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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

改めて、私がサイモン&ガーファンクルを聴いた頃・・♪

2009-03-21 18:20:20 | 音 楽
私は東京郊外に住む64歳の年金生活の身であるが、
日中のひととき、スーパーに買物に2店ばかり廻ったり、
冬物をクリーニング店に持ち込んだりしていた。

この後、ぼんやりとラジオを聴いていたら、
サイモン&ガーファンクルの『スカボロー・フェア』が流れてきたので、
私は懐かしげに聴いたのである。

そして、私はこの曲が街に流れていた頃、
そして私が初めてサイモン&ガーファンクルの唄声を聴いた頃の時代が思い出され、
蘇(よみがえ)ったのである・・。


この頃の私なりの時代は、
【 私がサイモン&ガーファンクルを聴いた頃・・♪ 】
と題して、あるサイトに2006年11月28日に投稿していたが、
あえて再掲載をする。

【・・
昭和43年、私は大学を中退して3年が過ぎようとした頃であった。
映画、文学青年の真似事をし、先行きの見えない日々を過ごしていた。

学生時代の友人達は社会の第一線で出て、
私は社会に対しまぶしくもあったが、
根拠のない自信ばかり強くて、屈折した日々を送っていた。


大学を中退した後、シナリオ・ライターの養成所に入り、
養成所、講師からアルバイトを紹介してもらった。
アメリカのテレビドラマの下請けで、出演者として脇役で数本出たりした。

或いは、ある月刊誌の記事の与えられた課題を取材し、下書きをし、
講師が筆を入れて、講師の名で発表されたが、
ある程度の収入となった。

このようなことを何時まで行っても文章修行の時間がなくなり、
警備員などのアルバイトをしながら自由な時間を確保したりした。

あるお彼岸の時、親戚の叔父さんから、
『若い時・・なんとでも成るが・・30からどうするの・・』
と云われたりした。

学生時代の友人達は、社会に出て、逢う機会も次第になくなり、
何かしら取り残されたようになってきた。


やはり定職に就いて、いずれは・・と思い、
新聞広告で就職募集の中途採用欄を見て、
ある大手の家電会社の営業職に入社の受験した。

この試験の帰りに映画館で『卒業』を観た・・。
この頃、ラジオから『サウンド・オブ・サイレンス』がよく流れていた。
映画はこの曲を中心に流れ、私は魅了させられ、
初めてサイモン&ガーファンクルの歌声、メロディーに酔いしれた。

家電の営業職の中途採用は、その後は面接を2回ばかりして、
幸いに採用通知を頂いた。

このような時、近所の家電販売店の店主が、
実家にたびたび来宅していた。
『あんたなぁ・・家電の営業・・といってもなぁ・・
余程の覚悟でならないと・・使い捨て・・消耗品なるよ・・
同じやるなら・・手に職を持った・・・技術だょ・・』
と私は忠告された。

私は社会に対し、中途半端な身であったので、
技術職といっても皆目検討が付かなかった・・。
このような時に、本屋の店頭でダイヤモンド社のビジネス雑誌で、
付録として『三週間でわかるコンピューター』と題された小冊誌があった。

購入して読んだが、理工関係にも弱い私は理解出来ない方が多かった。
ただ漠然として、これからの企業ではコンピューターが伸張する、
と理解していた程度であった。

この後、私はコンピューターのソフトコースの専門学校に1年間学んだ上、
ある程度の企業に中途入社しょうと思った。
同期の生徒は、高校を卒業したばかり理工方面に優秀な若い男女が多く、
私は遅れた青年のひとりとして、学んだ。

私は積分、微分には苦慮したが、授業を受けていく中、
コンピューターを操作していても処理時間に相当掛かるので、
空き時間があり、企業に入ったら、
この時間を創作時間に当てようと思ったりした。

そして、近所の家電販売店の店主の紹介で、
ある大手の音響・映像の会社の首脳陣のお方を知り、
このお方のご尽力もあり、昭和45年4月、私は何とか中途入社が出来たのであるが、
まもなく企業は甘くないと知り、
私は徹底的に管理部門のひとりとして鍛えられた。

この頃は、サイモン&ガーファンクルの『ミセス・ロビンソン』、『スカボロー・フェア』、
『サウンド・オブ・サイレンス』等が収録されたLP『サイモンとガーファンクルのグレーテイス・ヒット』をよく聴いていた・・。

そして究極のアルバム『明日に架ける橋』が発売され、
レコードが擦り切れるくらい好く聴いた・・。

♪Sail on silvergirl、
 Sail on by
 Your time has comev to shine

【song by Poul Simon】

私はガーファンクルの声でこの部分に触れると胸が熱くなり、思わず涙ぐむ・・。

私の彷徨した時代に終わり、
遅ればせながら社会人としてスタートを切り、
そして海の彼方のアメリカの混迷した社会も思いながら、
この曲を聴いたりしていた。

私の勤める会社の一部門が、レコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に異動させられ、企業の1年生として業務にのめり込んだ。

この年の夏、他社であるがサイモン&ガーファンクルの『コンドルは飛んで行く』が流行し、
そして晩秋には作家・三島由紀夫が自裁され、
私の青年期は確実に終わりを告げた。
・・】

このように綴っていたが、大学を中退し、企業に中途入社出来るまでの期間は、
ときには観たい映画、欲しい本を買う為に、食事を何度も抜いたりしたことがあったが、
私にとっては、まぎれない心の黄金時代だった、と深く感じたりしたのである。


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ときには、 X JAPANの名曲を視聴して・・♪

2009-02-28 17:56:04 | 音 楽
私は年金生活の5年生の64歳の身であり、ときおり音楽を聴いたりしている。
しかし、音楽の素養もなく、オペラとジャズは何かと苦手であるが、
これ以外の分野は、惚れこんだアーティストに関しては、
徹底的に聴くひとりである。

日中、スーパーの2店ばかり廻って買物をし、少しは散策した後、
昼下りの時、居間でぼんやりとしていた・・。

そして何となく、X JAPANの音楽が聴きたくなり、
音楽棚からX JAPANのCD、ビデオ・テープ、DVDの20枚前後のアルバムの中からと思ったが、
私が聴いたり、視聴していない作品があったかしら、と思いながら、
ネットで、『YouTube』サイトで検索したのである。

そして、彼らがNHKの紅白歌合戦に出場した際、
『紅』を選曲の時があり、私は視聴していなかったので、
3回ばかり繰り返して視聴したりした。

この曲をきっかけに私は、2時間ばかり、
『YouTube』サイトでX JAPANの名曲を視聴したのである。

私は【X JAPAN】に関して、数多く投稿しているが、
この中から、三つばかり再掲載するので、
私が彼らを一時期熱愛し、夢中になり、どれだけ心酔したか、
ご理解を頂けるかしら、と苦笑している。



①【 『The Last Song』 を心の中で唄えば・・♪ 】
と題して、2008年5月12日に投稿。

【・・
私は曇り空の中、少し遠回りして買物に出かけた。

人影も少ない遊歩道を歩いたりした。

私は立ち止まり、煙草に火を点(つ)けた時、
突然に私の心にひとつの歌が流れた・・。


♪傷つくだけ 傷ついて 解ったはずの答えを
 どうしてまだ 問いかける

【『The Last Song』   作詞・YOSHIKI】


私はどうしてこの歌が思いだされたのか、
自身で驚いたりしていた。

この歌は、ロック・グループのX JAPANの最後の頃の名曲であるが、
どうしてなの・・、と私は思い返したりしていた。

私はこの半月に於いて、このブログ・サイトの
【年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~】に
今まで4つのサイトに書き散らかした3000通前後の
投稿文を整理、統合をしたりしている。

定年退職後まもない時から綴っているが、
私の幼年期から年金生活の今日までの半生記のような内容でもある。


私は昭和19年に東京郊外で農家の子として生を受け、
小学2年の時、父に病死され、
大学を中退し、映画・文学青年の真似事をしたりした。

25歳の時に企業に何とか中途入社し、
35年音楽関係の会社に勤め、定年退職した。

私は中学時代の頃からは、表面は明るく振舞っていたが、
心の中で血みどれに自己格闘し、
ときおり確固たる根拠なく自信をもたげて独断・偏見の言動もあり、
ときには卑屈になったりして、屈折した半生でもあった。

このような心の軌跡があるので、
サラリーマンの家で生を受け、それなりの文化に育(はぐく)まれて、
大学を卒業し、大企業で勤めたエリートの人々とは、
最も遠い存在と思ったりしているのである。

このような心情を思い返してか、


♪終らない雨 抱きしめた 夜が朝を向かえる
 心はまだ濡れたまま
 傷つくだけ 傷ついて 解かったはずの答えを
 どうしてまだ 問いかけている

【『The Last Song』   作詞・YOSHIKI】


このような心の中で唄っているのである。

・・】



②【 皿洗いの時、『X JAPAN』が最適・・!? 】
と題し、2008年4月27日に投稿。

【・・
家内が留守なので、昼食後のひととき、
私は台所に立った。

台所のひとつの戸を開け、そして前掛けをして、腕まくりをした後、
皿洗いなどをしたのであった・・。

CDラジカセを持ち込んで、一枚のCDをセットした・・。

少し山積みとなった皿、丼ぶり、小鉢などを水を盛大に出しながら
スポンジでこすり洗ったのである。

心の中は、さぁ~いくぞ・・という心境である。


♪紅に染まったこの俺を慰める奴はもういない

【 『紅』 作詞・YOSHIKI 】


この後、台所の洗剤で皿などをこすった後は、
水洗いを盛大にしたのであるが、


♪もう二度と届かないこの思い
 閉ざされた愛に向かい
 叫びつづける

【 『紅』 作詞・YOSHIKI 】


この歌は私は小声であるが、
ボーカルのTOSHIに負けじと唄い続けた・・。

この名曲は、ロックバンドのX JAPANであり、
この歌は1時期、高校野球の応援歌で、
演奏されたりしていた・・。

私は水洗いをしながら、この歌を『一曲繰り返し』セットし、
唄い続けたのであるが、
不思議ながら合致するのである。

余りバラードであると、聴き込んでしまうので、
程々のハード・ロックが合うと、
小綺麗になった台所で、独り微苦笑したのである。

この後、台所の戸を開けていたので、
室内禁煙に目をつぶり、煙草を喫いはじめていたら、
玄関のチャイムが、
『コッキラ・・コ~ン!・・』鳴り出し、
私は玄関が見える窓から、そぉ~と見たら、
30前後の美麗なご婦人と幼児が立っていた。

