第四章
私は定年後の自身の思いを綴る予定であったが、
先程、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
作家・瀬戸内寂聴さんが10月27日に千葉県・柏会場に於いて、
講演「強い心で、自分らしい生き方を」の三回目の連載を知り、深く精読したのである。
そして優先的にこの講演の内容を転載させて頂く。
《
(3)本や新聞を読まなきゃダメ!
本を読まなければ、人は成長しないんです。
本というのは脳の肥料です。
私たちがご飯を食べるのは、自分の体に対する肥料が必要だから食べるんです。
それと同じように、頭にも肥料を与えないと絶対だめになるんです。
ですから人間に生まれた以上は、本を読まないと脳は成長しないんです。
成長しないと分かっているのに、今の若い人たちは本を読まなくなった。
これは教育が悪いんです。
本を読ませようとしない。
面白い本を教えない。
本を読むとどんなに楽しいか、どんなに自分が成長するか
ということを教えない教育がずっと続いたんです。
目にみえるものしか信じなくなったんです、戦後の日本は。
戦争に負けて、焼け野原になり、まず家が欲しい、
着るものが欲しい、飾るものが欲しい……と、
目に見えるものを欲しがるようになりました。
目に見えるものが欲しいから、お金、お金、というふうになる。
物質偏重になって、そのため精神がお留守になって、脳の働きが鈍くなってきた。
今の国民は私たちの子どもの頃にくらべて、本当に知能が低下した。
しかしその危機にすら気がつかないで、こんなふうにダメになってしまったんです。
私の子どもの頃は頭の良さは世界でも1位といってもいいほど自慢していたんですけど、
今では東洋でもビリから何番目という感じでしょう。
非常に情けない状態です。
これを再生させるには、やはり食べるものも大事ですけど、
頭に、脳に栄養を与えることを奨励してあげなければいけません。
昔はろくに小学校に行けない子たちはたくさんいましたが、字を覚えることはできたんです。
どうやって覚えたか――。
新聞を読んで覚えたんです。
新聞の中に漢字が今よりたくさんあって、全部ルビがふってあった。
そのルビを読んでその漢字を覚えたんです。
だから昔の人は学校を出ていなくても文字を知っていたんです。
ひとかどの人物になったら、素晴らしい文章が書けた。
そういう人たちがいっぱいいた。
今ではろくに文章を書くことができない若い人たちがたくさんいますね。
非常に恥ずかしいことなんです。
テレビと違って、新聞は残るからいいんです。
私は5紙、新聞をとっているんですけど、同じ一つの事件でも新聞によって見方が違うんです。
社説を見ると分かります。
それから扱いを見ると分かります。
私のような商売をしているものは、新聞一つじゃ駄目なんですね。
この事件をどういうふうに見ているかということを並べてみて、
その中から自分はこれが正しいというのを選ばなければならない。
自分の考えにしなきゃならない。
だから新聞をたくさん読まなきゃいけないんですよ。
ホテルでも少なくとも三つは新聞を入れてもらってます。
テレビは、早く知るにはいいかもしれません。
この間の衆院選挙の時なんかは、当選した人、落ちた人の顔を見るだけで面白いですよね。
だからついテレビを見てしまいますけど、
じっくり情勢を考えるにはテレビでは素通りしてしまって駄目なんです。
新聞はじっくり自分で考える時間を与えてくれるんです。
そうやって考えることで脳は老化しません。
新聞が軒並み売れなくなる日が来るかどうか、分かりません。
という不吉なことを言って、私は謝礼をもらえないかもしれません(笑)。
世の中そういうものなんです。
新聞がなくなるような日が来たら、その国はなくなるでしょうね。
庶民の考えをすくいあげて発表するのが新聞でございます。
こんなに不景気になったからいろいろなものを削ろうと考えるでしょうが、
新聞から削ろうと考えるのはやめてください。
読まないでも新聞をとっているっていうのはかっこいいじゃないですか。
郵便受けからはみだしてるのかっこいいじゃないですか(笑)。
やはり人間は活字離れをしたらダメな気がします。
(2009年12月4日 読売新聞)
》
注)講演の記事としてここまで掲載されたすべてを転載させて頂いたが、あえて改行などを多くした。
私は読書を第一趣味として年金生活を過ごしているが、
このサイトの2005(平成17)年10月27日に於いては、
【文字・活字文化の日』と私のブログ・・♪】
と題して投稿している。
【
今朝、読売新聞を見ていたら、本日は『文字・活字文化の日』と綴られていた。
何故、この日がこうして制定されたのか解らないが、
多分、本日から11月9日まで読書週間にちなんで命名したと思う。
私は活字による文字を読む新聞、雑誌、小説、随筆、教養の歴史学、現代史などを読むのが好きである。
言葉から文字へと人々の営みの中から、
文明が生まれ、その中の一部として、文化が発生している。
