
1992年皐月賞

1992年日本ダービー

左から二人目が戸山調教師。騎手は小島貞博。

戸山師の著書
最近競馬に関係する本を読んでいる。例えば、戸山為夫の『鍛えて最強馬をつくる』。柴田哲孝『ライスシャワー物語』。you tubeでも過去のレースの映像を見ている。
自分が競馬をよく見ていたのはナリタブライアンやライスシャワー、マヤノトップガンなどが活躍していた頃だ。
それよりも数年前にミホノブルボンという二冠馬がいた。ライスシャワーは同期だ。同年齢だ。ミホノブルボンの父親はマグニテュード、母親はカツミエコー。カツミエコーは地方競馬で一勝しかしていない馬。血統的にはそんなに悪くないという評価だが、カツミエコーにとってミホノブルボンが初めての子だった。ミホノブルボンは700万円で取引された。700万円というのは安いのだ。
戸山為夫は管理馬にハード・トレーニングを課す調教師だった。ミホノブルボンはハードな坂路調教で鍛えられた。坂路とは坂道である。上り坂である。インターバル・トレーニングというから、トップ・スピードで坂路を駆け上がってから、ゆっくりと歩いて戻る。また坂路をトップ・スピードで駆け上がる、というのを繰り返したのだ。
ハード・トレーニングについていけない馬もいたが、ミホノブルボンはトレーニングについていった。丈夫だったのだ。
やがてミホノブルボンは、無敗で皐月賞、日本ダービーを勝つ。三冠目の菊花賞でライスシャワーに敗れた。1992年の事だ。その後けがが続いて長期の休養。レースに出ることはなく引退して種牡馬となった。生涯成績 8戦7勝。そのうちG1 3勝。1992年JRA年度代表馬。
僕も炎天下の中、水分を十分にとってジョギングをしている。ミホノブルボンの様に坂道をトップ・スピードで駆け上がり、インターバルを取って、また次の坂道をトップ・スピードで駆け上がる。とはいかない。そもそもジョギングだし。
戸山調教師は1993年に亡くなった。ミホノブルボンは2017年に28歳で亡くなっている。
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