私は自治会の役員のお方が、
共同募金の収集でお見えになったのだ、
と解かったが、前掛けと腕まくりの60代の小父さんとしては、
少しあわてたのである。

そして、私は『はぁ~い』
と大声で云いながら、
前掛けを取り、応対したのであった・・。

私は15分ほど早かったら、
見せられる格好でなく、X JAPANと共に、
小声で唄っていたのであるから、
今であってよかったよ、と呟(つぶや)いたのである。

・・】



③【 ときには、X JAPANを聴いて・・♪  】
と題し、2006年5月3日に投稿、

【・・
家内が今朝から実家に帰っている。

家内の母は、一昨年の秋に主人を亡くされ、独り住まいなので、
家内は月に一回、4泊前後で大掃除、季節変わりの衣料整理などを行っている。

私は3時過ぎから、X JAPANの『The Last Live』CDの3枚組を聴いている。

家内は程々の音量で音楽を聴いているが、
私は時折、音量を大きく聴くので、
家内の留守を幸いにして、久々にX JAPANを大音量で聴いている。

私がX JAPANに魅了させられたのは、解散前の頃であったが、
偶然『Rusty Nail』を聴いた時、鳥肌がたった・・。

私は、52歳頃であった。

それからの日は、明けても暮れても、音楽はX JAPANとなり、
CDアルバムを買い求め10枚を直ぐに超えた。

このラスト・ライブのコンサートは
1997年12月31日に東京ドームで行われたが、
私の母が危篤となり、無念ながら行けなくなった。

その後、NHKで『X JAPANの軌跡 感動のドームライブ』と題されたのが放映されてた。
1998年1月30日であり、ビデオに収録した。

それからの日々は、このビデオを毎晩観て、熱狂の時は6ヶ月ぐらい続いていた・・。

そして友人達には、X JAPANは心身のビタミンです、と公言していた。

今回、聴いたCDの3枚組は、2001年5月に発売され、
DVDの2枚組は、2002年3月に発売された。

従って、ラストライブに関しては、この3種類を聴いたり、観たりしている。

尚、ライブは観る物であり、スタジオ盤は音楽を聴く物、
と私は原則として自覚している。

・・】

このように、たった3つばかりを再掲載をしたが、
これ以外に熱い思いで数多く投稿しているが、残念ながら際限がないので、
省略する。




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この時節、私の心の中は、『早春賦』を唄い・・♪ 

2009-02-07 09:01:50 | 音 楽
東京郊外の調布市に住む私は、6時半過ぎに主庭のテラスに下り立ち、
風もない中、ぼんやりと煙草を喫ったりしていた。

日本水仙、白玉椿、そして白梅の白き花を眺めたり、
地面も黒土も清々しい、私の心を高揚させてくれる。

この時節は、このような早春のひととき感じさせてくれるが、
ひとたび寒気につつまれ風が吹くと、肌寒くやはり冬の季節と思ったりし、
古人からの伝えの三寒四温の適言に微苦笑させられる。

さきほど、地元の天気情報を視聴していたが、
朝の6時過ぎは1度、昼下りは11度前後の快晴に恵まれ、
風もない暖かな1日となり、夜の6時頃は9度前後が予測されます、
と私には聴こえたのである。


ぼんやりと私は、庭を眺めたりしていると、
心の中でひとつの歌を唄っていた・・。


♪春は名のみの 風の寒さや
 谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど

【 『早春賦(そうしゅんふ)』 作詞・吉丸一昌 】


私は幼年期に農家の児であったので、
遠い昔、田畑、雑木林の情景に思いを馳せていると、
思わず心の中で唄ったのである・・。


♪春と聞かねば 知らでありしを
 聞けば急かるる 胸の思(おもい)を

【 『早春賦(そうしゅんふ)』 作詞・吉丸一昌 】


私は年金生活の5年生の64歳の身であるが、
何故かしら齢を重ねるたびに、幼年期の光景が甦(よみがえ)ることが多くなっている。



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改めて、『愛しき日々』が流れた頃・・♪

2009-02-02 18:02:03 | 音 楽
午後のひととき、私は音楽棚からCDの背文字を眺めながら、
ときには堀内孝雄の歌声も聴こうとし、
『堀内孝雄 ベスト・ソング集』のアルバムを取り出して、聴いたりしていた。

そして、あんな時代もあったなぁ、とその時代に思いを馳せたりしていた・・。

私はあるサイトに於いて、
【 『愛しき日々』が流れた頃・・♪ 】
と題して、2006年2月5日に投稿したことがあるので、再掲載をする。

【・・
堀内孝雄氏の歌った『愛しき日々』が街に流れた頃は、
確か昭和62年の春だったと記憶している。

前年の歳末のテレビ時代劇『白虎隊』の主題歌に使われ、
作詞は小椋 佳氏、作曲は堀内孝雄氏だったと思う。

この頃のレコード業界は、おニャン子ブームが席巻し、
中年のサラリーマンの慰めは、この『愛しき日々』と
テレサ・テンの『時の流れに身をまかせ』ぐらいだったと思う・・。

日米の経済摩擦があり、中曽根内閣の時代だった・・。

日本の企業は改革をし、多くのサラリーマン達は、時代に翻弄した時代だった・・。

私も経費削減で業務の見直しをしたりして、会社事態も苦境に立たされている時だった。

そのような中で、この『愛しき日々』の歌詞が、
中年のサラリーマンとして、心に沁みた・・。

♪風の流れの 激しさに
 告げる想いも 揺れ惑う
      ・・・

【『愛しき日々』 作詞・小椋 佳、作曲・堀内孝雄 】


この歌を街角から流れ、
聴きながらそっと涙を浮かべたサラリーマンは、数多くいたのではなかろうか・・。

いつの時でも、その時代に翻弄されるサラリーマンの多くは存在する。

・・】


このように私は綴ったりしていたが、昨今の経済の悪化で、
多くの方たちが翻弄されるニュースを視聴したり、
或いは新聞で読んだりする時、
私は民間会社を定年退職した年金生活の5年生の無力な身ながら、
ため息ばかりすることが多いのである。



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年金小父さん、ここ数年の歌で魅了された曲は・・♪

2009-01-29 16:45:51 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であり、
少しボケて体力の衰えた64歳である。

私は殆ど毎日、買物・散策をしたりしている。
こうした日常生活の中ではやはり読書の時間が多いが、
綴ることが好きで、ブログ系のサイトなどに投稿したりしている。
そして、ときたま居間でビデオ、DVDの映画作品を鑑賞したり、
CD、DVDで音楽を聴いたりしたいる。

私の現役時代は、たまたまレコード会社に勤め、
制作に直接係わる部門でなかったが、管理部門の各部を体験してきたので、
それなりにカセット、CD、DVDをある程度は保有している。

定年退職後の年金生活になると、
その日の心情により、適当に聴いたりしているが、
オペラとジャズは苦手であり、これ以外の分野は何でも聴いたりしているが、
やはり中島みゆき、井上陽水、X JAPAN、ミーシャなどは、
現役時代から引き続いて多く聴いたりしている・・。

そして、年金生活になると、読書が最優先となり、投稿文を綴ったりしているので、
音楽の興味は薄れているが、年金生活で初めて知り、私なりに夢中になり、
少なくとも百回以上聴いたアーティトがいる。

『絢香』ちゃん、『コブクロ』、そして『いきものがかり』の吉岡聖恵ちゃんの歌声に魅了されたのである。

私は魅了された方には、小説・随筆などの作者への思いと同様に、
物狂いのように夢中に熱愛するので、
この時の熱き思いを数多く投稿しているので、あえて再掲載をする。


絢香ちゃんに関しては、
【 秘かに、絢香という歌手に魅了・・・♪ 】
と題して、2006年11月5日に投稿している。

【・・
この三ヶ月、ラジオなどで絢香という歌手の歌声に魅了されている。

私は定年退職後の年金生活をし、歳を重ねた62歳の身である。

私は日頃から音楽も好きであるが、ここ5、6年は若手の音楽には興味を薄れている。

平成9年の秋、小柳ゆきの『あなたのキスを数えましょう』を偶然にテレビで観た時は、
仰天し、それ以来『愛情』、『be alive』を初めとするCD、DVDなどライブ盤を含め、
熱愛ファンの期間が2年ほど続いた。

その後は、元 ちとせ、平原綾香には少し感心したが、魅了されるところまで心が響かなかった。

先程、ヤフーの無料動画で、絢香(ayaka)の『I believe』、『Real voice』、『三日月』の三曲を視聴したが、
歌詞と歌声に改めて魅せられている。

