夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

三浦朱門・著作『妻への詫び状』、古希を迎える男性の必読書だ、と私は微苦笑して・・。

2014-03-02 16:43:01 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の69歳の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨日に続き本日も霧雨が降り続き、先程ぼんやりと本棚の数多くの本を眺めた後、
一冊の本を抜き出して、再読したりした。

私は今年の9月の誕生日を迎えると、古希と称される70歳となり、
心身溌剌と過ごしてきた60代にお別れとなり、
この9年半過ごしてきた年金生活の中、ひたすら享受してきたので、
もとより愛惜を深めているが、無念ながら半年過ぎれば60代は卒業して、70代となる。

私が本棚からひとつの本を取りだし、再読したのは、
三浦朱門・著作『妻への詫び状 老いれば頑固に生きるがいい~』(光文社)である。

この本を遅ればせながら、私は初めて読んだのは2012年(平成12年)5月に、
越後湯沢温泉に3泊4日で滞在した観光ホテルの中であった。
          

私は前年の2011年(平成23年)6月、三浦朱門(みうら・しゅもん)氏の、
この当時の最新作のエッセイ『老年のぜいたく』(青萠堂)を本屋で偶然に見かけ、購読した・・。

私は三浦朱門氏の作品は殆ど読んでいなく、
ただ『第三の新人』グループの作家のひとりであることは認識していた。

もとより1953年(昭和28年)から1955年(昭和30年)ま頃にかけて文壇に登場した純文学の新人小説家を、
第一次戦後派作家・第二次戦後派作家に続く世代として、『第三の新人』と評論家・山本健吉が命名された。

そして小島信夫(1915年、生まれ)、島尾敏雄(1917年)、小沼丹(1918年)、近藤啓太郎(1920年)、
安岡章太郎(1920年)、阿川弘之(1920年)、庄野潤三(1921年)、遠藤周作(1923年)、
吉行淳之介(1924年)、三浦朱門(1926年)、曽野綾子(1931年)等の作家がいる。

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋に、大学を中退し、
映画・文学青年の真似事を4年ばかりした時、
『第三の新人』の作家としては、特に阿川弘之、庄野潤三、遠藤周作、各氏の作品に圧倒的に魅了させられ、
精読したひとりである。

映画・文学青年の真似事を挫折し、これ以降サラリーマンを35年ばかり務めている間も、
この3氏などの作品は愛読者として読んだりしてきた。

確か三浦朱門氏の作品に関しては、筑摩書房が日本文学のシリーズとして、
『筑摩現代文学大系』の81巻に於いて、三浦朱門、三浦哲郎、立原正秋の三氏が収録され、
確か1980年(昭和55年)の当時に私は読んだ記憶がある。

そして三浦朱門、曽野綾子、遠藤周作の三氏に寄る『まず微笑』(PHP文庫、1988年)を最近読んだりしたが、
この作品集の原題は『愛のあけぼの』(読売新聞社、1976年)と記載されている。

ここ10年ぐらいは、氏のエッセイを月刊総合雑誌の『文藝春秋』、
季刊雑誌『文藝春秋SPECIAL』などで読んだりしている。

このように私は、三浦朱門氏の小説、エッセイは、わずかに読んだ程度である。


『老年のぜいたく』の本書は氏の優(すぐ)れたユーモアを根底に、
氏のこれまでの人生の軌跡をくまなく発露され、
そしてこの当時氏の85歳の心情を綴られたエッセイである。
          
タイトルに掲げられた『老年のぜいたく』は、
《・・ゼイタクというのは、物と人を思うさまに使える、といったことでなく、
日常生活の生き方、つまり一切の行動の行き方、つまり一切の行動が自由であり、
一瞬、一瞬を充足して生きることができる、といったことであろう。

老人にはそんな生活が期待できるであろうか。

できる。・・》
注)本書の11ページ。原文にあえて改行を多くした。

このような命題を掲げて、具体的な言動を余すところなく発露される。


私は圧倒的に魅せられた箇所は、
《・・結婚生活を主とする第二の人生の領域が、第一の人生のそれを圧倒するに及んで、
結婚は第二の人生の中心になる。
その意味で配偶者は生涯の伴侶なのである。

結婚相手の容姿や性愛は、結婚生活の包み紙でしかなく、すぐに棄てられるのだ。
包み紙を問題にして離婚する人は気の毒というより仕方がない。・・》
注)本書の21ページ。原文にあえて改行を多くした。

特にこの中のたった一行、
《 結婚相手の容姿や性愛は、結婚生活の包み紙でしかなく、すぐに棄てられるのだ。》
この当時の私は66歳の身であったが、5分ばかり心の中でどよめき、うなったりして、
人生のまぎれない哲学である。

こうしたことを初めとして、数多く紹介したいが、後は本書をお読み願いたい。

そして本書は大人の諸兄諸姉にお読み頂きたく、特に40歳以上の方たちには、たとえ睡眠時間を削ってでも、
これからの確かな人生の教科書のひとつ、と私は確信を深めたりしてきた。



そして氏の『老年のぜいたく』に感銘を受けた私は、観光ホテルの館内にある数多くの本の中から、
氏の著作『妻への詫び状 老いれば頑固に生きるがいい~』(光文社)を遅ればせながら、
私は読んだりした。
          
本書の初めに、下記の文に瞬時に魅了されて、読み耽(ふけ)ってしまった・・。
《・・私は、平成7年の1月12日で69歳になり、70歳への坂を一日一日、登っています。
70は「古希稀(まれ)なり」というように、世界のの歴史からいっても、十分にじじいです。

70年間の生涯で、何が悔いがあるかというと、女性です。・・》
注)本書の9ページ。原文にあえて改行を多くした。

この本の各章の題目を読んだだけでも、瞬時に魅せられる。
たとえぱ《
理想の女性と分相応な女
70にしても見果てぬ夢
子供の「汚物」は女房の分身
女は自分を頑固だと絶対に認めない
夫がもてたのを一緒に喜んでくれる妻は理想の妻
妻の殺し文句》など44章に私は圧倒的に教示され、感銘を受けたひとりである。

詳細の内容は著作権もあり、本書を読んで頂きたく、
何よりもは古希を迎える男性に読んで頂きたいなぁ、と私は深く思ったりしたいる。

そして私は昨年の夏に、氏の最新エッセイの『老年の見識 ~大切なことは、自分らしく生きることから』(海竜社)を、
          
買い求めて、ときおり正座をして読んだりしてきた。

尚、三浦朱門氏は小説を公表されながら大学教授をされた後、
文化庁長官も歴任し、この後に芸術院の院長をされているお方で、
奥様は作家の曽野綾子(その・あやこ)さんで、おしどり夫婦として長く世間の一部の方たちに知られている。

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コメント (2)
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