宿泊している『多田屋』の館内に『和倉温泉 散歩マップ』があったので、
私たち夫婦は街中を歩こうと思案して見たりしていた。
この『和倉温泉 散歩マップ』は、和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合が発行しているパンフレットで、
たまたま和倉温泉観光協会の公式ホームページに準拠した内容が掲載されて、転載させて頂ければ下記の通りである。
こうして私たち夫婦は『和倉温泉 散歩マップ』を見ていると、『七福神福々めぐり』があることを知ったりした。
そして同じ街めぐりをするのであったら、最初に『七福神福々めぐり』をした後、
ゆっくりと街の中心街を歩こう、と私たち夫婦は話し合ったりした・・。
私たち夫婦は、住んでいる都心の郊外の調布市でも、『七福神めぐり』は制定されているが、
私も家内も生まれて以来、一か所か二か所は訪れたりしてきたが、
すべて『七福神めぐり』を完遂したことはなかったので、まさか旅先で『七福神めぐり』に挑戦することは夢にも思わなかった・・。
そして私は改めて『七福神の由来』を少しボケ防止に勉強したりした。
《・・七福神とは、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、
福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)の七つの神様の総称です。
「七難即滅、七福即生」の説に基づくように、七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われています。
七福神の信仰は、室町時代の末期のころより生じ、当時の庶民性に合致して民間信仰の最も完全な形となって育てられてきました。
特に農民、漁民の信仰として成長し、現代に今も生き続けてきたのです。・・》
◎大黒天(だいこくてん)・・『出世の神』
大黒天は、大自在天の化身ともいわれ、大国主命と神仏習合したものである。
一度仏となったが、人々に福徳を授けるために再びこの世に現れたという。
大地を掌握する神様(農業)でもある。
大きな袋を背負い、打出小槌をもち、頭巾をかぶられた姿が一般によく知られていて財宝、福徳開運の神様として信仰されている。
◎毘沙門天(びしゃもんてん)・・『悪魔払いの神』
毘沙門天は、四天王の一仏で、別名「多聞天」といい、
七福神の中で、唯一の武将の姿をしていて、右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけている。
七福神では、融通招福の神として信仰されている。
◎恵比寿天(えびすてん)・・『商売繁昌の神』
七福神中で唯一の日本の神様。
いざなみ、いざなぎの二神の第三子といわれ、満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられてしまい、
やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れれたのが、信仰のはじまりと伝えられている。
左手に鯛をかかえ右手に釣竿を持った親しみ深いお姿の、漁業の神で、特に商売繁昌の神様としても信仰が厚い。
◎寿老人(じゅろうじん)・・『長寿の神』
寿老人は、福禄寿と同じく星の化身で、にこやかな微笑みをたたえ、
手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、鹿を従えた姿が一般的に知られている。
団扇は難を払い、桃は長寿のしるしで、鹿もまた長寿の象徴である。
長寿延命、富貴長寿の神として信仰されている。
◎福禄寿(ふくろくじゅ)・・『知恵の神』
福禄寿は、名前は、幸福の福、身分をあらわす禄、寿命を表わす寿の三文字からなり、中国、道教の長寿神。
南極老人星の化身であり中国の村や町に住み、人々の信仰を集めたといわれる仙人である。
長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶをもち年齢 千歳という。
長寿、幸福の徳を持ち、鶴と亀を連れて、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖をもつ姿が特徴である。
招徳人望の神様として信仰されている。
◎弁財天(べんざいてん)・・『芸の神』
弁財天は、七福神の中で、唯一の女神で、
元はインド河(水)の神であったが、やがて音楽の神、言語の神となり日本に伝わった当初は、弁才天と呼ばれた。
その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収され弁財天といわれるようになり、財宝を授けてくださる神へとなったものである。
知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれている。
◎布袋尊(ほていそん)・・『福の神』
布袋尊は、弥勒菩薩の化身といわれ、いつも笑顔を絶やさず人々に接していた人で、
大きな袋には宝物がいっぱい入っていて、信仰の厚い人に与えられたという。
笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰が厚い。
今回の『七福神福々めぐり』に於いては、
街めぐりの七つの名所に、それぞれの場所にちなんだ幸福を呼ぶ、七福神の石像があります。
各旅館に用意してある用紙を、七福神の顔の輪郭の浮き彫りに押し当て、こすってください。
街を散策しながら集めてみてはいかがですか?
温泉街めぐりで福来たる。
お宿から素敵なプレゼント進呈!
