夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私の神は、仏さまに代(か)わって・・♪

2007-08-25 13:01:00 | 定年後の思い
私は宗教に無関心であり、それぞれの神にすがったりしていない。

生家に於いては、仏教の曹洞宗であり、神棚もあるごく一般の家であるが、
私は自己形成には何の影響も特に受けていない。

私は日常に於いて神社、仏閣に接した時は、手を合わしている程度である。

私が毎朝、手を合わせ、自己の教訓とか心をいさしめているのがある。

居間にあるビデオテープ棚の上に、
ひとつの立替えた日めくり厚いカレンダーのような物を置いている。

トイレ用の日めくり『ひとりしずか』と題され、
みつ、とさりげなく署名されている。

10数年前、家内の両親と4人で伊香保温泉に滞在旅行をした時、
街の中のお土産屋さんで、偶然に目に留まり、買い求めた品である。

書家、詩人と知られていた相田みつを氏の作品のひとつである。

例えば本日の25日には、


そんかとくか

人間のものさし

うそかまことか

佛さまの

ものさし

       みつを


と明記されている。

私は年を重ねた62歳の身であるが、つたない心しか持ち合わせていないが、
ときおり独断と偏見で断定する悪い癖がある。

裏打ちされた国文学、比較文化などの専門学問を学んだこともなく、
単なる独学であるが、日常生活で発言したり、文書に綴ったりしている。

そして後で学んで知ったりした時、
下を向きながら赤面をしたりしている。

こうした時は、根拠のない自信ばかりの私は、
年を重ねていても、自己形成が今だ未達のかしら、と思ったりしている。




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ときには、ものぐるいとなり・・♪

2007-08-25 10:12:00 | 定年後の思い
私は定年退職後の3年生の身であり、趣味の本を読んだり、映画を観たり、
そして音楽を聴いたりしているのが多い。

本に関しては、小説、随筆、歴史書、現代史が圧倒的に多く5000冊程度、
映画の場合はVCT、DVDを専用棚に於いて1000本前後をときおり選択し、居間で観ている。
音楽についてはレコード、カセット、CD、DVDがやはり専用棚として3000枚ぐらい保管して折、
CDラジカセで聴いたりしていることが多い。

友人などに上げたりしてきたが、若き青年時代に映画青年、文学青年の真似事をした折、
倹約したり、一食を抜いて購入した本、レコード、そして映画を観たりしたので、
中々捨てきれないのである。

古ぼけた一軒屋でこのような中でつつまれていると、
誰しも同じような体験があると思われるが、
私は熱病のように無我夢中となったりする時があった。

一時的な3ケ月前後で終わることが多いが、
少なくとも1年以上続いたのを振り返った時、
私なりに微苦笑しているのである。

音楽の場合は、昭和46年にシャンソンの【バルバラ】、その後は【金子由香里】を盛んに聴いていた。
この頃はレコードであったので、擦り切れる程度の百回以上聴き惚れていた・・。

平成元年の頃には、【中島みゆき】を偶然に聴き、
平成9年の頃に【X JAPAN】をテレビで観て、
惚れ込んでしまった。

映画の場合は、脚本家として【橋本 忍】で東京オリンピックの頃であり、
映画監督の場合だと【デビット・リーン】、【セルジオ・レオーネ】に夢中になったりしていた。

本の場合は、小説分野は【立原正秋】には二十歳の頃、
随筆の場合は【山口 瞳】、紀行文は【宮脇俊三】を平成の初めの頃に知り始めた。

テレビの脚本は圧倒的に【倉本 聰】が多く、随筆も数多く精読している。

昨今は、【藤原正彦】、【塩野七生】の本が増えてきている。


私は単細胞の為か、ともかく惚れこんだら命がけの恋と同様に、
時を忘れ、寝る間をほしんで物狂いになるのである。

いずれにしても私のつたない感性で、
偶然に目に留まったり、聴いたりした人々の方達である。
そして、私なりの人生の心の宝物と思ったりしている。

尚、このように綴ると、私自身の思想、信条、そして日常の心情が解かるので、
発露をするのは少し危険かしら、と微苦笑しているのである。





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改めて、キャミソールよりブラウス・・♪

2007-08-24 21:34:00 | 定年後の思い
一昨日、駅前に出た時、数多くの女性とすれ違ったが、
様々に服を身に着けているので、暑さのためが幻惑させられたりした。
キャミソールとかタンクトップを身に着けているので、
目のやりばに困ったりしていた。

高校生の女学生が制服で歩いてきた。
白の袖襟付きのごく一般のブラウスであるが、颯爽と歩いて折、清々しさを感じたりした。
そして、私なりにちょつと可愛い子と思え、ときめきを感じたりしたのである。

キャミソールの場合は、下着のスリップを連想してしまい、
部屋着としてはよいが、外出先では、どうかしらと余計なことを思っている。

その点、ブラウスの場合は、内面からほのかな色気が感じ、ときめきを覚えることが多い。

大人の女性は、ご自分の女性としての魅力を大切にして欲しい、
と思っているのである。

年を重ねた62歳の私であるが、暑さのために少しボケてきたのかしら、
と思いながら、駅前の大きな樹木の下でたたずんでいた。


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『本日の主役は、僕なのですが・・』・・♪

2007-08-24 09:37:00 | 定年後の思い
私が結婚したのは、昭和51年の春だった・・。

結婚式の1週間前、
『やはり・・貴方・・羽織(はおり)、袴(はかま)にしなくては・・おかしいわよ・・』
と母は私に言った。

私はサラリーマンの5年生であり、和服を身に付けた少なく、
着慣れたスーツの代わりに、黒の礼服を着れば良いと思っていた。


結婚式の当日の朝、式場の着付け室で私と兄が着付けをして貰い、
3人の中年の女性が着付けをはじめてくれた。

兄がこの中のリーダー各と思われる人に寸志を手渡していた。
『お兄様・・良いお召し物で・・
やはりある程度以上のものですと・・』
とこの女性の方は、兄の衣装を誉(ほ)めちぎっていた・・。
兄は旧家であったので、日頃から着慣れて折、高価な紋付の羽織と袴を持っていたのである。

私の方は、借り物の《やや良い》の部類で、昔の通信簿だと『4』程度であった。

しばらくすると、兄の着付けに3人掛かりとなって、
私の方は誰もいなくなった。

『本日の・・主役・・僕なのですが・・』
と中年の女性達に聴こえる程度の小声で私は言った。

『あらぁ・・ご免なさい・・そうでしたわねぇ・・』
と2人の女性がきて、私の着付けをはじめた。

『主役の貴方・・スラっとしたお方ですので・・
タオルを当てましょうね・・』
とひとりの方が言った。

私はこの頃は、体重は56キロ程度で、身長は170センチであった。

その後、私のお腹周辺にタオルを2枚あてがって、着付けをしてくれた。

着付けが終わると、私を鏡の前に導いて、
『お似合いですわ・・』
とリーダー各らしい女性が言った。

私は不馴れな羽織、袴はそぐわなく落ち着きを失った上、
明(あき)らかに誉めたおされていると感じ、
『兄貴・・俺・・先に出て・・煙草を喫っているよ』
と私は兄に大きな声で言った。






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処暑の時節にふさわしく、朝涼となり・・♪

2007-08-24 07:32:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、微風が吹く中で、朝を迎えて折、清々しい空気につつまれている。

昨日は久々の1日の雨と予測されていたが、
朝の9時過ぎには止んで、薄日となり、昼下りには快晴となったが、
30度前後であり、風の吹く過ごしやすい1日であった。

夜のひととき、玄関庭に下り立つと、
夜風が吹いて折、この時節は古人から処暑(しょしょ)と称され、
改めて実感したりした。

旧暦に於いては、暑さが止むと云われているが、
新暦の今日では朝夕は涼しく感じられ、日中の残暑があるが、
過ぎ去った一時のピークを思い浮かべれば、
それなりにと受け止めることが出来る。

尚、私の住む街は、朝は24度で日中は快晴で34度前後の暑さとなるが、
8月初旬からの猛暑を振り返れば、笑って過ごせるのである。

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私が映画を観はじめた頃・・♪

2007-08-23 17:56:00 | 定年後の思い
私は東京の郊外の調布市で、昭和19年に農家の三男として生を受けた。

祖父、父が女の子を期待していたらく、
私の数年後に妹が生まれたので、
幼児の私は何となくいじけた可愛いげのない子であった。

私のおぼろげな記憶をたどれば、
私が最初に映画を観たのは、小学校の入学前、『長崎の鐘』だった、
と思い返している・・。

この頃は、ラジオからこの主題歌が流れていて、
私の幼児なりに、物悲しさを感じ、涙を浮かべたりしていた。

近所のお寺の境内で、隅にスクリーンが張られ、
夜のひとときを上映してくれた。
私は母に連れられ、近所の方達と共に立ちすくんで観た。
この頃は娯楽が少なく、こうした映画を無料で観られるのは、
稀(まれ)であったので、盛会だったと記憶に残っている。

帰宅の途中、母に手を引かれて歩いていた時、
夜空の銀河の天の川が綺麗であり、
年を重ねた62歳の今の私でも、あのような満天の煌(きらめ)いた星空は一期一会であった。

これ以前に観た映像作品は、祖父が自宅で近所の人達を集めて、
幻灯機で『母をたずねて三千里』を観たのが、
幼児なりに記憶があった。

私が小学校の四年頃になると、
映画館にひとりで行き、東映の時代劇の3本立ちをたびたび通いはじめた・・。
『里見八犬伝』、『笛吹童子』、『紅孔雀』等であった。

母より100円を頂き、映画代が40円で、電車の往復で10円であり、
帰路の街の中華店でラーメンが35円だったのでたびたび食べたりした。
そして、映画館の売店で残りの15円で都こんぶ等を買えたりした。

この映画館は翌週になると大映映画を放映していたので、
予告編も上映されていた。

山本富士子、京 マチ子は大人の人すぎて興味がなかったが、
若尾文子、川上康子、八潮悠子を観たりすると、
都会の綺麗なお姉さんと感じたり、まばゆい文化にふれて、
子供心にため息をしたりした・・。

そして特に若尾文子には、色っぽい女の人、
と私の人生で最初にときめいた人である。

このような映画に熱中しはじめ、
やがて私は大学を中退し、映画青年の真似事まで一時的に過ごしたりした。

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雨脚に目覚めれば・・♪

2007-08-23 08:32:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、早朝から雨が降りだした・・。

6時過ぎに布団の中で、うとうととしていると雨脚が屋根にあたる音で目覚めた。

昨夜、NHKの深夜番組の『東京裁判』を観たので、
この後に降りだしたと思われる。

郊外の調布市に住む私は、猛暑の日が続いていたので、
暑さに苦手な私は、何もしてない私さえ夏バテかしら、
とここ1週間は心身感じたりしていた。

玄関の軒下で煙草を喫いながら、小雨の降る中の樹木、草花などを眺め、
清々しい情景の朝涼(あさすず)に微笑んでいた。

処暑(しょしょ)の時節を迎えているので、
暦(こよみ)も当たるよなぁ、と心の中で呟(つぶや)いて、居間に戻った。

『XXちゃん・・軽井沢みたい・・』
と私は家内に言ったりした。

私の現役時代は、夏休みの折、暑さを逃れる為に、軽井沢、蓼科高原に小旅行をしたので、
避夏地の朝の情景をたびたび口にしたりしている。

東京の郊外は、日中は雨となり、最高気温は27度前後が予測されます、
とテレビで報じていた。

昨日は37度の猛暑だったので、恵みの雨となり、涼しい日中に、
ひたすら天上の気候の神々に感謝して、
雨の舞い降る主庭を眺めている。




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猛暑の中、駅前に・・♪

2007-08-22 18:00:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、8時過ぎには早くも30度を越えて、相変わらず暑い日中を迎えようとしていた。

私はここ10日前後は、最寄のスーパーで買物を済ませたり、
少し遠回りして散策をしている程度であった。

本日は駅前の歯科医院に10時半に予約しているので、
9時半過ぎに家を出て、川沿いの遊歩道を歩いた。

途中で私の好きな底紅で純白の花びらの宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が数多く咲いていたが、
炎天下の中、心に余裕がなく、少し観ただけで先を急いだ。

駅前のスーパーのトイレで、顔を洗った後、本屋に寄った。

これといって欲しい本がなかったが、新刊本コーナーで、一冊の本の題名に惹(ひ)かれて、購入した。

今年の春に敬愛した作家の城山三郎の追悼して一冊であり、
『城山三郎 命の旅』(講談社)であり、内橋克人、佐高 信の両氏が編集された本である。

私は城山三郎・氏に関しての思いは、少なくとも2篇綴っているので省略する。


『慈父のような存在だった城山三郎・氏・・!!』 投稿日:2007年3月23日

『慈父のような方、死の淵(ふち)に・・。』 投稿日:2007年6月11日


この後、歯科医院の待合室で読みはじめ時、
私の名前が呼ばれたので中断した、

治療後、コーヒーショップの『ドトール』で、
アイスコーヒーを飲みながら、編集された内橋克人、佐高 信の両氏に寄る対談のタイトルが、

”慈母”としての城山三郎

と掲げられていたので、私は微苦笑をしたりした。

そして、座談の名手の特集の中で、
城山三郎、宮澤喜一の両氏に寄る対談を精読した。

この両氏の賢人の発言に教示されたことは当然であるが、
発言された時代に思いを馳(は)せると、
より一層目頭が熱くなる・・。

両氏は今年に他界された方であるが、
こうした人こそ日本の貴重な人であり、稀な人だった、
と改めて私は教示を受けている。

この後、スーパーで買物を済ませ、家内の好みのパン屋に寄った後、
帰宅した。

昼過ぎのニュースで、東京は37度の猛暑と報じて折、
私は洗面所で顔を洗い、クーラーの冷気に身を寄せたりした。




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猛暑の時節は、白雨(はくう)恋しき・・♪

2007-08-22 07:53:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、猛暑が続いているので、
私は恵みの雨を待ち焦(こ)がれて折、
天気予報は所(ところにより夕立と報じられているが、
私の願いもむなしく一向に降らないのである。

私は『足跡メッセージ』は、季節のうつろいを明示することが多く、
ここ一週間は私の願いを込めて、
【猛暑の時節は、白雨(はくう)恋しき・・♪】
と記載しているのである。


昨年の夏、快晴のうだるような暑い中、
夕方の4時頃、空は青空から急速に暗くなり、
雷鳴と共に大粒の雨が降りだして、数分後は豪雨となり、
周辺の情景は白く煙るようになった・・。

樹木、草花などは、白雨の中で輪郭が薄らぎ、大丈夫かしら、と思うほど激しく雨に受けている。

30分ぐらい過ぎた時、小雨となり、ふたたび陽射しが庭を照らした後、
雨は上がり、樹木の枝葉は雨粒をたたえ光をおびていた。
そして地表は黒土となり、清々しい情景となった。

雨上がりの庭を眺めていたが、
潤(うるお)いある光景に、私はしばらくの間、見惚(みと)れていた・・。

そして、蝉(セミ)の鳴き声が聴こえてきた・・。


こうした光景が昨年の夏は、確かに数回あったじゃないの、と呟(つぶや)きながら、
暑さを増してきた庭を眺め、雲ひとつない青い空を見つめている。






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私がこのサイトに綴る時は・・♪

2007-08-21 17:24:00 | 定年後の思い
私は定年退職後の3年生の身であるが、
小説、随筆を読んだり、居間で映画を鑑賞したり、音楽を聴いたりしている。