何が好いかといわれても、男女の間の恋しさと同様に、感覚、そして感性の問題である。

62歳の歳を重ねた身であるが、
ブームなどという浮ついた時代を超える名曲のひとつ『三日月』を
改めて毎晩視聴するつもりだ。

尚、余計なことであるが、私が勤めいていたレコード会社とは、
上記の4名の歌手はすべて他社であり、少しため息をついている事も事実である。

・・】


この後も、2007月1月1日に於いて、
【 私の注目している絢香(あやか)ちゃんの言葉・・♪ 】
と題して、投稿している。

【・・
以前にも数回このサイトで私は、
『三日月』などを唄っている絢香というシンガー・ソングライターに魅了されている、
と綴っている。

昨夜、NHKの『紅白歌合戦』に絢香ちゃんが出演される頃に、
テレビを視聴した。

中央のせりの高い舞台から登場され、
唄いながら下りてきて、中央の前方の位置に定めた時、
安堵したかのような表情を浮かべ、伸びやかな声質を増した。

やはり実力のある新人女性であるが、旬の勢いが感じられたりした。

このように好感して、元旦を迎えた。


読売新聞の元旦では、通常版として第一部があって、
第二部としてテレビ番組、芸能関係の特集で20ページで構成されていた。

この16ページ目に於いて、絢香ちゃんの全面の広告となっている。
メッセージが綴られて折、自筆の字が大きく躍(おど)っている・・。

ひとりのアーティストで全面記事は、旬を感じさせる場合は、
よく利用される広告形式であるが、
私はアーティスト自身のメッセージの言葉、
何より自筆であるので絶賛している。

退職後の3年生の身であるが、
齢を重ねた私さえ、絢香ちゃんの感性と感覚、そして声質に魅了されている。


無断であるが、このメッセージを転記させて頂きます。


【 もっと笑顔が咲きますように。

Peace loving people。

デビューしてこの一年。いろいろな出会いがありました。
『人は一人では生きていけない』と強く感じる、
大きな出会いが幾つもありました。

”出会いに感謝”この言葉は言っても言い切れない。忘れちゃいけないこと。
その出会いを大切に、心からの声で歌えば、届く。つながる。
すごいパワーが生まれる。

私は今、大好きな歌の力をもっと信じてみたいと思っています。
辛くても、寂しくても、大切な人達とは、しっかりつながっています。
とても幸せなこと。

遠い国では、何の罪もない子供達が傷つけられたり、
憎しみあって争ったりしている現実。
丸い地球に住む、人を好きになる、みんな同じ人間です。
その現実を知る度に、涙を流すことしかできなかった。
何もできない自分がもどかしかった。

私には歌うことしかできません。
願って、歌って・・。そこから始まる気がする。
『Peace loving people』平和を愛する人の輪が、
どんどん広がりますように・・。
笑顔の花が、いっぱい咲きますように・・。

2007年も、私は歌を歌います。愛する人達の幸せのために。

          絢香 2007.1.1


以上、無断であるが、転記させて頂き、改行を多くしました。


絢香ちゃんは17歳前後の女性であるが、
この世代の歌詞、そして文章の綴りは私は久しく接していないが、
やはり私が魅了されたお方に相応しく、しっかりとご自分の言葉で表現されている。

私は絢香ちゃんを最初に聴いた時は、
感性として五輪真弓・女史の『少女』を思い浮かべたが、
中島みゆき・女史の初期の頃の路線の感覚かしら、と思ったりしている。

時代こそ、社会背景などで大きく差異があるが、
才気ある若き女性の登場に喜んでいるひとりである。

・・】


この後も、2008年5月9日に於いて、
【  私の最近の心に寄せる歌・・♪  】
と題して、投稿していた。

【・・
昨年の9月頃からは、
若き女性の『三日月』などを唄っている絢香(あやか)ちゃんに魅せられ、
百回以上は聴いている・・。

この方については、昨年の秋頃からこのサイトでたびたび綴っているので、
省略する。

正月を過ぎた頃、遅ればせながら『千の風になって』を聴きこんでいる・・。
そして秋川雅史さんの歌声に魅了されている。

このことに関しても、以前このサイトで綴っているので、省略する。

過日、NHKで『千の風になって』の特集番組で作詞・作曲された新井 満さんの歌を視聴し、
更に心が揺さぶられるように魅了されたりしている。
そして、涙ぐんだりしている・・。

定年退職後の3年生は、こうした2つの名曲に心を寄せ、過ごしている。

今日の日中、買物を最寄のスーパーでしていた時、
店内から『三日月』が流れてきた・・。

私は買物の品定めの手を休め、
『絢香(あやか)ちゃんだ・・』
と呟(つぶや)いたりしている。

・・】



コブクロに関しても、数多く綴っているが、
この中のひとつとして、2007年11月18日に於いて、
【 コブクロの『赤い糸』、感銘を受けたひとりとして 】
と題して、投稿している。

【・・
私は定年退職後の年金生活の4年生の身であるが、
ときおり音楽を聴いたりするのが好きである。

私は現役時代は音楽関係の会社に勤めていたが、
制作畑でなく管理畑であったので、制作関連には全くの素人であり、
ただ私なりの感覚的好きな曲は数多くある。

私は齢を重ねたせいか、2000年以降からは、
正直な云えば素直に聴いて、感銘を受けた曲は少ないのである。
《小柳ゆき》には熱愛した時期、昨年は《絢香》の『三日月』には魅了されたりした。
《元 ちとせ》、《平原綾香》には感心はしたが、感銘まではしなかったのである。

退職後の音楽情報は、現役時代と同様にオリコン、日本レコード協会のサイトより、
最新のヒット状況は判っているつもりであるが、
実際、アーティストと歌が一致していなく、第一に歌声も聴いたりしていないことが多いのである。

一年に数度ぐらいは、テレビで放映される音楽の番組を視聴するが、
私の日常生活の音楽は、私の音楽棚からCD、DVDから取り出して視聴しているが、
圧倒的に2000年以前の作品である。

この程度の素人の身であるが、一昨日の夜に、
NHKでプレミアム10『恋うた2007 autumn&winter』という番組を視聴した。

ときには、最近の若い方たちが、どのような音楽に魅了されているか、
テレビ放映であるので具体性があり、視聴した次第である。


徳永英明》、《ユーミン》は、同時性で聴いていたので、論外であるが、
ただ《徳永英明》の『まちぶせ』、『恋におちて~Fall in Love』は、
彼の特有の声質で、女性歌手が唄われた過去の名作に改めて魅了された。

《中島美嘉》の『STARS』、『WILL』、『雪の華』、
《BoA》の『メリクリ』、
《大塚 愛》の『恋愛写真』、
これらは私の苦手であり、どうでもよい、と世代の差を感じるのである。

《Mr.Chidren》に関しては、
私の現役時代から音楽市場を制覇ひとりとして判っているが、
《レミオロメン》はデビュー当時の方が良かったかしら、
と感じたりしていたのであった。

《コブクロ》に関しては、
ミリオン・セラーを獲得している最近では数少ない人達であることは、
サイト等で知っていたが、歌そのものをじっくりと聴いたことがなかったのである。

『赤い糸』は初めて聴く歌であったが、
恋情を真摯に綴られた作詞で、何より独創性がありながら余情があり、
文学性にあふれ昇華された作品である。

遠い昔、シャンソンの分野では、
こうした作風は何気ない情景、情感があったような感じを思い出したりし、
現世の時代に独創ある上で発露させた彼等に私は絶賛する。

彼等のコメントに寄れば、
結成まもない9年前に路上、その後のライブで唄い、
好きな歌のひとつです、と語っていた。

作詞、作曲、そして歌声に久々に歌の世界から感銘を受けたのである。

そして、彼らが無名の時、自分達を信じて、夜の路上で唄った時の心情を思い、
私なりに胸が熱くなった・・。

『赤い糸』は、私なりに63歳の身でありながら、
残された歳月に数少ない心に沁みた名曲と確信したりしている。

尚、この後『蕾(つぼみ)』は、今年発表された曲であるが、
私の今年度の最も好きな曲である。

余談であるが、コブクロに関しては、
私が勤めていたレコード会社とは、残念ながら他社のアーティストである。

・・】




『いきものがかり』の吉岡聖恵ちゃんに関しても数多く綴っている中で、
【 心の中で、『帰りたくなったよ』を唄い・・♪ 】
と題して、2008年6月29日に投稿している。

【・・
東京の郊外は、小雨の降る朝であり、
日中も雨の降り、明日の早朝まで降りしきる・・。
そして朝、昼、そして夕方も20度前後という変わった状況なので、
少し肌寒いかしら、と暑さに苦手な私は微笑している。

玄関庭で、小雨の降る空を見つめたり、
樹木の枝葉がしっとりと濡れている情景を眺めていると、
私の心は深夜に視聴した『いきものがかり ライブ』が甦(よみがえ)ってきた・・。


昨夜、NHK総合を視聴していたら、
BS2の11時より、『いきものがかり ライブ』の予告スポットを偶然見て、
深夜を1時間半の番組を視聴したのである。

私は彼等のグループ『いきものがかり』と女性ボーカルの吉岡聖恵の歌声に魅了された、
と5度前後このサイトに投稿している。


私は5月の中旬に富山市の呉羽山に温泉滞在旅行に行く途中で、
高速道路にあるサービス・エリアのスピーカーから、
徳永英明の歌に続いて、未知の歌声が流れてきたのである。
のびのびとした爽(さわ)やかな歌声に瞬時に魅了されたのである・・。


♪帰りたくなったよ 君が待つ街へ
 大きく手を振ってくれたら 何度でも振り返すから

【『帰りたくなったよ』 作詞・水野良樹 】


偶然に彼等を知り、たまたまその歌声に魅了され、
後日、水野良樹と山下穂尊、そして同級生の妹・吉岡聖恵によるスリーピース・バンドで、
『いきものがかり』というバンド名で、
『帰りたくなったよ』という曲を知ったのである。


