夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

またごあんそ、歴史のかたみに ②

2009-04-17 14:58:51 | 
    第2章 優(やさ)しく鹿児島歴史を学ぶには

私は家内たちと別れ、独りで中央駅の周辺を歩いたりした後、
私の旅先の習性から、その地の公共交通機関を利用することが多い。
幸いに鹿児島市内は、市電が頻繁に走って折、
私は鹿児島歴史を初心者として学ぶには、県立の歴史資料センターが最適と思い、
中央駅前より市役所前まで市電の乗客のひとりとなった。

市役所前で下車した後、
初めて訪ねる『黎明館』と称せられる歴史資料センターを目指して歩いたのであるが、
前方に城跡が見え、お濠には蓮の枯れた茎、豪壮な石垣、
そして整然としたツツジの花が帯のように長く彩(いろど)りが観えたりした。

門跡の入り口の近くには、石橋があり、そして石垣に囲まれた間の道を緩やかに歩くと、
忽然と賢美な建物が歴史資料センターであった。

http://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/


http://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/annnai/riyou.html

館内の一階に於いては、『テーマ展示』として、
原始・古代、中世、近世、近・現代のかごしま概観の4大区分に分けられ、
中世の志布志地域の山城の状景に驚いたり、
近世の出水地方の外城の独自性、そして昭和初期の天文館の街の情景など、
まぎれない鹿児島の歴史のかたみを私は学んだのである。

私は閉館までの二時間ばかりであったので、
二階に展示された民俗には余り観る余裕はなかったのであるが、
ある程度は満喫し、退館した。


この後、この城跡に近い大通りで信号待ちをしていた時、
ご高齢の婦人から声をかけられて、私は30分ばかり立ち話をしたのである・・。
この地に育ち、85歳のお方であり、数年前は大病されたが、今は心身健全にお過ごしで、
敗戦後まもなくご主人を亡くされ、ご子息を苦楽の中で2人育て上げられ、
それぞれ独立した自営業を今はなされている、
とお話して下さったのである。


私はこの婦人と別れた後、市電に乗り、中央駅前に向かったのであるが、
先ほどのご婦人の言葉、しぐさを思い馳せたり、
乗客の人たちの話し声を聞いたりしていた・・。

《 ちんからっじゃした 》と聴こえたのは、
《 さんざんでしたよ 》と私は解釈してみたり、

《 ずんばい あっど 》と話されたので、
《 たくさん ありますよ 》と私は感じたりしたのである。


このように私は市民の方たちから、さりげない言葉、しぐさを聞いたりして、
まぎれない鹿児島の文化を享受していたのである。



                                《つづく》




にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またごあんそ、歴史のかたみに 【2009.4.12.~4.16.】 ①

2009-04-17 11:20:00 | 定年後の思い
    第1章 鹿児島・市内に


私達夫婦、家内の?E了或輿箸蓮⊇蕕瓩討亮膓舛肪紊①?br />空港ビ?E療絅咫爾妨㎠辰栃發Ⅸ个靴拭?br />
私は預けていた旅行バックを受け取?E戮紡垉,靴討い燭蕁?br />《 ゆくさ おさいじゃしたもした 》
とさりげなく大きな掲示板が掲(かか)げら?E討い拭?br />
私は少し首をかしげながら、?E療勅房圓了笋箸靴討蓮?br />《 ようこそ いらっしゃいました 》
と解釈して微笑んだのであ?E?br />
空港前から鹿児島市内の中央駅前まで?E爛献鵝Ε丱垢鰺僂靴燭♤?br />九州自動車道の高速で走?E崛?E㎠蕕蓮⇔せ海鮴擇?E㎠い疹覆㎠蕁?br />?E爾♢蠅寮欧?E屬涼罅⊃垢里燭?E?E兵擇鮗院?br />私は心のふ?E気箸里茲Δ幣襍覆某瓦蕨?なご)んだのであ?EΑΑ?br />

私自身、鹿児島・市内に初めて訪?E燭里蓮?br />?EⅤ?E鵐團奪㎐鼎料阿寮慌董?E悗㎠蕁慘彁ゝ濤圈〆臚鷙罅戮韮横兄嵌祥廚靴董?br />やっとの思いで終点の西鹿児島駅に下?E④辰拭?br />
あの頃は、『特急 はやぶさ 』の寝台列車が運行さ?E討い燭♤?br />うらび?E審慇犬了笋箸靴討蓮⇒擇ℓ世両紊梁減澆任△辰燭里如?br />無念ながら乗車は出来ないあこが?E梁減澆任△辰燭里任△?E?br />
45年前のことであ?E里把蠅㎠任覆い♤?br />確か市内の散策した後は、照国神社の付近の旅館に宿泊した。

