夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

能登半島、ささやかかな私の旅路を思い馳せて、やがて微苦笑を重ねて・・。【上】

2016-11-07 12:37:56 | ささやかな古稀からの思い
私は1970年(昭和45年)の春、この当時としては大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、やがてこのレコード会社で、制作に直接かかわらない情報畑、
経理畑、営業畑などで奮戦した。

この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も1999年(平成11年)2月に出向となり、                                   
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした・・。
 
やがて私は出向先の物流会社の勤務に馴染み、この当時は朝の起床は4時45分で、
少しばかりの遠方の神奈川県・厚木市の郊外にある物流センターに行き、
帰宅は早くても夜の9時過ぎであり、これ以降は定年退職時の2004年(平成16年)秋まで続いた。
            

2000年(平成12年)の年は、5月の連休を活用して新しくできた倉庫間の音楽商品の大移動で出勤したりして、
この前後の休日も倉庫内部の整備などで休日出勤をすることが多く、
体力のギリギリまで奮闘した年でもあった。

世にいわれる過酷な勤務であったが、私の40歳前後の時にシステムの開発時に比べれば、
出向の身であったので、最終の責任、成果は問われることがなかったので、こうした一面は楽であった。

この間に、長兄の次男の結婚もあり、自宅の庭の大幅な剪定を植木屋さんに依頼して、
定年後に備えて、徹底的に短くして頂いた。

そして、12月になると家内と年末年始のことで話し合った。
過酷な勤務状況が続いているので、家でのんびりしょうか、と思ったりした・・。
            

前年の年末年始は山形県・鶴岡市の海辺にある湯野浜温泉に行ったりした。

1999(平成11)年の1月9日に母の一周忌の法要を終えた後、
この当時の私は、2月より出向となり、殆ど本社で30年近く勤務して奮戦してきたので、
失墜感があり、盛夏の頃まで心の奥底に感情のわだかまりがあったしたが、何とか吹っ切れて業務に専念できた。

この後、初秋に妹の長男、秋に長兄の長男の結婚式などがあり、
私自身、公私共々波乱に満ちた年でもあった。

こうした思いかあり、せめて年末年始は日本海の雪降る温泉地に滞在して、のんびりしょうよ、
と私は家内に言ったりした。

結果として、選定したのは山形県・鶴岡市の海辺にある湯野浜温泉の『亀や』に於いて、
12月29日から4泊5日に宿泊滞在をして、周辺を遊学した旅路となったりしたが、
何よりも料理は、今まで数多く旅路を重ねてきた私たち夫婦は、とびぬけて美味しい料理で、
驚きながら頂いたりした。
            

こうした心情を秘めていた私は、せっかくの年末年始の休暇を利用して、
旅行に行こうょ、と私は家内に言ったりした。

私は以前から、総合月刊雑誌の『文藝春秋』の中で広告として掲載されている、
石川県・能登半島にある輪島市にある『ホテル高州園』が、渡り廊下から見える浪の花・・
確かこのような文面に魅せられて、いつの日にか、と夢を膨らませていたりしていた。

このようなことを家内に話したら、数日後に家内は駅前からJTBとJR『びゅう』のパンフレットを頂いたりした。

私は家内と『ホテル高州園』の掲載されているページを見ながら、
露天風呂が、あたかも波打ち際にあるような写真の横に、
《 日本海は庭園です。
       一望千里の大海原 》
こうした文面に魅せられて、年末年始の旅行を決めたりした。

仕事納めの翌日の12月29日から4泊5日で旅行代理店に予約し、
雪が舞い降る中、風も吹く街並み、郊外を散策して、海辺で浪の花が観られれば最良だし、
そして『ホテル高州園』の露天風呂から日本海を眺めよう、と私たち夫婦は大いに期待したりした。
            

やがて2000年(平成12)年12月29日、私達夫婦は自宅を8時過ぎに出て、
東京駅より上越新幹線の『あさひ』に乗車し、越後湯沢駅で乗り換えて、在来腺の特急『はくたか』で金沢駅に向った。

越後湯沢の駅の売店で買い求めた駅弁とお茶、地酒を越後湯沢から30分過ぎた頃から、
車窓から雪景色を眺めながら、私は駅弁を食べ、地酒を呑みながら、
やっと旅に来たか、と満足した思いであった。

そして、金沢駅は改築中であり、金沢駅前から能登半島の輪島駅前までの特急バスの乗り場が解かりづらかったが、
何とか見つけ私達はバスに乗った。

車窓から情景は、残り雪がところどころ観られ、ときおり風が強く吹く冬景色であり、
雪景色を期待していた私は少し失望したりした。

やがて輪島駅前でバスに下車したのは、午後3時半過ぎであり、
暖かい陽射しに少し戸惑いながら、タクシーで『ホテル高州園』に向った。

『ホテル高州園』でチェック・イン後、部屋から観た情景は、岸壁に建つホテルに打ち寄せる波、
そして遥か彼方まで観えるおだやかな日本海の波間、
私は荒々しい日本海の冬を想定していたので、戸惑いを重ねたりした。

そして、露天風呂に入ると、日本海の波打ち際をまじかに観る状景から程遠く、
何よりもプラステックの青いトタンが、前方の日本海を半分ぐらいを遮(さえぎ)られ、
公報した写真とは余りにも違う、と大いに落胆したりした。

夕食前のひととき、家内と館内を見て廻ったのであるが、
ロビーのはずれ、階段の踊り場などで、テレビ・ドラマの撮影に使用されたらしく、
記念写真が飾られていて、私は嫌な予感をしたりした。

たかがテレビ・ドラマに出演した主役の人たちとホテルの方が記念写真を撮り、
これを売り物のひとつにする程度の低さには、あきれたのである。
            
            
こうして私は綴りながら、食事の料理を思い出そうとしたが、何を頂いたか、すっかり忘れているので、
安易な食事だった、と思える。

そして、この『ホテル高州園』が街中に経営している土産屋を私達に盛んに薦めるので、
更に程度の低いホテルに宿泊した、と私達夫婦は失望を重ねたりした。

もとより現在は、どのように変貌しているか知らないが、あくまでこの当時に私たちが感じたことである。


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