夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

旅から帰宅すれば、愚図の私は、何かと慌ただしく過ごし・・。

2013-01-29 16:32:17 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
ときおり家内と共通趣味のひとつは国内旅行であり、日本の各地に四季折々に訪ねたりしている。

旅から帰宅すれは、愚図で齢ばかり重ねた私は、何かと慌ただしく過ごすことが多い・・。

もとより旅行は非日常の出来事で、平素の私は年金生活の今はのんびりと過ごしたりしている。

定年後から自主的に平素の買物担当となった私は、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書をすることが多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、茶坊主もしている。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

そして時折、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内と国内旅行をしたりしている。


旅行する前日、家内は台所を洗い清めたり、洗濯物も残さず、
そして冷蔵庫の肉類、魚類、野菜物、牛乳など殆ど空の状況にしないと満足しないタイプなのである。


私たちは旅行の滞在日数が多い場合は、旅先の最終日に現地より旅行バックを宅配便を利用して、
自宅に送付することが多いが、
帰宅後は部屋に外気を入れたり、着替えたりした後、手荷物を開けたりしている。

そして煎茶、コーヒーを私が淹れた後、私は入浴したりする。
この間、家内は宿泊した売店、お土産屋さんで買い求めた漬物などを皿に移して、
食卓に並べたりしている。

そして風呂上りの私は、旅先で購入した日本酒を呑みながら、漬物などを食べている間、
家内は入浴している。

その後は私たちは、旅先のこぼれ話を談笑したりする。

翌日は、家内は洗濯の合間に掃除をしたり、料理をしているが、
私はスーパーを2店ぐらい廻り、パン類、肉類、魚類、野菜、牛乳などを買い求めたり、
この間に、このブログサイトの投稿する内容を考えたりしている。

そして出来る限り、旅行の綴りは紀行文の形式に準拠したく、
内容、構成とかを配慮しながら、苦心惨憺としながら綴ることが多く、
その上に昨年の晩秋から投稿文に写真を添付してきたので、画像表現に未熟な私は我ながら不満足で、
溜息を重ねながら表示したりしている。

結果として、やむなく短めの散文で写真を添付して、ごまかしたような手抜き投稿文となっている。

しかしながら、せめてタイトル名には配慮したりしている。。

もとより小説、随筆、映画などの場合は、
タイトル名で内容を適切に凝縮した表現となるので、
私も拙(つた)ないなりの投稿文であるが、タイトル名は気にしている。


今回の旅は、たまたま北海道の帯広市の郊外の近くの幕別温泉の観光ホテルに
1月20日より5泊6日であったが、
タイトルも手抜きで、何とか6通ばかり投稿したりした。

この間にネットで毎日のように精読しているニュース、音楽業界のサイトを見たり、
このブログサイトで私が愛読している50数名の方の五日分ぐらいを読ませて頂ただいたりしている。

その上、旅先で読み残した本の読書もあり、私なりに忙しいのである。

そして私がブログの最終文を投稿した後、何とか数日後に平常の時間に戻ることが多い。


本日の午前中、平素のように私は独りでスーパーに買物に行った後、
家内から京王線の『仙川』駅前のドラッグストアーで買い物を依頼され、
私は根はケチなせいか路線バスに乗車せずに、いつものようにのんびりと片道20分はかりの路を歩いた。

冬晴れで風もない10度前後の恵まれた中、旧家の稲荷神社の梅を観たが、
陽当たり良い処なのに莟〈つぼみ〉の状態であった。
               
私は見上げたりしたが、このような莟〈つぼみ〉は、
平年ならば少なくとも三分咲きの冬麗の情景であり、昨年の12月からの寒さの多い日があった影響かしら、と微苦笑したりした。

その後、坂道の上りきると、冬の花が少ない中、道路のはずれに藪椿(やぶつばき)は満開となり、
思わず足を止めたりした。
               

帰路、商店街のはずれに寺が多い中、道路に面したある門前には、格言が掲げている。
               
私は心の中で呟(つぶや)きながら、人生の生きた哲学のように学び、
私の独断と偏見の多い日頃の言動の多い中、 人生の戒(いまし)めとして、
特に定年後の年金生活を始めてから教示されているひとつとなっている。

この後、自宅に向かう途中、旧家のはずれに欅(けやき)の冬木立を眺めたりし、
                  
私は幼年期は農家の児として育ったので、この時節はこうした情景が安堵しながら観ることが多い。

このような平素の生活に、私はやすらぎを実感して過ごしている。

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