その後は、指宿温泉の観光ホテ?E暴蒜颪掘∈腓魎儻靴靴晋紂?br />霧島に宿泊できず、小林市内の商人宿に宿泊し、熊本市内の旅館に3泊して帰京した。

この後は、四年前に家内と団体観光ツアーで西九州に三泊4?E撚浩麓靴靴浸?br />鹿児島県に関しては、霧島温泉に宿泊した後、
鹿児島市内を半?E个㎠?E儻靴掘陵抗拏佞亡鵑蝓∋惱匹暴蒜颪靴拭?br />そして桜島を寄り、宮?E④瞭?Eご澆惻靴靴芯戮任△?E?br />


このような拙(つたな)い鹿児島市内の情景を思い浮かべてい?E函?br />市内の中央駅前に到着した。

この後は、市内の予約してい?E咼献優好曠謄?E縫船Д奪ぅ鵑靴燭里任△?E?br />
http://www.kagoshima-i.tokyuhotels.co.jp/

このホテ?E話羆愾阿㎠蕋景♢个㎠蠅陵慇④里△?E茲如?br />部屋からゆったりとした甲突旋征観ら?E∀?なご)みのあ?E襍覆任△?E?br />
後で知?E海箸砲覆辰燭♤△泙犬㎠弊戮蠅両爐砲和腟彿殕未瞭質?E♢△蝓?br />?E㎠虧声藉?E泙任卜鯀海箸靴薪世魄?Eのこ)さ?E燭海里忙廚い魎鵑擦覆♢蕁?br />私はため息をしながら、長らく見つめたりしたのであ?E?br />

                                《つづく》


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またごあんそ、歴史のかたみに 【2009.4.12.~4.16.】 ①

2009-04-17 11:12:24 | 
    第1章 鹿児島・市内に


私達夫婦、家内の母の三人組は、初めての鹿児島空港に着き、
空港ビルの到着ロビーに向かって歩き出した。

私は預けていた旅行バックを受け取る為に待機していたら、
《 ゆくさ おさいじゃしたもした 》
とさりげなく大きな掲示板が掲(かか)げられていた。

私は少し首をかしげながら、東京の田舎者の私としては、
《 ようこそ いらっしゃいました 》
と解釈して微笑んだのである。

空港前から鹿児島市内の中央駅前までリムジン・バスを利用したが、
九州自動車道の高速で走る車窓からは、里山を切り開いた状景から、
昼下がりの晴れ間の中、森のたわわな樹木が光を受け、
私は心のふるさとのような情景に心は和(なご)んだのである・・。


私自身、鹿児島・市内に初めて訪れたのは、
東京オリンピック開催の前の盛夏、東京駅から『臨時 急行 桜島二号』で27時間半要して、
やっとの思いで終点の西鹿児島駅に下り立った。

あの頃は、『特急 はやぶさ 』の寝台列車が運行されていたが、
うらびれた学生の私としては、遥か雲の上の存在であったので、
無念ながら乗車は出来ないあこがれの存在であったのである。

45年前のことであるので定かでないが、
確か市内の散策した後は、照国神社の付近の旅館に宿泊した。

その後は、指宿温泉の観光ホテルに宿泊し、桜島を観光周遊した後、
霧島に宿泊できず、小林市内の商人宿に宿泊し、熊本市内の旅館に3泊して帰京した。

この後は、四年前に家内と団体観光ツアーで西九州に三泊4日で温泉地周遊した時、
鹿児島県に関しては、霧島温泉に宿泊した後、
鹿児島市内を半日ばかり観光周遊し、知覧、開聞岳周辺に寄り、指宿に宿泊した。
そして桜島を寄り、宮崎県の日南海岸へ周遊した程度である。



このような拙(つたな)い鹿児島市内の情景を思い浮かべていると、
市内の中央駅前に到着した。

この後は、市内の予約しているビジネスホテルにチェックインしたのである。

http://www.kagoshima-i.tokyuhotels.co.jp/

このホテルは中央駅前から7分ばかりの利便性のある処で、
部屋からゆったりとした甲突川が観られ、和(なご)みのある情景である。

後で知ることになったが、まじかな川べりの小公園には大久保利通の銅像があり、
幕末から明治初期までに歴然とした点を遺(のこ)されたこのお方に思いを寄せながら、
私はため息をしながら、長らく見つめたりしたのである。


                                《つづく》




にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする