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Y男の日誌

映画を見た、本を読んだ、どこに行った、何か考えたなどなどのY男の行動記録。政治の話題も。暇な時にしかアップロードしない。

イオン

2012-06-26 07:05:31 | 政治
  


イオンやセブン&アイに代表されるチェーン店は国民を幸福にしているのか?

イオンは息子を国会に送り出し、今彼は副総理となっている。

イオンのやっている事に岡田副総理がどれほど権力を行使して協力してきたのか知らないが、イオンは規模拡大路線を突き進んでいる。今は大型の総合スーパーよりも、コンビニよりちょっと大きい程度の小規模の店舗をあちこちに展開し始めている。

大型のイオンでも小型のイオンでも従来の自営小売業者には大打撃で、日本中にシャッター通りを作り出す事になる。自営業者に経営努力が足りないから淘汰されていくのだとも言えるだろうが、個人が組織・集団と戦って勝ち続けるのは並大抵ではない。借金、倒産、失業、生活保護という流れも起こってきているだろう。


日本はすでにオーバーストアで日本中で小売業の激戦が繰り広げられている。激戦地は泥沼の価格競争になり、いずれかが撤退するか、均衡した状態でいずれも黒字経営ができるように徹底的な経費節減してやっていくかだ。こういう事もデフレの一因にもなっているだろう。

全国チェーンは日本中で国民が同レベルの生活水準を実現するには良いかもしれない。画一化、大衆社会化、低価格化は促進されるだろう。シェアが大きくなれば、国民生活への責任も重大になってくる。一部の大チェーン店だけが栄えて、駅前などの従来の商店街は廃れてゴーストタウン、死の街と化していく。よほど個性的な店舗でないと太刀打ち出来ない。没個性化。企業家精神も育たなくなるのではないか?

スーパー、コンビニは今年も出店攻勢の姿勢を見せている。チェーン店栄えて国民は利便性を享受出来て幸福になっているのだろうか?
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『バーバー』の音楽

2012-06-19 00:26:15 | CD



映画『バーバー』ではバックにピアノの曲がいくつか流れているのだが、ビリー・ジョエルの『This Night 』がピアノ曲として流れていて驚いた。
サントラ盤をチェックしてみると、この曲はもともとベートーベンの曲であった。ビリーは『This Night』の一部(といってもサビに当たる部分)にベートーベンを使って歌詞を付けたという事。この曲はピアノ・ソナタ第八番「悲愴」の第二楽章である。ベートーベンの三大ピアノ・ソナタの一つらしいのでもともと相当に有名な楽曲だったのだろう。俺はビリーの作曲の才能に敬服しているのでビリーの曲だとずっと思っていたのだ。改めてベートーベンの曲なんだと思いながら聞くと、確かに時間の淘汰をくぐりぬけてきた曲のように思えてくる。彼の曲は著作権などもう無いから、それらをうまく使って歌詞を当てはめてアレンジして大ヒットを飛ばせばひと財産になる。


ほかにもモーツァルトのフィガロの結婚の中の曲やベートーベンの他のピアノ・ソナタなどが使われている。残酷・深刻なストーリー展開の中でこうしたピアノだけのシンプルな淡々とした曲が流れていると、映像自体が日常の風景のように見えてしまう。もちろんそういう効果を狙ったのだろう。                                          
気にいったのでルドルフ・ゼルキンのCDを俺は聞くようになった。グレン・グールドやルービンシュタインの演奏も聞いて比べてみたい。
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中国大使 丹羽宇一郎

2012-06-13 07:58:15 | 外交・安全保障

中国の手先、腰ぎんちゃく


丹羽中国大使は、英国フィナンシャル・タイムズ紙のインタビューで、東京都の尖閣諸島購入計画に反対の考えを示し、「もし計画が実行されれば日中関係に重大な危機をもたらす。過去の努力を台無しにするわけにはいかない。」と述べた。
政府は東京都による尖閣購入計画をおおむね支持しており、外務省は政府の立場と大きく異なるとして、丹羽大使を“注意”した。
藤村官房長官は、「丹羽大使が個人的な見解を述べたという事で、政府の立場を表明したものでは全くない。」と不快感を示した。

