私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の69歳の身であり、
午前中のひととき、ネットで数多くのニュース記事を見ていたら、
『 「後期」改め「熟年高齢者」? 厚労相、呼称変更に一案 』
と見出しされた記事が、目に留まり、
どういうことなのょ、とクリックして記事を精読してしまった・・。
この記事の発信元は、『朝日新聞デジタル 』であり、無断ながら転載させて頂く。
《65~74歳は「前期高齢者」。75歳以上は「後期高齢者」。
田村憲久厚生労働相は25日の記者会見で、一部で批判もあった呼び方を変える工夫がないか、
知恵を絞っていることを明かした。
一例として「前期」を「若年高齢者」、後期を「熟年高齢者」とするアイデアを挙げた。
田村氏は、年配の人から「(呼び名が)よろしくない」という声もあることに言及し、
「(名称変更を)検討していく」と述べた。甘利明経済財政相とも話しあっているといい、
関係者に意見を聞いて変更するかどうか考えるという。
「前期高齢者」や「後期高齢者」という名称は、2008年度から使われている。
特に「後期」という呼び方に「冷たい」といった批判があった。
朝日新聞デジタル 7月25日(金)18時48分配信 》
私は記事を読み終わった後、年配者の名称などは、どうでもよい、
と笑止千万と思いながら、微苦笑したりした。

私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
私は今年の9月の誕生日を迎えると、古希と称される70歳となり、
家内は今年の12月に65歳の高齢者入門となる。
そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

年金生活を始めた当時、家内は専業主婦だったので、家内の日常のペースを出来る限り乱したくないので、
家内は殆ど従来通りの料理、掃除、洗濯などをしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。
そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、買い物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。
こうした中で年金生活をした当初、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に働くことなく散歩できるなんて、この世の中で許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
そして何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時と共に過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりする時もある。

定年後の年金生活の日常の大半は、平素の買物専任者の責務を終えた後、
散策したりした後、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりし、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味のひとつの国内旅行をしたりして、退職後の年金生活で過ごして今日に至っている・・。
こうした中で、ときおり家内から、働かなくても私たちの生活できるのだから、ありがたいわ、
と言われたりするたびに、拙(つた)ない私の半生のひとこまが、走馬灯のように甦(よみがえ)ることもある。
そして私はこれまでの60代の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごし、
家内も心身溌剌としている。
もとより健康でなければ自身の日頃のささやかな願いも叶わないこともあり、
実践のひとつとしては、何よりも怖いのは、痴呆症などであり、
これだけは回避したく、ひたすら歩いたりしている。

敗戦後の荒廃した日本は、敗戦直後からの一部の裕福な家庭を除き、誰しも貧乏な時代を体験してきた世代である。
先代の明治、大正時代の生き残れた諸兄諸姉、そして昭和ひと桁の諸兄諸姉の基(もと)で、
私より少し先代の諸兄諸姉がそれぞれ与えられた責務に奮戦し、
少なくとも世界の中でも、有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々である。
そして私より少し先代の諸兄諸姉の指導下の中で、私たち世代、そして私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
先代を見習い責務に奮闘してきた世代でもある。

こうした結果として、確かに日本は、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。
そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。
その上、経済は低迷していると言われている現在さえも、
殆どの国民は飢えることなく飽食の時代となり、
医療の充実もあり、主要国の中でも最先端の長寿化の超高齢化社会の時代を迎えている。
そして私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳前後を迎えられた今日、年金生活を始められた方が多いのが社会の実情となっている。
こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙で過酷な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

このような社会状況の中で、今回の記事に於いて、
《年配の人から「前期高齢者」や「後期高齢者」という「(呼び名が)よろしくない」という声もある》
と知り、私は69歳の高齢者の身ながら、驚いている。
このような名称などより、昨今は年金改革の中に於いて、高齢者の年金を引き下げる内容が本格的に、
議論されている。
たわむれが許されるならば、私としては、
過ぎし年の1994年の頃、テレビドラマのひとつに『家なき子』があり、
家庭内暴力を受けている小学生の少女が、理不尽な環境の中でも困難に負けずに生きていく様を描いた物語であったが、
「同情するなら金をくれ!」という劇中の台詞が新語・流行語大賞に選ばれるほどのブームとなったことを思い馳せしまった。
そして高齢者は(呼び名)などは、どうでもよいから金をくれ!、と微苦笑する時もある。
これまで日本の経済大国は、少なくとも高齢者の我らの世代が奮闘した成果であり、
一部の政治家、官僚の舵取りが誤って、失われた20年となり、
借金に頼らず税収で賄える国と地方の基礎的財政収支が悪化したので、
今頃になって高齢者の年金を引き下げるなんて、とんでもない、と私は感情的に感じる時もある。

しかしながら理性的になると、日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実がある。
そして年金も現役世代が払う保険料で
高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が65歳を過ぎた現在、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。
そして過酷な現実として、年金、医療、介護なとで、毎年一兆円が増加している。
こうした状況が放置すれば、現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できる。

