昨日、このサイトで【明日より、鹿児島・市内を訪れる前に・・♪】と題し、
投稿した通り、本日より4泊5日で、
私達夫婦と家内の母の三人組で鹿児島・市内そして霧島温泉を訪れる。
鹿児島・市内を選定したのは、
私が家内の母に知覧の特攻平和会館にある遺書、手紙などに、
深く心に感じ、情感をまじえて話したのがきっかけで、
利便性のある鹿児島市内のビジネスホテルに連泊することした。
家内達が『知覧特攻平和会館』、『桜島』を訪れている間、
私は独りで照国神社、尚古集成館、そして磯庭園に知られている仙厳園を拝見したり、
城山を散策する予定である。
こうした折、特に旅先のときなどは、私は日常のぐうだらな生活を反省しながら、
亡き作家の城山三郎氏の遺(のこ)された格言を心の底に秘めて、
歩き廻ったりしている・・。
【 ・・
人生の持ち時間に大差はない。
問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、
あえて挑むとか、打って出ることも、
肝要となろう。
・・】
城山三郎・著の『この日、この空、この私』と題された随筆の一冊であり、
この中の『無所属の時間に生きる』に綴られている。
私は父に小学二年の時に死去されたので、特に城山三郎氏からは慈父のような言葉と感じ、
改めて定年退職後の年金生活は、人生は深く生きるように、
と生活信条として学んだのである。
今回、たまたま鹿児島県で4年ぶりに訪れるが、 鹿児島県のお方たちは、
うわべの言葉よりも熱き思いを秘めて行動される方が多い、と私なりに感じてきたが、
果たして歓迎されるか、
或いは東京の田舎者、と石を持って追われるか、
私の言葉、しぐさに係わっていることは、云うまでもないことである。
いずれにしろ、旅行先ではWeb環境から離れて、
訪れた地に心身思いを寄せるので、この間は投稿はしない。
尚、こうした時間に投稿するのは、異例であるが、
旅の出発日で早く目覚め、たわむれの一文と了解を願いたい。
投稿した通り、本日より4泊5日で、
私達夫婦と家内の母の三人組で鹿児島・市内そして霧島温泉を訪れる。
鹿児島・市内を選定したのは、
私が家内の母に知覧の特攻平和会館にある遺書、手紙などに、
深く心に感じ、情感をまじえて話したのがきっかけで、
利便性のある鹿児島市内のビジネスホテルに連泊することした。
家内達が『知覧特攻平和会館』、『桜島』を訪れている間、
私は独りで照国神社、尚古集成館、そして磯庭園に知られている仙厳園を拝見したり、
城山を散策する予定である。
こうした折、特に旅先のときなどは、私は日常のぐうだらな生活を反省しながら、
亡き作家の城山三郎氏の遺(のこ)された格言を心の底に秘めて、
歩き廻ったりしている・・。
【 ・・
人生の持ち時間に大差はない。
問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、
あえて挑むとか、打って出ることも、
肝要となろう。
・・】
城山三郎・著の『この日、この空、この私』と題された随筆の一冊であり、
この中の『無所属の時間に生きる』に綴られている。
私は父に小学二年の時に死去されたので、特に城山三郎氏からは慈父のような言葉と感じ、
改めて定年退職後の年金生活は、人生は深く生きるように、
と生活信条として学んだのである。
今回、たまたま鹿児島県で4年ぶりに訪れるが、 鹿児島県のお方たちは、
うわべの言葉よりも熱き思いを秘めて行動される方が多い、と私なりに感じてきたが、
果たして歓迎されるか、
或いは東京の田舎者、と石を持って追われるか、
私の言葉、しぐさに係わっていることは、云うまでもないことである。
いずれにしろ、旅行先ではWeb環境から離れて、
訪れた地に心身思いを寄せるので、この間は投稿はしない。
尚、こうした時間に投稿するのは、異例であるが、
旅の出発日で早く目覚め、たわむれの一文と了解を願いたい。