私はその後『花は桜 君は美し』、『SAKURA』、『うるわしきひと』等も知り、
ときおり聴いたりしている。


私は齢を重ねた63歳の年金生活の身であるが、
『・・ライブ』を視聴した後は、少し昂奮し、余韻にしたりながら、
ネットで彼等のサイトを見つけて、1時間ばかり見ていたりした。

http://www.ikimonogakari.com/

そして彼等の全貌が少し解かり、
深夜の2時過ぎに布団にもぐったのである。


今朝、ぼんやりと玄関庭の軒下で煙草を喫っていたら、
心の中で、彼等のライブの表情が甦(よみがえ)り、
そして『帰りたくなったよ』のメロディーが流れてきたのである。

そして私の心の中で、


♪帰りたくなったよ 君が待つ街へ
 大きく手を振ってくれたら 何度でも振り返すから

【『帰りたくなったよ』 作詞・水野良樹 】


唄いだしたのである・・。


そして、彼らが無名時代に夢に向かって路上ライブを長年した後、
メジャー・デビューして3年過ぎ、各地のライブ・コンサートは賞賛を受けている、
と『・・ライブ』で改めて知ったのである。


私は偶然に、遅ればせながら彼等の音楽を知り得たのであるが、
すれ違うことの多い人生の中で、
秘かに63歳の身を夢中にさせてくれたことに感謝をしている。
・・】



このように綴っているが、偶然に聴いた中で、拙(つたな)い感性なりに
綴ったのであった。
私は熱愛した期間が過ぎると、平常心の平熱となるが、
日中のひととき、買物でスーパーの店内を歩いていた時、
コブクロの『赤い糸』が流れていたので、思わず聴き惚れてしまうのである。

尚、私なりの音楽の思いは、このサイトのカテゴリの『音楽』に於いて、
200通ばかり投稿しているので、お読み頂いた上、ご笑話願えれば幸いと思ったりしている。



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冬の朝、私は『冬景色』に愛惜を秘め・・♪

2009-01-13 09:58:57 | 音 楽
東京郊外の調布市に住む私は、年金生活の5年生の身であり、
いつものように日の出の7時前には、起床している。

今朝は幾分寒いかしら、と思いながら、
居間のガスファン・ヒーターの暖房を点けた。
急速暖房のスイッチを指定しても、1度が表示されていた。
15分程度が過ぎれば、遅くても居間は17度くらい暖かくなるのであり、
ネットで地元の天気情報を見たりした。

朝の6時はマイナス2度、昼下がりは9度、そして夜の6時は5度となり、
冬晴れで風もなくおだやかな1日となるが、
今年一番の寒い朝かしら、と感じたりしたのである。

そして、雨戸を開けたり、新聞を取り込んだりした後、
主庭のテラスで煙草を喫ったりした。
冬木立の樹木を眺めたり、黒土が霜で薄っすらと白く染められて、
しばらく眺めていたのである・・。

私の母の命日だったと思ったりした後、

♪さ霧(ぎり)消ゆる 湊江(みなとえ)の
 舟に白し、朝の霜。

【 『冬景色』 作詞・不詳 】

と何気なしに心の中で唄っていたのである。


この後、家内にコーヒーを淹れたりした後、
NHKの7時のニュースが始まる頃であった。
そして世の中の多くの方は、3連休明けで何かとお忙しいと思いながら、
私の定年退職前の5年間は、起床が4時45分で始発のバスに乗り、
小田急線の電車の通勤途上で日の出を迎えたりしていたので、
あんな時代もあったなぁ、と苦笑したりしたのである。

7時半過ぎに、まばゆい朝の陽射しを受けながら、
このサイトに何を綴ろうか、と思案したりしたのである。

昨夜、テレビ・ドラマの『そうか、もう君はいないのか』を視聴したので、
批評文を綴ろうか、と思ったりしたが、
城山三郎氏の奥様が亡くなわれた前後の数々の随筆の原作を読んだりしていたので、
このテレビドラマの作品は、残された人生の切実感が乏しく、失望したのである。
何より、城山三郎氏に扮した田村正和氏の演技は、
私は初めて真剣に観た作品であるが、人生の苦楽の表情、しぐさ等の表現が出来ないので、
期待していたに係わらずミスキャストである。


この後、私はこのサイトでこの時節に於いて、
どのようなことを投稿していたか、読んだりしたのである。

昨年の1月25日に於いて、
【今朝の鼻歌は、『冬景色』となり・・♪】と題して、
投稿していたのである。

【・・
東京の郊外は、昨日は冬晴れであったが、
午前11時前後から、ときおり風が強く吹いて、寒い一日であった。

昼下り家内の母より、旅先の佐渡島より電話があり、
両津港~新潟港のフェリーが欠航しているので、帰京を延ばす、
と連絡を受けたりした。

家内の母は、冬の佐渡島を旅友達と3泊4日で観光めぐりをしていたが、
暴風雪に遭遇してしまったのである。

『せっかく行かれたのだから・・
仲良しグループとゆっくりと・・』
と私は家内の母に云ったりしていた。

『そうよねぇ・・』
と家内の母は笑いながら云ったりしていた。

私は家内の母の77歳の身を案じたが、
国内旅行の好きな仲間同士であり、心身健在の時に行きたい時に行かればよい、
と日頃から思っているので、
家内と微苦笑をしながら話あっている。


今朝は6時半過ぎに庭のテラスに下り立つと、
黒土に霜柱が見られた・・。

私はこのような情景を眺めたりしていると、


♪さ霧(ぎり)消ゆる 湊江(みなとえ)の
 舟に白し、朝の霜。

【 『冬景色』 作詞・不詳 】


と何気なしに小声で唄ったりした。


♪ただ水鳥の 声はして
 いまだ覚(さ)めず、岸の家。

【 『冬景色』 作詞・不詳 】


私はサラリーマンを35年間をした後、
年金生活をしている63歳の身であるが、何かと長年、身過ぎ世過ぎしているので、
こうした歌から濾過(ろか)がされ、心の純潔が取り戻されるようで、
私は好きな歌のひとつである。

居間に戻ると、テレビは、
東京の郊外は、朝の6時はマイナス1度、日中は冬晴れで6度前後で風はおだやかです、
と報じていた。

・・】


そして、2006年1月26日の綴りのひとつには、
【『冬景色』を聴くとき・・♪】と題して、
投稿していたのである。

【・・
私は、ときたま唱歌を聴くときがある。

冬の季節には、『冬景色』は私の好きな唱歌のひとつである。

作詞はどなたが創られた不明であるので、《文部省唱歌》となっている。


♪さ霧消ゆる みなとえの
 舟に白し 朝の霜
 ただ水鳥の 声はして
 いまださめず 岸の家

【 『冬景色』 作詞・不詳 】


こうしたのを聴いたりすると、どなたが歌っても、
私はときたま涙ぐんでしまう時がある・・。

遠い幼年期を想いださせるのか、
或いは失ってしまった純粋な心を甦させようとする
もうひとりの自分に哀歓を寄せているのかは解らない。

何より、この作詞の日本語は、はかなく美しい。

私は詩の世界は理解する素養はないが、
声により唄いつながれて行く言葉の結晶である作詞の世界は解るつもりである。

・・】


このように拙(つたな)い投稿文を読み返し、私は微苦笑してのである。




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ときには、イタリア音楽に酔いしれて・・♪

2009-01-12 09:08:02 | 音 楽
東京郊外の調布市に住む私は、
主庭のテラスで煙草を喫いながら、朝のまばゆい陽射しを受けて、
少しぼんやりとしている・・。


昨日、このサイトに【私達は、天上の母に守られて、早や10数年・・。】
と題して、投稿した通り、
私達夫婦は妹の2人と駅前で、待ち合わせ、お墓参りをした。

この後、予約していたイタリア料理店で昼食を頂きがら、
懇親したのであった。
私は『毎年・・こうして・・10年先まで・・逢えるといいね・・』
と妹の2人に云ったりしたのであった。

私は64歳で、妹は62、60歳であり、家内も59歳の身であるので、
心身健在であればこそ、こうして母の命日に近い日に、
お墓参りをしたり、その後は昼食を兼ねて懇親できるのである。
私の現役時代の50代の時、私の余り変わらない方が亡くなったり、
先輩の方の中で、60歳を少し過ぎた時、突然に訃報に接したりしてきたのである。
このような体験もあり、いつこの世と告別するか、
解からないのであり、私は1日を大切にし、切実に過ごしている。


この後、妹と別れた後、
家内と新宿のデパートに買物に行き、家内のコートを買い求め、
帰宅したのである。

夕食後、私は少し疲れていたが、
何かしらイタリアの音楽を聴きたくなったのである。
この所、音楽をじっくりと聴いたこともなく、脳裏が乾いていたと思われ、
昼時にイタリア料理店でイタリアの名曲が流れていたのが、
記憶の片隅に残っていたと思われる・・。


私は音楽棚の中から、とりあえず一枚のCDを取り出した。
『パヴァロッティ&フレンズ’94』と題して、
ルチアーノ・パヴァロッティがブライアン・アダムス等を招いたチャリティーのライブである。

私は『ローマのギター』、『はるかるサンタ・ルチア』、『オ・ソレ・ミオ』、
『アヴェ。マリア』、『乾杯の歌』などの名曲に酔いしれ、
心の乾きを癒(いや)されたのである。

このような日もあると苦笑しながら、
私は寝室に総合月刊雑誌の『文藝春秋』、『中央公論』を持ち込んで、
深夜まで読んだりしていた。



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改めて、私が魅了されたクリスマス・ソングスは・・♪

2008-12-19 17:25:47 | 音 楽
私は日中のひととき、駅前の本屋、ス-パーに寄ったりしたが、
クリスマスの歌が流れていた・・。

帰宅後、私はこのサイトに昨年に綴ったクリスマスの歌に関しては、
数多くあり、
先ほどから、読み返し、微笑んだりしている。

私は年金生活の5年生で64歳の身であるが、
私なりに心の宝物のように大切な曲でもある。

私は確固たる根拠もなく自信ばかりあり、と幾度もこのサイトで4年ばかり表現しているが、
今回も独断と偏見の多い綴りであったが、あえて再掲載するので、
ご笑話を頂けたら、幸いと思ったりしている。