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丹羽大使は伊藤忠商事出身。出身と言っても十二年に渡って社長、会長、相談役と会社のトップの地位を占めてきた人物である。中国とのパイプを持つ財界人だった彼は、大使就任後は過度なまでに中国に配慮した発言を繰り返し日本国の国益を著しく損ねてきた。

石原都知事が東京都による尖閣諸島購入計画を発表してから現在までに十数億円の寄付金が日本国民から寄せられている。11億1991万938円(6月11日現在)。このような日本国民の意志を丹羽大使はどう考えているのか?

野田首相は丹羽大使をすぐに罷免するべきだ。外務省内で“注意”して終わりではなまぬるい。丹羽大使は日本と中国との間に領土問題が存在するかのような誤ったメッセージを全世界に発信し、大きく日本の国益を損ねたのだ。

藤村官房長官の会見もおかしい。大使が新聞社のインタビューで個人的な見解を述べるのか?丹羽大使の見解は日本政府の見解として既に全世界に発信されている。官房長官がそれを個人見解とするならフィナンシャル・タイムズ紙に厳重抗議するべきではないか?
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『ノー・カントリー』 (2007年) 再び

2012-06-11 19:55:15 | 映画,DVD,ビデオ


原題は『No Country For Old Men』。
舞台は1980年頃のテキサスとメキシコ。
ベトナム出兵経験のあるルウェリンはインパラのような動物の狩りしていた砂漠で、ヘロイン取引のいざこざで撃ち合いのあった現場にたどりつく。そこには多数の死体があったのだが、まだ生きているメキシコ人の男が一人いて水を欲しがっていた。ルウェリンはその近くで200万ドルの入ったカバンを見つけてトレーラーハウスの自宅に戻る。

夜、ルウェリンが水を持って再度その現場に行くとそのメキシコ人は死んでいた。そこに麻薬取引の一味が現れルウェリンは追われる事に。

ルウェリンは金を持って逃走、妻カーラジーンにも母親と一緒に移動するよう促す。

シガーはこのヘロイン取引に絡んでいて砂漠の現場でルウェリンの車の登録証をはがし、ルウェリンを追いかけ始める。金のカバンには発信機が仕込まれていてルウェリンの泊るモーテルやホテルをシガーは特定する。ルウェリンはシガーに撃たれながらも間一髪のところでシガーを逃れシガーを負傷させる。しかし、エルパソのホテルでルウェリンはシガーに殺されてしまう(シガーがルウェリンを殺す場面は無いので想像)。その後、ルウェリンの妻カーラジーンもシガーに殺される。

かなり端折ったが、その過程で保安官補、一般市民、金を追うメキシコ人やベトナム帰りの男など非常にたくさんの人々がシガーに無残に殺される。結局保安官はシガーを捕まえられない。

主役は実は老保安官。あまりの残虐な連続殺人事件に戸惑い続ける。自分の経験の中では全く歯が立たない事を嘆く。自分達老人にとって理解出来ないような行動をとる人々が現れ、それはまるで国が存在しないような時代になってしまったというのがタイトルになっている。

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コーエン兄弟の映画をいくつか見てたら、しばらくぶりに『ノー・カントリー』を見たくなった。見始めると何度も見てしまう。不気味なんだが面白い。引き込まれる。
引きつけられるのはシガーによる暴力的な殺人シーンだ。犯罪に関わっている者、いない者皆シガーの餌食になる。サイレンサー付きの散弾銃や圧縮空気使用した特殊なガン(に使うものか?)で簡単に人々は殺されていく。絶対に逃れられない。
シガーに撃たれる前に、ある者は『俺を殺す必要は無い』、『私を殺す理由は無いはず』と訴えるのだが、シガー同意するも無慈悲に容赦なく殺す。手を煩わせたという理由なのだろうか?

