夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

阿川佐和子さんの素敵な笑顔を見れば・・。

2009-10-09 11:44:46 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
朝6時半過ぎに穏やかな秋の陽射しを迎え、ほんやりと読売新聞の朝刊を見ていた・・。

《 台風18号、太平洋上に抜ける 》

と見出しに注視して記事を読んだのである。

《・・
日本列島を縦断して各地に強風被害をもたらした大型の台風18号は8日夕、
東北地方の太平洋側に通り抜けた。

9日未明には暴風域を伴ったまま北海道に接近する見込みで、
気象庁は暴風や高波、大雨に引き続き警戒を呼びかけている。

気象庁によると、大型の台風18号は8日午後10時現在、北海道・襟裳岬の南南東約200キロにあり、時速約50キロで北東に進んでいる。
中心付近の気圧は980ヘクト・パスカルで、最大風速は30メートル、最大瞬間風速は45メートル。

読売新聞の8日午後8時時点の集計では、台風18号の影響による死者は2人。
けが人は111人に上った。
・・》
注)新聞記事の原文をあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091008-OYT1T00903.htm

私は2年ぶりに日本列島を上陸した台風が過ぎ去り、不幸にしてお亡くなわれた方にご冥福、
そして怪我をされた方たちには、大変にお気の毒と思いながら、
これで何とか台風一過となった、と安堵したりしたのである。

この後、ノーベル文学賞を受賞されたドイツの女性作家ミュラーさんの記事を深く精読したのである。

この記事に準じた記事の内容は、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されているので、
無断であるが転載させて頂く。

《・・
       ノーベル文学賞に独作家ミュラー氏

        「疎外された人々を描写」

【ストックホルム=林路郎】スウェーデン・アカデミーは8日、
2009年のノーベル文学賞をドイツの女性作家ヘルタ・ミュラーさん(56)に授与すると発表した。

「濃密な詩と、散文の率直さにより、疎外された人々を描写した」ことが授賞理由となった。
賞金は1000万クローナ(約1億3000万円)。授賞式は12月10日に行われる。

ミュラーさんは1953年、ルーマニア西部バナート地方でドイツ系家庭に生まれた。
父親は第2次大戦中、ナチス武装親衛隊で兵役を務め、母親は45年にソ連の収容所に連行された。
ティミショアラ大学でドイツとルーマニアの文学を学ぶ間、
チャウシェスク大統領の独裁に反発し、言論の自由を求める運動に参加。
工場の翻訳者となったが、秘密警察への情報提供を拒んで解雇され、失職。
こうした体験を作品に投影した。

ルーマニアの小さなドイツ系社会における腐敗や不寛容、抑圧などを題材にした短編集「泥沼の世界」を82年に発表。
ルーマニアでは検閲対象となったが、検閲前の版がドイツ語圏で高く評価された。

84年には作風を危険視した当局がミュラーさんの国内での出版活動を禁止。
このため、87年に夫と西独へ移住した。

その後も「緑の梅の土地」(94年)などで独裁下の民衆の窮状を描いた作品を発表。
ヨーロッパ文学賞など多くの文学賞を受賞した。
日本では「狙われたキツネ」(92年)が翻訳されている。

(2009年10月9日 読売新聞)
・・》
注)新聞記事の原文をあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20091009bk01.htm

私はヒットラーの占領下の祖国でご両親の状況、
そして戦後のご自身の軌跡を思い馳せたりすると、まぎれなくそれぞれの時代の歴史に翻弄されなから、
文学作品を結実させた女史を敬意し、このことを本日の投稿内容にしょうかしら、
と30分ぐらい考え込んだのである。


この後、NHKのテレビに於いて、8時35分から【生活ほっとモーニング「この人にトキメキっ!】という番組の予告で、
本日の出演は阿川佐和子さん、と知ったのである。

阿川佐和子ちゃんであれば、私は何よりも最優先にしょう、とビデオの収録を準備しながら、
テレビ番組を待ち焦がれたのである・・。


私は阿川佐和子さんに関しては、秘かな愛読者のひとりとして、このサイトに於いても投稿している。

2007年12月29日に於いては、
【 阿川佐和子・女史は、対談の達人・・♪ 】
と題して投稿しているので、あえて再掲載をする。

【・・
過日、数学者の藤原正彦の対談が掲載されているので、
阿川佐和子の対談集『阿川佐和子の会えばなるほど ~この人に会いたい 6~』(文春文庫)を購入し、
目的の藤原正彦との対談を読み終わった後は、別の本を読んだりしていたのであった。

