしゅういちさんは、悲しい話や出来事が大の苦手だった。
新婚時代、英子さんに「生活費が足りない」と言われて数日間、暗い顔になったこともあるほど。
だからこそ、「なんでも楽しく」をモットーに暮らしていた。

その精神は、しゅういちさんが亡くなったいま、英子さんに受け継がれている。

「家事でも畑でも、いっぺんにやろうとするから、嫌になるの。
明日でも、いいやと思えば、気分も楽でしょ」

料理も畑も、今日中に終わらせようとはせず、少しずつがちょうどいい。
なぜなら「楽しくやる」が、しゅういちさんのモットーだったから。

ひとりになった英子さんは、きょうも「少しずつ」家事をこなしながら、「楽しく」過ごしている。

ご夫妻の幸せな記憶は、映画や本の中にたくさんたくさん詰まっている。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は書籍『ひでこさんのたからもの。』、そして映画化されたドキュメンタリー映画『人生フルーツ』ことも無知であるが、
このネットに配信して下さった記事で、初めてつばた老夫婦のありかたを学んだ。

我が家は私は72歳、家内は67歳で、子供に恵まれなかったので、
たった2人で過ごしているが、今回のご主人のしゅういちさん、奥様の英子さん・・ご性格、ふるまいは、
我が家と反対だなぁ、と私は微苦笑させられた。

そして私は買物、家事、雑用など同じするならば、“明るく楽しくしょうょ”と結婚以来、
家内に言ったりして、お互いに実行したりしてきた。
こうしたことは、同じかしら、と私は微笑んだりした。

何よりもおだやかに過ごされ、丁寧に暮らしていた老父婦に、私は読みながら瞬時に魅了され、
やがて読み終えた後、敬服を深めたりした・・。

こうした老父婦 “つばた夫妻”の人生の晩年期・・私は見上げるように、少しでも見習い、
心を新たにしたりしている。

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『定年後を楽しむ人・楽しめない人』、年金生活13年生の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2017-05-14 15:12:10 | ささやかな古稀からの思い
先程、小学館が発刊しているシニア向けの教養雑誌『サライ』の公式サイト【serai.jp】を見たりしていた中、
【 『定年後を楽しむ人・楽しめない人』
            【印南敦史の定年本イッキ読み5】 】と題された記事を見た。

作家、書評家の印南敦史さんが定年前後に関して、多彩な分野から上梓された本を紹介する連載記事と思われ、
今回紹介する『定年後を楽しむ人・楽しめない人』(金田義明著、洋泉社)であった。

そして『サライ』の公式サイト【serai.jp】に2017年4月18日に配信され、
記事の一部を遅ればせながら年金生活の72歳の私は学び、やがて私は微苦笑させられたりした。
この一部を無断であるが転載させて頂く。

《・・定年を迎えたサラリーマンがまず味わうのは、うきうきとした「開放感」だそうだが、問題はそのあと。

すなわちその段階で、「激変する現実」を突きつけられることが多いというのである。
それが、定年で誰もが失う「六つの生きがい要素」だ。

それは、「群れ」を失うこと、「仕事」を失うこと、「収入」を失うこと、
「看板と肩書」がなくなること、「人間関係」が激減していくこと、そして「情報のルート」を失ってしまうこと。

もちろん他にも「積み重ねてきた腕や経験」「それらに対する周囲の評価」「個人として持っている人間関係」などもあるだろう。
しかし上記6つの要素が、一度にごっそりと消えれば、精神的に大きな空洞が生まれることは想像に難くない。

だからこそ「生き方計画」を用意することが大切だということだが、
たしかに早い段階でそこに目を向けておかないと、あとから大変なことになりそうだ。(略)
             

「本物の生きがい」になっているものには、共通する3つの条件がある、

第一は、「そのためになら、少しぐらいカネを使っても惜しいと」思わないもの。
第二は、「それをやっていれば、時間を忘れる」もの。
第三は、「ド素人ではだめ。20〜30分は公爵ができる」こと。

そうした条件が揃った課題を持っていれば、安心だということである。

たしかにそういう価値観があれば、「することがない」と引きこもってうつ病の心配をする必要はないかもしれない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は民間会社の中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて定年退職したのは、
2004年(平成16年)10月20日であった。

この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の6年は音楽業界が全般としてリストラ烈風が加速され、この前後は、各レコード会社が社内業務の見直し、
組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、私の勤めいていた会社も、正社員のリストラが行われ、人事配置転換による他部門の異動、出向、
早期退職優遇制度が実施された。
                    
私は1970年(昭和45年)の中途入社した身であったが、
この当時の時代の風潮としては、多くの御方と同様に、この会社で定年の60歳まで
勤め上げ意志を殆どの方たちは共有し、私なりの人生設計を持っていた。

そして激動の1998年(平成10年)の前後は、先輩、同僚、後輩の一部の人が、
やむなく第二の人生を選択し、早期退職優遇制度に申請を出されて退職されたが、
私は定年まで勤め上げる思いが強くあったので、彼等の決断を見送っていた。

やがて私は1999年(平成11年)の新春、あえなく出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠い勤務地に勤め、この期間も奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
             

このような拙(つたな)いサラリーマン航路であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。
                           
そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
我が家より近くに私の生家もあり、私は結婚前後5年を除き、この地域に住んで、67年は住んでいる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた戸建に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、年金生活も早や丸12年半が過ぎてきた・・。

そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
             
           
年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。

そして高校時代より都心に通ったりしてきたが、定年後は興味が薄れ、人出の多い街並みは苦手意識が高まり、
我が家の周辺を散策したりすると、やすらぎが深まっている。

このような根底のひとつには、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。
                                                      
午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして人だれしも長所、短所はあるが、私は短所の方が多いので、
家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。
                           

こうした中で、ときおり小庭の手入れをしたりしている。

定年する10年前の頃から、雑誌の『サライ』を定期購読して、ある号で野菜の成長、花、色合いが載っていた。

或いは作家・曽野綾子さんの随筆の新書本のひとつに、
ご自宅の庭でも野菜を育成していると私は読んだりしてきたので、
生育のうつろいを眺めて、育成するのも良いと思案していた。

ご近所より少し広いが、程ほどに常緑樹、落葉樹、季節に応じた茶花もあり、
小鳥が定期便のように飛来してくるし、更に野菜を育成したりすると、小庭は更に手狭となり、断念したりした。


私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
                                         

家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。

そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生し、
険悪になることもある。

やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。

このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。
                                                           
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
                                         

このように私は定年退職するまでは、何かと悪戦苦闘の半生であったが、
定年後の年金生活は、予測した以上に心身に於いて、安楽な生活を過ごしている。

そして我が家は裕福層には無縁であるが、何とか生活できて有りがたいわ、
と家内がときおり呟(つぶや)くように言ったりする時、私は微苦笑したりしている。

こうした中、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩くことが多くなっている・・。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
             

こうした中、人生は想定していないことは多々あると私は学んできたが、
ときおり私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活をしている。

私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなっている。

私が定年後する直前に、家内の父が病死され、家内の母は我が家より遠い地で、独り住まいとなっている。

そして家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
11年ぐらい恒例となっていたが、これくらいは私にとっては気分転換で良好と思ったりしてきた。

やがて一昨年より家内が家内の母宅に宿泊数が多くなってきたことは、
私にとっては、まさかの出来事のひとつとなっている。
             

やがて家内の母が『要介護1』となり、長女の家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした事情で、我が家では私が『おひとりさま』の生活となり、
私たち夫婦の年金生活の予定事項が定まることが少なくなり、少し困苦してきたことも事実となっている。

『お義母(かあ)さんは・・娘ふたりに介護されて良いけれど・・
我が家では子供もいないので、頼れる人はいないし、お互いの頑張りだよなぁ・・』
と私は微苦笑しながら、ときおり家内に言ったりしている。

『そうよねぇ・・あたし達が晩年期まで・・しっかりとしないと』
と家内は苦笑しながら、私に言ったりしている。

こうしたこと以外は、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せずに、
ほぼ予定通りに、順調に年金生活13年目を迎えている。

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景気回復、誰しも実感できることは、働いて下さる給与の賃上げが肝要だ、と年金生活の私は思い深めて・・。

2017-05-13 13:49:17 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しいるネットの【日刊ゲンダイ デジタル】を見たりした中で、
【 値上げラッシュと保険料アップ 家計の負担増はいくらに? 】と題された見出しを見た。

そしてどのようなことなの、と思いながら精読した。
やがて私は溜息を重ねた後、瞼(まぶた)が熱くなってしまった・・。
             

この記事は、【日刊ゲンダイ デジタル】に5月13日配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・値上げラッシュと保険料アップ 家計の負担増はいくらに?

値上げラッシュが、カラカラに干上がった家計を直撃し始めている。
何しろ、食品から日用品まであらゆるモノの値段が上がっている。
これから値上がりする品物も多い。

今月から東京電力など電力大手が、軒並み電気料金を150~210円アップさせる。
大王製紙など製紙会社はティッシュペーパーやトイレットペーパーなどを10%値上げし、
バターやチーズの値段も1.1~4.3%上がる。
バナナ、サラダ油、海苔といった身近な食材の価格も上がっている。

先月は小麦の輸入価格が、2年ぶりに上がった。
パンやうどん、ラーメン、菓子といった小麦を使う食材の値段が上がるのも時間の問題だ。

生活経済ジャーナリストの柏木理佳氏が言う。
「いずれも原油高による燃料価格上昇や、円安による輸入コスト上昇の影響です。
大豆、トウモロコシの値段も上がっているため、今後は納豆や豆腐の値上げもあり得ます。

配合飼料で育てた鶏肉の価格も上がる。
緑豆の価格も上昇しており、これまで家計のピンチを救ってきたモヤシの値段も上がりそうです」
             

☆年収700万円で4万円の負担増

追い打ちをかけるのが、人手不足だ。
ヤマト運輸は9月に宅配便の基本運賃を5~20%引き上げる方針を固めた。
佐川急便、日本郵便も追随する構えで、ネット通販や引っ越し代の値上げが、指摘されている。

「エンゲル係数は2016年まで4年連続で上昇し、およそ30年ぶりの高水準となっています。
食料品の値段は、この10年間で7%もアップしました。

おまけに宅配便だけでなく、あらゆる業種に人手不足が蔓延しています。
バイトの時給が上がり、外食などのさらなる値上げは必定です。

家族構成にもよるでしょうが、このままいくと、年2万円近く負担が増える家庭も多いと思います。
引っ越しを予定している人は、8月中に済ませるといった対策が必要となります」(柏木理佳氏)

しかも今年8月から40~64歳が支払う介護保険料が上がる。
収入に応じて保険料を算定する「総報酬割」が、4年かけて段階的に導入されるからだ。

さらに健康保険料も上がる。
全面導入されるとどうなるか、ファイナンシャルプランナーの八ツ井慶子氏に試算してもらった。

「20年時点の負担額を16年と比べると、年収700万円の世帯で負担増は2万円強となります。
試算は介護保険料率は、厚労省のデータを基に16年と比べ1.14倍になると設定しました。

今後まだ上がる健康保険料率は、過去10年平均の上がり幅の年0.18%が続くとして計算しています」

食料品、公共料金などの値上げと合わせて、年4万円の負担増になる家庭が続出しそうだ。
年収700万円世帯の手取り収入は、15年前に比べて50万円も減った。
このままでは、庶民は本当に茹でガエルになってしまう。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
             

私が溜息をさせられたのは、色々な値上げて《・・年2万円近く負担が増える家庭も多いと・・》と、
学んだからである。

そして私は、瞼(まぶた)が熱くなってしてしまったことは、
《・・年収700万円世帯の手取り収入は、15年前に比べて50万円も減った。・・》
こうした現実に、無力な私は困苦したりした。
             

ここ数年、私は新聞、月刊総合雑誌などを読んだりしていると、
2014年4月以降、実質消費が大幅に落ち込み、そして最新の家計調査(7月1日公表)でも、
2人以上世帯の実質消費は、3カ月連続の前年比マイナスであり、昨年も一昨年も、2%を超える前年比マイナスである、
と学び、高齢者の無力な年金生活の私でも、憂いたりしている。

そして実質GDP(2016年1-3月期)は、530.2兆円で、
この中で個人消費は306.9兆円、設備投資は72.4兆円、と公表されいる。

こうした中で、個人消費が延びない限りは、民間会社は剰余金が豊富でも、設備投資には積極的になれず、
結果として働いて下さる方の給与は、物価を上回る実質賃金の増加は困難となり、益々消費低迷となる。

そして私は、何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。

そして年金も現役世代が払う保険料で、高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が65歳を過ぎた現在、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。

そして周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化した後、
ここ10年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となり、
たとえ大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、安住できない時代となってきた・・。

