夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

義父の命日の集(つど)い・・。

2008-10-07 04:54:25 | 定年後の思い
家内の父は私が定年退職日の直前に亡くなり、
早くも5年目を向えることとなる・・。

10年前頃、腎臓のガンが発見され、
家内の母の要望で、当人には悪性の腫瘍と伝えながら、
片方の腎臓を摘出した後、5年間は入退院を繰り返していた・・。

私達夫婦は、家内の父、母と4人で、
家内の父が初めて入院以前から、その後の入退院期間の折、体調が良かった時、
たびたび2泊3日前後の旅行とか、花見などに行った。

私は家内の父、母が万一寝たきりになった時、
のちの思いに、と思って頂ければ良いかなぁ、
とも思いながら旅先のひとときを私共は楽しんだりした。


家内の父は、長年連れ添った妻と娘が交互で、夜を徹して看病されながら、
最期となった入院の折、1ヶ月後に大学病院の個室で亡くなった。

仮通夜の日、前日の死去の後始末を終えて、家内が早朝に自宅に戻ってきた・・。

台風のような風は強く、豪雨であった。

家内に2時間ばかり仮眠を取った後、
喪服を濡らすわけにいかないので、タクシーで遠方の葬儀所に向かった。

『お父さんも・・お母さんに長年看病して貰ったり・・
お母さんも睡眠時間も削って、心身共々尽くしたのだから・・
後悔はないと思うよ・・』
と疲れた顔立ちの家内に私は言った。

タクシーは都心の高速道路を疾走し、やがて千葉県の八千代台市に向かった。

それからの日々は、仮通夜、通夜、本葬、告別式、初七日と慌しいを私共は送った。

家内の母は、お墓を千葉県の木更津の付近に買い求めていたので、
四十九日の法要、納骨を終わった後、
家内の母と家内と私は、お寺の付近の最寄駅の延長にある亀山湖で、
温泉観光ホテルに3泊4日で滞在した。


そして家内の母は、一人住まいの生活になったので、
年末年始は私達の自宅に5泊前後泊まって頂き、
ときたま温泉滞在旅行に行ったりしている。
そして家内は毎晩実家と電話で話し合ったりし、
月の4日前後は実家に泊まっては、他愛無い話をし、雑事をしている。


私は死者には敬(うやま)うが、
かといって3回忌、7回忌、13回忌と続く法事には、
生きている人の慰めと思っている。

私は家内には、俺が死んだ時は、
家族葬で花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ7年ばかり云い続けている。

お墓は要らず、樹木葬のある里山に埋めて頂きたい。
私は死者は土に還る、という独断と偏見であるので、
四十九日の納骨が終われば、何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、
という考えの持ち主である。

そして残された人は、温泉滞在の帰りの気が向いた時、
お線香の一本でも良いと思っている。


こうした思いもあり新盆の時は、私は自宅で留守番役をして、
家内の母は、独り住まいとなっているので、
こうした機会に家内と家内の妹に囲まれながら、
娘の2人と他愛無くのんびり過ごすのも良いと思い、
近くの館山温泉観光ホテルに家内たちと3泊4日をして貰ったりしている。


さすが一周忌だけは、家内に付いて私は法要にでかけた。
この時は、家内の妹は多忙の時であったので、
房総半島の白浜温泉観光ホテルで、私達3人は4泊5日で滞在した。


これ以降は、私は家内の父の法要は、
お父さんとは生前の旅行先で楽しみを分かち合ったから、
心の思いは済んでいるので、一周忌が最後と言い、
後は家内にまかせている。

そして2回忌からは、家内ひとりで参列した後は、
家内の母と家内、家内の妹の3人で慰安旅行をして貰っている。
1昨年は養老渓谷、昨年は犬吠崎、今年は青堀と、
いずれもお墓から程近い周囲の観光温泉ホテルで3泊4日前後となっている。


今朝6時半前に私は、家内が父の命日に伴う4泊5日の慰安旅行に行くので、
家内の旅行バックを持ち、家内とバス停まで行った。
そしてバスに家内は乗り込み、車内から家内の笑顔と小さく振る手で、
私の身勝手な論理で世間をどこまで・・と思い返したが、
せんなきことと思っている。

帰宅後、窓を開けたら、金木犀の香りが漂(ただよ)い、
樹元の周囲はたわわな橙黄色の小花が黒土の上で散乱していた・・。



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