第一話 【私の最も好きなクリスマスのアルバムは・・♪】
                          《初投稿日2007年12月21日》

ここ1週間、買物などで街に出たりすると、
スーパー、専門店の店内で、クリスマス・ソングが流れたりしている・・。

私はクリスチャンでないので、キリストの行事に関して興味がないが、
敗戦後の日本はこの時節は、多くの人々がクリスマス・シーズンを親しまれ、
街、
家並みがイルミネーションなどで染まり時でもある。

私はクリスマスに関しての歌は、現役時代に職業柄数多く聴いたりしたが、
心に残る最も好きなアルバムの一枚がある。

ダンス・クィーンなどと称されていたドナ・サマーが、
1994年に名プロデューサーのマイケル・オマーティアンとの共作に寄る
『CHERISTMAS SPIRIT』と題されたアルバムである。
日本で発売されたアルバム・タイトルは、
『ホワイト・クリスマス/ドナ・サマー』となっている。

①ホワイト・クリスマス
②クリスマス・ソング
③神の御子は今宵しも
④クリスマス・イズ・ヒア
⑤クリスマス・メドレー
  a.このみどり子は誰なるぞ
  b.ドゥ・ユー・ヒア・ホワット・アイ・ヒア
  c.もろびとこぞりて
⑥クリスマスはわが家で
⑦クリスマス・スピリット
⑧プレイス・オブ・ヘヴン
⑨オー・ホーリー・ナイト
⑩ラム・オブ・ゴット

真の大人の歌手が声量たっぷりに唄い上げ、オーケストラとゴスペラ・コーラスを背景にした作品である。

黒人霊歌を根底に育ったドナ・サマーが、真摯に唄うクリスマス・ソングの一曲でも聴くと、
まさに使い古された言葉であるが、鳥肌が立ち、思わず襟を正す、

かといって、どなたでも親しみのある名曲ばかりであるので、
たとえ一流のホテル、街のお洒落な居酒屋でも聴きやすいアルバムでもある。

私は先程から、『ホワイト・クリスマス』、
『クリスマス・ソングス』、『神の御子は今宵しも』
そして『もろびとこぞりて』等を聴いたりしているが、
やはり日常生活でキリスト教に切望し、親しみを持たれた類(たぐい)稀(まれ)な歌手に、
底知れぬ唄声に降参し、魅了されるのである。




第二話 【この時節、最も微笑む曲は、『クリスマス・イブ』・・♪】
                        《初投稿日2007年12月23日》


東京の郊外は、昨夕からの雨が先程から上がり、静寂なひとときとなっている。

私は庭に下り立ち、常樹木の枝葉は濡れ、
そして葉を落とした落葉樹の枝の雨粒を見つめたりしていた・・。


♪雨は夜更けに過ぎに
 雪へと変わるだろう

【 『クリスマス・イブ』 作詞・作曲 山下達郎 】


この歌がどうしてか、脳裏に浮んだのである。

私は年金退職の4年生の身であるが、
私のサラリーマン現役時代の折、確か1983年のこの時節に初めて聴いて、
巧過(うます)ぎる歌だなぁ、と直感した。

この後に、JR東海のCMに盛んにテレビで放映され、
離れ離れの若い男女で、やっと逢える、
といった情景だったと思い浮かべている。

後年に判ったことであるが、
JR東海のX’mas7 ExpressのCMと知った。

山下達郎のこの曲の唄声を背景に、
その後毎年のように幾つかの若い男女のせつなく、もどかしい情景が映しだされ、
私は微笑みながら、秘かに若い男女に幸せあれ、
と心の中で送っていた・・。


♪きっと君は来ない
 ひとりきりのクリスマス・イブ

【 『クリスマス・イブ』 作詞・作曲 山下達郎 】


私はシンガー・ソング・ライターの山下達郎に関して、
無知な方であるが、この『クリスマス・イブ』を聴いた限り、天才と讃(たた)えている。

そして、ネットのYou Tube上で、
【Xmas Express 歴代CM1988年~1992年】を視聴し、
若き男女がやっと逢える情景を微笑ましく見ていた・・。


♪心深く 秘めた想い
 叶えられそうもない


私は、若き男女に冬の天の川のように心寄せながら、
ときめき、もどかしさ、せつなさの恋情を齢を重ねた私さえ、
感じられ、感銘させてくれるのである。




第三話  【クリスマス・ソングで皆を最も高揚させる歌は『赤鼻のトナカイ』・・♪】
                          《初投稿日2007年12月25日》

午前のひととき、私は二軒ばかりのスーパーに買物に行った。

数多くの人々が三連休の最終日、その上、クリスマス・イブなので、
何時もの平日と違い、込み合っていた・・。
ご家族の方たち、現役の40代のご夫婦等が見受けられ、
私なりに微笑ましく、感じられた・・。

店内からは、

♪真っ赤なお鼻の トナカイさんは
 いつもみんなの 笑いもの

【 『赤鼻のトナカイ』 作詞・新田宣夫 作詞・MARKS JOHND 】

メロディが流れた・・。

私は何かしら追われるように、買物の選定をしたのであるが、
クリスマス・ソングの中で、誰しもが知っていていて、親しまれ、
心を高揚させる曲は、『赤鼻のトナカイ』は、
ずば抜けて最高の選曲と思ったりした。

買物の客が、何かしら追われるようにクリスマス関係商品を数多くお買い上げ頂ければ、
と店長の発想であったならば、優秀な人と私は誉(ほ)め讃(たた)える。

選曲を『ホワイト・クリスマス』などにした場合、
買い物客は、何かしらしっとりと聴きこんでしまい、お買い上げの向上に図れないと思う。

たかが、クリスマス・ソング、されど選定された曲は何かしらの向上に役立つ、
と私は微苦笑したのである。

この時節、元気のない人は、『赤鼻のトナカイ』の一曲を聴けば、
心身元気を取り戻す特効薬かしら、と微笑んでいる。




このように選曲していたが、私は読み返しながら、
私の人生に最も影響を受けたひとりのお方を忘れていたのである。
古い表現で云うと、シンガー・ソングライターの中島みゆき・女史である。

私は40代に、この方の『エレーン』で人生の心のピンチを救われ、
その後、ギックリ腰で28日ばかり入院していた時、『永久欠番』で救われ、
何よりも『HAFE』は少なくとも50年間で数多く音楽を聴いた中で、
最も影響を受けて感銘作品である。

私にとっては、やはり中島みゆき・女史は、女神であり、
この思いは、ここ20数年変わらず、敬愛している。

このような私であるので、中島みゆき・女史のクリスマス・ソングは知っているし、
秘かに心の中で唄ったりしている・・。

【歌麿】と題したコンサート(1986年)の中で、
一曲として『クリスマスソングを唄うように』である。

この佳作のような曲であるが、私なりに最も愛すべきクリスマス・ソングである。




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今宵は、改めて青山テルマの『そばにいるね』を何度でも視聴し・・♪

2008-12-10 18:53:08 | 音 楽
私は年金生活の5年生であるが、
先ほど、【YAHOO! JAPAN】のトップページの下段で、

【いま、知っておきたい エンターテインメント情報】を何気なく見ていて、
思わず『テルマちゃんだぁ・・』
と心の中で呟(つぶや)いたのである。

そして、
【・・
本日、ニューシングルをリリースした青山テルマをはじめ、
楽しいおすすめコンテンツや、エンタメ情報をご紹介。】

と副題されて、
青山テルマ 青山テルマが歌うラブソング 等がメニューされて折、
私は青山テルマちゃんの写真が掲載されていたので、
見惚れたのである。

そして、今宵も何度か 青山テルマちゃんの『そばにいるね』を
視聴しょう、と思ったのである。


http://streaming.yahoo.co.jp/c/t/00101/v05734/v0573400000000506087/

私はこのサイトに、
【年金小父さん、青山テルマの『そばにいるね』も聴いている・・!? 】
と題して、12月4日に投稿しているが、
私なりの熱い思いもあるので、あえて再掲載する。

【・・
私は年金生活の五年生の64歳の身であるが、
昨夜.ネットでニュースを検索していたら、

【 2008年、「iTunes Store」で最もダウンロードされた楽曲が発表 】

と題された記事があり、私は読んだりしたのである。


私の定年後の年金生活は、小説・随筆などの読書することが多いが、
居間に保存しているでビデオ・テープ、DVDの映画を観たり、
或いはカセット、CD、DVDの音楽を聴いたりしている。


そして、遅ればせながら、この半年は『YouTube』も愛用し、
ときたま聴いたりしているのである。

私が初めて『YouTube』を知った時は、
これは音楽業界はバンドラの箱が開けられた、と思いながら衝撃を受けたのである。

この時の思いは、私はこのサイトに於いて、
【 遅ればせながら、『YouTube』・・♪】と題して、
今年の6月3日に投稿している。

【・・
私は齢を重ねた63歳の身であるが、音楽を聴いたりするのも好きである。

現役時代は、たまたまレコード会社に勤めていたせいか、
若いアーティストの音楽も、ときおり聴いたりしている。

しかし退職後の年金生活の4年生の身となれば、
アーティストと曲、そして世間の流行っている音楽が解からないのである。

こうした折は、流行の曲は、『オリコン』サイトで、
シングル、アルバム別のベストテンで知ることが出来るが、
困ったことに肝心のアーティストと曲の内容が解からないのである。

