夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

3月は落葉樹は芽吹き、やがて桜花が観られる季節だ、と東京郊外に住む私は・・。

2014-03-01 14:23:19 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であり.
朝ぼんやりと、2月の『如月(きさらぎ)』のカレンダーに愛惜を秘めながら別れを告げ、
新たな『弥生(やよい)』の3月のカレンダーを眺め、
お待ちしていました、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

古来より2月は梅の花が咲き、3月は桃、やがて桜の花が咲いてきたので、
『桜月(さくらづき)』、『桃色(ももづき)』と称せられ、春の訪(おとず)れに、
数多くの人々は共有しながら悦(よろこ)び感じて過ごす時節である。

しかしながら私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域では、
昨年の12月頃から平年より寒く、2月には稀な大雪が降り、私は大いに戸惑ったりした。

我が家の小庭にある白梅(ハクバイ)は2月下旬の始めに満開となり、
          
そして一週間遅れて紅梅(コウバイ)が、遅れてご免なさい、と恥じらうように七分咲きになったりしてきた。


こうした思いで過ごしてきた私は、3月の時節は我が家の近くの遊歩道を歩き、
ときには小公園に寄ったりすれば、
毎年のように桃、やがて桜の花にめぐり逢え、私は小躍(こおど)りしながら歩いたりし、
3月の散策は少年のように悦び勇(いさ)んで歩き廻っている・・。

こうした中で、欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジ、ツツジなど雑木は芽吹き、
          
幼年期に農家の児として育った私は、見惚(みと)れながらも何よりも愛惜を深めながら、
今年もしなやかに過ごしなさい、と天上の両親、祖父などに励まされる季節となっている。

もとより3月を迎えれば、初旬には日本中の女の子をそれぞれのご家庭で慶(よろこ)び祝う『桃の節句』、
下旬の初めには新たなる旅立つの園児は『卒園式』、学童、学生は『卒業式』などが祝賀され、
こうした中で働いて下さる新たなる社会人の諸兄諸姉が不安と希望を秘めてスタートされる時節でもある。

そして社会の中核である働いて下さる諸兄諸姉も、再就職や人事異動などで、
新たなる職場に配属され、戸惑いながらも意欲充分な志(こころざし)で、勤務される時期でもある。

私はこうした時節は、定年後に年金生活を過ごし10年生になった今、
それぞれの人々の人生の門出に、微笑ましく感じて過ごしている。


このような3月は、天上の気候の神々のきまぐれな采配により、
『春に三日の晴れなし』と古人からの伝えがあり、春の暖かな青空の快晴の日が長く続くことはなく、
少年や少女の多感の心情のように、天候は定まらないことに、齢ばかり重ねた私でも戸惑う時節でもある。

しかしながら私は、数多くの落葉樹は芽吹き、やがて桜花が観られる季節なので、
          
私は自宅付近の住宅路、遊歩道、或いは公園などを喜びながら歩き廻り、
見惚(みと)れる季節である。

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