綴る創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれの人々が受けとめ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
私なりの感性と感覚で創作者から導かれながら、その世界に思い馳せるこの魔力を高校生の時から愛好している。
私は伝える手段として、たとえばブログなどを活用して、文字のみで投稿し発信しているのは、
この理由に他ならない。
写真、飾りを付けられている方が多いが、私は今後も文字のみで表現する手段としたい。
私の綴づった内容が充分に伝わらなかった時は、私の文章修行が未熟であることに他ならない。
】
このような私なりの思考が根底にあり、何よりも読書は欠かせない日常を過ごしているのである。
第五章
私が定年退職後、ただちに年金生活を過ごした理由のひとつとして、
このサイトに2009(平成21)年8月22日に於いて、
【 改めて、私なりのブログと自己存在感・・。】
と題して、あますところがないような心情で発露している。
【
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
昨日、【『ネット検索、月間4775万人…6年で3倍・・』の記事、私は読んだ後は・・。】と題して投稿した。
そして、この投稿文の結文の前に、
【・・
私は退職後の年金生活で驚いたのは、
ブログの飛躍的な利用者の増加であり、私と同様に、心の思いを自己発信する人が多いことであり、
そして2007年6月より、【YouTube】に於いて、日本語版を開始し、
音楽のバンドラの箱が開けられた、
と思いながら音楽の曲が大半自在に聴くことができたことである。
・・】
と綴ったりした。
命題の検索の急増はもとより、私は日常にブログは欠かせない存在であり、
ときおり【YouTube】に於いて、音楽を甘受しているが、
昨夜の深夜に、私はとってはブログはどのような存在なのかしら、
と考え込んでしまったのである。
私は2004(平成16)年の秋にある民間会社を定年退職したのであるが、
まもない時、ブログの世界を知り、
あるサイトに加入して、2005年2月7日に於いて、
『ブログと自己存在感・・。』と題して、投稿していた。
【・・
ブログが昨今に急速で、加速されたかのように広がっている。
何故、これほど話題になり、注目され、利用されているか、
私が利用した理由を書き込めば、ひとつのヒントになると思ったりしている。
昨年の秋の定年退職の前後、私はホーム・ページを立ち上げようとしていた。
理由として、この星の下で生まれ、育ち、何を考えて、やがて死んでいくことに、
生きたいたことのひとつの証(あかし)を残していきたい、
と思ったのである。
ホーム・ページの場合は、原則として実名公表なので、
政治・外交・軍事・社会・宗教・文化等の公表に、
著名人でない上、これといった専門知識がない素人の私には、一種のためらいがあった。
私の好きな山川草木のよしなごとは書けても、
身過ぎ世過ぎの年金生活の日常を過しているので、文章にほころびが生じる、と思ったのである。
世の中の専門知識を有する学者の随筆は、
論文等、或いは大学教授としての前提で、一面の遊び、としても綴ることが出来るので、
私のような素人としては、こうしたためらい、たじろいがあり、
開設したところで、来訪者が少なく、
そのうちに自身が書き続けられるか、と自問したのである。
こうした折、ブログ、ブログに準じた簡素なホーム・ページのブログを知ったのである。
ブログの場合は、匿名が圧倒的に多く、ある程度の心の節度があれば、
公表できる利便性の要素が十二分ある。
新聞、雑誌の投稿には、それぞれの発行元の編集部などのの見解のもとで、
掲載が決められている現状であるが、
このブログの場合は、ある程度の節度があれば、何の制約も無く、
その方の自身の政治・外交・政治・軍事・社会・宗教・文化等の分野の思いでも、
自在に公表できる。
そして一旦発信されたならば、当人が削除しない限り、
この星の下で存在し、ある一面、怖いところも付随するが、
読まれるか、無視されるかは別問題として、確実に残るのである。
そして誰にしても、ある程度の知識があれば、日常生活を綴っても、
自己の存在感を提示できる世界がブログ、と思ったのである。
ここで思い出したのであるが、十五、六年前、腰痛が酷く、救急車にお世話になり
三度目の入院となり、徹底的に治療に専念しょうと観念し、
一ヶ月近く、入院していた時であった。
病室のベットに休んでいても、周囲の社会は順調に動いて、
自分の存在は一体どこにあるのか、ということであった。
私はこの時、シンガー・ソングライターの中島みゆきさんを熱愛していた時期で、この中で特によく聴いた曲がある。
ベットの中で、腰を牽引しながら、CDウォークマンで何度も聴いたりしていた・・。
慰め、救い、そして再起への励みを頂いた曲を転記させて頂く。
