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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

我が家の今年度の目標は、樹木葬の墓地を確定することが、命題となり・・。

2015-06-07 15:15:18 | ささやかな古稀からの思い
私たち夫婦は国内旅行が共通の趣味のひとつであり、この時節は定年後の年金生活の中、
毎年のように各地を遊学することが多い・・。

昨年は山形県にある蔵王温泉街にあるリゾートホテルに6月15日より4泊5日を滞在し、
蔵王温泉の周辺を散策したりして遊学した。

しかしながら、今年に限り旅行のプランを思案することなく、私は時折うつろな心情となり、
苦笑したりしている。

今年も冬の旅として、2月9日より北海道の紋別の市内にある観光ホテルに3泊した後、
サロマ湖の湖畔にあるリゾートホテルに3泊し、そして網走湖の湖畔にあるリゾートホテルに1泊し、
遊学してきた。

やがて3月上旬の頃、今年は旅行を取りやめて、
樹木葬の墓地を本格的に探して、決定する年に、と私たち夫婦は話し合ったりした。
          

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、生家も近く、
結婚前後の5年を除き、この地域に65年ばかり住んでいる。

私の生家は長兄が実家として継いで、確か18代目となって、祖先代々からの位牌などのある仏壇を守り、
お墓は実家から徒歩で20分ばかり小田急線の『狛江』駅から数分歩いた所の寺院の広い墓地の一角にある。

私たち夫婦も、母の命日、春のお彼岸、夏のお盆、秋のお彼岸に、
長兄宅に寄って仏壇にお線香を捧げた後、長兄夫婦、来宅している叔母、親戚の方たちと談笑したりした後、
お墓参りに行ったりしている。

私は農家の三男坊として生を受け、分家のような形で実家の近くに住んでいるが、
生家のお墓の近くに墓地を買い求めるに、たまたま私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、
一代限りとなるので、私たち夫婦が亡くなった後のことを配慮し、躊躇(ためら)ってきた・・。

何よりも長兄の子ども、私にとっては甥っ子であるが、後々も迷惑、負担をかけたくない、
と漠然と思ったりしていた・・。
                                        

私が40歳を過ぎた頃の1985年〈昭和60年〉の2月、
亡き小説家・立原正秋の作品のひとつに描かれた信州の別所温泉に、私たち夫婦は1泊2日で訪ねた。

私がこの当時何かと愛用していた『L特急』で、上野駅から上田駅まで利用し、
上田電鉄の別所線に乗り換え、かぼそい2両連結の電車で終点の別所温泉駅に行ったりした。

もとより別所温泉地域は、鎌倉時代には周辺の塩田平地域を本拠とした塩田北条氏が、
建立による国宝八角三重塔を有する安楽寺や北向観音が創建され、
やがて近代に至って北条氏とのゆかりや神社仏閣が点在する塩田平・別所界隈の様子を鎌倉になぞらえ、
「信州の鎌倉」と称せられるようになった地である。

私たちは、秘かに木造建築の美の結晶のひとつであると私が深く感じた旅館『花屋』に宿泊し、
周辺の名所を散策したりした。

あるお寺を散策していた時、お寺の隣あわせに里山を切り開いたように、
緩やかな傾斜のある広大な墓地があり、お花が数多く飾られ、お線香の煙がたなびいていた・・。

その外れに松林のゆったりした丘があり、ここに数多くの墓石が転がっていた。
人が訪ずれた形跡もなく、墓石に松葉が音もなく舞い降り、
苔に覆われた墓石が横たわっていたり、松の葉で埋もれかけた墓石もあった。

こうした無縁の墓地に、木漏れ日が地上を彩(いろど)っていた。

私は、人が土に還える、とはこのような事だろう、と思案したりした。

こうした思いから、通常のお墓でなく、無縁仏に近いことを考え始めた・・。
          

その後、10年過ぎた頃、岩手県のあるお寺で樹木葬を知り、
これだったら土に還える、と納得しながら、家内に言った。

『俺が先に死んだら・・花巻温泉で静養し、気が向いた時でいいから
・・・お墓には寄ってくれればよい』

お墓といっても、里山に墓石もなく、私たちの好きな樹木のひとつがあるだけである。
          

このように私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、
確か7年前の頃に伊豆大島にも樹木園ができた、とか学んだりしてきた。

或いは我が家からバスと電車を利用して、一時間ぐらいの地域に、広大な墓地の一角に、
畳一畳より少し小さ目の墓地で、たった一本の樹木が植えられ墓地の販売区画で永代供養墓と知った。

そして永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
片割れの残された方が、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしてきた。
          

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、一代限りの身の為か、
私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花を中核に洋花も配し音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ10数年言ったりしている。

そしてお墓は要らず、死者は土に還る、という強い思いがあるので、
樹木葬のある墓地の里山に埋めて頂きたい、と私は独断と偏見である。
その後、四十九日の納骨が終われば、
何らかの雑木の下で永久に安らかに眠る、という考えの持ち主である。

そして残された人は、旅行か何かの機会に時、気が向いたとき、お墓参りをしてくれれば良い。
数年に一回でも良いし、或いはそのままお墓参りなどしなくて、
ご自分の余生を楽しんだ方が良い、と私たちは話し合ったりしてきた。
          

こうした心情を秘めた私たち夫婦は、樹木葬の墓地を漠然と思案してきたが、
私は70歳、家内は65歳となっている今、お互いにボケないうちに、
今年こそ墓地を確定しておこう、と決意したりした。

そして現在も、墓地を探し求めて検討しているのが、私たち夫婦の実情となっている。

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コメント (2)
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