第4章 維新の人々に思い馳せれば
私は『仙厳園』を辞した後、カゴシマシティビューの観光バスで、
城山に向かった。
城山の展望台は、市内の街並みが一望でき、
私は見惚(みと)れながら数枚の写真を撮ったりした。
そして、下山するために遊歩道を歩き出し、タブ、シイ、クスなど照葉樹林の多い中、
新緑の葉に陽射しを受けて、時折きらめいたりする美麗に、思わず足を止めたりしていた。
街並みに出ると、『西郷銅像』の横道となり、
私は少し見上げたりし、微苦笑しながら、街の中を歩き出したのである。
そして、市電に乗り、加冶屋町で下車した後、『維新ふるさと館』を目指した。
この後、市民の方に道先を尋ねた後、
私たちの宿泊先の近くに甲突川が流れているが、橋の付近の小公園に、
『大久保利通銅像』があり、私はしばらく見つめたりした。
そして、この甲突川の川べりの遊歩道を歩いたのであるが、
桜花が終わった葉桜の樹の下は心身心地よかった。
この先に『維新ふるさと館』が見えたのであるが、
閉館時間は五時であり、わずか一時間ばかりで概要として拝見する程度となった。
この後、私は宿泊先に向かい、とぼとぼ歩きだしたのであるが、
なぜかしら無性にカツオなどの刺身が食べたくなったのである。
私は中央駅前の居酒屋を数軒廻ったが、開店前の時間であったり、
盛り付けの多い店であったりし、
やむえず東京でも見かけるチェーン店の『庄や』に入った。
私は朝食はホテルのバイキング形式で頂いた後、
『仙厳園』で抹茶を2煎と和菓子、そして城山の展望所でペットボドルの煎茶を飲んだだけであり、
とりあえずビールの大瓶をお通しで呑んだ。
そして焼酎の呑めない東京の田舎者の私は、
純米酒の辛口を五合ばかり呑みながら、カツオの刺身、たたき、
タコの刺身、からし蓮根、そして薩摩揚げを頂きながら、
日中に観たり散策した所を思い馳せたりしていた・・。
この夜、私はベットに横たわりながら、
芳 即正、毛利敏彦の両氏に寄る編著の『西郷隆盛と大久保利通』を深夜の二時まで読んだりした。
そして酒の酔いか、疲れたせいか定かではないが、
夢の中で、島津斉彬、大久保利通、西郷隆盛の人たちが出てきて、
私は西郷隆盛に苦言を言ったりしていたのである。
『貴兄は考えてもいない征韓論などで誤解されたが・・
西南の戦の前に政府の海軍中将が鹿児島に出向き・・
貴兄と面談したが・・決裂とした・・。
少なくとも貴兄は・・陸軍大将まで歴任した人であるから・・
政府の武器、弾薬はもとより、兵力の圧倒的な強さを認識していた・・
結果として、貴兄を慕う6千人余りの人々を死に追いやった・・』
と私は云ったりしたのである。
『おいどんは・・何も解かっていない・・』
と西郷隆盛は真っ赤な顔で私に言い切った。
『名誉とプライドを大切にする余り・・戦死された家族の人々を考えたことがあるのか・・』
と私は負けじと言い返したのである。
私は夢からさめて、冷たい煎茶を飲み、
窓辺により雨の降りしきる夜明け前の外景をぼんやりと眺めた。
《つづく》
私は『仙厳園』を辞した後、カゴシマシティビューの観光バスで、
城山に向かった。
城山の展望台は、市内の街並みが一望でき、
私は見惚(みと)れながら数枚の写真を撮ったりした。
そして、下山するために遊歩道を歩き出し、タブ、シイ、クスなど照葉樹林の多い中、
新緑の葉に陽射しを受けて、時折きらめいたりする美麗に、思わず足を止めたりしていた。
街並みに出ると、『西郷銅像』の横道となり、
私は少し見上げたりし、微苦笑しながら、街の中を歩き出したのである。
そして、市電に乗り、加冶屋町で下車した後、『維新ふるさと館』を目指した。
この後、市民の方に道先を尋ねた後、
私たちの宿泊先の近くに甲突川が流れているが、橋の付近の小公園に、
『大久保利通銅像』があり、私はしばらく見つめたりした。
そして、この甲突川の川べりの遊歩道を歩いたのであるが、
桜花が終わった葉桜の樹の下は心身心地よかった。
この先に『維新ふるさと館』が見えたのであるが、
閉館時間は五時であり、わずか一時間ばかりで概要として拝見する程度となった。
この後、私は宿泊先に向かい、とぼとぼ歩きだしたのであるが、
なぜかしら無性にカツオなどの刺身が食べたくなったのである。
私は中央駅前の居酒屋を数軒廻ったが、開店前の時間であったり、
盛り付けの多い店であったりし、
やむえず東京でも見かけるチェーン店の『庄や』に入った。
私は朝食はホテルのバイキング形式で頂いた後、
『仙厳園』で抹茶を2煎と和菓子、そして城山の展望所でペットボドルの煎茶を飲んだだけであり、
とりあえずビールの大瓶をお通しで呑んだ。
そして焼酎の呑めない東京の田舎者の私は、
純米酒の辛口を五合ばかり呑みながら、カツオの刺身、たたき、
タコの刺身、からし蓮根、そして薩摩揚げを頂きながら、
日中に観たり散策した所を思い馳せたりしていた・・。
この夜、私はベットに横たわりながら、
芳 即正、毛利敏彦の両氏に寄る編著の『西郷隆盛と大久保利通』を深夜の二時まで読んだりした。
そして酒の酔いか、疲れたせいか定かではないが、
夢の中で、島津斉彬、大久保利通、西郷隆盛の人たちが出てきて、
私は西郷隆盛に苦言を言ったりしていたのである。
『貴兄は考えてもいない征韓論などで誤解されたが・・
西南の戦の前に政府の海軍中将が鹿児島に出向き・・
貴兄と面談したが・・決裂とした・・。
少なくとも貴兄は・・陸軍大将まで歴任した人であるから・・
政府の武器、弾薬はもとより、兵力の圧倒的な強さを認識していた・・
結果として、貴兄を慕う6千人余りの人々を死に追いやった・・』
と私は云ったりしたのである。
『おいどんは・・何も解かっていない・・』
と西郷隆盛は真っ赤な顔で私に言い切った。
『名誉とプライドを大切にする余り・・戦死された家族の人々を考えたことがあるのか・・』
と私は負けじと言い返したのである。
私は夢からさめて、冷たい煎茶を飲み、
窓辺により雨の降りしきる夜明け前の外景をぼんやりと眺めた。
《つづく》