『永久欠番』 作詞・作曲 中島みゆき
♪どんな立場の人であろうと
いつかはこの世をおさらばをする
たしかに順序にルールはあるけれど
ルールには必ず反則もある
街は回ってゆく 人一人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
100年前も 100年後も
私がいないことでは同じ
同じことなのに
生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい
街は回ってゆく 人一人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
かけがえのないものなどいないと風は吹く
(略)
100億の人々が
忘れても 見捨てても
宇宙(そら)の掌の中に
人は永久欠番
宇宙の掌の中
人は永久欠番
【 『永久欠番』 作詞、作曲・中島みゆき、 編曲・瀬尾一三、 唄・中島みゆき 】
この中島みゆき女史は、私にとってこの星の下での女神である確信し、
現在でも、希有な存在感を提示できる人であり、敬愛をしている。
・・】
このような歌詞の転載がもとより著作権に抵触するかは解からなかったが、
自己存在の証(あかし)の思いが強く投稿したのである。
私はこの投稿文を深夜に読み返し、自身の定年後の心の思い、揺れを振り返ったりした・・。
私は定年退職するまでは、屈折の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に小さくても少し煌(きらめ)く星のように、
と思ったりしたのである・・。
私はこれといって、特技はなく、
かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、といった楽観視にもなれず、
いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。
文藝の世界は、もとより短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意したのである。
私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をした時代もあったが、
定年後の感性も体力、何よりの文章力も衰えたので、
ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。
そして多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、
真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、苦心惨憺な時も多かったのである。
私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨 長明が遺され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、本望と思っている。
このような思いが、つたないなりに私は秘めたりしているので、
日々に感じたこと、思考したことを心の発露とし、
原則として国内旅行で自宅を留守にしない限り、毎日数通ぐらいは投稿している。
そして、何より肝要なことは、人それぞれ光と影を持ちあわしているので、
つたない私でも、ささやかな光、そして秘められた影があるので、
余すところなく綴るのが命題と思ったりしている。
このような身過ぎ世過ぎの年金生活をしながら、
言葉による表現、読書、そして思索の時間を過ごしたりすると、
年金生活は暇、安楽というのは私にとっては死語である。
長々と綴ったりしたが、最後に信愛している中島みゆき女史に敬意し、
『HAFE』、『エレーン』に続き、最も感銘している『永久欠番』を掲げることにする。
この『永久欠番』は、『歌でしか言えない』と題されたアルバムの中で、
六曲目に選定された曲で、1991年10月23日に発売され、
私の人生観に影響を受けた稀(まれなアルバムのひとつである。
【YouTube】に投稿されたお方の中で、特に魅了された方から拝借させて頂く。
http://www.youtube.com/watch?v=720iyPtOQRc
☆【 『永久欠番』 作詞、作曲・中島みゆき、 編曲・瀬尾一三、 唄・中島みゆき 】☆
《終わり》
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私は定年後の自身の思いを綴る予定であったが、
先程、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
作家・瀬戸内寂聴さんが10月27日に千葉県・柏会場に於いて、
講演「強い心で、自分らしい生き方を」の三回目の連載を知り、深く精読したのである。
そして優先的にこの講演の内容を転載させて頂く。
《
(3)本や新聞を読まなきゃダメ!
