夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

曽野綾子(その・あやこ)さんに、公然とお逢いできる、ひとつの方法としては・・。

2011-05-20 11:47:26 | 定年後の思い
私は最近の読書の傾向として、
作家・曽野綾子さんのエッセイなどを読むことが多くなっている。

私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に、
大学を中退して、アルバイトなどをしながら映画・文学青年の真似事をしていた時代もあった。

こうした中で、作家・曽野綾子さんの作品を初めて読んだのは、
講談社から出版された『われらの文学』と名づけられた文学全集からであった。

この文学全集は、確か1965(昭和40)年の頃から毎月一巻発刊され、全22巻であり、
大江健三郎(おおえ・けんさぶろう、江藤淳(えとう・じゅん)の両氏による責任編集の基で刊行され、
この当時の老成家した作家を除外した斬新な全集であった。

私はこの以前には、中央公論社から、
確か『日本の文学』と命名された80巻ぐらいであったと思われる文学全集を読んでいたが、
この『われらの文学』は、この当時に最も勢いのある大江健三郎、江藤淳の両氏による責任編集に寄り、
選定された28名の作家の作品を私なりに精読していた。

そして、この全集の中で、第16巻として『曽野綾子(その・あやこ)、北杜夫(きた・もりお)』が、
1966(昭和41)年5月に発刊されて、
『たまゆら』、『遠来の客たち』を含む8作品を初めて精読した。

その後の私は、文学青年の真似事も挫折し敗退した後、
サラリーマンとして民間会社に勤めだしたのは、 1970(昭和45)年4月であった。

そして2004(平成16)年の10月に定年退職するまでの35年弱、
数多くのサラリーマンと同様に多忙な期間でもあり、
曽野綾子さんの作品は、題名も忘れてしまったが、エッセイ集の単行本を3冊ぐらい買い求めたり、
明確に覚えているのは、月間雑誌の『新潮45』に於いて、
『夜明けの新聞の匂い』と題された連載のエッセイを1990(平成2)年の前後3年ぐらいは、
読んだ記憶があるが、これ以外は定かでない。


私は退職の5年前の頃には、退職後の10年は五体満足で生かしてくれ、
その後の70代以降は余生であり、平均寿命なんて・・と公言したりし、
年配者の一部から険悪されたりしていた。

そして、退職後の1年を過ぎた頃、
亡き作家・城山三郎(しろやま・さぶろう)氏の『無所属の時間に生きる』の随筆集を読んでいた時、
『この日、この空、この私』の一節を教訓としている。

《・・
人生の持ち時間に大差はない。
問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、
あえて挑むとか、打って出ることも、肝要となろう。
・・》

この名言をお借りして、私の残された人生の信条としている。

私は66歳の高齢者2年生となった身であるが、
やはり人生の残された歳月を漠然と考える時、強がりの私でも不安がある。

ここ一年ぐらいは、突然に曽野綾子さんの作品を読み始め、
数多くのエッセイ集の単行本、新書、文庫本を本屋で買い求めたり、古本屋で偶然に見つけて、
購読している。

曽野綾子さんの綴られたエッセイを読むと、短縮した言葉であえて表現すれば、
もとより明確な人生観を根底にあり、たぐいまれな言動を重ねて、
超高齢化社会の高齢者世代に、残された人生の指針を具体的に発露され、
そして読者は生きがいの要素の再確認と安堵感をもたらす、
と私は思ったりしている・・。


今朝、いつものように読売新聞を読んでいて、
2面の下段に、曽野綾子さんの微笑した写真があった。

徳間書店の出版の広告が掲載されて、

《 ベストセラー『老いの才覚』に続く 最期の備え
             この時代をより良く生きるために

  『人生の第四楽章としての死』
                曽野綾子  》

と重版の広告であった。

そして《 人生は明るく前向きに 締めくくることができる 》と大きく横書きされ、
8か条のような箇条書きが明記されていた・・。

著作権の関係もあり、ひとつだけ転記させて頂く。

《 最後に残るのは、財産でもなく名声でもなく愛だけだ 》

と明記されていた。

このような箇条書きのひとつを読むと、つたない人生を歩んできた私でも、
降参します、と思いながら本屋に行き、買い求め読みたくなる不思議な本である。

まぎれなく私が精読すれば、市販のビタミン剤より少なくとも百万倍は、
心身ともに効果がある、と感じている。


このようにぼんやりと感じていたら、
この広告の右隅に、
《 刊行記念サイン会のお知らせ 》
と明記されて、詳細内容が明示されていた。

この後、これだったら曽野綾子さんに、公然とお逢いできる、
と思い、微笑んでしまった・・。

しかし私にとっては、昨今に敬愛を深めている曽野綾子さんにお逢いできるには、
たとえ私が、家内から珍しく誉められた初夏のスーツのようなブレザーの容姿で私が行っても、
あこがれの君のような高嶺の花の曽野綾子さんの前では、
ドキドキしてしまうと思われる小心者の私なのである。

近日中に本屋で買い求めるか、
或いは恥ずかしながら一ヶ月過ぎた後のサイン会の直前に買い求めて、
高嶺の花の曽野綾子さんのお逢いするか、
齢ばかり重ねた私は迷いながら、微苦笑している。


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