こうした時、私は無料の動画《音楽サイト》を検索して、
こういうアーティストだったの・・、意外と良い曲ね、
と感じたりしている。

昨年の秋の頃、私はこれらについて、
下記のように綴り、このサイトに投稿している。



・・この後、何気なしに最近の音楽を視聴し、
【YAHOO! JAPAN】の動画サイトで、
コブクロ、GLAY、徳永英明、セリーヌ・ディオン等の歌の数々を10数曲を視聴した・・。

無料でプロモーション・ビデオのような曲を視聴できるので、
びっくりするほど享受できるのである。

10数年前の頃であったならば、
音楽CD、DVD、ビデオ・テープの販売店で、
プロモーション・ビデオが店の一角で映し出されていたが、
現世は簡易にネットで自分の好みの曲を選定し、ある程度視聴できるので、
時代の流れにため息をしたりし、視聴していた。



私はこれ以前に、ラジオでたまたま聴いた綾香ちゃんの『三日月』が、
発売日まもなくして聴き、瞬時に魅了させられ、
【YAHOO! JAPAN】の動画の音楽サイトで百回以上視聴した体験があった。

そして、コブクロの名曲の数々も教示したりしていた。


私は音楽の無料公開のレパートリーを増やしたく、
本日『YouTube』の無料入会登録をした。

ここ昨今、世界中の話題と数多くの方たちが利用している『YouTube』、
遅ればせながら、どのような範囲までの音楽が視聴できるのか、
そして最近の風潮として著作権の許容はどこまでクリアーできているのか、
少しボケた年金小父さんは関心があったりしている。

・・】
以上、私はこのような思いで、ため息をしていたのである。


このような思いで齢を重ねた年金小父さんも何かと音楽に興味があったので、
昨夜報じられた、

【 2008年、「iTunes Store」で最もダウンロードされた楽曲が発表 】
12月3日9時13分配信 BARKS

と題された記事を精読したりした・・。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

【・・
800万曲以上の楽曲をそろえる世界最大の音楽配信サービス「iTunes Store」で、
2008年に日本国内で最もダウンロードされた楽曲およびアルバムが発表された。

【関連情報】「iTunes2008 トップソング」チャート(全100作品を掲載)

iTunesの発表した2008年の年間「トップソング」チャートによると、
1位となったのは、青山テルマ feat. SoulJaの「そばにいるね」。
1月23日にシングルリリースされたこの楽曲は、
着うたフル(R)で史上初の200万ダウンロードを突破。
ギネスブックにも「日本で最も売れたダウンロード・シングル」として掲載されるなど、
2008年、圧倒的な支持を集めた楽曲といえるだろう。
ちなみに、7位には青山テルマの楽曲「何度も」がチャートインしている。

また、2位にチャートインしたのは、GReeeeNの「キセキ」。
TBS系ドラマ『ROOKIES』の主題歌だったこの楽曲。
こちらも着うた(R)、着うたフル(R)でともにミリオン突破するなど、
若者を中心に大ヒットした。
またGReeeeNは、メンバーHIDEの実兄であり、
プロデューサーでもあるJINとのつながりで、
BACK-ONとのコラボレーションバンドBAReeeeeeeeeeNとしても2008年デビューを飾り世間を騒がせた。
なおGReeeeNは、「愛唄」が8位にもチャートインしている。

・・(略)

・・】

注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081203-00000376-bark-musi


私は6月の下旬に、若い人から話題となりヒットしている青山テルマの『そばにいるね』を視聴し、
最近の若い方たちはこのような曲を聴いているのか、
と思いながら、6度ばかり視聴し、才気を秘められた女性に、
私なりに魅せられ好感したのである。


しかし私が今年一番聴いたのは、
【・・
旅先の富山市の呉羽山に温泉滞在をした旅行の時、
高速道路にあるサービス・エリアで、


♪帰りたくなったよ 君が待つ街へ
 大きく手を振ってくれたら 何度でも振り返すから

【『帰りたくなったよ』 作詞・水野良樹 】


水野良樹と山下穂尊、そして同級生の妹・吉岡聖恵によるスリーピース・バンドで、
『いきものがかり』というバンド名で、
『帰りたくなったよ』という曲を知ったことである。

吉岡聖恵の若き女性の歌声に魅了され、
一昨年の秋、綾香ちゃんの『三日月』以来、
夢中に聴いたりしている。
・・】

そして、コブクロの『赤い糸』、一 青窈の『ハナミズキ』、徳永英明の殆ど全曲であり、
やはり私は64歳の衰えた身かしら、と微苦笑しているのである。


・・】




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年金小父さん、青山テルマの『そばにいるね』も聴いている・・!?

2008-12-04 08:57:25 | 音 楽
私は年金生活の五年生の64歳の身であるが、
昨夜.ネットでニュースを検索していたら、

【 2008年、「iTunes Store」で最もダウンロードされた楽曲が発表 】

と題された記事があり、私は読んだりしたのである。


私の定年後の年金生活は、小説・随筆などの読書することが多いが、
居間に保存しているでビデオ・テープ、DVDの映画を観たり、
或いはカセット、CD、DVDの音楽を聴いたりしている。


そして、遅ればせながら、この半年は『YouTube』も愛用し、
ときたま聴いたりしているのである。

私が初めて『YouTube』を知った時は、
これは音楽業界はバンドラの箱が開けられた、と思いながら衝撃を受けたのである。

この時の思いは、私はこのサイトに於いて、
【 遅ればせながら、『YouTube』・・♪】と題して、
今年の6月3日に投稿している。

【・・
私は齢を重ねた63歳の身であるが、音楽を聴いたりするのも好きである。

現役時代は、たまたまレコード会社に勤めていたせいか、
若いアーティストの音楽も、ときおり聴いたりしている。

しかし退職後の年金生活の4年生の身となれば、
アーティストと曲、そして世間の流行っている音楽が解からないのである。

こうした折は、流行の曲は、『オリコン』サイトで、
シングル、アルバム別のベストテンで知ることが出来るが、
困ったことに肝心のアーティストと曲の内容が解からないのである。

こうした時、私は無料の動画《音楽サイト》を検索して、
こういうアーティストだったの・・、意外と良い曲ね、
と感じたりしている。

昨年の秋の頃、私はこれらについて、
下記のように綴り、このサイトに投稿している。



・・この後、何気なしに最近の音楽を視聴し、
【YAHOO! JAPAN】の動画サイトで、
コブクロ、GLAY、徳永英明、セリーヌ・ディオン等の歌の数々を10数曲を視聴した・・。

無料でプロモーション・ビデオのような曲を視聴できるので、
びっくりするほど享受できるのである。

10数年前の頃であったならば、
音楽CD、DVD、ビデオ・テープの販売店で、
プロモーション・ビデオが店の一角で映し出されていたが、
現世は簡易にネットで自分の好みの曲を選定し、ある程度視聴できるので、
時代の流れにため息をしたりし、視聴していた。



私はこれ以前に、ラジオでたまたま聴いた綾香ちゃんの『三日月』が、
発売日まもなくして聴き、瞬時に魅了させられ、
【YAHOO! JAPAN】の動画の音楽サイトで百回以上視聴した体験があった。

そして、コブクロの名曲の数々も教示したりしていた。


私は音楽の無料公開のレパートリーを増やしたく、
本日『YouTube』の無料入会登録をした。

ここ昨今、世界中の話題と数多くの方たちが利用している『YouTube』、
遅ればせながら、どのような範囲までの音楽が視聴できるのか、
そして最近の風潮として著作権の許容はどこまでクリアーできているのか、
少しボケた年金小父さんは関心があったりしている。

・・】
以上、私はこのような思いで、ため息をしていたのである。


このような思いで齢を重ねた年金小父さんも何かと音楽に興味があったので、
昨夜報じられた、

【 2008年、「iTunes Store」で最もダウンロードされた楽曲が発表 】
12月3日9時13分配信 BARKS

と題された記事を精読したりした・・。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

【・・
800万曲以上の楽曲をそろえる世界最大の音楽配信サービス「iTunes Store」で、
2008年に日本国内で最もダウンロードされた楽曲およびアルバムが発表された。

【関連情報】「iTunes2008 トップソング」チャート(全100作品を掲載)

iTunesの発表した2008年の年間「トップソング」チャートによると、
1位となったのは、青山テルマ feat. SoulJaの「そばにいるね」。
1月23日にシングルリリースされたこの楽曲は、
着うたフル(R)で史上初の200万ダウンロードを突破。
ギネスブックにも「日本で最も売れたダウンロード・シングル」として掲載されるなど、
2008年、圧倒的な支持を集めた楽曲といえるだろう。
ちなみに、7位には青山テルマの楽曲「何度も」がチャートインしている。

また、2位にチャートインしたのは、GReeeeNの「キセキ」。
TBS系ドラマ『ROOKIES』の主題歌だったこの楽曲。
こちらも着うた(R)、着うたフル(R)でともにミリオン突破するなど、
若者を中心に大ヒットした。
またGReeeeNは、メンバーHIDEの実兄であり、
プロデューサーでもあるJINとのつながりで、
BACK-ONとのコラボレーションバンドBAReeeeeeeeeeNとしても2008年デビューを飾り世間を騒がせた。
なおGReeeeNは、「愛唄」が8位にもチャートインしている。

・・(略)

・・】

注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081203-00000376-bark-musi


私は6月の下旬に、若い人から話題となりヒットしている青山テルマの『そばにいるね』を視聴し、
最近の若い方たちはこのような曲を聴いているのか、
と思いながら、6度ばかり視聴し、才気を秘められた女性に、
私なりに魅せられ好感したのである。


しかし私が今年一番聴いたのは、
【・・
旅先の富山市の呉羽山に温泉滞在をした旅行の時、
高速道路にあるサービス・エリアで、


♪帰りたくなったよ 君が待つ街へ
 大きく手を振ってくれたら 何度でも振り返すから

【『帰りたくなったよ』 作詞・水野良樹 】


水野良樹と山下穂尊、そして同級生の妹・吉岡聖恵によるスリーピース・バンドで、
『いきものがかり』というバンド名で、
『帰りたくなったよ』という曲を知ったことである。