こうした過酷の中で働いて下さる現役世代の諸兄諸姉の人たちは、このように熾烈な状況の中で奮戦している。

こうしたことを無力ながら私は、思案してきた。
             

やがて私は今朝読んだ読売新聞のひとつの記事を思い馳せたりした。

この記事は、3ページに掲載されたひとつの記事であり、私は深く同意ざられた主旨であった。
読売新聞47年ばかり購読しているよしみに甘え、無断ながら転記させて頂く。

《・・景気回復 実感乏しく・・・賃金伸び悩み

17年3月期決算で上場企業の最終利益は、過去最高となる見込みなのに、消費者の景気回復の実感は乏しい。
堅調な企業業績が、賃上げの動きに、十分に結びついていないためだ。

今年の春闘では、多くの企業が基本給を底上げするベースアップ(ベア)を実施したものの、前年割れが相次いだ。

賃金の伸び悩みに加え、社会保険料などの負担増も、家計を苦しくしている。
食品や日用品の値上げも相次いでおり、消費者の財布のひもは固いままだ。

一方、企業の内部留保(利益剰余金)は、過去最高の水準に積み上がっている。
財務省の法人企業統計によると、15年度末時点の企業の内部留保は約378兆円で、
アベノミクスが始まる前の11年度と比べて、100兆円近く増えている。

ここ数年、将来の景気落ち込みと業績悪化を恐れ、投資や賃上げを抑える企業が多かったためだ。

しかし、SMBC日興証券の集計によると、
東証1部上場企業(金融を除く)の18年3月期予想は、増収増益と見通しは明るい。
円高で17年3月期は減収減益だった製造業も、増収増益に転じる見込みだ。

将来不安を理由に、内部留保をため込むばかりの企業に対する視線は厳しくなっている。

大和総研の熊谷亮丸氏は、
「企業は積極的に賃上げを行い、個人が将来を見越して安心して、お金が使えるようにするべきだ」と指摘する。

業績の改善で膨らむ内部留保を賃金に回し、消費の拡大へとつなげられるか。
アベノミクスの「好循環」の実現は、正念場を迎えている。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
             

こうした記事を読み終わった後、やはり日本の景気回復には、
働いて下さる諸兄諸姉に対して、大企業が勇断して、内部留保(利益剰余金)を取り崩して、
給与の賃上げすることこそが肝要だ、と無力な私でも改めて実感させられたりした。

こうした私の思いは、昨年の2016年6月19日に投稿文に記載し、大半を再掲載する。

昨夜、ネットで偶然に読んだひとつの記事が思いだされた・・。

【 「90歳、いつまで生きているつもりか」 麻生氏、小樽の自民・総決起大会で 】と題された記事で、
『北海道新聞』が6月18日(土)7時30分配信に配信された記事であり、
私は麻生副総理兼財務相は、高齢者の大半の心情も解らず、相変わらず短絡的な発言されたなぁ、と微苦笑してしまった・・。

そして麻生太郎さんは、幼少期から経済的に恵まれた裕福な御方で、《お金》に苦労したことのないお坊ちゃんだねぇ、
と苦笑したりした。無断であるが転載させて頂く。
            

《・・【小樽】麻生太郎副総理兼財務相は17日、参院選に向けて自民党道4区支部が小樽市内で開いた総決起大会で、
「90歳になって老後が心配、と訳の分からないことを言っている人が、テレビに出ていた。

いつまで生きているつもりかと思いながら見ていた」と述べた。
高齢者の気持ちを逆なでしかねない発言で、波紋を広げる可能性がある。

麻生氏は、国内には1700兆円を超える個人金融資産があるのに、
個人消費が伸びない経済の現状を指摘する中で発言した。
「あったら使わなきゃ意味がない。何に使うか決めてもらいたい」とも述べた。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
                          

過ぎし2014年4月1日に消費税率が8%に上がって2年を少し過ぎた昨今は、
全般的には個人消費は低迷している。

もとより世の中は、身の回りの商品は値上がりし、消費者の節約志向が続いているし、
こうした根底には、家計の収入全体は増加傾向だが、手取り収入は、社会保険料などの負担増でさほど伸びていないこともある、
と私は新聞などで学んできた。

そして安倍内閣の経済政策「アベノミクス」のカギを握る個人消費の伸び悩みが最大の難関で、
麻生太郎副総理兼財務相の重責の立場からして、苛立ちは私でも理解できる。

しかしながら国民からすれば、「アベノミクス」で収入は増えたが、税・社会保険料負担も重くなった実感である。
            2012年・・>2015年  差 額
収       入  519000   526000  7000
税・社会保険料負担93000    98000  5000
手 取 り 収 入  425000   427000  2000
            *サラリーマン世帯、月平均額、総務省の家計調査より

そして消費増税後、確かな影響を受けて、個人消費は低迷している、
具体的には個人消費は2014年4~6月期(8%増税直後)は、305.8兆円、
直近の2015年10~12月期は、304.4兆円となり、結果的には1.4兆円減、と私は学んだりしてきた。
            
或いは国税庁による「民間給与実態統計調査」に寄れば、
1人あたりの年間平均給与は、継続的に下がり続け、
平成16年には438.8万円だったのが、平成26年には415.0万円と知ったりした。

ここ10数年は、民間会社は短期に成果が問われる時代の中、常時リストラともいわれたりして過酷な時代になり、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。
                                      

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている。

こうした中で、厚生年金は減ることがあっても増えることはなく、やむなく苦笑をしたりしてきた。

ここ数年、2013年には、10月分から年金の大幅カットが始まり、
年金受給額は2014年10月に1%、2015年にさらに1%引き下げられ、
この間、夫婦2人の平均モデルで少なくとも年間7万800円もの減額になる要旨が報じられ、
私は勘弁してょ、と苦笑を重ねてきた・・。

国民年金
【老齢基礎年金(満期):一人分】
平成27年度(月額)65、008円==>平成28年度(月額)65、008円

厚生年金
【夫婦2人分の老齢基礎年金を含む標準的な年金額】
平成27年度(月額)221、507円==>平成28年度(月額)221、504円

このよう過日、新聞で明記されていたので、年金支給額は据え置きと知り、微苦笑をしたりしてきた。

そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも、
私たち高齢者の大半は享受してしている。
                                                  

日本は長寿化社会であり、まもなく2025年になれば、団塊世代が75歳以上の後期高齢者となり、
後期高齢者は約2200万人と、日本の人口の18%に達すると推計されている。

もとより医療、食物、健康意識向上などで長寿化社会を迎えられたが、
長寿化社会で一番戸惑っているのは、高齢者ご自身は、いつまで生きられるのかしら、と私は真摯に感じ深めている。

老後の預貯金を取り崩しながら、高齢者の大半は過ごされている中、
これからの介護などを思案し、過ごされている、と私は思ったりしている。

高齢者が個人消費を弛(ゆる)む時は、それぞれの趣味ごと、お孫さんへの出費などと思われるが、
やはり社会保障制度の年金、医療、介護などに不安があり、やむなく節約志向となっている、
と私は思ったりしている。

そして一部の御方は、不幸にして生活保護を受給され、
65歳以上の高齢者を中心とする世帯が、過ぎし3月時点で過去最多の82万6656世帯となり、
初めて受給世帯の半数を超え50・8%となった、と厚生労働省の公表で私は学んだりしてきた、

或いは高齢化が進む中、低年金や無年金で老後を迎え、
身寄りもなく生活保護に頼る高齢者の貧困の深刻化が鮮明になった、と新聞で報じられてきた。

このように高齢者の大半の心情を思い馳せたりした・・。
                          

麻生太郎副総理兼財務相の重責の立場からして、
個人消費を活性になれば、やがては民間会社が剰余金を取り崩して設備投資し、
日本経済は好循環となり、躍進する・・願いは理解できるが、
高齢者の大半からすれば、これからの不安があり、やむなく節約志向が続く、と私は微苦笑したりしている。

そして個人消費が伸びるには、民間会社の基本給などのアップ率が物価率より大きく上廻った時で、
働いて下さる方が高揚して買物して下さり、そして日本経済は好循環となり、
やがて高齢者は年金などで横ばいになる時かしら、と思い願ったりしている。
                          

こうしたことを私は思い重ねて、大企業が勇断して、内部留保(利益剰余金)を取り崩して、
働いて下さる諸兄諸姉に対して、給与の賃上げすることこそが、起爆剤となり、
やがて日本の景気回復して、誰しも実感できる時代が到来する、と無力な私でも思いを深め、念願している。

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老後資金は「最低限1500万円」あればいい理由、年金生活の私は学び、戸惑いながら、やがて微苦笑して・・。

2017-05-12 15:40:47 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの『マネーポストWEB』の『暮らしのマネー』コーナーを見ている中で、
【 老後資金は「最低限1500万円」あればいい。の理由を詳しく説明します。 】と題された見出しを見た・・。

私は年金生活13年生の72歳の身であるが、
老後資金は「最低限1500万円」と明記されても、私の先輩とか知人などから、もう少し高額が必要と教えられてきたので、
どうした内容ですか、と思いながら精読してしまった・・。

この記事の原文は、経済ジャーナリストの荻原博子(おぎわら・ひろこ)さんが寄稿文であり、
『マネーポストWEB』に5月11日に配信されていたが、 無断ながら転載させて頂く。

《・・老後資金は「最低限1500万円」あればいい。の理由を詳しく説明します。

老後資金には漠然とした不安が、老後資金は「最低限1500万円」あればいい、
以前執筆した記事「老後資金は「最低限1500万円」あればいい」(注・2016年3月10日に公表)を読んで、
「それでは安心できない」という疑問を持った方も多かったようなので、
今回は、その理由をもっと詳しく書きましょう。
             

☆前提となっているもの・・。

※普通のサラリーマン家庭
※持ち家のローンが完済
※子供が社会人
※夫婦2人で老後生活を始める

2015年度に、夫婦2人が年金をもらうケースで、新規受給モデル額は22万1500円。
このご家庭がベースとなっています。


☆2016年の家計調査によれば

世帯主が65歳以上の家庭の支出は、月24万9063円

このケースだと世帯人数が2.46人なので、これを2人世帯に換算すると、1か月の支出は20万2490円ということになります。

つまり、約22万円もらい、支出が約20万円ですから、基本的には年金の範囲内で生活できる人が多いということです。

しかも、70歳以上になると、食事の量が減ったり出歩くことも減る人が多いので、全体的に支出は下がります。


★結果

元気なうちは、支給される年金の範囲内で生活しながら、
中には多少なりと、貯金もできる人がいるということです。
             

☆問題点

死ぬまでずっと同じ暮らしを続けられればいいのですが、
ある程度の年齢になると、2人で暮らすのも大変になり、
施設などに、入らなくてはならないケースが出てくるということです。

この場合で、どれくらいのお金が必要になるのでしょうか?

★介護の長期化なども考えておきたい

介護の長期化なども考えると、最低1500万円は貯めておきたい。

老後に入る最もポピュラーな施設としては、特別養護老人ホームがあります。
俗に言う「特養」です。


☆特別養護老人ホームとは・・。

現在は要介護3以上で、自力で着替えができなくなったり、寝返りを打つにも手伝いが必要という方が入れます。

費用は、施設・部屋のタイプにもよりますが、介護保険課を使えるので食費も含めて、月に1人9万円から13万円程度。

13万円というのは、要介護5で寝たきりになった状態の方です。
             

☆最低1500万円必要な理由

厚生労働省のデータによると、「特養」の平均在院日数は約4年(1405日)です。

1人9万円なら、2人で入所しても18万円ですから、年金の範囲内でなんとかなります。

寝たきりになると、もう少しお金がかるので、
仮に2年間は寝たきりで、2人で月26万円かかったとすると、2年間で約100万円が必要になります。


☆年金の支給額が減っていくことが予想されます

例えば、月に5万円減っていくとしたら、
そのぶんを200万円くらいは、見ておかなくてはならなくなります。

また、「特養」に入れず、もっと値段の高い施設に入ることになってしまったら、
そのぶん月に1人5万円として、2人で500万円くらい余計にかかるかもしれません。

ここでは平均値の4年を基準にしていますが、入所期間がさらに伸びるケースも考えられます。

そのぶんを200万円とすると、夫婦2人の合計で1000万円くらいは、
介護にかかるお金を見ておきたいということです。
             

☆医療

同じ保険なら、夫婦それぞれが月に100万円の治療を受けても、
高額療養費制度を使えば、一般的な収入なら月の自己負担は4万400円なので、200~300万円を取っておけばなんとかなるでしょう。


☆結果

諸々の経費を考えて、最低でも1500万円は、用意しておかなくてはいけないということです。


☆老後の稼ぎ方は、いろいろある。

「最低1500万円」というのは、普通の生活で生涯をまっとうする時に、
用意しておかなくてはいけないお金です。

けれど、もっと贅沢をしたいと思えば、必要になるお金は際限なく増えます。
             

この問題は老後に「働く」という考え方を組み込めば、大きく改善されます。
自分だけでなく妻にも少し働いてもらう。

前回は、海外ボランティアやファミリーサポードセンター、シルバー人材センターなどを紹介しましたが、
なにも働く先を見つけて、現金収入を得ることだけが、働くということではありません。


