悪夢ほど覚えているのはなぜ? 』
と題された見出しを見たりした。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
もとより夢は貧富に関係なく、その人なりの日頃の思い、言動の余韻、余情、
そして感性の賜物(たまもの)と私は確信を深めて、微苦笑したりしている。
つたない人生航路を歩んできた私でも、夢をみたりして、
目覚めた朝方に薄らと汗ばんたりしていることが多い。
このような心情を秘めてきた私は、
《・・人は、なぜ”夢”を見るのか・・夢って何?、・・・》、
何かと無学な私は、明確に応えられずに、遅ればせながら学びたく、
こっそりと記事を読んでしまった・・。
この記事は『女性セブン』の2021年9月9日号に掲載され、
関連の【 介護ポストセブン 】の『暮らし』に於いて、9月11日に配信され、
無断であるが、転載させて頂く。
《・・「大火事の夢は、吉夢」、
「“死の夢”は、新たな人生の暗示」などといわれるが、
夢には、占いのような予兆があるのか?
また、 夢を見る人と見ない人がいるのは、なぜか?
そんな謎多き「夢」について夢研究の第一人者に話を伺った。
☆『夢』は毎晩見ているの?
空を飛んだり、“推(お)し”と恋に落ちたり。
夢の中の突飛な体験は、何かの“兆し”?
「かつて、夢は科学で解明できない神秘的な存在でしたが、
この70年余りで大脳生理学、神経科学の研究が飛躍的に進みました。
ですから、夢を占い的な予兆とはとらえませんが、
夢に出てきた素材には理由があります」
そう語るのは、統計を利用し、夢を論理的に研究する心理学者の松田英子さんだ。
「睡眠中、脳内では、日中に蓄積された膨大な情報(記憶)を整理しています。
その過程で生まれるのが“夢”です。
『私はまったく夢を見ない』という人も、
朝起きたときに記憶に残っていないだけで、
実は誰でも、毎晩3~5つくらいは夢を見ています」(心理学者の松田英子さん)
☆「悪夢」ほど、覚えているのはなぜ?
いい夢より、悪夢を覚えていることが多いのはなぜか?
「夢は、心理状態と関連しているので、心配事や悩みを抱えていると、
ネガティブな夢となって現れやすくなります。
私も大学生の頃、毎日見る夢の内容が気になって、
夢分析の本を数冊読みましたが、解釈が腑に落ちず、
モヤモヤしているうちに、夢を見なくなりました。
後に、頻繁(ひんぱん)に見ていたのは、進路に悩んでいた時期で、
迷いが解決した途端、見なくなったことに気づきました。
それで、『夢と心理的に、重要な出来事には何かある、
夢分析とは違う方法で、夢のメカニズムを知りたい』
と思い、研究の道に入ったのです」
☆浅い眠り”ノン睡眠”のときに「夢」を見る
睡眠には、ノンレム睡眠(深い眠りから浅い眠りまで4段階)とレム睡眠の2種がある。
一般的に、入眠して90分ほどで、ノンレム睡眠が、
その後90分ほどで、レム睡眠が訪れ、
このサイクルが3~5回ほど、繰り返されるといわれる。
「レム睡眠は、『眼球以外の体は、休んでいて、脳は働いている』状態です。
脳は、生まれてからこれまでに見聞きした情報(記憶)を無限に蓄積しています。
☆「夢」とは、記憶の振り分け作業で再生される物語
脳内には、図書館のように『家族』、『子供時代』、『会社』、『恋愛』など
ジャンルごとのフォルダーがあり、
レム睡眠の間、脳は蓄積された情報を引っ張り出して取捨選択し、
各フォルダーに振り分けています。
この、記憶の振り分け作業の過程で、再生された物語が、夢。
レム睡眠中は、頭の中の活動が活発になっているため、
ストーリー性のある夢が見られるわけです。
つまり夢は、自分が体験し、脳内に蓄積した記憶の中から生まれる、
いわば『私だけのドキュメンタリー映画』なのです」(心理学者の松田英子さん)
☆「夢」を見ない=覚えていない理由
ノンレム睡眠に入ると、夢を忘れてしまうため、
目覚める直前に見る最後の夢だけを覚えていることが多く、
インパクトが強い夢ほど、記憶に残りやすい。
なのに夢を覚えていないのは、問題だろうか?