なぜ俺はこれらの残忍なシーンに引き込まれるのか?そういう事をしたいという欲望があるのだろうか?

amazonと映画のHPでレビューを見ていたら、シガーは誰にでもやがて訪れる『死』の象徴だと書いている人がいた。確かに善人にも悪人にも死は訪れる。容赦なく突然訪れる。シガーが最後のあたりで交通事故に遭うのは、これだけ強いシガーでも勝ち続ける事ができないという事を表現しているという見方があった。


ルウェリンが血まみれの状態で国境を超える時、少年3人に対して500ドルで上着を売ってくれと言う場面があった。同じようにシガーが骨折して少年にシャツをもらって100ドル札をあげるという場面があった。同じ様な場面が2回あるのはなぜかを指摘している人もいた。


金の入ったカバンは結局どうなったのか?どこにあるのか?
シガーによって非常にたくさんの人々が殺されているのに、捜査に動いているのは保安官二人くらいなのはなぜなのか?
保安官がホテルの部屋に入った時、そこにシガーがいたようだが鉢合わせしなかった。どこに隠れたのか?
ルウェリンは結局殺されたがどのようにシガーに殺されたのか?
主演はトミー・リー・ジョーンズなのだろうか?

コーエン兄弟の映画の特徴か?放置されている問題がいつものようにいくつかある。
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バーバー(The man who wasn't there) (2001年)

2012-06-06 08:09:08 | 映画,DVD,ビデオ


コーエン兄弟の映画。2001年の作品だが設定は1949年らしい。白黒の映画。

ストーリーが複雑だ。

主人公エドが勤める床屋に来た客(企業家で同性愛者)がドライクリーニング事業のパートナー・出資者を探していた。エドは興味を持つが金を持っていない。
エドは妻ドリスの浮気相手デイヴ(デパートの雇われ社長、デパートは妻の父が創業)に匿名で脅迫の手紙を出す事を思いつく。一万ドルを要求するとデイヴは悩みに悩んだ末に一万ドルを払った。その金はデイヴが支店を開設して自分の立場を強化するための金だった。エドの妻ドリスはデイヴのデパートで経理をしていてデイヴの横領を手伝っていた。

企業家はデイヴとドリスの不倫の現場のホテルに泊っていて、デイヴはそこで企業家に見られたと思っている。デイヴは投資を断ったから企業家が自分を脅迫してきたと思い暴行して吐かせた(そしておそらく殺した)。エドが企業家のパートナーとして事業に参画しようとしていた事を知り、デイヴはエドをデパートに呼び出してエドを絞殺しようとするが、逆にエドに殺されてしまう。ドリスはデイヴ殺害の容疑で逮捕される。裁判の打ち合わせの中でエドは妻の不貞を知っていた事をドリスと弁護士に告げる。エドは自分の犯行だと告白するが弁護士は取り合わない。ドリスは公判が始まる直前に自殺し、裁判は終わる。

いろいろあるが略。

企業家の死体が湖から発見され、契約書にエドのサインがあった事でエドは企業家の殺害容疑で逮捕される。能力の高い弁護士を雇えず求刑通りエドは死刑となり電気椅子で...。

占い師やUFOも出てくるが俺は消化不良のため理解出来ていない。

『バートン・フィンク』や『ファーゴ』同様にストーリーに起伏というものがあまり感じられず、盛り上がりというものがあるような無いようなという感じである。淡々としたクラシック音楽が全編を通じて流れているせいでクライマックス的な場面がそう見えない。地味な場面に感じられてしまうのかもしれない。主人公エドが寡黙だし表情豊かでもない。チェーンスモーカー的にたばこを吸い続けるのも場面の強弱を消し去る効果があるのかもしれない。

