今朝、ぼんやりと居間にあるカレンダーを見ると、
30日と明記され、月末かょ、と心の中で呟(つぶや)いたりしていた・・。
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は2004年(平成16年)秋に定年後、多々の理由により年金生活を始め、
10年近く60代を過ごしてきた・・。
年金生活を始めた直後から、私は自主的に平素の買物専任者となり、
家内からの依頼品を毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書をすることが多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、茶坊主の真似事をしている。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、パソコンの故障とか旅行に行っていない限り、
ブログの投稿文を重ねて、早や丸9年半が過ぎている。
そして時折、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内と国内旅行をしたりしている。
こうした中、私たち夫婦は幸いにも、お互いに大病で入院することもなく、
歯がお互いに老化して、歯科医院で幾たびか治療を受けてきたぐらいであり、
私の長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
そして数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズ、
と知人、友人からの便りを受けたりしてきた・・。
こうした中で、私は今年の9月の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月の誕生日を迎えると65歳となる。
そして共に高齢者となり、介護保険証を受ける身となっている。
もとより70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されている。
このように学んできた私は、9月を迎えると、60代に別れを告げるで、
何かしら60代最後の6月の水無月(みなづき)も終わってしまうのか、
と過ぎ去りし日々に愛惜を重ねてしまうのである・・。

私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域は、
過ぎし日の5月31日に今年初めて30度を越える真夏日となり、その後も初夏のような暑さが続き、
何かと熱さに苦手な私は、どうしてなのょ、と天上の気候神々の采配に戸惑ったりした。
そして5日になると、突然に涼しくなり、午後から雨が降りだして、
気象庁は『梅雨入り』になりました、と宣言され、平年より3日ぐらい早いかしら、と感じたりした。
この後、連日小雨が降り続け、ときには本降りの雨となったり、
激しい雷雨となったりしたこともあり、何かと今年の梅雨の時節は雨降る不安定な日が多く、
どうしてなのょ、と天上の気候の神々の采配に、
何かと鈍(にぶ)い私でも、戸惑いながら驚くことが多かった・・。
このような状況であったで、やむなく買物専任者の私は、二日に一回の買物となっている。

こうした中で、私は雨降る中、傘を差して散策したりしてきた。
川沿いの遊歩道の一角、小公園などに立ち寄り、紫陽花(アジサイ)などを見たりしてきた。

或いは家の小庭に群生させた半夏生(ハンゲショウ)を眺めたりしてきた。
黄緑色した葉の中で、わずか先端の数枚の葉は化粧をしたように白く染めあげられ、
ほのかな妖艶と感じ受けとめてきた。

そして山形県にある蔵王温泉街にあるリゾートホテルに、
過ぎし15日より4泊5日を滞在して、蔵王温泉の周辺を散策したりして遊学した。
こうした根底には、私たち夫婦の共通趣味は国内旅行であり、
お互いに元気で意欲のある今、行きたい所に行ければ良いと思い、周辺を歩き廻ったりしてきた。

このように私は、この6月の水無月(みなづき)を過ごし、
過ぎ去りし日々が実に早い、と感じながら享受したりしてきた。
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30日と明記され、月末かょ、と心の中で呟(つぶや)いたりしていた・・。
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は2004年(平成16年)秋に定年後、多々の理由により年金生活を始め、
10年近く60代を過ごしてきた・・。
年金生活を始めた直後から、私は自主的に平素の買物専任者となり、
家内からの依頼品を毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書をすることが多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、茶坊主の真似事をしている。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、パソコンの故障とか旅行に行っていない限り、
ブログの投稿文を重ねて、早や丸9年半が過ぎている。
そして時折、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内と国内旅行をしたりしている。

こうした中、私たち夫婦は幸いにも、お互いに大病で入院することもなく、
歯がお互いに老化して、歯科医院で幾たびか治療を受けてきたぐらいであり、
私の長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
そして数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズ、
と知人、友人からの便りを受けたりしてきた・・。
こうした中で、私は今年の9月の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月の誕生日を迎えると65歳となる。
そして共に高齢者となり、介護保険証を受ける身となっている。
もとより70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されている。
このように学んできた私は、9月を迎えると、60代に別れを告げるで、
何かしら60代最後の6月の水無月(みなづき)も終わってしまうのか、
と過ぎ去りし日々に愛惜を重ねてしまうのである・・。

