牧本壮は市役所では変人の様に思われているのかもしれないが、見ず知らずの孤独死した方々の命を尊重する良い人であるのだ。
三回見ていろいろな事に気づく。疑問も起こってくる。
最後に関わる事になった、蕪木孝一郎(かぶらぎ こういちろう)をお見送りするために、牧本は蕪木を知る人を探し始める。蕪木のガラケーに魚住食品の電話番号が残っていた。
食肉工場の魚住食品で同僚が機械で指を切断する事故がおこり、蕪木は経営陣に対して労働条件の改善を迫った。牧本は、その時同僚だった平光(松尾スズキ)からその事を聞く。労働条件は改善されたが、蕪木は魚住食品を辞めてしまう。
その後、港の近くの「みはる」という食堂に流れ着いて、女将と暮らし始めた。やがて客の漁師と喧嘩して留置場に入れられる。
県警(山形県警?)の留置場の面会記録に、関係者の名前や連絡先があるかもしれないと牧本は思って、刑事の神代に記録を見せてもらい、娘の津森塔子に到達する。
牧本は養豚場で働く塔子に会い、蕪木の死を告げる。その後塔子の自宅へ。
蕪木が二十代に北海道の炭鉱で働いていた事を牧本は知り、その時の友人槍田(やりた)の存在を知り、会いに行く。
失明して老人ホームで暮らす槍田は、蕪木を自分の命の恩人だと言う。炭鉱のガス爆発事故の時に、蕪木が目を負傷した槍田を背負って坑内から脱出させてくれたのだという。その後、待遇をめぐって蕪木は経営陣と対立して炭鉱を辞めてしまい、路上生活をしばらくしていたという。
路上生活中に民生員の千晶と知り合って結婚し、やがて塔子が生まれる。
槍田は言う、蕪木が妻と娘を捨てて出て行ったのは自分のせいだと。
一度蕪木が自分(槍田)を家に招待してくれた事があった。目の不自由な不幸な自分の惨めな姿を見て哀れに思って、自分だけ幸せになっちゃ悪いと思ったんじゃないかな?と。セリフ通りではないが、僕はそういう意味じゃないかと理解した。友達のためにそこまでするかなあ?と思うが。
この映画、主役は牧本壮だが、セリフの無い蕪木幸太郎の人生をたどりながら、今の日本の社会に対していろいろ問題提起している映画だと思う。牧本も蕪木についてそういう事をノートに書いていた。蕪木という人は、同僚・友人をいたわる気持ちを持ち、他者を思いやり、他者のために立ち上がる人だったと思う。
また、会社は、会社だけでなく役所もだが効率を重視し、合理的な判断をしようとするが、それが全てじゃないだろう。そのやり方についてこれなければ、放り出すのか?そんなやり方で救うべき人をきちんと救えるのか?みんなが幸福になれるのか?
命の尊さ、はかなさに思い至れ。脈々とつながる先祖の供養を放棄して良いのか?自分さえよければ良いのか?というごく当たり前な事を世の中に問題提起しているのだ。
牧本は自宅で米を炊いたり、簡単な調理をしていたが、最初のうちは電子ジャーやフライパンにスプーンを入れて、コンロの近くに立って食べていた。あれは何だったのだろう?
なぞとしては、「みはる」にいた赤ん坊とその母親は、蕪木と関係あったのだろうか?牧本は自分で買っておいた墓まで塔子にあげる?譲ってしまうのか?自分のはどうする気なのだ?誰も牧本の葬式をしないのか?納骨のタイミングを同じ日の同じ時間にしなくても良いのではないか?
最後がもったいないと思うが、そこまでで語るべきことは語ったというつもりなのかな?監督は。