こうした文面に私たち夫婦は誘惑されて、『七福神副々めぐり』に参加した。
私たち夫婦は『多田屋』に宿泊している地域からして、近くにある『福の神』が鎮座されている『青林寺』をめざして歩き初めた。
やがて10分ばかり歩くと、和みの丘と称せられる景観の良い小高い道を歩くと、
何かしら三十三観音像を巡る500段ぐらいある長い階段を下りながら、私は道を間違えたかしら、
と思いながら歩いたりした。
やがて寺の屋根が見えて、数分ばかり歩いて、目的地の『青林寺』に到着して、
まもなく『福の神』が鎮座されている石像に、家内は優先的に指定用紙に顔の輪郭の浮き彫りに押し当て、こすたりした。
そして『知恵の神』が鎮座されている『信行寺』をめざして歩いた後、
やがて『悪魔払いの神』が鎮座されている『小比古那神社』を訪れた時、
この大木が『夫婦神木』と制定されて、私は解説文を読み、微苦笑したりした。
そして私は、10年に一度ぐらい『おみくじ』をしているが、
百円玉で運だめしねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
やがて『おみくじ』を私は開封すると、何故かしら『大吉』であった。
☆願望(ねがいごと)
初めは思わしくないが後は必ずよし
☆失物(うせもの)
出にくい 人に渡る
☆旅行(たびだち)
利少く 帰途に注意
☆病気(やまい)
気遣いなし 信心(しんじん)せよ
このように13項目が明記されて、やがて私は微苦笑したりした。
そして総評としては、
初めは冬の枯木の葉おちて 花もなく淋しく此末(このすえ)如何(いかが)なろうかと気遣うも
其内に春となって花さく如く 末よき運なり
何事も慎(つつし)み退屈せず 時をまてば必ずよし
こうしたことを読み終わった後、何かと単細胞の私は微笑んだりした。
やがて私たち夫婦は街の中心に出て、残りの七福神の石像にお逢いして、
私たち夫婦はお互いに生まれて初めて『七福神のめぐり』を完了した。
余談であるが、『七福神福々めぐり』の完遂した記念品、
お宿から素敵なプレゼント進呈は、家内が私の分まで指定用紙を申告して、
可愛らしい蝋燭(ろうそく)セットをペアで頂いたりした。
そして家内は今回の旅路の思いでの品として、サイドボードにある旅の記念コーナーに
飾るわ、と私に言ったりしている。
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私たち夫婦は街中を歩こうと思案して見たりしていた。
この『和倉温泉 散歩マップ』は、和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合が発行しているパンフレットで、
たまたま和倉温泉観光協会の公式ホームページに準拠した内容が掲載されて、転載させて頂ければ下記の通りである。
こうして私たち夫婦は『和倉温泉 散歩マップ』を見ていると、『七福神福々めぐり』があることを知ったりした。
そして同じ街めぐりをするのであったら、最初に『七福神福々めぐり』をした後、
ゆっくりと街の中心街を歩こう、と私たち夫婦は話し合ったりした・・。
私たち夫婦は、住んでいる都心の郊外の調布市でも、『七福神めぐり』は制定されているが、
私も家内も生まれて以来、一か所か二か所は訪れたりしてきたが、
すべて『七福神めぐり』を完遂したことはなかったので、まさか旅先で『七福神めぐり』に挑戦することは夢にも思わなかった・・。
そして私は改めて『七福神の由来』を少しボケ防止に勉強したりした。
《・・七福神とは、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、
福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)の七つの神様の総称です。
「七難即滅、七福即生」の説に基づくように、七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われています。
七福神の信仰は、室町時代の末期のころより生じ、当時の庶民性に合致して民間信仰の最も完全な形となって育てられてきました。
特に農民、漁民の信仰として成長し、現代に今も生き続けてきたのです。・・》
◎大黒天(だいこくてん)・・『出世の神』
大黒天は、大自在天の化身ともいわれ、大国主命と神仏習合したものである。
一度仏となったが、人々に福徳を授けるために再びこの世に現れたという。
大地を掌握する神様(農業)でもある。
大きな袋を背負い、打出小槌をもち、頭巾をかぶられた姿が一般によく知られていて財宝、福徳開運の神様として信仰されている。
◎毘沙門天(びしゃもんてん)・・『悪魔払いの神』
毘沙門天は、四天王の一仏で、別名「多聞天」といい、
七福神の中で、唯一の武将の姿をしていて、右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけている。
七福神では、融通招福の神として信仰されている。
◎恵比寿天(えびすてん)・・『商売繁昌の神』
七福神中で唯一の日本の神様。
いざなみ、いざなぎの二神の第三子といわれ、満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられてしまい、
やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れれたのが、信仰のはじまりと伝えられている。
左手に鯛をかかえ右手に釣竿を持った親しみ深いお姿の、漁業の神で、特に商売繁昌の神様としても信仰が厚い。
◎寿老人(じゅろうじん)・・『長寿の神』
寿老人は、福禄寿と同じく星の化身で、にこやかな微笑みをたたえ、
手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、鹿を従えた姿が一般的に知られている。
団扇は難を払い、桃は長寿のしるしで、鹿もまた長寿の象徴である。
長寿延命、富貴長寿の神として信仰されている。
◎福禄寿(ふくろくじゅ)・・『知恵の神』
福禄寿は、名前は、幸福の福、身分をあらわす禄、寿命を表わす寿の三文字からなり、中国、道教の長寿神。
南極老人星の化身であり中国の村や町に住み、人々の信仰を集めたといわれる仙人である。
長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶをもち年齢 千歳という。
長寿、幸福の徳を持ち、鶴と亀を連れて、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖をもつ姿が特徴である。
招徳人望の神様として信仰されている。
◎弁財天(べんざいてん)・・『芸の神』
弁財天は、七福神の中で、唯一の女神で、
元はインド河(水)の神であったが、やがて音楽の神、言語の神となり日本に伝わった当初は、弁才天と呼ばれた。
その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収され弁財天といわれるようになり、財宝を授けてくださる神へとなったものである。
知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれている。
◎布袋尊(ほていそん)・・『福の神』
布袋尊は、弥勒菩薩の化身といわれ、いつも笑顔を絶やさず人々に接していた人で、
大きな袋には宝物がいっぱい入っていて、信仰の厚い人に与えられたという。
笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰が厚い。
今回の『七福神福々めぐり』に於いては、
街めぐりの七つの名所に、それぞれの場所にちなんだ幸福を呼ぶ、七福神の石像があります。
各旅館に用意してある用紙を、七福神の顔の輪郭の浮き彫りに押し当て、こすってください。
街を散策しながら集めてみてはいかがですか?
温泉街めぐりで福来たる。
お宿から素敵なプレゼント進呈!
こうした文面に私たち夫婦は誘惑されて、『七福神副々めぐり』に参加した。
私たち夫婦は『多田屋』に宿泊している地域からして、近くにある『福の神』が鎮座されている『青林寺』をめざして歩き初めた。
やがて10分ばかり歩くと、和みの丘と称せられる景観の良い小高い道を歩くと、
何かしら三十三観音像を巡る500段ぐらいある長い階段を下りながら、私は道を間違えたかしら、
と思いながら歩いたりした。
やがて寺の屋根が見えて、数分ばかり歩いて、目的地の『青林寺』に到着して、
まもなく『福の神』が鎮座されている石像に、家内は優先的に指定用紙に顔の輪郭の浮き彫りに押し当て、こすたりした。
そして『知恵の神』が鎮座されている『信行寺』をめざして歩いた後、
やがて『悪魔払いの神』が鎮座されている『小比古那神社』を訪れた時、
この大木が『夫婦神木』と制定されて、私は解説文を読み、微苦笑したりした。
そして私は、10年に一度ぐらい『おみくじ』をしているが、
百円玉で運だめしねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
やがて『おみくじ』を私は開封すると、何故かしら『大吉』であった。
☆願望(ねがいごと)
初めは思わしくないが後は必ずよし
☆失物(うせもの)
出にくい 人に渡る
☆旅行(たびだち)
利少く 帰途に注意
☆病気(やまい)
気遣いなし 信心(しんじん)せよ
このように13項目が明記されて、やがて私は微苦笑したりした。
そして総評としては、
初めは冬の枯木の葉おちて 花もなく淋しく此末(このすえ)如何(いかが)なろうかと気遣うも
其内に春となって花さく如く 末よき運なり
何事も慎(つつし)み退屈せず 時をまてば必ずよし
こうしたことを読み終わった後、何かと単細胞の私は微笑んだりした。
やがて私たち夫婦は街の中心に出て、残りの七福神の石像にお逢いして、
私たち夫婦はお互いに生まれて初めて『七福神のめぐり』を完了した。
余談であるが、『七福神福々めぐり』の完遂した記念品、
お宿から素敵なプレゼント進呈は、家内が私の分まで指定用紙を申告して、
可愛らしい蝋燭(ろうそく)セットをペアで頂いたりした。
そして家内は今回の旅路の思いでの品として、サイドボードにある旅の記念コーナーに
飾るわ、と私に言ったりしている。
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