夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには昼前より、私は布団にもぐり込んでしまい、やがて・・。

2014-10-09 16:18:25 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
午前のひととき、いつものように平素の買物専任者の責務を果たした後、
居間のソファーに座り、疲れが残っているのか、風邪気味なのか、解からないが、
何んとなくは覇気がなく、ダルいのである。

やむえなく異例であるが、午前11時過ぎに何よりの年金生活の特典を活用して、、
『布団の中で寝てくるょ・・』
と私は家内に言ったりした。

そして2階の寝室に行き、淡き陽射しが障子越しに射す中、
家内が敷いてくれた布団に私はもぐり込んで、横たわりながら文庫本を読んだりした・・。

やがて寝付いてしまい、目覚めたのは午後2時過ぎであった。

まどろみながら、そしてぼんやりと疲れていた上、寝不足だったのかしら、と微苦笑したりした。
          

昨日、朝の8時過ぎから庭の手入れをして、何かと単細胞の私は昼食抜きで、
午後3時まで奮闘した。

そして夜の9時過ぎに寝室に行き、文庫本を開いてまもなく寝てしまい、
目覚めたのは早朝の午前3時半過ぎであった。

やがて洗面して着替えた後、居間で昨日の夕刊を読んだりした後、
パソコンを立ち上げて、ネットのニュースを見たりし、
その後は私が愛読しいる数多くの方のブログを読ませて頂いたりした。

やがて朝刊が配達されて、いつものような平坦の時を過ごしたりした・・。
          

こうして綴っている今、何かと単細胞の私は、熱中すれば周囲が見えなくなるタイプであり、
年金生活の今、ときおり過ぎし日々のことに愛惜し、思い馳せたりすることもある。

そしてこれまで歩んできた人生の中で、ときには熱病のように無我夢中となったりする時があった。
            
大半は一時的な3ケ月前後で終わることが圧倒的に多いが、
少なくとも1年以上続き、やがて平熱になった時に振り返った時になど、
我ながら、そんな時代もあったよねぇ、と微苦笑したりしてきた。
          

    
      
私は若き20代、30代の時は映画、文學、音楽、そして愛(いと)しき女性にも、
熱愛している時は、この世の中、あなたしか視(み)えない、というように、
時を忘れ、ときには食事も忘れ、寝る間も惜(ほ)しんで物狂いになったりしてきた。

恥ずかしながら齢を重ねた年金生活の中でも、ときたま無我夢中となり、
もとより理性などの平常心は吹き飛んで、心酔を重ねることもある。

そして、病気は治療すれば殆ど治(なお)るが、癖(くせ)は治ることは少ない、
と格言があるが、ときおり私は理性のある人に何歳になったらなれるの、と思ったりすることがある。

このようなことをぼんやりと思い浮かべたりして、独り微苦笑したりしている。


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