私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めて、早や11年生の70歳の身である。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後37年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
こうした中で、私は殆ど毎日のように家内から依頼された平素の買物で、
独りで最寄りのスーパー、或いは最寄駅のスーパー、専門店に行っている買物メール老ボーイで、
帰宅後も自宅の周辺3キロ範囲の住宅街の道、遊歩道、公園を歩き廻ったりしている。
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
そして小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となっている。
或いは私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
根がケチの為か路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりしている。
そして冠婚葬祭、都心に買物、旅行、知人・友人と懇親会などがない限り、
季節のうつろう情景に享受しながら、齢を重ねた私は歩くことは健康の第一歩、
と確信を深めながら歩いたりしてきた。
こうした時の私の容姿は、今の季節ではストレッチパンズの長ズボン、半袖のスポーツシャツかアロハシャツとなり、
夏の帽子を被り、足元はウォーキング・シューズとなり、
紳士用の小物入れのA4サイズのショルダー式バックを斜め掛けをしている。
そして時折コンバクト・デジカメを首回りからネクタイのように下げて、颯爽と歩くことが多くなっている。
こうした中で、情景に瞬時に魅せられた時、立ち止まりデジカメで、
記念写真ねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、記憶のかたみとして撮ったりしている。
そしてショルダー式バックの中身は、扇子、ハンドタオル、ハンカチ、タバコ、ライター、簡易携帯灰皿、
財布、そして住基カードとなっている。
財布には平素としてスーパー、専門店のポイント貯められるカードが4枚、
そして現金は一万円札は数枚、千円札と百円玉であり、
忘れて成らないのは買物に備えての5円玉、1円玉となっている。
こうした中で、私は外出の時の秘かなお守りとして、『住基カード』を持ち歩いて、
早や8年が過ぎている・・。
私は『住基カード』と略称されている『住民基本台帳カード』を確かな身分証明として愛用している。
私が保有している住基カードは、氏名、生年月日、住所が記載され、
ほぼ住民票と同じような内容がICカードとなり、恥ずかしながら写真も明示されている。
私は長きの期間のペーパー・ドライバーだった・・。
、
結婚する30歳の前は生家に住んでいた期間は、生家の自動車を利用して、
若気の勢いで、盛んにドライブし、軽井沢、蓼科、箱根、伊豆半島などの各地に行ったりした・・。
そして結婚して3年目に生家の近くに一軒家を建てた後、住宅ローンの返済て、
とても自動車を購入できる余裕はなかった。
やがて40代を過ぎても会社の業務が多忙で、家内とのんびりドライブすることなどは、
夢のひとつでもあったりした。
こうした思いが根底に秘めていたので、定年後には自動車を買い求めて、
家内と共に国内旅行を自在に、ドライブ旅行をしょうと思ったりしていた。
そして2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めたが、
無念ながら齢を重ね、判断力も鈍り、今頃から再び自動車を運転して、
人身事故でも起こした場合、何よりも相手方に対して、いつまでも心痛な思いが残ると思われた。
その上に何かと小心者の私は、慙愧に苦しみ、心身痛みを生じ、たとえ金銭上の賠償責任を終えても、
交通刑務所に服役の場合も考えられ、私の残された人生が大幅に狂うと妄想を重ねた結果、
やがて免許証の更新時に、自主的に更新を取り止めたのは62歳の時であった。
しかしながら私は普通運転免許証の更新を中止した時、何かしらの身分証明証が欲しかった。
私は現役サラリーマン時代には、会社の旅行として台湾、或いはハワイに行ったりし、
もとよりパスポートは所有して遊学していた。
そして私は幾たびか家内に海外旅行を誘っても、
家内は何かと苦手意識があり、国内旅行の方は気楽だわ、と結論に達して、
やがて私のパスポートは期限切れとなったりし、これといった身分証明書がなくなってしまった。
もとより年金生活の私たちは、お互いに『国民健康被保険者証』は所有しているが、
写真入りの証明証でなく、万一、『国民健康被保険者証』を落とした場合は、悪用される確率が高くなる。
私が現役サラリーマン時代の頃は、外資系の会社であったので、定年の10年前の頃から
写真入りのIDカードを常時持たせられた。
このような状況であったので、市役所に問い合わせると、
『住民基本台帳カード』の写真入りであったならば、
市役所、公共施設、銀行、郵便局、パスポートの申請の際、本人の確認に使える知り、
私は即急に申請して、その後の私は『住基カード』を持ち歩いたりしている。
こうした中、私は路線バスも走る大通りの歩道を歩いたりすると、
若きご婦人が自転車に乗り信号を無視して走行したりしている。
、
或いは高校生が自転車に乗り、携帯電話かスマホか解らないが、
前方をあまり見ないで状況を、時折見かけたりしている。
このような時に、私は不幸にして、事故に巻き込まれたりする不安もある。
そして私は人影の少ない遊歩道、公園を、季節のうつろう情景を観ながら歩くことが好きである。
時には、かぼそい声で唄ったりしている。
こうした炎天下を歩いたりしているが、熱中症で倒れて、やがて救急車で病院に運ばれても、
『住基カード』がないと、身元不明者なってしまい、余りにも自分が可哀想なので、
たった一枚の『住基カード』が確かなお守り代わりとしているのである。