デイヴの殺しの犯人はエドなのだがドリスが死んだ後捜査は行われてないようだ。
ドリスがなぜ自殺したのかについても誰も考えようとしない。
企業家殺しはエドという事になっているが、契約書にサインがしてあっただけでアリバイや凶器などを調べて様々な可能性を想定して捜査した様子はうかがえない。
エドは企業家を殺していないはずだがさしたる抵抗もせず電気椅子に送られる。
この映画でも疑問点が放置、観客に丸投げだ。

DVDの特典コメンタリーの中でコーエン兄弟はこの映画のテーマを語っている。『甘い言葉に気を付けろ』、『ロリコンに気を付けろ』、『運転中にしてはいけない事』などを挙げている。質問には期待されているだろう答えを返すらしいからどの程度本当なのかはわからない。
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生活保護、片山、河本、カスの杉村

2012-06-04 13:17:35 | Weblog


3月に大量にパートタイマーを採用する必要があって何人もの人を面接した。採用した中に生活保護受給者が二人いた。健常者であるようにしか見えなかった。なぜ今まで働かなかったのだろう。こちらの求める条件と合っていたので、特に不採用にしなくてはならない理由が無かったから採用した。今後当営業所で働けば多少なりとも受給額が少なくなるのではないかとも考えた。その人にとっても社会復帰となる。

採用に至らなかった人の中にも生活保護受給者がいた。
その人は年齢や経験も難ありという人だったが、当営業所としてはまだまだ人が必要だったので、俺は採用しておいた方が良いかなあ?と考えていた。
給料に話が及んだ時にその人は質問をしてきた。“給料は銀行振り込みですか?”というものだった。俺は“振り込みですよ”と答えると、“それだと困る。現金でもらえませんか?”というのだ。“そういう扱いの人はいないので無理です”と言うと、“振り込みだと福祉からお金がもらえなくなる”というのだ。

その人は生活保護は今まで通り受給し続けて、なおかつパートタイマーをやってこずかいを稼ぎたかったのだ。銀行振り込みだと収入を得た証拠が残ってしまうので受給資格を失う、あるいは受給額が減額される事になる。それを恐れたのだ。

なんという人だ。健常者なのに。働けるのに。これらの人々に支給されるお金は我々が払ってきた税金なのだ。働いている事を隠してまで、偽ってまで受給し続けたいか?恥を知れ。

その人は結局応募を取りやめる旨連絡してきた。俺は採用する気はとっくに無くなっていたから渡りに船だった。

こういう人って非常にたくさんいるんだろう。働けるのにこんなお金をもらっている自分を情けない、恥ずかしい、世間に顔向けできないとも思わないんだろうな。

次長課長の河本は下品な事を言わないし、他人を威圧するような話し方でもないし、親しみやすいキャラクターであると思っていた。今回の件は息子に母親の扶養義務が有るのではないか?河本は母親を扶養しないのか?という事が問題。誰の意志で河本の母親は受給していたのか?河本準一本人がそんなに悪いのかは疑問だ。

片山さつきの河本追及の仕方はよく知らない。
不正受給や脱法的な受給は追及されねばならない。しかし、優先して糾弾すべきは若くて健常者で働く気がなく勤労の義務を果たさない受給者本人、生活保護を受けている人しか診ない医者、安易に支給を認める自治体、収入を得る手段を持たない中国人を入国させる入国管理などである。
生活保護支給の基準は今よりも厳しくすべきだ。ましてや外国人への支給というのは絶対にしてはならない。収入を得る道の無い(日本で生活する術の無い)外国人の入国を認めてはいけない。

杉村太蔵が片山になぜか食って掛っている番組を動画で見る機会があったが、杉村の自己顕示欲ばかりが目について非常に気分が悪かった。こんな税金泥棒のカス野郎の意見なんてそもそも聞くに値しない。こいつには何の希望も将来性も感じない。不愉快なだけだ。テレビに出さないでもらいたい。
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