夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

駅前に出れば、やはり本屋に寄り・・。

2009-12-07 22:05:16 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
日中ひととき、『住民票』が必要となり地元の市役所の出張所に寄り、
家内から依頼された日常雑貨をスーパーで買い求めた後、
何気なし本屋に寄ったのである。

昨日はブログに準じたサイト【OCN Cafe】で知り合った人から、
推薦させた本を買い求めに小田急沿線の本屋、古本屋で探し求めたが無念がらなく、
佐野眞一(さの・しんいち)・著の『鳩山一族 その金脈と血族』(文春新書)を買い求めた。

ここ数年、ノンフィクション分野に於いては私は一番愛読している作家であり、
この中の一部が月刊総合雑誌の『文藝春秋』で掲載されたこともあり、
書き下ろしの部分が大半にあり、総集として読みたいと思い、購入したのである。

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784166607303
☆佐野眞一・著の『鳩山一族 その金脈と血族』(文春新書)☆


そして、本日は京王腺の沿線の駅前で、
吉村昭(よしむら・あきら)・著の『わが心の小説家たち』(平凡社新書)を偶然に手に取り、
パラパラと目次を捲(めく)ると、
第四章として《川端康成『千羽鶴』の美》と題される中で、
《小説は文章に尽きる》と明示されて折、
この短い課題に魅了されて、買い求めたのである。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E5%AE%B6%E3%81%9F%E3%81%A1-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-001-%E5%90%89%E6%9D%91-%E6%98%AD/dp/4582850014/ref=pd_bxgy_b_text_b
☆ 吉村昭(よしむら・あきら)・著の『わが心の小説家たち』(平凡社新書)☆


そして、『ちくま文庫』のコーナー棚を見たりすると、
大村彦次郎(おおむら・ひこじろう)・著の『文壇うたかた物語』(ちくま文庫)が目に止まり、
やはり目次を見て、購入したのである。

もとより大村彦次郎氏は長年『講談社』に勤め、編集の立場、出版社の重責を歴任された方であり、
こうした視線から私の敬愛している数多くの小説家に於いて、
作品から発露されていない言動を知る立場であったので、
私なりの好奇心から読んでみたいと思ったのである。

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/31965493.html
☆大村彦次郎(おおむら・ひこじろう)・著の『文壇うたかた物語』(ちくま文庫)☆

こうして私の手元には、この三冊があり、
読みはじめているので、年金生活の身ながら、忙しいのである。




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ふたたび、私の年金生活の最大のボーナスは・・。

2009-12-07 11:09:38 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、一時半まで本を読んで寝付いたが、今朝5時半過ぎに目覚めたが、
薄暗いので布団に戻り、寝込んでしまった。
目覚めると、8時過ぎであり、陽射しは燦燦と射しこんでいる。

こんなぐうだらな生活を過ごせるのは、年金生活の特権かしら、
と苦笑したのでる。

ここ一週間、新聞・テレビなどで、冬のボーナス等が話題になっているが、
もとより年金生活の我が身には、直接には関係がなく、
私にとってのボーナスは、などと余計なことを思ったりした。


私は民間の中小業の会社を35年ばかり勤め、定年退職した身である。

東京オリンピックが開催された年に大学を中退し、映画・文学青年の真似事をし、
根拠のない自信の頼りに、アルバイトをしながら習作をしていた。

このような社会の流れの先のみえない生活を過ごしていたので、
お彼岸の折、親戚の叔父さんより、
『今はよいが・・30過ぎた時、きちんと家庭を持てるの・・』、
とやんわりと諭(さと)された・・。

私は文藝雑誌の新人募集コンクールに応募していたが、
小説部門として、最終予選には何度も残れず、
自身の努力、そして才能のなさを嘆いてもいた。

私はある時、ビジネス雑誌の『ダイヤモンド』の付録で、
『1週間でわかるコンピュータ』を手に取り、自宅で精読したが、全くわからなかったが、
この分野は少なからず将来性ある、と思ったりしていた。

そして情報部門の処理などは、待機する時間が多いと知り、
この間で私の習作時間にあてられる、と思い、
コンピュータの専門学校でソフトウェア学科を一年ほど学んだ・・。

この頃、自宅のから程遠くない処に、
ある大企業の首脳人のお住まいがあり、お力添えを得て、
何とか大企業の音響・映像メーカーに中途入社できたのは、1970(昭和45)年の春で、
私は25歳の遅れた社会人のスタートとなった。

私は職場で共に席をしたのは、新卒の団塊世代の人達が多く、
この後、長らく業界の空気を共にした。

私は企業に入社してまもなく、業務を含め徹底的に企業人として教えられ、
組織の一員として邁進し、甘い期待などは思い出す暇(ひま)なく、
多忙な期間のはじまりとなったのである・・。

         
私が入社した直後、現場を知れ、と辞令を受けて、
各商品を製造する工場に隣接した商品管理部門で、一年弱勤務した・・、

会社の音響・映像の中のひとつにレコード事業本部があり、
数多くの大手レーベルを傘下に収めていたが、
この中の大手の外資レーベルのひとつがレコード会社として独立するこことなり、
私はこの新しいレコード会社に私も転籍させられた。