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多々の理由で年金生活を始めて、早や11年生の70歳の身である。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後37年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
こうした中で、私は殆ど毎日のように家内から依頼された平素の買物で、
独りで最寄りのスーパー、或いは最寄駅のスーパー、専門店に行っている買物メール老ボーイで、
帰宅後も自宅の周辺3キロ範囲の住宅街の道、遊歩道、公園を歩き廻ったりしている。
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
そして小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となっている。
或いは私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
根がケチの為か路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりしている。
そして冠婚葬祭、都心に買物、旅行、知人・友人と懇親会などがない限り、
季節のうつろう情景に享受しながら、齢を重ねた私は歩くことは健康の第一歩、
と確信を深めながら歩いたりしてきた。
こうした時の私の容姿は、今の季節ではストレッチパンズの長ズボン、半袖のスポーツシャツかアロハシャツとなり、
夏の帽子を被り、足元はウォーキング・シューズとなり、
紳士用の小物入れのA4サイズのショルダー式バックを斜め掛けをしている。
そして時折コンバクト・デジカメを首回りからネクタイのように下げて、颯爽と歩くことが多くなっている。
こうした中で、情景に瞬時に魅せられた時、立ち止まりデジカメで、
記念写真ねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、記憶のかたみとして撮ったりしている。
そしてショルダー式バックの中身は、扇子、ハンドタオル、ハンカチ、タバコ、ライター、簡易携帯灰皿、
財布、そして住基カードとなっている。
財布には平素としてスーパー、専門店のポイント貯められるカードが4枚、
そして現金は一万円札は数枚、千円札と百円玉であり、
忘れて成らないのは買物に備えての5円玉、1円玉となっている。
こうした中で、私は外出の時の秘かなお守りとして、『住基カード』を持ち歩いて、
早や8年が過ぎている・・。
私は『住基カード』と略称されている『住民基本台帳カード』を確かな身分証明として愛用している。
私が保有している住基カードは、氏名、生年月日、住所が記載され、
ほぼ住民票と同じような内容がICカードとなり、恥ずかしながら写真も明示されている。
私は長きの期間のペーパー・ドライバーだった・・。
、
結婚する30歳の前は生家に住んでいた期間は、生家の自動車を利用して、
若気の勢いで、盛んにドライブし、軽井沢、蓼科、箱根、伊豆半島などの各地に行ったりした・・。
そして結婚して3年目に生家の近くに一軒家を建てた後、住宅ローンの返済て、
とても自動車を購入できる余裕はなかった。
やがて40代を過ぎても会社の業務が多忙で、家内とのんびりドライブすることなどは、
夢のひとつでもあったりした。
こうした思いが根底に秘めていたので、定年後には自動車を買い求めて、
家内と共に国内旅行を自在に、ドライブ旅行をしょうと思ったりしていた。
そして2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めたが、
無念ながら齢を重ね、判断力も鈍り、今頃から再び自動車を運転して、
人身事故でも起こした場合、何よりも相手方に対して、いつまでも心痛な思いが残ると思われた。
その上に何かと小心者の私は、慙愧に苦しみ、心身痛みを生じ、たとえ金銭上の賠償責任を終えても、
交通刑務所に服役の場合も考えられ、私の残された人生が大幅に狂うと妄想を重ねた結果、
やがて免許証の更新時に、自主的に更新を取り止めたのは62歳の時であった。
しかしながら私は普通運転免許証の更新を中止した時、何かしらの身分証明証が欲しかった。
私は現役サラリーマン時代には、会社の旅行として台湾、或いはハワイに行ったりし、
もとよりパスポートは所有して遊学していた。
そして私は幾たびか家内に海外旅行を誘っても、
家内は何かと苦手意識があり、国内旅行の方は気楽だわ、と結論に達して、
やがて私のパスポートは期限切れとなったりし、これといった身分証明書がなくなってしまった。
もとより年金生活の私たちは、お互いに『国民健康被保険者証』は所有しているが、
写真入りの証明証でなく、万一、『国民健康被保険者証』を落とした場合は、悪用される確率が高くなる。
私が現役サラリーマン時代の頃は、外資系の会社であったので、定年の10年前の頃から
写真入りのIDカードを常時持たせられた。
このような状況であったので、市役所に問い合わせると、
『住民基本台帳カード』の写真入りであったならば、
市役所、公共施設、銀行、郵便局、パスポートの申請の際、本人の確認に使える知り、
私は即急に申請して、その後の私は『住基カード』を持ち歩いたりしている。
こうした中、私は路線バスも走る大通りの歩道を歩いたりすると、
若きご婦人が自転車に乗り信号を無視して走行したりしている。
、
或いは高校生が自転車に乗り、携帯電話かスマホか解らないが、
前方をあまり見ないで状況を、時折見かけたりしている。
このような時に、私は不幸にして、事故に巻き込まれたりする不安もある。
そして私は人影の少ない遊歩道、公園を、季節のうつろう情景を観ながら歩くことが好きである。
時には、かぼそい声で唄ったりしている。
こうした炎天下を歩いたりしているが、熱中症で倒れて、やがて救急車で病院に運ばれても、
『住基カード』がないと、身元不明者なってしまい、余りにも自分が可哀想なので、
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