☆畑で自給自足ライフ

畑をたがやして、自分たちの食べるものをある程度まで自分たちでつくれば、
食費は少なくてすむでしょう。

また、収穫したものを近所の人たちと分かち合えば、交際費も節約できるかもしれません。

今は、都会でも「市民農園」が沢山あります。
農林水産省の全国市民農園リストを見ると、
東京だけでも登録されているだけで、360か所の「市民農園」があります。

登録されていないものも含めると、かなりの数になるでしょう。


私の知り合いも、練馬で市民農園を借りて、仕事のかたわら農作物を育てている人がいます。
年間3万円ほど払って、6万円くらいの収穫があるようです。
             

☆お金はそんなになくても、満足して暮らせる生活を

満足して暮らせるのが一番

市民農園を始めると、同じような日曜農家が沢山いるので、
畑で収穫したばかりの野菜をつまみに、ビールで乾杯すれば、それだけで楽しいといいます。

お金は、あればあるほどいいけれど、そんなになくても、
満足して暮らせる生活を考えていくことは、できるのではないでしょうか。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
            

過ぎし2016年4月26日、配達された読売新聞を読んだりしている中、
やがて17ページの【NEXTらいふ】を読んだりした。

この【NEXTらいふ】は、ミドル年代で、やがてセカンドライフを迎える方たちに於いて、
いろいろ不安と希望の要素をテーマに掲げた連載特集、と私は解釈している。

こうした中で、【 老後の生活費は? 】、【 夫婦で月平均27万円 】と見出しされて記事を読んだりした。
やがて記事を読み終わった後、微苦笑させられたりした・・。
             

石原毅人・記者が綴られた記事であり、無断ながら転記し、図表は加工して転載させて頂く。

《・・老後の生活費の総額は、「何歳まで生きるか」「どんな暮らしをしたいか」などの条件によって異なりますが、
総務省の「家計調査報告」(2015年)から、必要な金額の目安を知ることができます。

この調査によると、「高齢夫婦世帯」(夫65歳以上、妻60歳以上の無職世帯)の1か月の生活費は、
社会保険料などを含め、平均で約27・5万円です。

この金額をもとに、この世帯で夫が男性の平均寿命に相当する80歳まで生き、
この15年間を夫婦で暮らすとすれば、約5000万円になります。
        
             

★老後に必要な生活費はどのくらい?★

高齢夫婦世帯の平均支出月額(万円)

*直接費・社会保障費・・・・3.2
*交際費など・・・・・・・・5.9
*教養・娯楽・・・・・・・・2.6
*交通・通信費・・・・・・・2.7
*保険医療・・・・・・・・・1.5
*被服・履物・・・・・・・・0.7
*家具・家事用品・・・・・・0.9
*光熱・水道・・・・・・・・2.0
*住居・・・・・・・・・・・1.8
*食料・・・・・・・・・・・6.2
**合計**・・・・・・・27.5

この「高齢夫婦世帯」が15年間、夫婦で暮らすと・・。
27.5万円X12か月X15年=4950万円
留意・・総務省『家計調査報告』(2015年)をもとに作成。
             
            
毎月の生活費の内訳で最も多いのが、「食料」の約6・2万円です。
この費用を含めて、いわゆる「衣食住」に相当する支出だけで約3割を占めています。

ただし、ここでいう世帯の持ち家率は9割を超えています。
このため、「住居」には、修繕費などで約1・8万円しか計上されていません。
高齢期に賃貸物件に住む場合には、生活費がより多くかかる可能性があるので、注意が必要です。

また、意外とかかっているのが、「交際費」(約3万円)。
身内や近所の冠婚葬祭や、親しい人と喫茶店でおしゃべりをする際などの費用とみられます。

書籍代や小旅行などに充てる、「教養・娯楽」(約2・6万円)も少なくありません。

なお、この調査では、60歳以上の単身者の生活費は、平均で月約15・6万円となっています。


一方、生命保険文化センターが13年度に実施した調査によると、
レジャーや趣味などをさらに充実させた「ゆとりある老後」を送るには、
夫婦2人では、平均で月に35・4万円が必要とされています。

老後に必要なお金を考える上では、毎月の生活費の他に、
自動車や大型家電の買い替え費用や住まいのリフォーム代、大病をしたときの医療費など、
臨時的な支出があり得ることも忘れないようにしましょう。

テレビや雑誌などで活躍する東京都内のファイナンシャルプランナー・横山光昭さんは、
「現役時代のボーナスのような収入をあてにすることは、一般的ではありません。
年金を主な収入と考え、自分なりの老後の家計を具体的に予想することが大事です」と話しています。・・》
                          

我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ12年半ばかり過ごしてきた・・。

こうした中で私たち夫婦は、月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している。

もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は目減りは減少してきたので、
私たち夫婦はお互い趣味の費用を捻出する為に、収支の実態をお互いに確認し、
ささやかに生活を過ごしたく、家計簿の月次決算をしている。

そして年金生活を始めて数年は、200万円前後の赤字となったりしたが、
その後は毎年は120万円前後の赤字の実態なので、予定通り貯蓄の残額は減るばかりとなっている。
            

今回の総務省『家計調査報告』(2015年)に於いては、
確か実収入として、社会保障給付は194、874円(91・3%)、その他は18、505円(8・7%)、
合計は213、379円(100・0%)となっている。

収入に関しては、あくまで平均なので、もとより公的年金の社会保障給付が多い方もいれば、
不幸にして公的年金も少ない方もいるし、我が家は恥ずかしながら少しだけ平均額より高く、苦笑したりした。

従って今回の消費支出・計は27.5万円であるから、収支の差額の概算は、不足分として6.2万円。 
   
そして不足分に関しては、金融資産の取り崩しなどで、まかなっているとみられ、
我が家と同じだ、と私は微苦笑を重ねたりした・・。
                         

今回の記事に於いて、《・・2人世帯に換算すると、約22万円もらい、支出が約20万円ですから、
基本的には年金の範囲内で生活できる人が多い・・》ことに苦笑したりした。

この支出が約20万円は、税金の所得税、地方税、固定資産税、保険の健康保険料、介護保険料が欠落していると思え、
冠婚葬祭を含めた交際費、住まいの耐久商品の冷蔵庫、洗濯機、クーラーなど修理、買い改めなども、
程ほどに費用は要する。
             

そして人生の晩秋期の介護に関しては、誰しも難題と思い深めたりしている。

日本人の平均寿命は、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
おととしの平成27年には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
平成25年の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する期間である。
             
私たち夫婦は、頼れる人もいないので、介護・要となった時は、やむなく介護施設に思っているが、
介護施設に入居して、平均5年ぐらいで、亡くなる方が多いと学んできた。

そして要介護認定されている場合は、
特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)やケアハウス、グループホームなどを学んだりしてきた。

しかしながら、特別養護老人ホーム(特養)の入居は競争が激しく、
厚労省の調査によれば、2009年12月時点の入所希望者は42万人。

やがて団塊の世代が介護される時代を迎え、要介護の高齢者は増え続けるので、
抜本的な待機者解決策は難しく、現在よりも深刻な状況になる可能性が高い、と学んだりしてきた。
             

こうした中で、私はやむえず有料老人ホームを思案したりした。

そして東京や大阪などの大都市の有料老人ホームは、入居一時金が3千万円ほど必要。
更に月々の管理費もかかり、入居時に4千万~5千万円ぐらいの資産がなければ・・と読んだ時、
裕福でない私は溜息を重ねたりした・・。

或いは地方なら有料老人ホームなどの高齢者住宅でも、1千万円ぐらいの物件がある、と学んだりしてきた。

我が家は無念ながら程ほどの貯金しかなく、高価な有料老人ホームには、とても・・と思ったりしている。

そして程ほどの介護施設に入ったとしても、永らえば、やがて貯金が底をつく、と思い憂いたりし、
やはり私の晩年期の最大の難題と思いを深めたりしている。


今回の記事で、介護施設は特別養護老人ホーム(特養)の入居を例題にしているが、
入居できる御方は、幸運な人と思え、参考にはならないなぁ、と私は微苦笑をしたりしている。
             

尚、私は2004年(平成16年)の秋に中小業の民間会社を定年退職した身であり、
最後の5年半は、リストラ烈風の中、出向となり、遠い勤務地に勤め、この期間も奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

そして定年する数年前、経済にも疎(うと)い私が、
経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。

このような心情を重ねてきた私、今回の荻原博子さんの『老後資金は「最低限1500万円」あればいい』、
荻原博子さんは少し楽観して、支出全般は少なめに算出されているなぁ、と私は微苦笑したりしている・・。

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五輪での接遇に、東京都20億円クルーザー建造、無力な都民の私でも、とりとめなく憂いを重ねて・・。

2017-05-11 16:04:05 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
一昨日の夕方、居間で家内がテレビニュースを見ていた時、
何かしら都が20億円クルーザーを購入する、と報じたニュース、
私は近くでいたので聴こえ、思わずテレビを見たりしたが、次のニュースを報じていた。

私はこのようなことは、小池百合子・都知事はご存じなのかしら、と憂いたりした。

私は昨年、都知事選で小池百合子・都知事候補に、閉ざされた都政を打開してほしい、
と念願して、清き一票を投票した身である。

そして小池百合子さんは新都知事として、数多くの難題に奮戦して、
やはり小池百合子さんでなければ・・私は拍手喝采をすることが多かったりしている。

このように私は、小池百合子・都知事に感じているが、
東京都が20億円クルーザー購入に関して、私なりに注視して新聞とかネットで見たりしてきたが、
詳細に関しては、不明であった。

たまたま先程、ときおり愛読している【NEWS ポストセブン 】を見ていたら、
『東京都20億円クルーザー建造より海保・海自船活用すべき』と題した記事であり、
私は精読してしまった。
             

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2017年5月19日号に掲載された記事のひとつであり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・東京都20億円クルーザー建造より海保・海自船活用すべき

かつて、海外視察の際に豪華クルーザーをチャーターして、「都税の無駄遣い」と批判された都知事がいた。
海外視察でファーストクラスやスイートルームを使用した都知事も、やはり同様の批判を浴びた。

そうした「知事の浪費癖」との訣別を都民に約束したのが、小池百合子・都知事だ。
だが、彼女もまた先達たちと同じ「病」に罹ってしまったのか。

東京五輪のスローガンに「もったいない」を掲げた都知事は、
あろうことか五輪開催にかこつけて「超高額の無駄な買い物」をしていた。

小池都知事が、19億6235万8256円もの税金をかけて、
VIP接待用の大型外洋クルーザーを建造していることは、ほとんど知られていなかった。


受注したのはイタリアのアジムット‐ベネッティ社。
欧米のセレブや中東の王族などのクルーザーを多く手がける世界トップクラスの造船会社だ。

図面によると、クルーザーは全長35メートル(約115フィート)でデッキは3層。
1階(上甲板)は22人掛けの大テーブルが置かれた同時通訳ブース付きの会議室(窓際にも座席31席)、
エレベーターで2階に上がるとパントリー(小さなキッチン)と10人掛けのダイニング、広い応接室があり、
3階は展望デッキとなっている。

東京都港湾局は、視察船「新東京丸(195トン。定員60人)」を保有しているが、
老朽化しているため、今回の建造が持ち上がったわけだが、そもそも、東京都に「視察船」という名のクルーザーは必要なのか。

就役中の新東京丸は、平日2回、竹芝桟橋から1時間半かけて、東京港内を周回している都営の“クルージング船”だ。
都民でなくても無料で乗船できるが(要予約)、土日は「民間遊覧船の経営に影響する」(港湾局)という理由で運休する。
そのうえ、改修費が毎年約5000万円かかっている。
             

都政を監視する「行革110番」の主宰者で、元都議の後藤雄一氏は「代替船は無用」と指摘する。

「東京都が視察船を持つ目的が、はっきりしないし、なくても困ることはない。

五輪を口実にすれば、建造予算が通ると思っている税金の無駄遣いの典型です。

小池知事は豊洲市場や五輪施設では、細かい部分までコストや必要性を精査して都民に開示しているのに、
この新造船にひとことも触れないのは、不可解です。

仮に、どうしても五輪での接遇に必要というなら、その期間だけ民間の遊覧船をチャーターすれば済むはずです」

もっとコストが、かからない方法もある。

実は海上保安庁は、上甲板に30人の会議室、2階に控え室付きの貴賓室を設けた迎賓船「まつなみ」(全長38メートル)を保有し、
普段は東京湾で巡視艇として使われている。

海上自衛隊には、130人の船上パーティ設備と同時通訳設備付きの会議室を持つ、
さらに大型の迎賓艦「はしだて」(特務艇。全長62メートル)があり、
横須賀管区に配備されて、内外の要人を招いた式典などに使われている。