本を読まなければ、人は成長しないんです。
本というのは脳の肥料です。
私たちがご飯を食べるのは、自分の体に対する肥料が必要だから食べるんです。
それと同じように、頭にも肥料を与えないと絶対だめになるんです。
ですから人間に生まれた以上は、本を読まないと脳は成長しないんです。
成長しないと分かっているのに、今の若い人たちは本を読まなくなった。
これは教育が悪いんです。
本を読ませようとしない。
面白い本を教えない。
本を読むとどんなに楽しいか、どんなに自分が成長するか
ということを教えない教育がずっと続いたんです。
目にみえるものしか信じなくなったんです、戦後の日本は。
戦争に負けて、焼け野原になり、まず家が欲しい、
着るものが欲しい、飾るものが欲しい……と、
目に見えるものを欲しがるようになりました。
目に見えるものが欲しいから、お金、お金、というふうになる。
物質偏重になって、そのため精神がお留守になって、脳の働きが鈍くなってきた。
今の国民は私たちの子どもの頃にくらべて、本当に知能が低下した。
しかしその危機にすら気がつかないで、こんなふうにダメになってしまったんです。
私の子どもの頃は頭の良さは世界でも1位といってもいいほど自慢していたんですけど、
今では東洋でもビリから何番目という感じでしょう。
非常に情けない状態です。
これを再生させるには、やはり食べるものも大事ですけど、
頭に、脳に栄養を与えることを奨励してあげなければいけません。
昔はろくに小学校に行けない子たちはたくさんいましたが、字を覚えることはできたんです。
どうやって覚えたか――。
新聞を読んで覚えたんです。
新聞の中に漢字が今よりたくさんあって、全部ルビがふってあった。
そのルビを読んでその漢字を覚えたんです。
だから昔の人は学校を出ていなくても文字を知っていたんです。
ひとかどの人物になったら、素晴らしい文章が書けた。
そういう人たちがいっぱいいた。
今ではろくに文章を書くことができない若い人たちがたくさんいますね。
非常に恥ずかしいことなんです。
テレビと違って、新聞は残るからいいんです。
私は5紙、新聞をとっているんですけど、同じ一つの事件でも新聞によって見方が違うんです。
社説を見ると分かります。
それから扱いを見ると分かります。
私のような商売をしているものは、新聞一つじゃ駄目なんですね。
この事件をどういうふうに見ているかということを並べてみて、
その中から自分はこれが正しいというのを選ばなければならない。
自分の考えにしなきゃならない。
だから新聞をたくさん読まなきゃいけないんですよ。
ホテルでも少なくとも三つは新聞を入れてもらってます。
テレビは、早く知るにはいいかもしれません。
この間の衆院選挙の時なんかは、当選した人、落ちた人の顔を見るだけで面白いですよね。
だからついテレビを見てしまいますけど、
じっくり情勢を考えるにはテレビでは素通りしてしまって駄目なんです。
新聞はじっくり自分で考える時間を与えてくれるんです。
そうやって考えることで脳は老化しません。
新聞が軒並み売れなくなる日が来るかどうか、分かりません。
という不吉なことを言って、私は謝礼をもらえないかもしれません(笑)。
世の中そういうものなんです。
新聞がなくなるような日が来たら、その国はなくなるでしょうね。
庶民の考えをすくいあげて発表するのが新聞でございます。
こんなに不景気になったからいろいろなものを削ろうと考えるでしょうが、
新聞から削ろうと考えるのはやめてください。
読まないでも新聞をとっているっていうのはかっこいいじゃないですか。
郵便受けからはみだしてるのかっこいいじゃないですか(笑)。
やはり人間は活字離れをしたらダメな気がします。
(2009年12月4日 読売新聞)
》
注)講演の記事としてここまで掲載されたすべてを転載させて頂いたが、あえて改行などを多くした。
私は読書を第一趣味として年金生活を過ごしているが、
このサイトの2005(平成17)年10月27日に於いては、
【文字・活字文化の日』と私のブログ・・♪】
と題して投稿している。
【
今朝、読売新聞を見ていたら、本日は『文字・活字文化の日』と綴られていた。
何故、この日がこうして制定されたのか解らないが、
多分、本日から11月9日まで読書週間にちなんで命名したと思う。
私は活字による文字を読む新聞、雑誌、小説、随筆、教養の歴史学、現代史などを読むのが好きである。
言葉から文字へと人々の営みの中から、
文明が生まれ、その中の一部として、文化が発生している。
綴る創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれの人々が受けとめ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
