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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ブログの世界、匿名で発信している私、ときにはリアルな私を判明させられて・・。

2014-07-01 13:06:38 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
私の半生は何かと劣等感があり、屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・、
と思いながら、年金生活をしている・・。

年金生活をしている中のひとつとして、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

そして原則として少なくとも国内旅行で不在、或いはパソコンが故障しない限り、毎日投稿してきている。
          
                    
私が初めてブログの世界を知ったのは、定年後のまもない時であった。

         
我が家に於いてインターネットを開設したのは、私が定年退職する数ヶ月前であった。
この当時の私は、数多くの同世代の人たちと同様に、多忙の現役サラリーマン時期であり、
自宅のパソコンにインターネットを開設したならば、
友人たちと電子メールの交流の時間に余裕もない思いがあり、
退職後からすればよいと思いがあったのである。
          
私は現役サラリーン時代は情報畑に20数年従事し、1990年(平成2年)の初めの頃までは、
ある程度は専門畑としてコンピュータの世界が解かっていたが、
その後は人事異動して利用者側の間接部門となったので、
先端技術は解からず、ただパソコンを活用し、業務に従事していたぐらいであった。

このような体験があったが、いざ自宅でパソコンにインターネットを連動させた時、
Webのネット世界の環境には、驚きながら溜息を重ねて、出遅れたと感じたりした・・。
          
                    
そして、定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風に綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。

          
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、無知なりに社会、政治の分野まで発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
          
        
     
そして私は、2004年(平成16年)11月12日に【アメーバ・ブログ】に加入し、
『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』とタイトルを掲げ、
『kaze-hikari』という発信名で投稿をはじめた。

タイトル名の『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』に於いて、
~団塊世代のひとりとして~、と副題をしたのは、
私が中途入社した25歳の時、職場で机を並んだのは、新卒の人が多く、
彼らは団塊世代の人たちが多く、その後30年ぐらいは、
それぞれの時代の苦楽を共にした心情があった。

この当時、インターネットのWebの世界に未熟な私は、
戸惑いながらブログの知識のないまま投稿をはじめ、
日記投稿欄の書き込み、送信に、この当時は幾たびかエラーなどが発生し、
初心者として技量もなく、何度も書き直し投稿をしたりした。

この間、初めてコメントを頂いた時、喜び小躍(こおど)りしたりしていたが、
まもなく賞金ランキングのような形式が公示され、私のブログの思いの主旨と違うので、投稿をやめた。
          

そして私は他ブログ・サイトを探し、ブログに準じたサイトの【goo簡単ホームページ】を知り、
『風のように光のように』とタイトルを掲げて、入会したり、
或いはブログ・サイトの【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)の1月中旬に加入し、
『年金青年のたわむれ記』とタイトルを掲げて、無知なりに1年近く政治、経済など難題を投稿した。

この当時の【gooブログ】は、入会している会員数は100万人であり、
ブログに準じたサイトの【goo簡単ホームページ】は、こじんまりとした10万人ぐらいの会員数であった。

私は個人的な幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
お読み頂いた方に、リアルな私を判明しずらい会員数の少ない【goo簡単ホームページ】を選定した。
          

私はブログの投稿文を綴ることの内容は、誰しも光と影を有しているので、
つたない私でも書くことのためらう影の内容もある。

たとえば幼児の時は、何かといじけたことが多く、
やがて小・中学生は通信簿『2』と『3』の多い劣等生であり、
若き20代の前半に文学青年の真似事した時期、新人賞に応募し、
最終候補6作品の寸前で3回ばかり落選し、敗退したり、
或いは母は生まれてまもなく里子にだされて、やがて私たち兄妹の母親となった・・。

          
               
そして次兄が自営業の資金繰りに失敗し、睡眠薬を多量に飲み自裁し、
この当時の私は住宅ローン返済で苦慮していたので、
次兄から私を無力と感じとられて、私としては結果的には何の役にも立てずにいた・・など、
多々、私なりに屈折した出来事を余すことなく投稿してきた。

こうした出来事のことは、小心者の私としては匿名であることで発露できたことであり、
心のわだかまりを吐露しなければ、私としては一歩先でも進めない時もあったりした。
          

このような心のうめごきをリアルな現実の日常生活では、
たとえ私が言葉にしても、対人の受け止めることに困り果てることもある、と感じたりした。

小説、随筆などは、あくまで間接のワンクションンとして読者は受け止めることができ、
ブログの匿名で公開する内容も、ある意味合いでは同じかしら、と思ったりしている。

このような理由も重ねて、私はここ7年、発信名は『夢逢人』と命名したのである。
私の綴ってきたことは、まぎれなく私の知る限り真実を発露してきたので、
リアルな現実でお逢いするのは、私の心の裸身を見られたようで恥ずかしく、
文字通り、夢の世界でお逢いしたいですね、と思いながら命名したりした。
          

この間、幾たびかブログサイトに彷徨(さまよい)い2010年(平成22年)の7月から、
この【gooブログ】に於いて統合して、やがて数年前に『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』より、
『夢逢人かりそめ草紙』とタイトルを改称し、現在に至っている。

結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
          

こうした中、確か4か月の前の頃、電子メールで、
XXさんと思いますが、後輩のXXです、
と私が35年近く勤めていた音楽業界のあるレコード会社の後輩のひとりから、
丁重なお便りを頂いた。

何かしら私のブログの投稿文を偶然に読み、
私のリアル本人が判明し、会社時代の最近更新された名簿録から、電子メールのアドレスが解り、
私宛に後輩本人の近況を含めて、お便りを送信された、と私は知ったりした。

私は匿名の投稿文でも、ありのままの真情の投稿文を重ねると、
リアルな本人は判明してしまった、と少しばかり微苦笑させられた。
          

たとえば勤めていた音楽業界のレコード会社の各社に於いて、
私の定年後に、ある他社のレコード会社の社長が自裁されたり、
或いは他業界からあるレコード会社の買収案が新聞紙上でニュースになった時、
無力な私でも、いたたまれない心情となり、私は幾つかの投稿文を発信したりしてきた。

こうした私の投稿文をお読み頂ければ、現役サラリーマン時代の先輩、同僚、後輩、
そして知人は、あの人だ、と私のリアル本人は判明してしまう。

或いは私の現役時代の最後の5年間は、リストラ烈風の中、
私は出向となり、この当時の真情をくまなく投稿文に綴ってきたので、
やはり私のリアル本人は、一部の方に判明してしまう、と思われる。
          

こうした中で、私は定年後の年賀状を発信する時、私の近況を書く中で、
《・・このような身過ぎ世過ぎの年金生活をして、
  あふれた思いをブログの投稿文を重ねたりし、
  生きがいのひとつとなっています。・・》
このような意味合いの文を9年ばかりの綴ってきた。

このような状況であるので、先輩、同僚、そして知人の中の人たちの一部に於いて、
私のブログの投稿文を偶然に読み、私のリアル本人は判明し、微苦笑されていると思われる。
そして私にあえて告知せずに、静観して、お読み頂いている、と私は思ったりしている。
          

私は今年の9月に誕生日を迎えると、古希と称される70歳となり、
残された人生の歳月は、もとより天上の神々の采配に寄るが、
私は匿名であろうと、リアルな私が判明しょうが、
これまでと同様に、脚色もないありのままの思い、そして真情を投稿文に認(したた)めようと、
微苦笑を重ねたりしている。

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