このような思いから、高齢者は目の輝きを失わず、たとえ若き世代から敬意がなくとも、
その人なりの生きがい持ち、淡々と日常生活過ごすのが肝要と思ったりしている。

このような真情であれば、『前期高齢者』を『若年高齢者』、
そして『後期高齢者』を『熟年高齢者』などの検討は、どうでもよいことであり審議の浪費であり、
笑止千万である。
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午前中のひととき、ネットで数多くのニュース記事を見ていたら、
『 「後期」改め「熟年高齢者」? 厚労相、呼称変更に一案 』
と見出しされた記事が、目に留まり、
どういうことなのょ、とクリックして記事を精読してしまった・・。
この記事の発信元は、『朝日新聞デジタル 』であり、無断ながら転載させて頂く。
《65~74歳は「前期高齢者」。75歳以上は「後期高齢者」。
田村憲久厚生労働相は25日の記者会見で、一部で批判もあった呼び方を変える工夫がないか、
知恵を絞っていることを明かした。
一例として「前期」を「若年高齢者」、後期を「熟年高齢者」とするアイデアを挙げた。
田村氏は、年配の人から「(呼び名が)よろしくない」という声もあることに言及し、
「(名称変更を)検討していく」と述べた。甘利明経済財政相とも話しあっているといい、
関係者に意見を聞いて変更するかどうか考えるという。
「前期高齢者」や「後期高齢者」という名称は、2008年度から使われている。
特に「後期」という呼び方に「冷たい」といった批判があった。
朝日新聞デジタル 7月25日(金)18時48分配信 》
私は記事を読み終わった後、年配者の名称などは、どうでもよい、
と笑止千万と思いながら、微苦笑したりした。

私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
私は今年の9月の誕生日を迎えると、古希と称される70歳となり、
家内は今年の12月に65歳の高齢者入門となる。
そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

年金生活を始めた当時、家内は専業主婦だったので、家内の日常のペースを出来る限り乱したくないので、
家内は殆ど従来通りの料理、掃除、洗濯などをしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。
そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、買い物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。
こうした中で年金生活をした当初、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に働くことなく散歩できるなんて、この世の中で許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
そして何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時と共に過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりする時もある。

定年後の年金生活の日常の大半は、平素の買物専任者の責務を終えた後、
散策したりした後、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりし、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味のひとつの国内旅行をしたりして、退職後の年金生活で過ごして今日に至っている・・。
こうした中で、ときおり家内から、働かなくても私たちの生活できるのだから、ありがたいわ、
と言われたりするたびに、拙(つた)ない私の半生のひとこまが、走馬灯のように甦(よみがえ)ることもある。
そして私はこれまでの60代の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごし、
家内も心身溌剌としている。
もとより健康でなければ自身の日頃のささやかな願いも叶わないこともあり、
実践のひとつとしては、何よりも怖いのは、痴呆症などであり、
これだけは回避したく、ひたすら歩いたりしている。

敗戦後の荒廃した日本は、敗戦直後からの一部の裕福な家庭を除き、誰しも貧乏な時代を体験してきた世代である。
先代の明治、大正時代の生き残れた諸兄諸姉、そして昭和ひと桁の諸兄諸姉の基(もと)で、
私より少し先代の諸兄諸姉がそれぞれ与えられた責務に奮戦し、
少なくとも世界の中でも、有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々である。
そして私より少し先代の諸兄諸姉の指導下の中で、私たち世代、そして私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
先代を見習い責務に奮闘してきた世代でもある。

こうした結果として、確かに日本は、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。
そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。
その上、経済は低迷していると言われている現在さえも、
殆どの国民は飢えることなく飽食の時代となり、
医療の充実もあり、主要国の中でも最先端の長寿化の超高齢化社会の時代を迎えている。
そして私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳前後を迎えられた今日、年金生活を始められた方が多いのが社会の実情となっている。
こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙で過酷な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

このような社会状況の中で、今回の記事に於いて、
《年配の人から「前期高齢者」や「後期高齢者」という「(呼び名が)よろしくない」という声もある》
と知り、私は69歳の高齢者の身ながら、驚いている。
このような名称などより、昨今は年金改革の中に於いて、高齢者の年金を引き下げる内容が本格的に、
議論されている。
たわむれが許されるならば、私としては、
過ぎし年の1994年の頃、テレビドラマのひとつに『家なき子』があり、
家庭内暴力を受けている小学生の少女が、理不尽な環境の中でも困難に負けずに生きていく様を描いた物語であったが、
「同情するなら金をくれ!」という劇中の台詞が新語・流行語大賞に選ばれるほどのブームとなったことを思い馳せしまった。
そして高齢者は(呼び名)などは、どうでもよいから金をくれ!、と微苦笑する時もある。
これまで日本の経済大国は、少なくとも高齢者の我らの世代が奮闘した成果であり、
一部の政治家、官僚の舵取りが誤って、失われた20年となり、
借金に頼らず税収で賄える国と地方の基礎的財政収支が悪化したので、
今頃になって高齢者の年金を引き下げるなんて、とんでもない、と私は感情的に感じる時もある。

しかしながら理性的になると、日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実がある。
そして年金も現役世代が払う保険料で
高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が65歳を過ぎた現在、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。
そして過酷な現実として、年金、医療、介護なとで、毎年一兆円が増加している。
こうした状況が放置すれば、現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できる。

このような思いから、高齢者は目の輝きを失わず、たとえ若き世代から敬意がなくとも、
その人なりの生きがい持ち、淡々と日常生活過ごすのが肝要と思ったりしている。

このような真情であれば、『前期高齢者』を『若年高齢者』、
そして『後期高齢者』を『熟年高齢者』などの検討は、どうでもよいことであり審議の浪費であり、
笑止千万である。
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