家内の父は私が定年退職日の直前に亡くなり、
早くも5年目を向えることとなる・・。
10年前頃、腎臓のガンが発見され、
家内の母の要望で、当人には悪性の腫瘍と伝えながら、
片方の腎臓を摘出した後、5年間は入退院を繰り返していた・・。
私達夫婦は、家内の父、母と4人で、
家内の父が初めて入院以前から、その後の入退院期間の折、体調が良かった時、
たびたび2泊3日前後の旅行とか、花見などに行った。
私は家内の父、母が万一寝たきりになった時、
のちの思いに、と思って頂ければ良いかなぁ、
とも思いながら旅先のひとときを私共は楽しんだりした。
家内の父は、長年連れ添った妻と娘が交互で、夜を徹して看病されながら、
最期となった入院の折、1ヶ月後に大学病院の個室で亡くなった。
仮通夜の日、前日の死去の後始末を終えて、家内が早朝に自宅に戻ってきた・・。
台風のような風は強く、豪雨であった。
家内に2時間ばかり仮眠を取った後、
喪服を濡らすわけにいかないので、タクシーで遠方の葬儀所に向かった。
『お父さんも・・お母さんに長年看病して貰ったり・・
お母さんも睡眠時間も削って、心身共々尽くしたのだから・・
後悔はないと思うよ・・』
と疲れた顔立ちの家内に私は言った。
タクシーは都心の高速道路を疾走し、やがて千葉県の八千代台市に向かった。
それからの日々は、仮通夜、通夜、本葬、告別式、初七日と慌しいを私共は送った。
家内の母は、お墓を千葉県の木更津の付近に買い求めていたので、
四十九日の法要、納骨を終わった後、
家内の母と家内と私は、お寺の付近の最寄駅の延長にある亀山湖で、
温泉観光ホテルに3泊4日で滞在した。
そして家内の母は、一人住まいの生活になったので、
年末年始は私達の自宅に5泊前後泊まって頂き、
ときたま温泉滞在旅行に行ったりしている。
そして家内は毎晩実家と電話で話し合ったりし、
月の4日前後は実家に泊まっては、他愛無い話をし、雑事をしている。
私は死者には敬(うやま)うが、
かといって3回忌、7回忌、13回忌と続く法事には、
生きている人の慰めと思っている。
私は家内には、俺が死んだ時は、
家族葬で花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ7年ばかり云い続けている。
お墓は要らず、樹木葬のある里山に埋めて頂きたい。
私は死者は土に還る、という独断と偏見であるので、
四十九日の納骨が終われば、何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、
という考えの持ち主である。
そして残された人は、温泉滞在の帰りの気が向いた時、
お線香の一本でも良いと思っている。
こうした思いもあり新盆の時は、私は自宅で留守番役をして、
家内の母は、独り住まいとなっているので、
こうした機会に家内と家内の妹に囲まれながら、
娘の2人と他愛無くのんびり過ごすのも良いと思い、
近くの館山温泉観光ホテルに家内たちと3泊4日をして貰ったりしている。
さすが一周忌だけは、家内に付いて私は法要にでかけた。
この時は、家内の妹は多忙の時であったので、
房総半島の白浜温泉観光ホテルで、私達3人は4泊5日で滞在した。
これ以降は、私は家内の父の法要は、
お父さんとは生前の旅行先で楽しみを分かち合ったから、
心の思いは済んでいるので、一周忌が最後と言い、
後は家内にまかせている。
そして2回忌からは、家内ひとりで参列した後は、
家内の母と家内、家内の妹の3人で慰安旅行をして貰っている。
1昨年は養老渓谷、昨年は犬吠崎、今年は青堀と、
いずれもお墓から程近い周囲の観光温泉ホテルで3泊4日前後となっている。
今朝6時半前に私は、家内が父の命日に伴う4泊5日の慰安旅行に行くので、
家内の旅行バックを持ち、家内とバス停まで行った。
そしてバスに家内は乗り込み、車内から家内の笑顔と小さく振る手で、
私の身勝手な論理で世間をどこまで・・と思い返したが、
せんなきことと思っている。
帰宅後、窓を開けたら、金木犀の香りが漂(ただよ)い、
樹元の周囲はたわわな橙黄色の小花が黒土の上で散乱していた・・。