五輪でVIPの海上視察が必要なら、海保や海自の迎賓船を利用する方が、
治安の面からも優れていることは、いうまでもない。
             

しかし、都議会では、与野党ともに新船建造の無駄を指摘するどころか、逆に大賛成。

経済・港湾委員会の議事録を見ると、
自民党都議が「新しい視察船は五輪のレガシーの一つとして後世に残すことができればと考えております」(2015年6月17日)と言えば、
民進党都議も「浮かんでいる姿が東京の夜景にマッチして、
それだけを写真に撮りたいと思えるような船をつくるべきだと思います」(2016年3月15日)と発言。

無駄遣いを指摘するような声はなく、クルーザー発注が議会報告された今年3月議会にも、
民進党会派から「人の目をひきつけるようなデザインを検討すること」という内容の意見書が提出された。

小池知事も港湾局も都議たちも内心、豪華クルーザーのオーナー気分で舞い上がっているようなのだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

昨年の7月31日投開票の東京都知事選挙の結果、小池百合子さんが新都知事となり、
8月以降は都政は小池百合子さんが最高責任者としての責務がある。

こうした当初の時点に於いては、今回の『都20億円クルーザー建造』に関して、
既に自民党都議が、民進党都議も都政の財政を顧みず、安楽に賛意して決定していた。

やがて小池百合子・新都知事が、この件を知った時、
豊洲難題が直面して、都政では絶大に力を保有している港湾局に配慮して、
小池百合子さんは政治家の哲学として、清濁併せ呑む、名言に基づき、妥協してしまった、と私は推測する。

しかしながら都民の多くの信愛がある小池百合子・都知事としては、
クルーザー建造、その後の運用費を配慮すれば、都財政は決して豊かでなく、
オリンビック開催、そして2025年の都の推測状況を考慮すれば、
とてもクルーザーなんか、都として保有はできません、と明言して欲しかった・・。

このようなことを無力な都民の私は、憂いたりしている。
             

そして最も恐れることは、こうした件をきっかけに、都民のひとり独りが、
小池百合子・都知事に対して、信愛から離れていくことである。

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5分間の二度寝が1日を幸せにする、年金生活の私は学び、瞬時に微笑みを重ねて・・。

2017-05-10 15:05:22 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、ネットでニュースを見たりして彷徨(さまよ)っている中で、
【 5分間の二度寝が1日を幸せにする 】と題された記事を見た。

私は2004年(平成16年)の秋に中小業の民間会社を定年退職した身であり、
最後の5年半は、リストラ烈風の中、出向となり、遠い勤務地に勤め、この期間も奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

年金生活を始めた当初は、出向時代の習性で、朝の4時45分に目覚めた後、
奮戦するサラリーマンは卒業したんだった、とぼんやりと気付き、もう一度寝るょ、
と心の中で呟(つぶや)きながら、二度寝を甘受したりしてきた。
             

私は現役サラリーマン時代、多く男性サラリーマン諸兄と同様に、
多忙な期間は徹夜をしたり、毎日4時間前後の睡眠で奮闘し、
そして休日に昼寝をしたりして補(おぎな)って、過ごすことが多かったりした。

こうした時、ビタミン剤のような錠剤で、毎晩たった一錠を吞めば、睡眠時間はわずか一時間で、
誰でも充分に身も心も満足する人類初めての名薬が販売されれば、
開発された御方は、ノーベル賞の栄誉は確実だよなぁ、と夢想したりした。

しかしながら、後年になると、夢を見る時間がなけれは、
この人生は余りにも寂しいよねぇ、と思い深めたりしてきた。

やがて私は年金生活13年生となった今、朝は二度寝をしたり、ときおり昼寝もする時もあり、
このような体験をしている私は、今回の【 5分間の二度寝が1日を幸せにする 】の記事を
微笑みながら読み始めたりした・・。
             

この記事は日本医師会、日本睡眠学会に所属されてる坪田 聡が、
行動計画と医学・生理学の両面から、あなたの睡眠の質の向上に役立つ情報、
快眠グッズや気になる研究発表など、睡眠に関連する最新情報も豊富にご紹介して下さったひとつである。

そして生活総合情報サイト【All About(オールアバウト)】に2009年7月23日に配信されていた記事であり、
幸せなことに関しては、古い記事など超越するよなぁ、と思いながら読んだし、
改めて二度寝の効果を教示され、無断ながら転載させて頂く。

《・・5分間の二度寝が1日を幸せにする

二度寝が気持ち良いことは、誰でも知っています

「 質が悪い睡眠が続くだけで、逆に体が疲れるから止めたほうが良い 」 と、言われる 二度寝。
でも実際には、気持ち良くって、幸せな気分になれることも。
今回は、二度寝の不思議な効用を探ってみます。

二度寝で幸福感が得られるメカニズムは、まだ、科学的に解明されたわけではありません。
これまで知られている事柄から、その仕組みを考えてみました。
             

☆睡眠不足の解消

5分でも10分でも二度寝をすれば、それだけ睡眠不足の量が、減ることになります。
たったそれだけで、と思うかもしれませんが、昼休みに短時間の仮眠を取ると、
目覚めたときスッキリして、午後からの仕事にがんばろうと思えるはず。

短時間の仮眠と同じ効果が、朝の二度寝にもあります。


☆夢の続きが見られる

朝方には、浅い睡眠であるレム睡眠が多くなります。
レム睡眠中、体の筋肉は休んでいますが、脳は活発に働いています。

このときに、夢を見ることがわかっています。
楽しい夢を見ているときに少し目覚めて、
また、楽しい夢の続きを見られると、いわゆる 「 夢うつつ 」 の幸せな気分になれます。
             

☆外界からの刺激がソフトに

深く眠っているときは、外界からの情報は途中で遮断されて、脳に届きにくくなっています。
でも、眠りが浅くなるにつれ、外部からの刺激が、少しずつ分かるようになります。

二度寝しているときに、ほんわかと感じる光や物音、布団の触感などが、天国にいる気持ちにさせてくれるのです。


☆抗ストレス・ホルモンの働き

目覚める予定時刻の前後には、コルチゾール というホルモンの血中濃度が急に高まります。
コルチゾールは、ストレスを和らげる働きがあり、また、膠原病やアレルギーの治療にも使われています。

コルチゾールは、副作用として睡眠に悪影響を及ぼすこともありますが、
実は、「 多幸症 」 を起こすこともあるのです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

平素の私は、ここ半年は布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時頃が多くなっている。

私は寝ている間は、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

こうした中、 私は今でも、あたかも映画館で三作品が一挙に上映されたかのように、
昨夜は二本立て、或いは3本立て、の夢をみた、と微苦笑する時もある。

そして睡眠中、夢をみることは富貧に関係なく、その御方の日々の思い、念願など、
さまざまな思いが交差される現象かしら、と思う時もある。

そしてぼんやりと目覚めて、うつらうつらとまどろみながら10分ぐらいした後、
オシッコだ、と感じて、やむなく起床したりしている。
             

或いは深夜まで読書をしていた時は、目覚めた時は少し眠いが、
やはり朝の7時を過ぎてまもない頃に、人生は気合だ、と心の中で呟きながら、起床したりしている。

こうした時、昼食後まもなく、二階の寝室に行き、布団にもぐり、本を読みながら、まもなく寝てしまう・・。
                          
やがて一時間半過ぎた頃、ぼんやりと目覚め、まどろみながら、
この世で何より倖せ・・と感じながら甘受したりしてきた。
             
私は現役サラリーマン時代の大半は、睡眠時間を削りながら、
多くの諸兄と同様に奮戦してきたが、退職後の年金生活をしている私としては、
二度寝とか昼寝ができることは、夢のような甘受のひとときとなっている。

そして富も名声も無縁な私としては、よく眠れる老ボーイかしら、と微笑んだりする時もある。
                          

古来より、寝る子は育つ、という格言があるが、齢ばかり重ね、体力の衰え、少しばかりボケた私さえ、
この格言に適用されるのかしら、と微笑んだりしている。

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月丘夢路さん死去に伴い、心から哀悼の意を重ねながら、私のささやかな思いは・・。

2017-05-09 16:30:39 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
ここ一週間は小庭の手入れをすることが多く、本日も家内の支援を受けて、私たち夫婦は奮闘した。

この間、私は無念ながら体力の衰え、30分毎に簡易椅子に座り、ペットボドルの煎茶を飲み、
5分ぐらい休息としたりした。

こうした時、昨夕ネットで偶然に知った女優・月丘夢路(つきおか・ゆめじ)さんが、
死去されたニュースが甦(よみがえ)りした。
          

私が読んだ記事は、『日刊スポーツ』が5月8日に配信された記事で、無断ながら転載させて頂く。

《・・元宝塚、女優の月丘夢路さん死去 95歳、肺炎

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170508-01820111-nksports-ent.view-000
月丘夢路さん(1954年8月2日撮影)


宝塚歌劇団の元娘役スターで、映画、ドラマでも活躍した女優・月丘夢路さん(本名・井上明子=いのうえ・あきこ)が
3日午後1時50分に肺炎のため、都内病院で死去したことが8日、分かった。95歳。
葬儀はすでに近親者のみで営まれ、後日お別れの会を予定している。

月丘さんは、広島県生まれで、広島第一高女(現広島皆実高)から、1937年に宝塚音楽学校に入学。
同期には越路吹雪、乙羽信子、東郷晴子、大路三千緒らがいる。

娘役スターとして活躍していた1942年、「新雪」で映画デビューし人気になった。
退団後は、大映、松竹の作品に出演し、日活へ移籍。100本以上の映画に出演した。

夫は10年に亡くなった映画監督の井上梅次さん(享年86)、長女は料理研究家の井上絵美氏。

代表作に、映画は「美徳のよろめき」「ひろしま」「二十四の瞳」「夜の牙」など、
ドラマは「華岡青洲の妻」「犬神家の一族」など、舞台は「マイ・フェア・レディ」など。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
         

私は1944年(昭和19年)秋に、農家の児として長兄、次兄に続いて三男坊として生を受け、
そして妹ふたりの間に育ち、長年サンドイッチのような中で、過ごしてきた。

やがて小学2年生の頃から、父の妹である叔母が未婚だった当時、
都心に住んでいる叔母の友人が来宅して、私は言葉、しぐさ、表情にに魅了されて、
素敵なお姉さん・・と感じたりして以来、何かしら女性に憧憬を深めたりしてきた・・。
          

そして確か1954年(昭和29年)の秋、小学4年生だった私たち生徒は、
先生に引率され学年別に指定された日に電車に乗り、
京王線の布田駅の近くの映画館で、木下惠介・監督の『二十四の瞳』を観賞した・・。

この当時の私は、海も観たことのない少年であり、
映画のシーンの小豆島の海の情景、修学旅行に行く瀬戸内海の景観に、
呆然と観て、あれが海かょ、と衝撃をを受けたりした。

そして、ストーリーも完全に理解できない私は、数多くのシーンで涙を浮かべたりしていた。

この映画で何よりも心を震わせ、感極まって涙を流したのは、
敗戦後の恩師の大石先生(高峰秀子さん)の教員復職の祝賀会を成人した生徒が開き、
戦争で失明した磯吉(田村高廣さん)が、一年生の時に先生と生徒12名の記念写真を指差しながら、
生徒全員の位置を示すシーンであった。

そして、この時に廊下に立っていた成人した生徒の女性(月丘夢路さん)が
『浜辺の歌』を唄うシーンであった。

こうした時、月丘夢路さんのしぐさ、表情を観たりして、綺麗なお姉さん・・と
と見惚(みと)れたりしていた。
          
         
そして『二十四の瞳』を観賞した後、まもなく独りで映画館に通った映画少年となり、
やがて映画の脚本家になりたくて大学を中退したりしてきたので、数多くの映画作品を鑑賞してきた・・。

こうした中で、恥ずかしながら女優に対して、初めてときめいた御方は月丘夢路さんとなっている。

やがて私は、国内旅行で海辺を観たり、海岸を散策したりすると、
心の底で、『浜辺の歌』を唄ったりすることが多い。

このようなことを思い馳せ、私は独り微苦笑を重ねたりした。
          

今回、ご訃報に接し、改めて心から哀悼の意を表します。
そして安らかにご永眠されますようお祈りいたします。

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「日本はアイデアとやり方次第で、無税国家になれる」森永卓郎氏の論説、無力な高齢者の私は学び、やがて微苦笑して・・。

2017-05-08 16:25:55 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『マネーポストWEB』の『暮らしのマネー』コーナーを見ている中で、
【 森永卓郎氏「日本はアイデアとやり方次第で無税国家になれる」 】と題された見出しを見た・・。

私は経済アナリストの森永卓郎さんに関しては、総合雑誌で活性化ある論説、或いはテレビ番組で斬新な論説をされる御方、
と学んだりしているが、標題の「日本はアイデアとやり方次第で無税国家になれる」、論説に、
どういうことですか、と思いながら精読してしまった・・。