私なりの感性と感覚で創作者から導かれながら、その世界に思い馳せるこの魔力を高校生の時から愛好している。
私は伝える手段として、たとえばブログなどを活用して、文字のみで投稿し発信しているのは、
この理由に他ならない。
写真、飾りを付けられている方が多いが、私は今後も文字のみで表現する手段としたい。
私の綴づった内容が充分に伝わらなかった時は、私の文章修行が未熟であることに他ならない。
】
このような私なりの思考が根底にあり、何よりも読書は欠かせない日常を過ごしているのである。
第五章
私が定年退職後、ただちに年金生活を過ごした理由のひとつとして、
このサイトに2009(平成21)年8月22日に於いて、
【 改めて、私なりのブログと自己存在感・・。】
と題して、あますところがないような心情で発露している。
【
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
昨日、【『ネット検索、月間4775万人…6年で3倍・・』の記事、私は読んだ後は・・。】と題して投稿した。
そして、この投稿文の結文の前に、
【・・
私は退職後の年金生活で驚いたのは、
ブログの飛躍的な利用者の増加であり、私と同様に、心の思いを自己発信する人が多いことであり、
そして2007年6月より、【YouTube】に於いて、日本語版を開始し、
音楽のバンドラの箱が開けられた、
と思いながら音楽の曲が大半自在に聴くことができたことである。
・・】
と綴ったりした。
命題の検索の急増はもとより、私は日常にブログは欠かせない存在であり、
ときおり【YouTube】に於いて、音楽を甘受しているが、
昨夜の深夜に、私はとってはブログはどのような存在なのかしら、
と考え込んでしまったのである。
私は2004(平成16)年の秋にある民間会社を定年退職したのであるが、
まもない時、ブログの世界を知り、
あるサイトに加入して、2005年2月7日に於いて、
『ブログと自己存在感・・。』と題して、投稿していた。
【・・
ブログが昨今に急速で、加速されたかのように広がっている。
何故、これほど話題になり、注目され、利用されているか、
私が利用した理由を書き込めば、ひとつのヒントになると思ったりしている。
昨年の秋の定年退職の前後、私はホーム・ページを立ち上げようとしていた。
理由として、この星の下で生まれ、育ち、何を考えて、やがて死んでいくことに、
生きたいたことのひとつの証(あかし)を残していきたい、
と思ったのである。
ホーム・ページの場合は、原則として実名公表なので、
政治・外交・軍事・社会・宗教・文化等の公表に、
著名人でない上、これといった専門知識がない素人の私には、一種のためらいがあった。
私の好きな山川草木のよしなごとは書けても、
身過ぎ世過ぎの年金生活の日常を過しているので、文章にほころびが生じる、と思ったのである。
世の中の専門知識を有する学者の随筆は、
論文等、或いは大学教授としての前提で、一面の遊び、としても綴ることが出来るので、
私のような素人としては、こうしたためらい、たじろいがあり、
開設したところで、来訪者が少なく、
そのうちに自身が書き続けられるか、と自問したのである。
こうした折、ブログ、ブログに準じた簡素なホーム・ページのブログを知ったのである。
ブログの場合は、匿名が圧倒的に多く、ある程度の心の節度があれば、
公表できる利便性の要素が十二分ある。
新聞、雑誌の投稿には、それぞれの発行元の編集部などのの見解のもとで、
掲載が決められている現状であるが、
このブログの場合は、ある程度の節度があれば、何の制約も無く、
その方の自身の政治・外交・政治・軍事・社会・宗教・文化等の分野の思いでも、
自在に公表できる。
そして一旦発信されたならば、当人が削除しない限り、
この星の下で存在し、ある一面、怖いところも付随するが、
読まれるか、無視されるかは別問題として、確実に残るのである。
そして誰にしても、ある程度の知識があれば、日常生活を綴っても、
自己の存在感を提示できる世界がブログ、と思ったのである。
ここで思い出したのであるが、十五、六年前、腰痛が酷く、救急車にお世話になり
三度目の入院となり、徹底的に治療に専念しょうと観念し、
一ヶ月近く、入院していた時であった。
病室のベットに休んでいても、周囲の社会は順調に動いて、
自分の存在は一体どこにあるのか、ということであった。
私はこの時、シンガー・ソングライターの中島みゆきさんを熱愛していた時期で、この中で特によく聴いた曲がある。
