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世の中であまりヒットしてないようなのだが、なぜだろう?
名前の『日の丸』が戦争やら軍国主義やらのイメージを呼び起こすのか?
今は夏のオリンピック直前。オリンピックはオリンピックでも夏と冬は全く別の競技をやるから関係無い。冬のオリンピックの前ならもっと盛り上がったのかも。
題材は素晴らしいが、時間が経ちすぎてタイムリーな感じが無い。長野オリンピックは1998年の事。実際のモデル達(選手達)も50歳を過ぎている。当時も、テストジャンパーの事は話題になっていた。
しかし、テストジャンパーが25人いたとか、女子高校生のジャンパーや、耳の聞こえないジャンパーがいたとか、リレハンメルで銀メダルだった西方仁也も飛んでいたとかまでは僕は知らなかった。
今回僕が一番興味を持った事は、原田雅彦がどのように考えていたのかだ。
公開前の対談番組で、西方役の田中圭が原田雅彦本人に質問した。
映画の中で、「自分がみんなの人生を変えてしまった。だから自分だけが勝手にあきらめるわけにはいかないんだ」というせりふがあったんですが、実際にそういう思いはあったんですか?
映画の中で、西方に対して言うコーチのせりふにも、原田の自戒の気持ちを込めた悲壮な決意が表れている。
「自分さえ失敗しなかったら、岡部も葛西も西方も皆金メダリストだった。自分がみんなの人生を変えてしまった。だから自分だけが勝手にあきらめるわけにはいかない」
それに対して原田は、「今でも思ってます。一生消えないので、そこは」
(西方に対して)「(西方が)金メダリストとしてここにいるかは、やはりかなり違ったと思うんですよ。それが自分のせいだというのは苦しいですね。一生苦しいです」
これは映画ではなく原田本人の弁。
こういう気持ちを持ちながらも、そのような素振りも見せずに皆と接してきた原田雅彦は映画できちんと描かれている。ぶれずに努力をし、初志を貫徹。仲間にも恵まれた。運も味方してのだろうが、大きな怪我もなかった。人間として尊敬出来る人だなあ。神もそういう人を選ぶのかなあ?
映画は西方が主人公。映画では紆余曲折を経て、縁の下の力持ちとして日本の団体ジャンプの金メダルに貢献した。どういういきさつで今、西方に光が当たったのか?なぜ西方を主人公にして映画が作られる事になったのか?リレハンメルの原田の“失敗”ジャンプがなければそういう事も無かっただろう。