この記事の原文は、小学館から発行されている国際情報誌の『SAPIO(サピオ)』に於いて、
2017年5月号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネットの『マネーポストWEB』で2017年4月24日に配信されていたが、 無断ながら転載させて頂く。

《・・森永卓郎氏「日本はアイデアとやり方次第で無税国家になれる」~市場で運用すれば税金ゼロが可能~

借金1300兆円を超えた日本は破綻寸前、財務省が喧伝するお馴染みの“財政危機”。

だが経済アナリストの森永卓郎氏は、日本は借金を気にする必要がないどころか“超健全財政”だと指摘する。
むしろ森永氏は消費税も所得税もない「無税国家」を実現すべきだと主張する。
             

国民の多くは気付いていないが、日本の税・社会保険料の負担は、
富裕層ほど優遇され、庶民ほど「重税感」に喘いでいる。
さらに近い将来、低所得者ほど負担が重い消費税の増税が予定され、庶民の暮らしはさらに厳しくなる一方だ。

だが実は、日本はアイデアとやり方次第で、消費税はおろか、所得税や住民税まで不要の「無税国家」になれる。

税金を一切払わず豊かに暮らすとは夢のようだが、
庶民イジメの税制を続けるくらいなら、いっそ税金ゼロを目指すべきだ。
後に述べるように、無税国家に向けた取り組みこそが日本を真に豊かにする。
             

財務省の主張とは逆に、日本の財政は今や世界で最も健全なのである。

国の一般会計と特別会計に加えて、特殊法人や独立行政法人などを含めた、
より広い意味における政府の財務を示す「連結財務書類」によると、政府の債務は約1370兆円。

だが一方、道路や堤防などの「公共用財産」や年金積立金などを含めた政府資産は約930兆円ある。
これはぶっちぎりで世界最大の資産額だ。

負債から資産を引いた純債務は約440兆円で、他の先進国と遜色ない。

日本が破綻寸前というのは、消費税率を上げたい財務省のプロパガンダに過ぎない。
無税国家のポイントは、930兆円の政府資産だ。
これを有効に活用すれば、“夢の国”の実現に近づく。

実際、世界には政府保有資産を統合し、独立した専門家がそのファンドを運用する国や都市がある。
中でもシンガポール政府傘下のファンド「テマセク」は、1974年の設立以来、平均18%もの利益を生み続けている。

仮に日本の資産930兆円をシンガポール並みの利回りで運用し、その半分を国民に還元すれば、
年間の還元額は、現在の税収を上回る84兆円になり、即座に無税国家が実現する。

国の大切な資産を市場で運用することに批判があるかもしれないが、
現に世界の国や都市のほか、ノーベル財団なども資産の一部をファンドに回して大きなリターンを得ている。
             

また国の資産のうち、前述の「公共用財産」は約192兆円ある。
財務省は「これらは収益を生まないので、買い手がない」と主張するが、間違いだ。

イタリアは高速道路を保有する企業を民営化して、株式を売却したが、サービスには影響しなかった。

日本の高速道路は民営化されたが、全株式を日本政府が保有したまま。
イタリア同様、市場で株を売却すれば、大きな利益を得ることができる。
一般国道や堤防も所有権を証券化して売ればいい。

2015年9月末で16.6万戸ある国家公務員住宅は“超優良物件”だ。
都内一等地にある国家公務員住宅や議員宿舎を片っ端から廃止し、
高級マンションにして運用すれば、家賃収入ががっぽり入る。

国のビジネスチャンスは無限にあるが、それを生かすも殺すもリーダーシップ次第だ。
しかし、役人には、悲しいほど商才がない。

14億円で売却した近接地とほぼ同じ広さの土地を、実質200万円で売り渡した森友学園問題の例を見ても、
いかに彼らにビジネスセンスがないかよくわかる。
             

日本は1990年以降ほとんど成長しておらず、この先の舵取りを官僚に任せるだけでは国は沈没してゆく。
だが政治がリーダーシップを取って、国民を重税感から解放する道筋を示せば、
世の中が明るくなって景気を好転させるはずだ。

無税国家という壮大な理想を掲げ、様々なアイデアを実行する勇気こそ、今の日本に必須なのである。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

過ぎし5年前の当時は、少子高齢化が加速する中、年金、医療、介護などの社会保障費は毎年一兆円が増加し、
昨今は日本の借金は1100兆円を超えている、と新聞、テレビのニュースなどで報じられ、
無力な年金生活の私は、憂いたりしていた。

しかしながら日本の借金は1100兆円は、実質は遥かに低く実質的に借金は150~200兆円程度、と学んだのは、
2015年の12月下旬てあった。

何かしら1980年、大蔵省(現財務省)入省、理財局資金企画室長、内閣参事官など歴任され、
小泉内閣、安倍内閣では 「改革の司令塔」として活躍され、2007年には財務省が隠す「埋蔵金」を公表し、
政策シンクタンク「政策工房」会長、嘉悦大学教授の高橋洋一さんのひとつの寄稿文を学んだりした。

この高橋洋一さんの寄稿文は、【「日本の借金1000兆円」はやっぱりウソでした
       ~それどころか…なんと2016年、財政再建は実質完了してしまう! この国のバランスシートを徹底分析 】で、
私が愛読している講談社の基幹サイトのひとつの【現代ビジネス 】で、多々教示されたりした。

そして私は、大手メディアの新聞、テレビなどは日本の借金は1100兆円を超えている、と報じられているのは、
財務省が国の財政が悪化し、これからも支出の多くを占める社会保障費に危惧して、
資産合計を抜きにして、負債合計だけの1171.8兆円を声高に公表されている、と感じたりした。

そして悪しき表現で明記すれば、財務省は社会保障費は殆ど使用する高齢者を人質に、
消費税など増税しないと財政危機になりますょ、そして年金は激少したり、医療、介護も低下しますょ、
と私は思い馳せて、苦笑させられた。

或いは財務省は、省内の権益の拡大、天下り先の確保なども含めて、どうして無知な国民を翻弄させるのょ、
と小心者の私は微苦笑したりした。
                          

この後、難題の財政に関しては、敬愛している高橋洋一さんの著作『日本はこの先どうなるか』(幻冬舎新書)を購読し、
根本的に歳入庁を創設すれば増税の必要がなくなり、或いは多々の施策を実施すれば財政健全化が図れる、
と私は学んできたので、あとは厚労省、そして財務省、政府の判断と私は感じたりしてきた。


今回、森永卓郎さんの今回の論説を読み終わった後、やはり斬新な論説で、
拍手喝采いたします、と私は微笑んだりした。

しかしながら現金、アメリカ国債、国道、堤防、国家公務員住宅、年金積立金などの政府資産約930兆円は、
実質は財務省が管轄している。

森永卓郎さんの《・・市場で運用すれば、税金ゼロが可能・・》論説は、
財務省として、省外を含めた省内の権益の拡大、天下り先の確保など配慮すれば、虎の尾を踏む行為と思われ、
とても許容する範囲を超えている、と私は妄想をしたりした。
             

そして出来るとすれば、これからの日本を真に考慮した政治家が、たかぶる魂で勇断できる人が、
初めてできることである、と無力な高齢者の私は、微苦笑を重ねたりした。

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最後に残したい絵葉書は? 心理テストで知る「人生の決断」、こっそりと高齢者の私は受診して、やがて微苦笑を重ねて・・。

2017-05-07 14:53:46 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
先程、ネットでニュースを視たりしていた中、
【 最後に残したい絵葉書は? 心理テストで知る「人生の決断」 】と題された見出しを見た。

私は幾つになっても好奇心が強く、どのようなことですか、と思いながら、クリックしてしまった。

何かしら【CREA WEB】が記事の発信元で、初めて見る公式サイトであったので、
ネットで検索したら、《・・文藝春秋のクレア局が運営する女性ポータルサイト。
仕事もプライベートもあきらめないあなたに向けて、ビューティ、旅、グルメ、母になる、カルチャー、ファッション、ライフスタイルと、
7つのカテゴリの注目情報。 ・・》と私は知り、微苦笑をしたりした。

更にこの記事は、“知らなかった私”がわかる 大人の女性の心理テスト、連載のひとつと知り、
女性用かょ・・と思いながら、少しためらったりしたが、齢ばかり重ねた男性でも、
好奇心に負けてしまい、記事を精読してしまった・・。

そして私は、こっそりと受診して、やがて微苦笑を重ねてしまった・・。

この記事は【CREA WEB】より5月7日に配信された記事であり、無断ながら記事の内容を編集して、転載させて頂く。
             

☆☆“知らなかった私”がわかる 大人の女性の心理テスト『最後に残したい絵葉書は? 心理テストで知る「人生の決断」』☆☆

仕事やプライベートの人間関係から少し離れて、ほっと一息つくひとりの時間に、心理テストで心の中を覗いてみませんか? 
今回のテーマは「人生の決断」。

手元に残したい絵葉書の種類で、あなたが人生の分岐点に立たされた時に取る行動、人生で大切だと思っているものがわかります。


Q.風景写真の絵葉書を4枚買いました。
   その葉書で3人の友人へ近況を伝え、1枚だけ手元に残しました。
   残ったのはどんな写真の絵葉書ですか? 

1. 天の川が浮かび上がる夜空の写真
2. バラが咲き誇る公園の写真
3. 稲穂が広がる田園の写真
4. 新緑がまぶしい山の写真
             

私は30秒ぐらい迷った結果、『天の川が浮かび上がる夜空の写真』、『稲穂が広がる田園の写真』も良いが、
やはり『新緑がまぶしい山の写真』だよなぁ、と選定した。

==>心理テストの診断
4.「新緑がまぶしい山の写真」を選んだあなたの人生の決断は

居心地のよさを基準に選ぶ

心をおだやかにしてくれる新緑の木々の色は、調和やバランスの象徴です。
これを選んだあなたは、成果が高く評価される競争重視の環境よりも、
それぞれの得意分野を生かして、お互いに助け合える場所のほうを好むタイプ。

ただし、常に誰かとの関わりを求めてはいないでしょう。
疲れたときには、周囲からの干渉を一切排除して、自分だけの時間を楽しみたいと感じるかもしれません。
もし何かの決断に迷ったら、居心地のよさを基準に選ぶと正しい方向に進めます。


このように診断された結果を私は読み、微苦笑したりした。
そして私は定年退職まで、何かと拙(つたな)い人生航路を歩んできた為か、
定年後は多々の理由で年金生活を始めて、予測した以上に安楽な年金生活を過ごしている。

こうした日々の生活を思い馳せると、今回の心理テストの診断は、殆ど当たっている、と微苦笑したりした。
             

この後、他の写真の心理テストの診断も、時間があったから、読んだりしてしまった・・。


==>心理テストの診断
1.「天の川が浮かび上がる夜空の写真」を選んだあなたの人生の決断は

誰にも相談せず冷静に選ぶ

暗い夜空と光があふれる天の川の対照的な様子は、頭脳の集中とひらめきの象徴です。
たとえどんな難題にぶつかっても、あなたは冷静に考えて自力で解決策を見つけることを好むタイプ。

人生の分岐点に立たされたとき、あまり迷わずに答えを選択できる強さを持っています。
ただその結果として、コミュニケーション不足になる傾向が・・。
もし「周囲に理解されない」と感じたら、プライドやポリシーへのこだわりを控えめにして、自分から歩み寄ってみましょう。
             

==>心理テストの診断 
2.「バラが咲き誇る公園の写真」を選んだあなたの人生の決断は

誰かの役に立てる方を選ぶ

華やかなバラは、情熱や愛情の象徴で、これを選んだあなたは、心のつながりを大切に思うタイプ。
誰かに必要とされたり、逆に必要だと求めたりできる、
深く人と関わる環境にこそ、自分の居場所があると感じるでしょう。

そのため誰もが、自分のことに精一杯で、あなたに対する関心が薄い環境は、物足りなくつまらないので、
すぐにほかへ興味が移ってしまいます。

もし目の前に分かれ道があったら、利益や豊かさよりも、誰かの役に立てるほうを選ぶと満足できるはずです。
                          

==>心理テストの診断
3.「稲穂が広がる田園の写真」を選んだあなたの人生の決断は

将来の豊かさにつながるかで選ぶ

収穫間近の黄金の実りは、豊かさや財産の象徴です。
これを選んだあなたは、お金の重要性を知っていて、そのために稼ぐ努力は惜しまないタイプ。
確実に報酬が約束されていれば、多少のストレスは上手に処理しながら、頑張り続けることができます。

物事を選択する場合は、将来の豊かさにつながるかどうかを基準にして選ぶと、
より一層あなた好みの結果が得られるはず。
自分への大きな投資も、それが将来の実りになると思えばためらわず挑戦できるでしょう。
             