ベットの中で、腰を牽引しながら、CDウォークマンで何度も聴いたりしていた・・。
慰め、救い、そして再起への励みを頂いた曲を転記させて頂く。
『永久欠番』 作詞・作曲 中島みゆき
♪どんな立場の人であろうと
いつかはこの世をおさらばをする
たしかに順序にルールはあるけれど
ルールには必ず反則もある
街は回ってゆく 人一人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
100年前も 100年後も
私がいないことでは同じ
同じことなのに
生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい
街は回ってゆく 人一人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
かけがえのないものなどいないと風は吹く
(略)
100億の人々が
忘れても 見捨てても
宇宙(そら)の掌の中に
人は永久欠番
宇宙の掌の中
人は永久欠番
【 『永久欠番』 作詞、作曲・中島みゆき、 編曲・瀬尾一三、 唄・中島みゆき 】
この中島みゆき女史は、私にとってこの星の下での女神である確信し、
現在でも、希有な存在感を提示できる人であり、敬愛をしている。
・・】
このような歌詞の転載がもとより著作権に抵触するかは解からなかったが、
自己存在の証(あかし)の思いが強く投稿したのである。
私はこの投稿文を深夜に読み返し、自身の定年後の心の思い、揺れを振り返ったりした・・。
私は定年退職するまでは、屈折の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に小さくても少し煌(きらめ)く星のように、
と思ったりしたのである・・。
私はこれといって、特技はなく、
かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、といった楽観視にもなれず、
いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。
文藝の世界は、もとより短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意したのである。
私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をした時代もあったが、
定年後の感性も体力、何よりの文章力も衰えたので、
ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。
そして多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、
真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、苦心惨憺な時も多かったのである。
私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨 長明が遺され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、本望と思っている。
このような思いが、つたないなりに私は秘めたりしているので、
日々に感じたこと、思考したことを心の発露とし、
原則として国内旅行で自宅を留守にしない限り、毎日数通ぐらいは投稿している。
そして、何より肝要なことは、人それぞれ光と影を持ちあわしているので、
つたない私でも、ささやかな光、そして秘められた影があるので、
余すところなく綴るのが命題と思ったりしている。
このような身過ぎ世過ぎの年金生活をしながら、
言葉による表現、読書、そして思索の時間を過ごしたりすると、
年金生活は暇、安楽というのは私にとっては死語である。
長々と綴ったりしたが、最後に信愛している中島みゆき女史に敬意し、
『HAFE』、『エレーン』に続き、最も感銘している『永久欠番』を掲げることにする。
この『永久欠番』は、『歌でしか言えない』と題されたアルバムの中で、
六曲目に選定された曲で、1991年10月23日に発売され、
私の人生観に影響を受けた稀(まれなアルバムのひとつである。
【YouTube】に投稿されたお方の中で、特に魅了された方から拝借させて頂く。
http://www.youtube.com/watch?v=720iyPtOQRc
☆【 『永久欠番』 作詞、作曲・中島みゆき、 編曲・瀬尾一三、 唄・中島みゆき 】☆
《終わり》
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