ときおり、庭の手入れをしたり、家内と国内旅行をしたりしている。

そして、退職後からは日常に感じたことを綴ることが好きなので、
日に数通を旧サイト【goo簡単ホームページ】等で投稿してきた。

退職後の身過ぎ世過ぎの生活をしているが、
季節のうつろい、日常の思い、感じたことを、
あふれた思いとなって、心の発露を綴っているにすぎない。

このサイト【OCN Cafe】に8月2日に加入し、
8月13日に旧サイトを移行した後、投稿して1週間が過ぎた今、
私なりに投稿する際は配慮している点がある。

投稿し無視されるのは辛(つら)く、出来る限り多くの方に読んで頂きたく、
小説・随筆の本と違い、パソコンの画面で読んで頂く為に、
あえて改行を多くしたりしている。

背景の黒の色合い、文字の白文字もこうしたことを配慮した結果である。

そして投稿内容が同じようであると飽きられるので、
なるべく多岐にわたり分野で、最後まで読んで頂けるように、工夫したり、
タイトル名も重視している。

つたない脳裏の私は、それなりに労苦の伴う時もあれば、
楽しく綴れる時もあり、こうして退職後の1,000日をまもなく迎えようとしている。






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真夏の夜のひとときは・・♪

2007-08-21 08:34:00 | 定年後の思い
東京の郊外に住む私は、連日の暑さに買物と散策以外は、極力外出は避けている。

昨夜、玄関の軒下で煙草を喫いながら、薄暗い中、樹木を眺めたりしていた。

日中の暑さが残っていたが、微風が吹いて、心身に心地よい・・。

玄関庭の塀際から鈴虫の鳴き声が合唱団となり、
耳をすませば、コオロギの鳴き声が加わっている。

蝉(セミ)は、朝、昼、夕方と日中で鳴きつかれたせいか、
眠りについていると思われる。

我が家のコロオギは主(あるじ)の私に似て、
鈴虫の盛大な鳴き声の中、ときおり遠慮しながら鳴いているように聴こえる。

私はどうしてと思い、苦笑しながら、居間に戻った。


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夏のひととき、私が涙ぐむ歌は・・♪

2007-08-20 17:48:00 | 定年後の思い
ときおり私は鼻歌を唄ったりしている。

真夏の時節は、特に私はふたつの歌を心の中で唄ったり、
或いは家の中で、散策の時に人影が少ないときは小声で唄いだす・・。

♪夏が過ぎ 風あざみ
 誰のあこがれに さまよう

【 『少年時代』 作詞・井上陽水 】

平成3年(1991年)の秋頃、街で流れていた歌である。

私が50歳前後の時であり、世の中はバブルが終焉となり、
数多くの人々の心の痛みを感じた時代でもあった。

私はレコード会社に勤めていたが、
安楽から激動の時代となり、翌年になるとある会社と統合となり、
長年苦楽を共にした人達が分散した時でもあった。
そして一部の方達は、やむえず業界から去っていたりした。


夏の時節、帰省のニュースをテレビで観ていると、

♪兎(うさぎ)追いし かの山
 小鮒(こぶな)釣りし かの川

【 『故郷(ふるさと)』 作詞・高野辰之 】

私はこの歌が連想されてしまう・・。

地方出身の方達が、大都市で勤務し、生活されている方の大半の人々が、
夏のお盆に帰省され、心を癒す、といったことを思いだしてしまうのである。

私は東京の郊外の調布市で、結婚前後の5年以外、
この地で生活している身であるが、
私さえこの地域の変貌に驚いたり、悲しみを覚(おぼ)えたりしている。

小学生の時は通学路は・・下校の寄り道は・・
と当時の情景を思い馳(は)せたりしている。


いずれにしても夏になると、この歌が想いだされ、
過ぎ去った時の愛惜に涙ぐむ時もある。



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残暑は、厳(きび)しくなり・・♪

2007-08-20 08:29:00 | 定年後の思い
東京の郊外の調布市は、8月に入ると猛暑の日が続き、
36度前後の日々が多い。

一昨日、曇り空となり29度程度となり、処暑(しょしょ)の時節に近く朝夕は涼しかったので、
やれやれと思ったのが、これからの1週間は33度前後の猛暑の日が続き、
残暑の厳しい日が続く。