「夢を見ない(正確には覚えていない)のは、脳内の情報処理が正常に終了したということ。
精神的に安定している証拠です。
生活が順調で健康な人は、夢を覚えていない(覚える必要がない)傾向があるんです」
体の緊張が緩んでいるレム睡眠のときに、
夢の通りに動き回ってしまう「レム睡眠行動障害」という病気もある。
「初老期の男性に多く、暴漢をつかまえようとして、壁に激突したり、
大声でサッカーチームを応援していたなどの症例があります」
☆教えてくれた人
松田英子さん
東洋大学社会学部社会心理学科教授。博士(人文科学)、公認心理師、臨床心理士。
近刊に『楽しい睡眠。夢をデザインする』(ジャイブ)、
最新刊に『夢を読み解く心理学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。
取材・文/佐藤有栄 ・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
今回、「人は、なぜ”夢”を見るのか・・夢って何?」、
心理学者の松田英子さんに導かれて、多々教示されたりした・・。
ジャンルごとのフォルダーがあり、
レム睡眠の間、脳は蓄積された情報を引っ張り出して取捨選択し、
各フォルダーに振り分けています。
この、記憶の振り分け作業の過程で、再生された物語が、夢。
レム睡眠中は、頭の中の活動が活発になっているため、
ストーリー性のある夢が見られるわけです。
つまり夢は、自分が体験し、脳内に蓄積した記憶の中から生まれる、
いわば『私だけのドキュメンタリー映画』なのです」・・》、
微笑みながら学んだりした・・。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職するまでの半生は、
何かと屈折と卑屈感を秘めて、つたない人生航路を歩んだりしてきた。
こうした中、夢はときには昨日の続きの連続ドラマのようなことがあれば、
或いは映画館で観た三本立てのようにみることがある。
そして、総天然色(カラー)の時もあれば、白黒(モノクロ)だったりし、
目覚めた朝、ぼんやりと微苦笑することもある・・。
私は小学生の後半期、地元の映画館などで3作品を一挙に上映した三本立てを
数多く観たりしていた映画少年だったので、
この習性の余情かしら、と思ったりしている。
私は1960年(昭和35年)の中学3年の終りの頃、
私は職員室で担任の女の先生から呼ばれ、『XXくん・・あなた眼・・悪いわね・・0.3って・・』
と先生は、健康診断書を見ながら、私に言った・・。
『・・どうして・・今まで黙っていたの・・メガネを掛けないと・・黒板の字も見えないでしょう・・』
と先生は苦笑しながら、私に言った。
私は教室の指定された後部に座って、黒板の字もかすれていたが、
同級生もこのような状態と思い、信じていたのである。
こうした根底には兄ふたり、妹ふたりもメガネをしていないので、
それなりに思い込んでいたりした。
このようなことがあり、特に算数の基礎である因数分解など理解できず、
高校生になっても微分、積分などの授業には、理解できず逃げ回っていたグループのひとりであった。
このような結果として、もとより期末試験などは惨澹たる結果であり、
ときおり今でも、悪夢となり呻(うな)されたりすることもある。
サラリーマン現役時代だった頃の夢みる時は、どうしてなのか、業務の成功例より、
遥かに失敗したことを多く、目覚めた時に苦笑したりしている。
たとえば、上司、同僚、後輩がいる中、突然に中学時代の悪友が出てきたり、
どうしてお前がいるのょ・・、 と私は戸惑ったりしている。
ときには秘かに思い続けた小学校時代の初恋の同級生に見つめられたりし、
貴女はどうしているのょ・・、とありえない時代の落差に戸惑ったりし、
冷や汗をかくこともある。
或いは幼年期は私は農家の児であったので、
田畑、雑木林など景観を観たり、湧き水、竹林の筍(タケノコ)、野菜の収穫時などの
情景をみることもある。
こうした体験をしてきた私は、夢はもとより貧富に関係なく、
その人なりの日頃の思い、言動の余韻、余情、
そして感性の賜物〈たまもの〉と私は確信を深めて、微苦笑したりしている。
私の理想的な夢のひとときは、恥ずかしながら告白すれば、
齢ばかり重ねた今でも、女性への煩悩を捨て切れない拙(つたな)い身として、
秘かに思いながら、眠りにつくこともある・・。
街中、駅前などで、たまたまワンピース、ツーピースが似合う60代、70代の人を見かけ、
たまたま謙虚な会話が聴こえたり、魅了されるしぐさを感じた時、
或いは紬(つむぎ)が似合いそうな臈長(ろうた)けた人を見かけた時などある。
ときにはブログの世界で、シニア層と称せられる女性の方の投稿文に於いて、
読ませて頂だく中で、瞬時に魅了されたりすると、
どのような顔立ち、しぐさ、言葉を平素の生活の中で重ねる御方かしら、
と思わず想像してしまい、微笑んだりすることが多い・・。
私はこうした方と語り合い、散策した後、無念ながらお別れねぇ、と握手する、
このようなことを私なりに夢で願望したりしている。
私はこのようなことを思い馳せれば、思い込みが強い性格であるので、
ほとんど日頃から夢の中で叶(かな)えられるひとりである。
昨夜は、たまたま夢の中でお逢いできた人は、
サラリーマン時代にめぐり逢えた上司、同僚、後輩であったりした。
何かしらOB懇親会で、男性メンバーで二次会まで有志が参加され、やがて延長戦として、
新幹線で熱海まで行き、宿泊してゆっくりと語り合おう、という内容であったりした。
現実的には、二次会まで考えられるが、
この年代で突然に社員旅行のように宿泊することはないので、
目覚めた後、どうしてなの・・と戸惑いながら微苦笑したりした。
思い当たることは、新コロナウィルスの烈風で、OB懇親会は幾たびに延期となり、
たまたま昨日、パソコンに保存しているOB懇親会の記念写真を見たりして、
それぞれの御方と立ち話を思い馳せたり、しぐさを想い重ねたりしてきたので、
こうした余韻が脳裏に残っていたと思われ、独り微苦笑したりした・・。
私の現(うつつ)の日常生活に於いては、
近所の奥様、ときには御主人と自治会の回覧、買物、散策の時などで、
私は立ち話をしたりすることが多い。
昨年の年末に於いて、日常の買物専任者の私は、いつものように独りでスーパーに行った。
そして家内から依頼された品を買い求めた後、
レジ袋を両手に提(さ)げた上、12ロール入った1ケースのトイレット・ペーパーも提(さ)げて、
重くてかさばるよなぁ、と歩きながら帰宅に向っていた。
こうした時、近所で好感している奥様と出会ってしまい、大変ですわねぇ、と言葉をかけられて、
私は赤面したりした。
このように私は、夢のひととき、現(うつつ)の日常生活では、落差がありすぎる、
と苦笑することが多く、つたない人生航路を歩んだ私は、戸惑ったりしている。