阿川佐和子女史に関しては、無知な方であるが、
父上の作家・阿川弘之氏の小説、随筆は私なりに愛読し、感銘を受けたりし、
40年が過ぎようとしている。

このような関係で、このお方のお嬢さんか、と思っていたが、少し気になる人である。

過日、阿川弘之、阿川佐和子の両氏に寄る『蛙の子は蛙の子』(ちくま文庫)を6年ぶりに再読したが、
父と娘の往復書簡を精読すれば、育ちの良さ、それなりの教養が感じられ、
私は阿川佐和子女史に好感していた。

今朝、遅い朝食を10時過ぎ時に純米酒を頂いたので、寝室で布団にもぐり、軽い読み物として、
この『合えばなるほど・・』の殆ど未読を読み始めたのである。

衆議院議員の亀井静香との対談は、私は笑い転げ、しばし唖然となった。
あたかも漫才のような対談であったが、
漫才の世界であったならば、これ以上絶妙なコンビはない、と確信させられるほどである。

その後、野球の中日ドラゴンズ監督の落合博満、
角川春樹事務所特別顧問の角川春樹の両氏との対談を読んだりしたが、
阿川佐和子女史は紛(まぎ)れもなく、対談の達人である、と確信を深めたのである。

会話のはずみ、あいづちの微妙さは天性かしら、と感じたが、
この人なりの素養、感性、そして感覚のなせることだと判り、
『週間文春』で連載が700回を突破し好評の秘密が理解出来たのである。
・・】


この少し前の2007年11月10日に於いては、
【 晩秋の読書、旅先では 】と題して投稿していた。

【・・
東京の郊外は、小雨が降り続けている。
昨夜、9時過ぎから降りだし、明日の夕方まで降り、
世間の人々はお忙しい方が多いと思われるので、天上の気候の神々は少し安息されたら、いかがでしょう、
と私なりに感じたりしているのである。

私は年金生活の身であるが、日常から読書が第一趣味なので、
何かと活字に目にするのが忙しいのである。

過日の沖縄旅行の時も、寝しなに本がないと眠れない習慣となって、2冊の文庫本を持参して行った。
阿川弘之・著の『女王陛下の阿房船』(講談社文庫)、
阿川弘之、阿川佐和子・共著の『蛙の子は蛙の子 ~父と娘の往復書簡~』(ちくま文庫)の二冊である。

いずれも再読の2冊であるが、
前書からは、豪華客船の船旅から文化を学び、
あとの一冊からは父から娘、娘から父への想いが真摯に綴られている。
そして父の阿川弘之氏は、戦後の文学風潮の中、
小説家としての自己の文学の悩みなど発露されたりしている。

敗戦後から平成の8年までの、単なる家族関係でなく、
社会風潮も根底に秘められて折、私なりに学ぶことが多いのである。

尚、父は1920年(大正9年)、
娘は1953年(昭和28年)生まれであるので、
この世代の方には、より一層それぞれの思いも共感できる、と私は確信したりしている。
・・】


このような思いが少なくともあるので、番組を視聴したのである。

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2009-10-09&ch=21&eid=1887
生活ほっとモーニング「この人にトキメキっ! 阿川佐和子」



阿川佐和子さんが大学を卒業後、人生に彷徨(さまよい)いながら、
テレビの副司会者として起用されたのは父上の阿川弘之氏からの親の七光り、
その後は筑紫哲也氏などの番組の副司会者として出演でき、親の七光り・・
ですから親の14光り、かしら、と発言されたりし、
私はこのお方の感性に魅了されたのである。

もとより阿川佐和子さんはが多くのエッセイ、小説を発表されているが、
初期の頃は父上・阿川弘之氏の文章の手ほどきを受けたりし、
その後も文章を綴ることの労苦を味わっていたのである。

今回の番組の上で、父が母と子供4人を筆1本で家族を養ったこと、
感謝しながら阿川佐和子さんの感覚で発言されて、
改めて私は阿川佐和子さんのこれまでの軌跡を思い重ね、
この方の素敵な言葉、笑顔、しぐさに私は魅了され増したのである・。




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