早くも5年目を向えることとなる・・。
10年前頃、腎臓のガンが発見され、
家内の母の要望で、当人には悪性の腫瘍と伝えながら、
片方の腎臓を摘出した後、5年間は入退院を繰り返していた・・。
私達夫婦は、家内の父、母と4人で、
家内の父が初めて入院以前から、その後の入退院期間の折、体調が良かった時、
たびたび2泊3日前後の旅行とか、花見などに行った。
私は家内の父、母が万一寝たきりになった時、
のちの思いに、と思って頂ければ良いかなぁ、
とも思いながら旅先のひとときを私共は楽しんだりした。
家内の父は、長年連れ添った妻と娘が交互で、夜を徹して看病されながら、
最期となった入院の折、1ヶ月後に大学病院の個室で亡くなった。
仮通夜の日、前日の死去の後始末を終えて、家内が早朝に自宅に戻ってきた・・。
台風のような風は強く、豪雨であった。
家内に2時間ばかり仮眠を取った後、
喪服を濡らすわけにいかないので、タクシーで遠方の葬儀所に向かった。
『お父さんも・・お母さんに長年看病して貰ったり・・
お母さんも睡眠時間も削って、心身共々尽くしたのだから・・
後悔はないと思うよ・・』
と疲れた顔立ちの家内に私は言った。
タクシーは都心の高速道路を疾走し、やがて千葉県の八千代台市に向かった。
それからの日々は、仮通夜、通夜、本葬、告別式、初七日と慌しいを私共は送った。
家内の母は、お墓を千葉県の木更津の付近に買い求めていたので、
四十九日の法要、納骨を終わった後、
家内の母と家内と私は、お寺の付近の最寄駅の延長にある亀山湖で、
温泉観光ホテルに3泊4日で滞在した。
そして家内の母は、一人住まいの生活になったので、
年末年始は私達の自宅に5泊前後泊まって頂き、
ときたま温泉滞在旅行に行ったりしている。
そして家内は毎晩実家と電話で話し合ったりし、
月の4日前後は実家に泊まっては、他愛無い話をし、雑事をしている。
私は死者には敬(うやま)うが、
かといって3回忌、7回忌、13回忌と続く法事には、
生きている人の慰めと思っている。
私は家内には、俺が死んだ時は、
家族葬で花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ7年ばかり云い続けている。
お墓は要らず、樹木葬のある里山に埋めて頂きたい。
私は死者は土に還る、という独断と偏見であるので、
四十九日の納骨が終われば、何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、
という考えの持ち主である。
そして残された人は、温泉滞在の帰りの気が向いた時、
お線香の一本でも良いと思っている。
こうした思いもあり新盆の時は、私は自宅で留守番役をして、
家内の母は、独り住まいとなっているので、
こうした機会に家内と家内の妹に囲まれながら、
娘の2人と他愛無くのんびり過ごすのも良いと思い、
近くの館山温泉観光ホテルに家内たちと3泊4日をして貰ったりしている。
さすが一周忌だけは、家内に付いて私は法要にでかけた。
この時は、家内の妹は多忙の時であったので、
房総半島の白浜温泉観光ホテルで、私達3人は4泊5日で滞在した。
これ以降は、私は家内の父の法要は、
お父さんとは生前の旅行先で楽しみを分かち合ったから、
心の思いは済んでいるので、一周忌が最後と言い、
後は家内にまかせている。
そして2回忌からは、家内ひとりで参列した後は、
家内の母と家内、家内の妹の3人で慰安旅行をして貰っている。
1昨年は養老渓谷、昨年は犬吠崎、今年は青堀と、
いずれもお墓から程近い周囲の観光温泉ホテルで3泊4日前後となっている。
今朝6時半前に私は、家内が父の命日に伴う4泊5日の慰安旅行に行くので、
家内の旅行バックを持ち、家内とバス停まで行った。
そしてバスに家内は乗り込み、車内から家内の笑顔と小さく振る手で、
私の身勝手な論理で世間をどこまで・・と思い返したが、
せんなきことと思っている。
帰宅後、窓を開けたら、金木犀の香りが漂(ただよ)い、
樹元の周囲はたわわな橙黄色の小花が黒土の上で散乱していた・・。