吉岡聖恵の若き女性の歌声に魅了され、
一昨年の秋、綾香ちゃんの『三日月』以来、
夢中に聴いたりしている。
・・】

そして、コブクロの『赤い糸』、一 青窈の『ハナミズキ』、徳永英明の殆ど全曲であり、
やはり私は64歳の衰えた身かしら、と微苦笑しているのである。



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思わず、『黄砂に吹かれて』を心の中で唄えば・・♪

2008-11-21 16:59:02 | 音 楽
東京の郊外は、今朝は秋として一番の寒さとなり、
雨戸を開けていた時、屋根に霜(しも)がうっすらとなっていた。

朝の穏(おだ)やかな陽射しを見つめ、早くも初冬かしら、
と思ったりした。

地元の天気情報に寄れば、
朝方は1度の寒さとなりましたが、
日中は平年並みの14度前後となり、快晴の1日となります、
と報じていた。

私は日中、買物、散策をしていた時、
朱紅色、紅色、黄色に色合いを深めた落葉樹を眺め、
早くも舞い散る情景に寄せたりしながら、
歩いたりしていたのであるが、ときおり吹き風は冷たく感じた・・。
この時、突然に私の心は、

♪黄砂に吹かれて 聴こえる歌は
 忘れたくて忘れた 失くしたくて失くした

【『黄砂に吹かれて』 作詞・中島みゆき 作曲・後藤次利 】

心の中で唄いだしたのである・・。

私は立ち止まり、煙草と取り出して、火を点けて、
喫いながら、

♪眠りを破って 聴こえる歌は
 わかっているつもりの 紛らせてるつもりの
 ひとつだけの歌

【『黄砂に吹かれて』 作詞・中島みゆき 作曲・後藤次利 】

と心の中で唄っていたら、
私は平成の初めの頃が甦(よみがえ)ってきた・・。


あの頃は、私は中島みゆきに熱中して、
会社から帰宅し、夜のひととき殆ど毎日聴き続けていた。

私のこの頃の熱い心情は,
後年の2005年8月18日に於いて、
【中島みゆき様との出会い・・♪】と題して、6回に及び綴っている。

この中の一部を幼い綴りで恥ずかしいのであるが、再掲載する。

【・・
誰しも本、映画、音楽等で、ふとしたきっかけで、
その作者にのめり込むことがあると思う。

私も音楽に於いて、ひとりのアーティストの出会いもそのような形であった。


昭和天皇が崩御された直後、年号の変更、消費税の対応などで、
私はシステム改定に追われ、ハードな日々が続いていた・・。

ある日曜日、昼過ぎまで寝過してしまい、パジャマ姿でぐったりしていた。
そして足早に過ぎていく、夕陽を見ていた・・。
頂いたカセット・テープを何気なしかけた。
そして、何曲目から、

♪エレーン
  生きていてもいいですかと 誰も問いたい
 エレーン
  その答を誰もが知っているから 誰も問えない

【『エレーン』作詞、作曲・中島みゆき 】


私は涙があふれてきた・・。

そして、この『エレーン』の曲こそが、中島みゆきとの出会いであった。

頂いたカセット・テープは、勤務しているレコード会社で発売した、
倉本聰・作・監督の『時計』で、
このサントラの14曲の中の一曲に、この『エレーン』が入っていたのである。

中島みゆきの名前は、勤務先でアイドル歌手用に
何曲か作詞・作曲をして頂き、ヒットしましたが、
私からみれば、時代を感知する感性が鋭く才能のある人、程度だった・・。

♪記念にください ボタンをひとつ

【『春なのに』作詞、作曲・中島みゆき 】


『時代』、『わかれのうた』、『悪女』にしても、
何事もなく私の心は通りすぎて行った・・。

きっかけを作って頂いた、倉本聰・氏には感謝しながら、
改めて、人生は不思議なものだ、と改めて思った。


《略・・この頃の私は40代の初めてあったが、
中島みゆきに熱中し、アルバムのカセット、そしてCDを買い集めて、
4年間ばかり殆ど毎晩聴き、
そして随筆の本も殆ど読んだりして、過ごした熱中時代でもあり、
この後は、平常心となり、現在はときおり聴いたりしている。

そして、この間に『夜会』のコンサートを観たりした。》


その年(平成元年)の11月、業界の注目の中で、『夜会』が公演された。

公演場所は、渋谷の東急文化村のシアターコクーンに於いて、
音楽と演劇を融合した形で行なわれると発表されていたので、
業界の内外の各専門家の間にも、無視できないような空気につつまれていた。

前売りの予約は好調と報じられていた。

予約も取れず、キャンセル待ちにわずかな望みを託して、
退社後、渋谷に行く。

文化村に近づくと、花屋から『歌姫』が流れて聴こえてきた。

♪握りこぶしの中にあるように見せた夢を
 もう2年 もう10年 忘れすてるまで

【『歌姫』 作詞、作曲・中島みゆき 】


路上では、高校生らしい女の子の三人が、
『黄砂に吹かれて』を大きな声で歌っていた・・。

♪黄砂に吹かれて 聴こえる歌は
 忘れたくて忘れた 失くしたくて失くした

【『黄砂に吹かれて』 作詞・中島みゆき 作曲・後藤次利 】

街は、中島みゆき、に染まっていた・・。


キップ売り場の窓口で、
『この公演の最終日まで完売でして・・
キャンセル待ちをされても・・
ダメだと思いますが・・』
と言われて、やはりね、と公演場所を後にした。

まもなく路上で、男と女の二人に囲まれた。
『兄さん、キップ欲しいだろう・・』
と私に30前後の男が云った。

『いくら・・』
と私は、乾いた声で答えた。

倍額程度まで覚悟していたが、相手方は3倍を超す値段だった。
『こんな公演にしたら、安いよ。
考えている場合じゃねえょ・・
兄さんさ、うかうかしていると、公演が始まっちゃうよ・・』
と追い討ちをかけてきた。

あきらめた・・。

歩き始めると、背後から声がした。
『お買い得だょ!!』
振り向くと、若い男女のペアが購入していた。

肩を落とし、『歌姫』の聴こえてくる街を抜け、
渋谷の駅に向かった。

そして私は、中年は何かとお金がいるし・・家に帰って酒を呑もう、と思った。


翌年、平成2年はコンサートのキップを手に入れる方法を模索した。
雑誌『ぴあ』等で検討した結果、ファンクラブに入会した。

10月頃だった、と思う。
第2回の『夜会』を申し込んだ。

抽選の結果、念願のキップを手に入れた。
最近は、行いが良かった、と思ったりした。

・・

公演日は。平成2年11月29日の木曜日だった。
開場は7時15分、そして開演は8時だった。
会社の業務スケジュールは、出来る限り前倒しした後、午後は半休とした。

ゆったりとした気持ちで観賞致したく、3時過ぎに文化村に着いた。
蕎麦屋に入り、ざるそばで軽食とした。

開場後、豪華なパンフレットを購入した後、
レストランがあったので、
ボージョレー・ヌーボーのボスターが見えたので呑んだ。
これがワインの新酒か、と思いながら、フルーティな味であり、
ちょっと失望したが・・。

ときたまワインを呑む時は、辛口で深い味の方が好きであったが、
昨年の惨めさを思い浮かべ、
やはり仕事と同様に、何事も事前準備だ、
とひとり幸せをかみ締めながら、もう一杯を注文した。

公演は、船のデッキから始まった・・。
ステージと客の距離が近くて、最初は戸惑ったが、
演出全般は予想以上だった。
それぞれの一流の方達が繰り広げる展開は、 官能性もある、と思った。

曲目は、
『二隻の舟』
『彼女によろしく』
『ミルク』
『流浪の歌』
『窓ガラス』
『うそつきは好きよ』
『元気ですか』
『クレンジング クリーム』
『月の赤ん坊』
『断崖~親愛なる者へ』
『孤独の肖像』
『強がりはよせヨ』
『北の国の習い』
『ショウ・タイム』
『Maybe』
『ふたりは』

個人的には、『ふたりは』は、相当に聴き込んだ名曲であるが、
『Maybe』は、大好きな曲のひとつで、働く女性の応援歌・・
初めて聴いた時、そんな思いがした。

帰りに記念として、『夜会』と記されたテレフォンカードを購入した後、
足取りは軽く、駅に向かった・・。
・・


このように中島みゆき・女史に熱中していた時代が
思い出されたのである・・。


♪あなたに似ている人もいるのに
 あなたよりやさしい男も
 砂の数よりるのにね

【『黄砂に吹かれて』 作詞・中島みゆき 作曲・後藤次利 】


私は心の中で唄いながら、みゆきちゃん・・どうされているのかしら、
と朱紅色、黄色の葉が舞いながら落ちていく光景に重ねたりしたのである。



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一 青窈ちゃんの『ハナミズキ』に心を寄せて・・♪

2008-11-12 08:45:29 | 音 楽
東京の郊外は、このところ秋日和から見放され、
どんよりと曇った日々が続き、ときおり霧雨が降ったりしている。

私は昼前後、買物に行ったり、散策をしているが、
菊薫る時節といわれても何かしら実感できないのである。
落葉樹も黄色、朱色に色付きはじめているが、わずかの情景であり、
あと2週間ぐらい過ぎれば、鮮やかな錦繍の情景を観ることができるだろう、
と思ったりしている。

このような時でも、遊歩道を歩いていたら、
朱紅色に染められた花水木(ハナミズキ)の樹が3本ばかり観え、
私はしばらく見惚(みとれ)れて、
心の中で静かに唄いだしたのである。