私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域は、
過ぎし日の5月31日に今年初めて30度を越える真夏日となり、その後も初夏のような暑さが続き、
何かと熱さに苦手な私は、どうしてなのょ、と天上の気候神々の采配に戸惑ったりした。
そして5日になると、突然に涼しくなり、午後から雨が降りだして、
気象庁は『梅雨入り』になりました、と宣言され、平年より3日ぐらい早いかしら、と感じたりした。
この後、連日小雨が降り続け、ときには本降りの雨となったり、
激しい雷雨となったりしたこともあり、何かと今年の梅雨の時節は雨降る不安定な日が多く、
どうしてなのょ、と天上の気候の神々の采配に、
何かと鈍(にぶ)い私でも、戸惑いながら驚くことが多かった・・。
このような状況であったで、やむなく買物専任者の私は、二日に一回の買物となっている。

こうした中で、私は雨降る中、傘を差して散策したりしてきた。
川沿いの遊歩道の一角、小公園などに立ち寄り、紫陽花(アジサイ)などを見たりしてきた。

或いは家の小庭に群生させた半夏生(ハンゲショウ)を眺めたりしてきた。
黄緑色した葉の中で、わずか先端の数枚の葉は化粧をしたように白く染めあげられ、
ほのかな妖艶と感じ受けとめてきた。

そして山形県にある蔵王温泉街にあるリゾートホテルに、
過ぎし15日より4泊5日を滞在して、蔵王温泉の周辺を散策したりして遊学した。
こうした根底には、私たち夫婦の共通趣味は国内旅行であり、
お互いに元気で意欲のある今、行きたい所に行ければ良いと思い、周辺を歩き廻ったりしてきた。

このように私は、この6月の水無月(みなづき)を過ごし、
過ぎ去りし日々が実に早い、と感じながら享受したりしてきた。
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先日、関口宏のサンデーモーニングを見ていると
横須賀市の光が丘水辺公園から中継があり、
「ハンゲショウが見頃を迎えている」とのことで
群生する半夏生の姿と名前の由来などの説明がありました。
私はこの花の事を初めて知りました。
葉が花弁の役目を果たし、昆虫に受粉してもらえばやがて
元の緑の葉っぱに戻ることを学び、その仕組みに感心して一度見てみたいものだと思いました。
そして半夏生の群生地は期間限定で開放されるとのこと。
珍しい植物なんだ~と認識しました。
夢逢人様のこの記事、
なんとお庭に半夏生を群生させたとのこと。
この花を選ぶ人はやはり文学的な方だと思いました。
「ほのかな妖艶と感じ受けとめてきた」の表現に映像と文学の両方の感性を感じ、
私にもそんな感性があればなぁと思うのでした。
ではまた。
貴女様の御便り嬉しく読まさせて頂きました。
>夢逢人様のこの記事、
>なんとお庭に半夏生を群生させたとのこと。
>この花を選ぶ人はやはり文学的な方だと思いました。
>「ほのかな妖艶と感じ受けとめてきた」の表現に映像と文学の両方の感性を感じ、
>私にもそんな感性があればなぁと思うのでした。
我が家は昭和53年の3月下旬に新築した時、
家内が中学生の時から茶事を習っていましたので、
私の若気の至りで、家屋の一部を茶室として追加しました。
(10年前、私の定年後の年金生活に際して、茶室を改造して、漠然とした部屋に改造してしまいましたが、)
こうした中、家内のお茶の先生から、茶花を頂いたりしました。
半夏生、唐糸草(カライトソウ)、秋海棠(シュウカイドウ)だった、と私は記憶しています。
こうした関係で、私は茶花を少しずつ学んだ次第です。
私は抹茶などの御点前はできませんですので、せめて散文で情感を表現しょう、
と戯(たわむ)れ綴った次第です。
この『梅雨』の時節、我が家では、無念ながら紫陽花(アジサイ)はないので、
買物とか散策の時、川沿いの遊歩道の一角、小公園などに立ち寄り、享受したりしています。
淡い紫色、透きとおる青色の色合いが私の好みであり、
小雨が降ったり時、散策の折、偶然に見かけると、
傘を差しながらも、見惚(みと)れてしまい、しばらく独りでたたずんだりしてきました。
私は幼年期に農家の児として育ちまして、生家の田んぼの外れに咲いていた花菖蒲(ハナショウブ)を見て、
これこそ何よりも気品を秘めた高貴な花と思ったりしてきた次第です。
その後に、杜若(カキツバタ)の歴然とした美に享受を受け、
齢を重ねるたびに心は深まったりしています。
そして雨の降りしきる中、煙(けむ)るような木立の情景に見惚(みと)れたり、
定年後の年金生活の中で、梅雨の時節は私なりに秘かに心を寄せて過ごしています。
こうした中で、6月の水無月に相応しい茶花を思ったりしていますと、
薊(アザミ)、杜若(カキツバタ)、がく紫陽花(ガクアジサイ)等に魅了され、
そして初夏になると、夏椿(ナツツバキ)、宗旦木槿(ソウタンムクゲ)に待ち焦(こ)がれるのが、
平年の習性となっている次第です。