このような4つの心理テストの診断を私は学び、人それぞれ、これまで歩んできた人生航路は、
誰ひとり同じ軌跡を過ごしてきた御方はないからなぁ、と思い深めたりした。

そしてその人なりの個性、感性から育(はぐ)くまれたの言動、或いは念願は違うから、
私は家内、友人、知人など交遊しながら談笑して、この奥深い人生を学んだりしている。

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ときには小庭の手入れ、私たち夫婦は5時間ばかり奮戦する中、とりとめなく思い馳せ、独り微苦笑したり・・。

2017-05-06 15:32:45 | ささやかな古稀からの思い
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)年の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始め、早や12年半が過ぎている。

そして東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭となっている。

こうした中、私たち夫婦は一昨日に小庭の手入れを3時間ばかりしたが、
七割がた残ってしまい、本日は早めに手入れしょうと話し合ったりした。

我が家の敷地は変形5角形で、家屋を建つと、玄関庭と主庭となり、
原則として小庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
体力の衰えた私を見かねて、ときおり家内の支援を受けることもある。

我が家の小庭の樹の剪定は、ご近所のお宅の殆どは植木屋さんに年に数回依頼しているが、
我が家は私たち夫婦が自己流で樹木の剪定しているのが、私が定年後、ここ13年目の実態となっている。
                              

私が2004年(平成16年)の秋に定年退職した以前は、
5年ごとに植木屋さんに依頼するたびに、枝葉の処分料が多かった為か50万円前後を要してきたが、
この間は私がこっそりと植木屋さんの剪定した状況を物真似をして剪定してきた。

そして私が定年後まもなくして、ご近所より少し広い我が家は、
植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたりした。

こうした時、家内は私たちの旅行3泊4日が2回ぐらいできるわ、と言い、
小庭の手入れは私の責務の範疇であったが、年に数回は家内の手助けを借りている。
                                                      
やがて私たち夫婦は7時半過ぎに、玄関庭に下り立った・・。

こうした時の私の容姿は、ストレッチパンズの長ズボン、着古したスリーシズン用のスポーツシャツ、
ウォーキング・シューズ、帽子、滑り止めの軍手をし、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしている。

家内はトレーナー姿にエプロンした容姿でタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をしている。

そして私は過ぎし2年前に買い改めて切れ味抜群の鋸(のこぎり)を右手に持ちながら、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としはじめた。

家内も剪定用の高枝鋏(たかえだ・ばさみ)を右手に持ちながら、伸びきった枝葉を切り落としたり、
或いは剪定鋏(ハサミ)を使ったりしていた。
             
              
私は何にかと暑さに苦手であるが、強い陽射しを受けながら、
ときおり吹く風は、そよかぜよりも薫風と感じながら、奮闘したしたりした・・。

やがて我が家の歩道に面した垣根のカイズカイブキ、アカネモチ、ツバキ、
或いは小庭にあるキンモクセイ、モミジ、モクレン、梅などを剪定したりした。
              
私は若き40代の頃は、数多いの雑木は樹高10メートル前後にしていたが、
齢を重ねた60代の頃から、樹高3メートル前後ぐらいにしなければ、
手入れが困難になる、と家内の助言に基づいて、小ぶりに剪定したりしてきた。

しかしながら私は無念ながら体力の衰え、30分毎に簡易椅子に座り、ペットボドルの煎茶を飲み、
5分ぐらい休息としたりした。
             

そして40代の頃は、一時間に55分ぐらい剪定したり、草むしりをして、
5分ぐらい休憩で奮戦していたよなぁ、と私は微苦笑したりした。

或いは、確か平成元年(1989年)の頃の夏、会社の激務で土曜休日も出勤した翌日の日曜日、
小庭は草ぼうぼうであったので、私は寝不足で疲れがあったが、今しなくて何時(いつ)するょ、
と自身を叱咤激励して、麦わら帽子を被(かぶ)らず庭に飛び出て、伸びた草を抜きはじめた・・。

真夏の燦々と陽射しが照らす35度近い熱さの中、汗まみれ泥まみれとなり孤軍奮闘したが、
やがて負けそうになり、叱咤激励をする為に、かぼそい声で唄ったりした・・。

♪八月の風 両手でだきしめたら イマジネーション 飛び立つのサヴァンナへ・・
とこの当時に流行(はや)っていたプリンセス・プリンセスの『世界でいちばん熱い夏』の歌を
唄ったりした。

或いは、♪ダイヤモンドだね AH AH いくつかの場面・・
とプリンセス・プリンセスの『Diamonds』の歌を何度も唄いながら、
45歳前後だった私は、汗水を流しながら泥まみれになり、炎天下の中、草抜きをした。

やがて夕方になると、声も枯れて、体力も使い果たした。

その晩、軽い日射病で苦しんだりした。

そして翌朝の月曜日は、週の初めであるので、人生は気合だ、と何時もより早めに自宅を出たりした。
             
このようなことがあったよなぁ、と独り微苦笑したりした。
             


やがて我が家の樹木をある程度は剪定を終えた後、
散乱している枝葉を市から指定されている『燃えるゴミ袋』のLLサイズ(45リットル入り、有料・10袋入り、840円)に、
袋に破れないように入れる為、家内は枝葉を適度に剪定鋏(ハサミ)で切ったりした。

この間の私は草むしりに専念していたが、やはり樹の下の周囲にある雑草を取ろうと、地面に這いつくばりながら奮戦すると、
やがて泥まみれ汗まみれとなり、苦笑したりした。

しかしながら真夏の熱い時節は、汗はしたたり落ちながら、草むしり、樹木の剪定をするよりは、
遥かに楽で、微苦笑をしたりした。

この後、『XXちゃんさぁ・・やめない?・・ほぼ予定どうり出来たから・・』
と私の方から家内に提案したりした。

樹木の剪定、草むしりは七割がた完了であったが、体力の衰えた私は、
数日後に小庭の手入れをすればよい、と自身にすぐに妥協してしまい、家内に提案したのが本音である。
                         

そして風呂を沸いた頃、家内に先に入ってもらい、
私は主庭に移動して、片隅にあるテラスに簡易椅子に座り、モミジの木陰に身を寄せて、
煎茶を飲んだりした。

私は若き40代の頃は、こうした時はお寿司屋さんから頂いた大きな湯呑茶碗で、
冷酒を二杯ぐらいは呑んで待機していたが、
その後の50代の時は、殆どビールを呑んだりしていたが、
今や煎茶を飲む身となり、やはり齢かしらと苦笑したりした・・。

まもなく家内が居間から、小声で
『お風呂を上がったわ・・選手交代ょ』と私に言ったりした。

『了解致しました!』
と私は若き自衛官に負けないように大声で応(こ)えた。

私は体力の衰えてきた中で、ハァ~ィ、と答えるのは、ボケてきたと思われるので、
たとえ夫婦間であっても、せめて返事ぐらいは清く正しくしている。

やがて私はお風呂場に向かう途中、市が指定された我が家の門扉の内側に、
『燃えるゴミ袋』のLLサイズが14袋あり、私はお互いに健闘したよなぁ、と私は微苦笑したりした。

そして私は家内の奮闘に鼓舞されて動き回ったなぁ、
と思いながらお風呂場に向かったのは、昼の1時半時過ぎであった。
             

やがて陽射しが差し込む湯船に身も心も、疲れた身体をゆだねながら、
こうした日も小庭が少し綺麗になったので、確かに充実感はあるよなぁ、と独り微苦笑をしたりした。

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高度成長期は『大衆消費』、バブル期は『見せびらかし消費』、現代は『同調型消費』、と高齢者の私は学び・・。

2017-05-05 15:50:36 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見ている中で、
【 バブル期は見せびらかしの時代 現代は「同調型消費」に変化】と題された見出しを見た・・。

私は齢ばかり重ねている癖に、消費動向の変貌を改めて学びたく、こっそりと読んでしまった・・。

この記事の原文は、『女性セブン』の2017年5月11・18日号に掲載された記事のひとつであり、
関連ネットの『NEWS ポストセブン』で2017年5月1日に配信されていたが、
無断ながら転載させて頂く。

《・・バブル期は見せびらかしの時代 現代は「同調型消費」に変化
             

NHKの連続テレビ小説『ひよっこ』の舞台となるのは、1960年代の茨城と東京だ。
1950年の朝鮮戦争を受けて、高度成長期を迎えた日本。

その経済がますます発展していったのが1960年代だ。
1960年生まれである、大阪府立大学教授で工学博士の橋爪紳也さんが振り返る。

「子供でしたが、家庭でも生活の場でも、しばしば変化があるのが日常。
変化の連続こそが、豊かさであったと、あとになって気がつきます。
私たち1960年代生まれは、豊かさとともに成長した世代ともいえます」

高度経済成長の人々の消費形態は、大衆消費だと、大妻女子大学学長の伊藤正直さんは分析する。
「みんなが持っているものを持ちたい。
それが1960年代前半は、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫だった。

1970年代に入るとカラーテレビ、クーラー、自動車。
誰もが持つことが期待されるものを、みんなで持つ。
そのために仕事を頑張って、給料をもらって、それを買う、というのが高度成長の時代だったといえるでしょう」
             

その後、消費のあり方は変わっていった。

「1980年代のバブル期は、見せびらかし消費の時代でした。
人と違ったものを持っていることが、よしとされた時代でした。

ところが、バブルの崩壊で、その消費形態ができなくなった。

現代は、低価格の規格商品をみんなが購入しています。
仲間内でみんなと違ったことはしたくないから、みんなと同じようなことをやるという傾向ですね。
同調型消費に変化してきていると思います」(伊藤さん)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受け、
やがて兄2人、そして妹二人の間(あいだ)で、サンドイッチのように育ったが、
何故かしらいじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。

やがて私は地元の小学校、中学校を卒業して、都心にある高校に入学したは1960年(昭和35年)4月であり、
この当時は新宿、渋谷の街は、活気に満ち溢れ、日毎に変貌していた時代であった。

そして1963年(昭和37年)4月に大学に入学した当時は、
翌年に東京オリンピック開催に伴い、都心を取り巻く環状道路、首都高速道路などが整備され、
都心の街並みも大幅に整備され、新たに変貌していた。

1980年代のバブル期の当時は、私は民間会社に奮闘し、勤務地は六本木にあり、
喧騒と華やかさが入りまじり、私は大人のおもちゃ箱が散乱したように感じたりしてきた。

やがて私は2004年(平成16年)秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始め、
失われた20年、と新聞などを読み、微苦笑させられてきた。
             

今回、戦後の消費動向に関して、
高度成長期は『大衆消費』、バブル期は『見せびらかし消費』、現代は『同調型消費』、
凝縮した形で表現されたことは、さすが専門知識を有した御方の論説であり、
つたない人生航路を歩んだ私でも、まぎれなく的言です、と瞬時に感じたりした。

やがて私は過ぎし年の出来事を思い馳せ、そんな時代がありましたねぇ、と微苦笑をしたりした。

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『忘れること』には、“人間の心と体を守る役割”がある、高齢者の私は学び、安堵して、やがて微笑み・・。

2017-05-04 15:21:06 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭となっている。

こうした中、雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨日の夕食の時に、私は家内に、『明日、庭の手入れをするよ・・』と言ったりした。

『私も手伝うから・・』と家内は微笑みながら言ったりした。
            
我が家の敷地は変形5角形で、家屋を建つと、玄関庭と主庭となり、
原則として小庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
体力の衰えた私を見かねて、ときおり家内の支援を受けることもある。

我が家の小庭の樹の剪定は、ご近所のお宅の殆どは植木屋さんに年に数回依頼しているが、
我が家は私たち夫婦が自己流で樹木の剪定しているのが、私が定年後、ここ13年目の実態となっている。
                      

本日の朝の6時は14度、昼下がりは21度前後、夕方の6時は18度前後と報じられ、晴れマークが横並びとなり、
さわやかな皐月晴れかょ、と私は微笑んだりした。

やがて私たち夫婦は6時少し前に、玄関庭に下り立った・・。

こうした時の私の容姿は、ストレッチパンズの長ズボン、着古したワイシャツ、
ウォーキング・シューズ、帽子、滑り止めの軍手をし、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしている。

家内はトレーナー姿にエプロンした容姿でタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をしている。

そして私は買い求めた切れ味抜群の鋸(のこぎり)を右手に持ちながら、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としはじめた。

家内も剪定用の高枝鋏(たかえだ・ばさみ)を右手に持ちながら、伸びきった枝葉を切り落としたり、
或いは剪定鋏(ハサミ)を使ったりしていた。

私は72歳で、家内は67歳の高齢者夫婦に該当するが、それぞれ奮戦すれば2馬力だよなぁ、
と私は微苦笑したりした。
                                 

私は何にかと暑さに苦手であるが、心地よい陽射しを受けながら、
ときおり吹く風は、薫風だよねぇ、と私は家内に言ったりした・・。

やがて我が家の歩道に面した垣根のカイズカイブキ、アカネモチ、ツバキ、
或いは小庭にあるサカキ、モミジなどを剪定したりした。
              
私は若き40代の頃は、殆どの雑木は樹高10メートル前後にしていたが、
齢を重ねた60代の頃から、樹高3メートル前後ぐらいにしなければ、
手入れが困難になる、と家内の助言に基づいて、小ぶりに剪定したりしてきた。