私は夏の暑い日は冬の寒さを思い、冬の寒さの時は夏のひとときを思い返して、
と平素は強がりを云ったりしている。

ただ、今年の連日の猛暑には、天上の気候の神々に、勘弁して下さい、
と祈願したりしている。

私は買物と散歩などの最低限の外出となり、
庭の手入れも怠(おこた)っているのである。

平年は日中は30度前後で、朝夕は涼しい風が吹き、過ごしやすくなる時節であるが、
今年はどうしてなの・・と青い空を見詰(みつ)めている。


さきほど、日中は34度の猛暑となり、ところにより雷雨、にわか雨、
とテレビは報じていた。

せめて乾ききった地に、恵みの雨をお願いします、
と私は呟(つぶや)いたりしている。



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されど、冷凍食品・・♪

2007-08-19 18:45:00 | 定年後の思い
私は定年退職後の3年生の身であり、自宅にいることが多く、
朝は軽く、昼は程々に、夜は晩酌をしながら、鶏肉、豚肉、牛肉が主体の食事となっている。

そして、ときたま餃子(ギョウザ)などを食べたりしている・・。

家内の妹から、2年半前頃、
『餃子・・冷凍食品でも・・美味しいわよ・・』
と何かの話題の折、家内に言った。

私は餃子が好みであり、40代のなかばまでは、
家内に作って貰い、40個前後を食べたりしていた。

50代になると、スーパーで美味しいと思われる即売の2人前を食べたりして、
『XXちゃん・・この前のスーパーの方が・・美味しかったよ・・』
と家内に言ったりしていた。

家内の妹の助言により、
冷凍食品の餃子を買い求め、我が家の電子レンジで試みたが、
駅前の中華そば屋さんの餃子より美味しかったのである。

私達は2人前の24個入りを夕食の時に頂いたりしているが、
大半は私が食べ尽くしている。
そして、何故かしら辛口の純米酒と合うのである。
夏の時節は、クーラーの冷気の中で、冷やした純米酒を呑みながら、頂いたりしている。

家内が実家に宿泊した時、外出した時などは、
ときたま冷凍食品の炒飯(チャーハン)を食べたりする時もある。

『本格炒め炒飯』と明示され、こんがり焼いたジューシー焼豚入り、と強調されて折、
確かに電子レンジで温めると、香ばしい香りが漂(ただよ)い、それなりに美味しいのである。

私は冷凍食品は美味しくないと思ってきたが、
手軽に程々の味をしている、と遅ればせながら心を改めたのである。

尚、私は餃子と炒飯を食べた限り、
餃子は味の素、炒飯はニチレイが美味しく頂けた。

されど冷凍食品であるが、品質、味わいは進歩している上、
価格も廉(やす)いので、年金生活の私にとっては秘かに月数回の友かしら、
と思ったりしている。





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『ラジオ体操』の想いで・・♪

2007-08-19 09:45:00 | 定年後の思い
私は小学校に入学したのは、昭和26年の春だった・・。

夏休みになると、近くのお寺の境内でラジオ体操が行われていた。
集合時間は、朝の7時頃だった、かしらと思っているが確かでない。

お寺のお賽銭箱の横の階段の横に、ラジオが置かれて、
NHKの『朝のラジオ体操』が流れると、近所の30名前後の小学生の前で、
6年生の班長が少し高い台でお手本のように始め、
小学生達はそれに習って続く・・。

小学生は家を出る時は、必ず所定の出欠カードを持参し、
体操が終わった後、班長から出席のマークをカードに押して貰ったりしていた。

私の長兄、次兄は優等生であったので、
6年生になると班長に選出されていた。

3男の私は、いじけた劣等性であったので、
6年の夏に班長に選ばれる確率は少なかった。

結果として、班長は私となり、
この年から何故かしら副班長が設けられて、
お寺の娘の同級生が選ばれた。

この夏、私は照れながら、俺でいいのかしら、と心の中で呟(つぶ)いて、
小学生達に出席マークを押したりした。


【注) 私の旧サイトで投稿した原文を加筆した】


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