夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

この冬の時節の昨年は、札幌に滞在して付近の名所を周遊【2012.1.28.~2.3.】 《4》

2013-01-22 08:20:12 | 旅のあれこれ
         第4章  大倉山、藻岩〈もえい〉山の展望台から市内の街並みを一望すれば

30日の午前中は冬晴れのまばゆい中、初めて訪れる北海道大学の構内を散策した後、
午後は大倉山、藻岩〈もえい〉山の展望台から市内の街並みを一望できるだろう、
と私たち夫婦は、北海道中央バスの定期観光周遊プランのひとつで、
『大倉山&藻岩山 サッポロ☆トリップ』と称されたコースに、私たちは参加した。

札幌南口の駅前バスターミナルを観光バスは午後2時半少し前に出発し、そして街中を通り過ぎ、
郊外の『大倉山ジャンプ競技場』の駐車場にわずか20分前後で到着した。

この『大倉山ジャンプ競技場』は、私たち夫婦は1981〈昭和56〉年の夏、
初めて道南地域の旅行をした時、札幌に無知な私たちはハイヤー観光で周遊した時、
この『大倉山ジャンプ競技場』にも立ち寄ってくれたが、
確か草の生い茂る周囲に、ジャンプ台が観えただけであった。

駐車場、スポーツミュージアムなどが新設され、
ジャンプ台の頂上まで、二人乗りのリフトがあり、私たちは驚きながらリフトに乗った。
          
こうしてリストに乗りながら、私は突然に心の中でひとつの歌が思い馳せたりした・・。

♪虹の地平を 歩み出て
 影たちが近づく 手をとりあって
  ・・
【『虹と雪のバラード』 作詞・河邨文一郎、作曲・村井邦彦、唄・トワ・エ・モワ 】

私は苦手なトワ・エ・モアの札幌冬季オリンピックの歌なのであるが、
スポーツに興味のない私さえ、脳裏に残っていた。

もとよりアジアと日本で初めて開催された1964年(昭和39)年の秋の『東京オンンピック』に続き、
冬季オリンピックを『札幌』で開催させようという機運が高まったりした後、
政官財はもとより、多くの日本人が純粋に熱狂し開催できた最後のスポーツ祭典と思ったりしたのである。

その後のスポーツ祭典は、政官財と開催される自治体の思惑が感じられ、
一部の日本人は醒めた祭典となった、と私は強く思ったりしたのである。
          

そして山頂の展望台からは、広大な市内の街並みが一望でき、しばらく見惚(みと)れたりした。

その後、観光バスは『藻岩山』に向かい、急速な坂道を登りきると、駐車場があり、
私たち一行はロープウェイに乗車し、雑木林、街並みを観ながら上昇した。
そして中腹に着くと、ミニケーブルが観え、その近くに小型バスにキャタピラを付けた雪上車があり、
『モーりす』と大きくか書かれていた。
          
この可愛らしい『モーりす』号に乗車したが、
私たち夫婦は東北の蔵王で遠刈田方面から蔵王の樹氷めぐりをした時に、
本格的な雪上車の乗車し、山頂をめざした体験があったので、微苦笑を重ねたりした。

そして展望台から山なみ、市内の街並みが一望でき、圧倒的に私は魅了された・・。
        

10分ぐらい東西南北の情景を観たりした後、早くも夕闇がせまり、往路はミニケーブルに乗車し、
そしてロープウェイに乗車し、下方の市内の街並みの灯りが一望できた・・。

ぼんやりと私は、こうした情景を観ていると、過ぎし日に市内の街並みの灯りを一望したことが思いだされた・・。

2002(平成14)年の年末、私達夫婦は『ゆく年くる年 日本のてっぺんでお正月3日間』
と称された団体観光周遊ツアーに参加した。
私の定年退職したのは2004(平成16)年の秋であったので、現役は残すところ1年10が月前であった。

この旅の終わりの寸前、札幌の郊外の根雪となった羊が丘で散策している時、
札幌の市内の灯りが満天の星のように観える中、
お正月の旅行も終ったね、と私は家内と笑いあったりしていた。

この後、私はまもなく中島みゆきさんの『根雪』の歌が心の中で流れたのである・・。

私は1970(昭和45)の春、ある大手の民間会社に中途入社し、
まもなく新設されたあるレコード会社に転籍させられた。
その後、レコード業界は、業界全体の売上げピークは1998(平成10)年で、
デパート業界と同様にかげりが見え、
この前後に各社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、人事配置転換による他部門の異動、出向、
早期退職優遇制度により退職が行われた。

先輩、同僚、後輩の一部の人が、第二の人生を選択し、早期退職優遇制度に申請を出され、
私も出向となり、取引会社のひとつの物流会社に勤めた。

私が定年を迎える頃まで、いくたびかリストラが実施され、
長年苦楽を共にした先輩、同僚、後輩たちと別れを告げたりした。
そして、出向先の物流会社も何度かリストラで、お世話になった方たちの送別会に出たりした。

私は出向先で、人員削減の荒波から退避したような立場となり、
心身とも辛い日々を過ごしていたのである。

こうしたことが札幌の街並みを眺め、思いだされてきたのである。

♪町は 毎日 冬
 どんな服でかくしてみせても
 後ろ姿 こごえてる
 ひとり歩きは みんな 寒い
    (略)
 いつか時が経てば
 忘れられる あんたなんか

【『根雪』 作詞・作曲・中島みゆき、編曲・福井 峻、唄・中島みゆき 】

私はやむえず業界から立ち去った先輩、同僚、後輩の一部の人たちが浮かび、
愛惜感でいっぱいだったのである。

このようなことを思い重ねたりしていた・・。

あれから10年は過ぎ、あの頃は現役サラリーマンで定年退職時まで残すところ1年10が月前であり、
出向先で5年半を勤務していた私は、出向先の物流会社、そして出向元の私が30年近く勤めた会社も、
リストラ烈風で、私自身は出向身分であったので、人員削減の荒波から退避したような立場となり、
心身とも辛い日々を過ごしていた・・。

あれから何とか定年退職を迎えた私は、私は第二の就職を避けて、
年金生活に入り、早くも年金8年生となっている。

過ぎ去ってしまえば、時が解決する、という名言があるが、
そうですよねぇ、と私は微苦笑させられたのである。


観光バスで札幌駅が観えた時、隣席にいる家内が、
『この観光ツアー良かったわ・・
昼下がりに大倉山の展望台からは、冬晴れの中、広大な市内の街並みが一望できたし・・
藻岩山の展望台の帰りにロープウェイからは・・下方の市内の街並みの灯りが一望できたし・・
良かったわ・・』
と家内は微笑みながら私に言った。

『そうだよねぇ』
と私は微苦笑しながら、家内に応えた。

                              《つづく》
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