しかしながら私は無念ながら体力の衰え、30分毎に簡易椅子に座り、ペットボドルの煎茶を飲み、
5分ぐらい休息としたりした。

こうした時、過日にネットで学んだ一節《・・『忘れること』には、“人間の心と体を守る役割”がある・・》
甦(よみがえ)り、独り微苦笑をした。
             

私が学んだ記事は、ときおり愛読している【NEWS ポストセブン 】が4月25日に配信され、
『90歳・無着成恭氏 辛いことを忘れるのは気楽でいい』と題した記事であり、
この記事の原文は、『週刊ポスト』の2017年5月5・12日号に掲載された記事のひとつであり、
無断ながら転載させて頂く。


《・・90歳・無着成恭氏 辛いことを忘れるのは気楽でいい

僧侶の無着成恭氏(90歳)は「最近は忘れてばかりですよ」と語る

物忘れや記憶力低下を防止するためのトレーニングは重要だ。
しかし、「忘れること」を、過度に怖れる必要はない。

過去のあやまち、辛い思い出・・そういったものを忘れていけるからこそ、
人間は前向きに生きて行けるという側面もある。
「忘れる幸せ」という考え方が、老後を楽にしてくれるかもしれない。

「忘れることは、脳の重要な役割のひとつでもある」と語るのは、
横浜新都市脳神経外科病院内科認知症診断センター部長の眞鍋雄太医師だ。

「人間は、脳に入ってきた情報のうち2割しか、覚えていられないといわれています。
しかし、『忘れること』の存在意義は、記憶が多すぎると脳がパンクするからではありません。

もし脳が記憶を忘れられない場合、不愉快な記憶がいつまでも意識に残り、
精神的・肉体的ストレスを感じることになります。

すると、うつ病などの精神疾患を発病したり、ストレスを受けると分泌されるホルモン『コルチゾール』によって、
心筋梗塞や脳梗塞、認知症を発病することに繋がる。
『忘れること』には、“人間の心と体を守る役割”があるのです」
             

“物忘れの先輩”の声は明るい。御年90歳、
かつて『全国こども電話相談室』(TBSラジオ)で回答者を務めた僧侶の無着成恭氏は、
「最近は忘れてばかりですよ」と語る。

「いざ食事をしようと思ったら、入れ歯をしてなかったり、
自分の電話番号を忘れたり、そんなことは日常茶飯事です。

でも忘れることには、利点もある。
例えば、本の間に挟んでいた1万円札のことを忘れていて、
その本を久しぶりに読んだときに、それが見つかったら、儲かった気がして嬉しいでしょ。

辛いことを忘れられるというのも、気楽でいいものです。
私なんて、病気してることすら、忘れてしまうことがありますからね。
すると、不思議と元気がでるものなんですよ」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、教育に関して波乱万丈の人生航路を歩んだ無着成恭さんも、
お歳を召されると、このようになってしまうんだ、と微苦笑をさせられたりした。

そして今回の記事で何よりも教示させられたことは、眞鍋雄太医師より、
《・・人間は、脳に入ってきた情報のうち2割しか覚えていられない・・》、
《・・『忘れること』には、“人間の心と体を守る役割”があるのです・・》
私は恥ずかしながら初めて私は学んだりした。

私は70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。

こうした体験をしてきた私は、今回の眞鍋雄太医師の明言に、安堵して、やがて微笑みを浮かべたりした。

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死んだふりはNG プロに聞くクマ遭遇時の“神対応”、過ぎし年に私は『イヨマンテの夜』の歌を唄い、何とか幸運にも・・。

2017-05-03 15:21:06 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ている中、
【 死んだふりはNG プロに聞くクマ遭遇時の“神対応” 】と見出しを見てしまった。

過ぎ去りし2006年〈平成18年〉の秋、 私たち夫婦は独り住まいの家内の母の願いを叶える為に、
北海道の道東地方を三人で8泊9日で周遊旅行をした。

こうした時、私は家内とか家内の母と観る所が違うので、独りで人影のない知床半島の遊歩道のような小路、
その後も阿寒湖の遊歩道を散策した。

こうした時、私は何かと気弱な小心者で、熊(クマ)には遭(あ)いたくないので、
小学校に入学した頃の1951年(昭和26)年に、
生家のラジオから盛んに流れたひとつの歌が、脳裏から舞い降りて、
かぼそいながら、『イヨマンテ(熊祭り)の夜』の歌を、お守り代わりに唄いだした・・。
             

♪イヨマンテ  燃えろ かがり火 
https://www.youtube.com/watch?v=jBWSe3EGOBY
☆YouTube:『イヨマンテの夜』 作詞・菊田一夫 作曲・古関裕而 唄・伊藤久男】

もとより歌手・伊藤久男さんのように、はりのある朗朗とした美声で唄えないが、
やがて私なりに大きな声で、音程も外れながらも唄ったりした。

幸いにも、この地域の熊(クマ)は人に従順なのか、
或いは熊(クマ)は、万一《熊祭り》されて、人に食べられることに恐れてか、
もしくは東京の田舎者の私に遭(あ)いたくないと感じてか、
私と熊(クマ)は出逢うことなく、このような体験を私は秘めている。

もとより私は幸運であっただけで、今回の記事を真摯に学ぼうと、精読してしまった。
             

この記事は、【dot.】5月3日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・クマの出没は、春先から増え始め、晩夏から初秋にむけてピークを迎える。
とくに冬眠明けの春と冬眠するために栄養を蓄える秋は危険なシーズンだ

2016年はツキノワグマやヒグマによる死傷者が、全国で多発した年だった。
そして、今年もクマによる被害が出始めている。
2017年4月16日、北海道標茶町では山菜取りの男性がヒグマに襲われて重傷を負った。

4月から5月は、ハイキングや山菜取りで里山がにぎわう季節。
レジャーの計画を立てている人も多いだろう。

だが同時に、冬眠明けのクマが徘徊(はいかい)し始める危険な時期でもある。
もしも山などで遭遇してしまった場合、どう身を守れば良いのか。

国立研究開発法人 森林総合研究所の大西尚樹主任研究員に話を聞いた。

「まず大前提として『遭遇しないこと』が大切です。
山を歩くときは、クマ除けの鈴を身に着けたり、大声を出したりして、
自分の存在を知らせるように心がけてください。
クマは臆病な動物ですから、人間の存在を察知すればたいていは逃げていきます」
             

だが、最善をつくしても遭遇してしまう場合はある。
死んだふりや大声をあげるなど、対処法には諸説あるが、何が正しいのか。

「落ち着き、クマを見つめながら後ずさり、十分に距離をとることです。
このとき決して、大声はあげないでください。
先述の通り、クマは臆病なので、パニックを起こして攻撃してくることがあります」

大西研究員が強調したのは、大声を出すべきなのは、クマに遭遇する以前の段階ということだ。
クマに遭遇しないために、大声をあげるのは有効だが、
遭遇した後は、かえって危険。

しかし気が動転していると、「大声が有効」という知識を取り違え、叫んでしまうことがある。
「絶対に避けてほしい」と大西研究員はいう。

また、ドラマや映画でよく見られる「死んだふり」も危険な行為。
「死んだふりをすると、好奇心旺盛なクマの興味を引き立てて触ろうとしたり、
場合によっては、エサと認識してしまったりする可能性もあります」

クマの対処法については、研究者の間でも見解が分かれており、
なかには積極的に攻撃することで、退散させる方法を推奨する者もいる。

だが、大西研究員は「それはその時々により異なるので、必ずしも反撃するのが良いとは言えない」
と語りつつ、こう付け加えた。
「一般的にクマが臆病というのは、間違いないでしょう。

しかし、クマは個体ごとの個性が大きく違うことも特徴。
なかには人間を恐れずに、接近してくるものもいる。
だから、最善のクマ対策は『出会わないこと』なのです」
             

また、昨年はクマの出没が多発したが、今年は比較的少なくなると予想されている。

大西研究員いわく、クマの出没件数は、エサとなるブナの実が豊作か不作かで予測できるという。

「ブナの実は、豊作の翌年は、凶作になります。
2015年はブナの実が豊作だったことから、2016年は凶作が予想されました。
そして、凶作の年には、クマの出没が増える傾向がわかっています。

ブナが2年連続で凶作になるとは考えづらいので、今年のクマの出没数は比較的少なくなると予測できるのです」

たしかに年ごとのツキノワグマの有害駆除頭数を見ると、
2010年、2012年、2014年、2016年は2500~3500頭、
一方で2011年、2013年、2015年は約1000頭と、
隔年で増加と減少を繰り返していることがわかる。

しかし、油断はできない。
「クマの個体数自体は、年々増加していると考えられています。
1970年代に個体数の減少が懸念され、有害駆除および狩猟の禁止措置がとられたのですが、
その結果、1990年代後半頃から人間との遭遇が相次ぐようになりました。

また過疎化や高齢化による耕作放棄地の増加により、
生息域が拡大していることも、クマの被害が増えている背景のひとつです」

クマは“身近な動物”になりつつあるわけだ。

クマの出没は春先から増え始め、晩夏から初秋にむけてピークを迎える。
とくに冬眠明けの春と冬眠するために栄養を蓄える秋は危険なシーズン。
不測の事故を防ぐためにも、万全の心構えをしておきたい。(取材・文/dot.編集部・小神野真弘)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、多々教示された。

《・・『遭遇しないこと』が大切で、
山を歩くときは、クマ除けの鈴を身に着けたり、大声を出したりして、
自分の存在を知らせるように心がけてください。・・》

たまたま私は、かぼそいながら、『イヨマンテ(熊祭り)の夜』の歌を、
お守り代わりに唄いだし、やがて私なりに大きな声で、音程も外れながらも唄ったりしたのが、
有効だったのかしら、と微苦笑をしたりした。

しかしながら《・・遭遇した後は、かえって危険。
落ち着き、クマを見つめながら後ずさり、十分に距離をとることです。・・》
と私は学んだりした・・。

そして今後は、私は独りで人影もない山道は、クマ除けの鈴を二つぐらい身に着けたり、
注視しながら歩くことが肝要だよねぇ、と小心者の私は苦笑をしたりした。

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健康で過ごすには、血管を「詰まらせない」「破らせない」抗老化の修復法が肝要、こっそりと高齢者の学び、多々教示されて・・。

2017-05-02 15:11:46 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの【デイリー新潮】を見たりしていた中で、
【 血管を「詰まらせない」「破らせない」抗老化の修復法 】と題された記事を見た。

私は民間会社に35年近く多くの御方と同様に奮闘して、
2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めた・・。
                                        
こうした中で、私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったりした。

やがて私は定年後、年金生活をし62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
そして私が64歳の時、同世代のひとりの知人が奥様に病死されて、  
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
        
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。

このような心情を秘めた私は、今回の【血管を「詰まらせない」「破らせない」抗老化の修復法】を
真摯に学ぼうとして、記事を精読してしまった・・。
             

この記事の原文は、『週刊新潮』の2017年4月20日号の記事のひとつであり、
関連ネットの【デイリー新潮】に2回に分割されて、2017年5月1日配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・血管を「詰まらせない」「破らせない」抗老化の修復法

☆血管のコンディションを改善する方法とは

癌と共にに長らく日本人の三大死因として恐れられてきたのが、心疾患と脳卒中。
すなわち、身体にくまなく張り巡らされた血管の疾病に、我々の寿命は左右されてきたといえよう。
新たな季節を迎え、最新の知見をもとに血管の「いたわり方」「鍛え方」をお伝えする。
             

カナダの著名な医学者ウィリアム・オスラーに、〈人は血管とともに老いる〉、との言がある。
生物としての人間の一般的な寿命は、120歳とされている。
つまりは血管もまた、理論上は同じ年輪を刻めるわけである。

が、我々は日夜、知らず知らず血管にダメージを与え続けており、
その代償として例えば「サイレントキラー」の高血圧症が挙げられる。
国内の患者は、予備軍を含めれば、実に5500万人とされているのだ。

長野市民病院の池田宇一理事長兼病院長が言う。
「オスラーの言葉通り、人間の血管は、生まれた直後が最も柔軟で、成長するにつれ、どんどん硬く狭まっていく。
その時点から、動脈硬化は進行しているわけです」

引き起こす症状としては、
「まず『脳血管障害』すなわち脳卒中です。
血管内壁にコレステロールが溜まって狭くなり、血液が詰まる脳梗塞、細い動脈が破れる脳出血、
そして瘤(こぶ)が破裂するくも膜下出血など。