レコード会社はもとより中小業であるが、
私は上司の手取り足取りの指導の下で精勤し、
まもなく本社の営業本部の管理課で、コンピュータの専任者となった。

数多くのサラリーマンと同様に上司を見習い激務を体験したので、
入社前の甘い期待などは跡形もなく、組織の中の一員として過ごしたのである。

私は家内と結婚し、賃貸マンションで2年生活した後、
実家に近い処で一戸建てを建てたが、
土地・建物などの住宅ローンが家計に重くなり、
家内のパート勤務の援軍を受けて、何とか30代を乗り切ったのである。

私達夫婦は子供に恵まれなかった為か、
家計に余裕のない時でも、連休の合間に、小旅行を楽しんだりしていた。


私の業務は、会社の各業務の開発・運営に伴うコンピュータ専任であったので、
多忙な時は休日もなく、徹夜になることも数多くあった。

私は上層部から指示を受け、成果がない様だったならば、
常に退社を覚悟し、少なくとも地方勤務に放り出されると思い、
3年ごとの総合見直しにも対処できたのである。

このような形で1970、80年代を過ごした後、
私は情報部門から他の管理部門に異動したのは、50代からであった。


この頃になるとレコード会社の各社は、外資の要請で利益の追求が厳しくなり、
各会社は総合見直しとなり、会社間の統廃合もあり、
組織の統廃合で大幅な人員削減も行われたのが多かった。

私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、
上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、人事異動も盛んに行われたりした。

私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。


音楽商品であるCD、ビデオテープ、DVDの保管、出荷等の管理場所であり、
私のような管理5名で、若手の男性の契約、パート社員の10名前後、
そしてパートの女性が百名前後の職場であった。

毎日CD、DVDの販売店等の注文に応じるので、
指定時間、日々、曜日、季節ごと出荷量の変動が激しいが、
これに対応させる管理もひとつであった。

私は本社から放り出され、都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、精務した。

私は振りかえると、入社直後に商品管理部門に配置され、30年ぶりとなったが、
管理一新されたが、基本は同じなので、
鮭と同様に故郷の川に戻るか、と微苦笑をしたりしていた。

この間も私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の電話連絡を受けたり、
或いは葉書で挨拶状を頂き退社を知ったりした中、
私は出向先で定年退職を迎えたのである。


私は音楽関係の大波小波の何かと多い中小業のサラリーマンとして、
年収1千万円台で何とか卒業できたが、
大企業、官公庁の上層部のように高額所得地位にも成れず、
わずかな年収、退職金であったので、金融資産は程ほどである。

私の現役時代の財産といえば、
その時代と共に過ごした名曲の数多くが心に残り、
そして上司、同僚、後輩と共に音楽業界の空気を共にできたことである。

今でも、OBの懇親会などの会合の折、
流行った曲名でその時代を表現し、
そうだったよね、とお互いにうなづいたりしている・・。


私は定年退職の直前まで、失業保険の申請して、
勤める意志はなかったが、わずかばかりの額を甘受する予定であった。

しかし、私は長年管理部門の身であったので、これといって特別な技術もなく、
たまたま家内の父が死去し、
退職直前は業務の引継ぎに加わり多忙となったのである。

そして、この頃は大企業もリストラ旋風で失業された人達も多く、
真に職さがしをしている人に失礼と思い、失業保険の申請書を破棄したのである。


私達夫婦は、50代のなかば、定年退職後の生活目標を何度も話し合っていたので、
予定通り私は年金生活に入った。

これらについては、このサイトで数多く綴ってきたので、省略する。


私達夫婦は、東京郊外の調布市の外れで、
わずか百坪の敷地で古惚けた家に住み、家内との2人だけの家庭である。
限られた年金を頂戴し、程々の貯金を取り崩して、お互いの趣味を尊重して、過ごしている。

私は趣味の時間に過ごすことが多く、
そして樹木・草花の季節の移ろいを眺め、享受している。

このように好きな時に趣味に没頭し、ときたま昼寝などをしているので、
私としては、このことが何よりのボーナスと思っているのである。

そして家内はときおり、
『働らなくとも・・こうして過ごせるのだから・・』
と私に云ったりしている。


私は家内には、何でも話すタイプであるので、私の心の悩みも解消され、
住宅ローンの苦しかった時、一時時期パート勤務で助けて貰い、
何より私の母を亡くなるまで心の気遣いをしてくれたりした。

世間の一部では専業主婦の立場を後方支援とよぶが、
私は更に親族との確執も加わり、何かと家内に苦労させた。

退職後こうしてのんびりと生活できるのは、
家内の協力が不可欠であったので、
私は秘かな家内を戦友と思っているのである。


尚、退職後の年金生活の日々の思い、思考していることは心の発露として、
このサイトに余すところ無く綴っているので、省略する。



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