そして遊歩道に人影が少ないのを確かめて、小声で唄いだしたのである。


♪薄紅色の可愛い君のね
 果てしない夢がちゃんと 終りますように
 君と好きな人が 百年続きますように

【 『ハナミズキ』 作詞・一 青窈、作曲・マシコタツロウ、唄・一 青窈 】


私なりに、残された歳月で私自身の夢を実現をさせる命題もあり、
そして私たち夫婦は、この先いつまでも恵まれた生活が続くわけでなく、
いずれ片割れになる・・。

このような思いを重ねたりしたのである。


半年前頃、無料音楽の【You Tube】サイトに於いて、
何かしらのテレビの音楽番組収録された一 青窈さんと徳永英明さんが
デュエットでこの歌を唄っていた。
私はここ数年この一 青窈ちゃんの『ハナミズキ』に魅了されて折、
改めてこの歌をお二人が唄うのを視聴したのであるが、
感動し、やがて感銘を受けたひとりである。

私は彼のように透明感あるシルキー・ヴォイスのようには唄えないけれど、
私なりに齢を重ねた64歳の身であるが、心を込めて精一杯唄ったのである。


♪僕の我慢がいつか実を結び
 果てない波がちゃんと止まりますように
 君と好きな人が百年続きますように

 君と好きな人が百年続きますように


【 『ハナミズキ』 作詞・一 青窈、作曲・マシコタツロウ、唄・一 青窈 】


私は小声で唄っているうちに、胸が熱くなり、
そして瞼(まぶた)も熱くなり、齢を重ねると涙もろくなる、
と実感しながら家路に向ったのである。



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齢を重ねた私でも、思わず松田聖子ちゃんの『赤いスイートピー』を唄い・・♪

2008-11-11 17:30:05 | 音 楽
私は定年退職後、年金生活五年生の64歳の身であり、
東京郊外の調布市に住み、家内と二人だけの家庭である。

今朝も家内は洗濯、掃除が終った頃、小休止をする。
暖房した居間で、少しのんびりとする時間であり、
私は茶坊主の立場であるので、コーヒーを淹れて家内の手元に置く。

家内はNHKの朝の連続ドラマ『だんたん』を視聴しているのである。
私は、そばでパソコンでネットのニュースなどを検索している。

このようなことが我家の平日の状景である。

私は10時半過ぎに、日常の買物担当となっているので、
最寄のスーパーに向かい、住宅街を歩いていた。

私の脳裏から突然に、あふれて、心の中で唄いだしたのである。

♪春色の汽車に乗って
 海に連れて行ってよ
 煙草の匂いシャツに
 そっと寄り添うから

【『赤いスイートピー』 作詞・松本 隆、作曲・呉田軽穂(松任谷由美)、唄・松田聖子】

私は苦手な聖子ちゃんの唄なのに、どうしてと思ったりしたのである。
私は立ち止まり、煙草に火を点け、喫いながら、
家内が最近観ているNHKの連続ドラマで、
この曲がたびたび流れていたのに気付いたのである。

私はいつも鼻歌を小声で唄ったりしているが、
私は齢を重ねた64歳の身であり、この歌は早春の時節の歌なので、
小声の歌が人様に聴かれたら、恥ずかしいのである。

そして、少しオツムが弱い小父さんが、聖子ちゃんの早春の歌を唄っている、
と思われ、私は声を出さずに心の中で唄い続けた・・。


♪ちょっぴり気が弱いけど素敵な人だから
 心の岸辺に咲いた 赤いスイートピー

【『赤いスイートピー』 作詞・松本 隆、作曲・呉田軽穂(松任谷由美)、唄・松田聖子】


この後、私はこの歌は確か昭和57年(1982年)の早春に街に流れていたと思い、
そして、この頃の私の現役時代が想いだされたのである。

私は中小業のレコード会社で、情報部門の専任担当し、
コンピュータの委託処理から自社処理に切り替えで開発や運営など、
新たな専門部署を奮闘していた。

そして、他社の松田聖子が破竹の勢いで連続ヒット作、
そして中島みゆきの『悪女』、薬師丸ひろ子『セーラー服と機関銃』などもある中、
私の勤めていた会社はベスト・ワンから外れて、ため息をしたりしていた。
私は専門の制作畑ではなく、管理畑であったが、
悔しい時の気持ちは長年心に、苦い思い出として残っている。

このように松田聖子ちゃんの『赤いスイートピー』は、
私にとっては甘い青春の歌ではなく、苦い思い出の曲のひとつとなっている。


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まばゆい秋の陽射しの中、散策すれば・・♪

2008-10-28 16:26:42 | 音 楽
東京の郊外は秋晴れに恵まれて、
私は昼下がりのひととき遊歩道を歩いたりした・・。

朝夕は肌寒く感じられるが、昼下りの秋の陽射しはまばゆく、
秋麗(あきうらら)のひとときとなっている。

ハナミズキのたわわな葉も早くも朱紅色に染めはじめ、陽射しを受け、
秋の深まりを感じたりした。

しばらくした後、近所のお住まいの若き奥様がベビー・カーに乳児の乗せ、
昼下りの散策を愉しまれ、こちらに向かってきた。
私は奥様に微笑みながら、
『赤ちゃんも・・心地よさそうに眠っていますね・・』
と云ったりした。

『私も陽だまりのような中・・心地良いですわ・・』
と奥様は微笑みながら私に云った。

この後、私は奥様を見送った後、遊歩道沿いにあるベンチに腰掛けて、
煙草を喫ったりした。

私は年金生活の身なので、こうした秋の陽射しに恵まれ、
昼下がりのひとときを散策できるのは、何よりも贅沢の時と思っている。


そして秋の陽射しは夕刻に近づくと、つるべ落としのように暮れ、
人生のたそがれを感じたりし、何か時の愛惜感を受けたりする、
と思ったりしたのである。

このような秋の夕暮れに思いを馳せると、
突然、ひとつの歌が浮び、私は心の中で唄った・・。


♪足早に暮れてゆく 秋の夕陽のいさぎよさ
 久しぶりに散歩する父と二人での遠まわり

【『残照』 作詞・作曲 谷村新司、 編曲・青木 望、 唄・谷村新司 】


私は父を幼年期に死去されたが、この歌は父と子、そして人生の愛惜感があり、
私が好きな曲のひとつである。

この曲を知ったのは、昭和55年4月下旬、
グループのアリスがレコード会社を設立され、
私が勤めていたレコード会社が、受託販売を受けた。
そして、まもなくアリスのひとりである谷村新司氏が、
ソロのアルバム『昴』を発表され、8曲の中のひとつの曲であった。

最後に収録された『昴』のロング・セラーとなった曲よりも、
『残照』、『玄冬記~花散る日~』の方が私は好みであった。


♪”人生は祭りのよう”何気なく貴方は言った
 その後の淋しさにたえる勇気が出来ました

【『残照』 作詞・作曲 谷村新司、 編曲・青木 望、 唄・谷村新司 】


このような幾重の思いでも重ねながら、
私は心の中で唄ったりしたのである。



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霧雨降る午後のひとときは、『You Tube』で音楽を視聴・・♪

2008-10-26 16:09:07 | 音 楽
東京郊外は、朝から小雨が降りだし、午後になると霧雨となっている。
このような時、読書に相応しい思っていたが、
ときには音楽を聴くのも良いかしらと思い、私はネットで【You Tube】を開いた・・。

結果として、
①『Runner』by 爆風スランプ
②『浪漫飛行』by 米米クラブ
③『指輪』by navy&ivory

そして、これ以降は、中島みゆきの一連の音楽を視聴したのであった。

私が一番驚いたのは、投稿者のひとりが、
《厚生年金ホール 1978年》に於き、中島みゆきのコンサート・ライブを
多分、ラジカセで録音されたと思う数曲があった。

そして、《ニッポン放送 オールナイト・ニッポン》のラジオ番組に、
定期出演されていた中島みゆきの語りが、これもカセット録音され、
これ等も視聴したのであった。

投稿者は、メーカーのビデオ・テープ、DVDの販売品から1部を投稿した方、
テレビで録画した一部を投稿した方、
そしてCDジャケットの表紙を静止画面でCDの音で投稿した方、
以上が圧倒的に多いと思われる。
そして、わずかであるが、音楽メーカー提供のビデオ・クリップから投稿された方もいる。

これらが私のように、どなたでも無料で視聴できるのである。


私はあるレコード会社の管理畑に勤め、定年退職後の年金生活の4年生の身であり、
現役時代には自社はもとより、他社のレコード、カセット、CD、DVDも購入したり、
ビデオ・クリップなども視聴してきた。

定年退職後は、ネットで【YAHOO JAPAN】に於いて、
『動画』の中で、『音楽』を無料で視聴したりした。
しかし、あくまで音楽メーカー提供のビデオ・クリップで、
音楽著作権の許諾者がアーティストの宣伝も兼ねた広報の1部であった。

その後、私は遅ればせながら、半年前に【You Tube】を知り、
検索して、視聴した時、
投稿者がそれぞれの思いで、前記のような方法で投稿されたので、
著作権の問題は未決のまま、日本で500万曲以上の楽曲が公開されているので、
音楽のバンドラの箱が開けられた、と驚いたのである。


私は自身が個人的に視聴するのは理解できるが、
ブログなどに直接URLを貼り付けるのは、
やはりためらいがあるので、これまでは音楽に関する内容を綴っても、
【You Tube】の該当した曲のURLを明示したことはない。

尚、最近の出来事として、
音楽の代表的な管理元の日本音楽著作権協会(JASRAC)が、
【You Tube】と契約が締結できたニュースを知り、
果たして具体的な内容はどのような形であるか、
私なりに興味を持ったりしているひとりである。

http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=AS3Y22001%2023102008



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