それから心筋梗塞や狭心症などの『虚血性心疾患』、
さらに閉塞性動脈硬化症で知られる『末梢動脈疾患』。この3つに大別されます」(同)

これらの危険因子の多くは共通しているといい、筑波大学脳神経外科の松丸祐司教授(脳卒中予防治療学講座)は、
「喫煙や高血圧、糖尿病、高脂血症が挙げられます。
最も血管が詰まりやすいのは心臓で、次に脳、続いて腎臓や足など。

ひとたび老化した血管は元に戻りませんが、因子を1つずつ是正していくことで、
その進行を遅らせ、血管の弾力を回復させることは、可能です」

日常生活において血管のコンディションを改善しようとすれば、どのような心構えが必要なのだろうか。
             

☆血管によい食事とは

「高血圧や高血糖を防ぐには、まず食事における減塩と分量の管理です」
とは、総合内科医の秋津壽男医師である。

「糖についてはこれまで、一時的に数値が高くても、1カ月の平均値であるヘモグロビンA1cが低ければ、問題なしとされたのですが、
現在では『食後一過性高血糖』も血管によくないと分かっています。

ですから、血糖値が緩やかに上がるGI(グリセミック指数)の低い食物を多く摂るとか、
繊維の多い食材を最初に食べて、糖の吸収を遅くするなどの工夫が必要となります」

GI(グリセミック指数)とは、ブドウ糖摂取後の血糖値上昇率を100とし、
それを基準に同量の食品を摂取した時の上昇率を表した数値である。

食パン95、白米88、うどん85などに対し、玄米とライ麦パンはともに55。蕎麦も54でしかない。
「玄米や人気のもち麦、押し麦など、GIが低いものは、消化しにくい。
噛むのにも手間が掛かるので、高血糖対策には効果的です」(同)

管理栄養士で医学博士の本多京子氏によれば、
「『おいしいものは、脂肪と糖で、できている。』というCMがありますが、まさにその通りで、
それらを摂り過ぎないよう、知恵と工夫と手間が必要なのです。
血管によい食事を一言でいえば『メタボ予防』。魚と野菜の工夫に他なりません」

とのことで、
「血管を若く保つのに役立つEPAとDHAが酸化していない鮮魚に限ります。
調理すると成分が油として溶け出すので、それを逃がさない調理法も大切。
キノコや昆布など旨みのある食材と一緒に少量の塩や酒を振り、ラップをして電子レンジで蒸す。
ポン酢をかけると、塩分も少なくさっぱりして美味しいです」

サバやイワシなど、青魚の缶詰もおすすめだという。

「魚は調理に手間取り、日持ちしないのがネック。
酸化すれば、栄養素として無意味となってしまいます。

その点、缶詰は密封され、水分も殆どが魚の煮汁。
サバの水煮缶を鍋にあけ、水とちぎった豆腐を入れ、青菜を加えれば味噌汁になる。

サンマのかば焼き缶も、鍋で水と混ぜ、ニラや小松菜、チンゲン菜など下茹でが不要な野菜を入れ、
煮立ったら溶き卵を回しかける。これで卵とじの完成です」(同)
             

かつての漬物や塩鮭とは異なり、現在は加工食品から“見えない塩分”を摂らされているため、要注意だという。
出汁についても、
「市販の顆粒の出汁は、塩分が強い。
空のペットボトルに縦に割った昆布を落とし、鰹節や煮干しを入れて水を張り、
1日冷蔵庫に入れておくと、アクがなくて減塩にもなる水出汁ができ、3~4日は持ちます」(同)

野菜もまた、工夫次第。
ものぐさでも、こなせるレシピとして、こちらも電子レンジの力を借りつつ、

「深めの容器に野菜を重ね、上から固形スープや鶏ガラスープを少々振って、味出しにベーコンなどを乗せて蒸す。
かさが減って食べやすくなり、冷蔵庫で4~5日は持つのでアレンジも利きます。

旬の野菜だと、春キャベツをむしってボウルに入れ、玉ねぎと人参の薄切り、ブロッコリーを混ぜて上に
またキャベツでフタをすればいいのです。

溶き卵に入れて焼けば、野菜オムレツ。
お湯とスープの素を足して溶き卵を流し、酢やラー油を入れると、野菜たっぷり酸辣湯となります」(同)

シンプルな味付けで野菜を下拵えしておき、変化を出すのがコツというわけだ。
             

☆良薬になる酒

こうした献立に、般若湯のお供は――。

大阪市立大学医学部の井上正康名誉教授に聞くと、
「夜に飲む適量のお酒は、動脈をリラックスさせて、血流を改善する良薬となります。
栄養ドリンクのつもりで、飲めばよいと思います」

そう太鼓判を押し、先の池田病院長も、
「血糖値のコントロールという点では、糖分の多い日本酒やワインなどの醸造酒より、
ウイスキーや焼酎など蒸留酒の方が良いのですが、適量の範囲であれば、気にする必要はありません」

より具体的には、
「赤ワインの効能を指す、いわゆる『フレンチパラドックス』の基準である度数14~15度で、
1合弱というのが目安です。

この分量であれば動脈硬化予防に効果的で、飲めない人でも無理して、飲んだ方がよいとされています。
ただし、それ以上の度数の焼酎やウイスキーは、必ず薄めるべき。
喉や食道にダメージを与えてしまいます」(前出・秋津医師)
             

☆ウオーキングや軽いジョギングなどの有酸素運動がよい

前記に続き、今回ご紹介するのは「入浴」「マッサージ」「運動」におけるポイントだ。


☆入浴でも、ひと工夫がものを言う。

「41度のお湯につかり、温まったら湯船から出る。
これを繰り返し、ゆっくりじっくりと体を温めることで、血管の働きを改善することができます」
とは、大分県にある伊藤医院の伊藤恭院長である。

「それ以上熱いと、体内に酸化物質が増えて、血管を傷つける危険があるため、
42度以上のお湯や90度近いサウナはお薦めできません。
汗がダラダラ出るまで入るのではなく、ぽかぽかと温めることが大切です」

同院のある長湯温泉は、国内では珍しい高濃度の炭酸を含む泉質で知られ、
「私の医院でも、院内温泉で、温泉療法を行っています。
炭酸泉につかると、細かい炭酸ガスの分子が皮膚から血管に入り込み、
内膜を覆う血管内皮細胞を刺激してNO(一酸化窒素)を産生させます。
このNOの働きで血管が拡張されるのです」(同)

狭心症や動脈硬化防止に有効だという炭酸泉は、欧州では古来「心臓の湯」と称えられてきた。
その湯船で試みれば、いっそう効果覿面(てきめん)なのが、
大阪市立大学医学部の井上正康名誉教授が実践する「血管マッサージ」である。
             

曰く、
「生活習慣病の多くは、動脈の不具合に起因します。
体の浅い部位を走る静脈と異なり、全身に高圧で血液を循環させる動脈は、筋肉と骨との間など深い部位を走っている。
筋肉が緊張すると、動脈も締め付けられますが、
マッサージでほぐせば、血流は改善され、血管もよい状態を維持できます」

方法は至って簡単で、
「入浴時や就寝前に15分ほど、指で全身の皮膚を骨に押し付けながら、ずらすようにしごけば、
深い場所の動脈やリンパ管も刺激できます。

新陳代謝も改善されて、皮膚の美容にもよい。
起床時に布団の中で顔を揉めば、ファンデーションのノリも大変良くなります」(同)

動脈には酸素や栄養素が流れており、
「酸素から生じる活性酸素のスーパーオキシドやNOのバランスにより、動脈の収縮と弛緩がコントロールされます。
『活性酸素は健康や美容の大敵』と誤解されていますが、
自律神経と協同して動脈を若く保つ、重要な物質でもあるのです」(同)
             

☆「運動」は○ 「スポーツ」は×

これが適正に行き渡れば、動脈もおのずと刺激される。
だからマッサージともども、運動が不可欠なのだが、

「『運動』はよいのですが、『スポーツ』は止めた方が」
とは、総合内科医の秋津壽男医師。

「自身のコンディションに合わせて、行なうのが運動。
調子が悪ければサボれるし、いい時は少し無理もできます。

対してスポーツは、記録のためだとか、大会やメンバーのために無理してでも、といった面があり、体によくありません。
若い頃、本格的にスポーツをしていた人ほど失敗します。
逆に運動音痴の人は、むしろ慎重に取り組めるのです」

その上で血管のためには、
「喋りながら体を動かせるかどうか、が運動の目安です。
喋れないような無酸素運動ではなく、ウオーキングや軽いジョギングなどの有酸素運動がよいでしょう」(同)
             

☆威張って困って若返り

東京医科大学病院健診予防医学センターの高澤謙二特任教授も、
「『雨でも走らないと』などと義務感を背負えばストレスが生じ、ただでさえ寒いのに、いっそう血管が収縮する。
タイムを定めて皇居の周囲を走るのも、愚の骨頂。
時計の針を見た途端に血管が縮みますし、『間に合わなかった』と落ち込むのは、まさに本末転倒です」

代わりに「血管年齢若返り体操」を提唱するという。
「これは私が考案し、現在埼玉県鶴ヶ島市の健康事業で紹介しているものです。

まず、かかとの上げ下げを10回、次に腕組みをして『威張ったポーズ』で肩の上げ下げを10回。
最後に組んだ腕を左右に開き、肘を後ろに下げて掌を前に向け、
ちょうど“オーノー!”といった仕草の『困ったポーズ』で肩の上げ下げを10回繰り返します」(同)

かかとの運動は、下半身の血流を上半身に持ってくるためのもので、
「ふくらはぎの腓腹筋が動き、弁が開閉を繰り返して血液をどんどん上昇させる。
『威張ったポーズ』は胸の前側の筋肉、そして『困ったポーズ』は肩甲骨が動きます。
いずれも普段あまり動かさない部位で、血液が循環して血栓もできにくくなる。

この体操は朝晩1セットずつで十分で、寝床でもできるから続けられます」(同)
             

運動のあとは、呼吸の整え方をひとくさり。
「緊張すると交感神経の働きが強まり、血管が縮んで血圧も上昇しますが、
深呼吸をすることで、副交感神経優位の状態が生じ、血管が開いて血流が良くなり、血圧も下がります。
気が付いたら時々、深呼吸するのも、血流改善に役立ちます」(同)

抗老化は、あくまで無理せずが肝要なのだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、多々教示されて、やがて微笑を重ねたりした・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
年金生活をして丸12年半が過ぎている・・。

食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、シラス干し、福神漬けを必須として、これ以外はカブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリなどを
加える時もある。
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

家内は私の食事内容を見て、時折よく飽(あ)きないわねぇ、と呟(つぶや)くように私に言ったりしている。
『農家の児として厳しく育てられたので、飽きたら、日本人とし失格だょ・・』と私は家内に応えたりしている。
                           

昼食は私はホット・コーヒーを飲みながら、小さな塩フランスバンを三ばかり食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。

しかしながら昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。
                                                               
やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

こうした中で、5日毎にウィスキーの濃い水割りを飲んだりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

このような食事内容が、真実一路のように変化がなく、ここ三年は変わらず続いている。

          
こうした朝食、夕食を頂いている中でも、 私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、家内と談笑をしたりしている。

こうした日常生活の食事となり、ときおり駅前に買物とか旅行の旅先の時は、
家内の要望を聞いて、食事処で少し背延びした料理も頂いたりしている。
                          
ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、こうした時でも殆ど食事内容が変わらなく過ごしたりしている。
             

入浴に関しては、私は夕食前に必ず入浴している。

家内より、高齢者は何よりも清潔が大事ょ、と何かと叱咤激励を受けたりしている私は、
ぬるめのお湯のシャワーを全身を清めた後、ぬるめのお湯の湯船に5分ぐらい身も心もあずけた後、
やがて洗い場で、洗いタオルに石鹸を付けた後、全身を洗い清めたりする。

そして髪の毛も毎日シャンプーで洗い、やがてぬるめのお湯のシャワーを全身を清めた後、
ぬるめのお湯の湯船に5分ぐらい身も心もあずけたりする。

やがて洗い場で髭(ひげ)を剃った後、少し熱めのお湯の湯船に5分程ゆったりと身も心もあずけた後、
浴室が出る。

そして洗面所で、タオルで全身を拭(ふ)いた後、顔には髭(ひげ)剃り後ようにローションで、
髪の毛はヘアートニックでうるおし、そしてヘアークリームで整(とと)のえたりしている。
             

私はスポーツもしなく、これといった運動もしない老ボーイであり、日頃は歩く程度となっている。
過ぎし12年半まえ、年金生活を始めた当初、 日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
                          

今回の記事を読み終わった後、誰しも健康でなければ、人それぞれの日頃のささやかな願いも叶わないので、
大切なこと、と改めて思い重ねたりした。

せめて拙(つたな)い私は、歩くこと、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体と信愛し、過ごしたりしている。

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