Y男の日誌

映画を見た、本を読んだ、どこに行った、何か考えたなどなどのY男の行動記録。政治の話題も。暇な時にしかアップロードしない。

京都へ

2016-09-25 07:13:50 | 
思い立って京都に行ってきた。

出掛けるまで、滋賀県の長浜城とか、岐阜県の関ヶ原や岐阜城、奈良の大仏も候補にしていたが、日帰りだし移動時間を短くするにはダイレクトに京都に行く方が速いので、今回は京都にした。

11時発の新幹線で2時間20分くらいで京都に着いた。どこに行くかを新幹線の中で考えた。寺やお城は17時で終わりとか18時半までなどと決まっているから、回る順番が大事だ。

今、司馬遼太郎氏の『功名が辻』や井沢元彦氏の信長、秀吉、家康の時代についての著作を読んでいるから、本能寺、伏見城あたりも良いのだが、本能寺は場所が変わってるし、伏見城は少し離れているから今回は行かない。

結局は霊山、二条城、清水寺、八坂神社を回った。


霊山護国神社


坂本龍馬・中岡慎太郎の銅像


坂本龍馬・中岡慎太郎のお墓


維新の志士達、大戦の英霊達の簡素な石柱のお墓

霊山には坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作などの明治維新の志士達、大東亜戦争で命を落とされた英霊の方々のお墓がある。現在参議院議員の青山繁晴氏が何度も訪れていらっしゃる場所である。バスで東山安井まで行って歩く。坂道が急になっていく。ある程度上までタクシーで行けるようだ。お墓は霊山護国神社の上の急な石段を登っていくとある。簡素な石柱に生前の名前が記されている。霊山のすぐ隣には、高台寺というお寺がある。豊臣秀吉の正室の北の政所ねねが秀吉の菩提を弔うために建てた寺。ねね自身出家後高台院様と呼ばれていた。今回僕は時間が無くて行かなかった。


二条城 二の丸御殿

二条城は徳川家康が慶長8年(1603年)に京の宿館として建設した平城。家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、幕末の慶応3年(1867年)には15代将軍慶喜がここで大政奉還を行っている。


本丸はもう無い。
二の丸御殿は靴を脱いで上がって良いのだ。板張りの廊下を歩いてたくさんの部屋のふすま絵が見られる。


この部屋で、徳川慶喜将軍より大政奉還が宣言された(再現の図)


こんな見事なふすま絵がたくさん見られる

撮影禁止だったのでふすま絵の写真は僕の撮影ではない。





石垣、お堀は残っている。庭園も有名らしい。


清水寺

参道を登っていくと、仁王門、西門、三重塔。

清水の舞台。開創は奈良時代らしい。

修学旅行以来の再訪。三回目だった。





八坂神社

創祀はこちらも奈良時代らしい。

市内の移動は市バス、地下鉄、徒歩。バスが非常に充実している。本数も多い。わかりやすい。今回僕は一人で初めて京都に来たが、それでも乗りこなせた。もちろん英語や中国語の表示もアナウンスもあるから外国人の利用者も多いのだろう。バスにも外人。二条城も、清水寺も外人であふれかえっていた。

寺やら神社やらも非常に密集して存在しているから、午後だけの時間で4か所回れたのだ。

次回は京都の西のほうにも行ってみたい。
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アクセス

2016-09-22 06:45:50 | Weblog
この何日かこの地味でお粗末なブログへのアクセスが異常な数になっているようなのだ。

閲覧数がこの三日間670、1069、856。その前の四日間は300前後。訪問者数は189、83、76。その前の四日間は70から130だからあまり変わってない。閲覧数がこの三日間異常なのだ。一人の訪問者が一日の間に10回くらい閲覧しているという事なのか?

そんなに更新してないし、何度も訪れてチェックするような内容でもないと思う。最近アップロードした内容も、個人的な興味に基づくもので、今話題のというものでもない。

なぞなのだ。気持ち悪いのだ。
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善光寺へ

2016-09-19 15:58:15 | 

北陸新幹線かがやき


仁王門


一番僕の目を引いたのはこの仁王門の仁王像二体


山門(三門)


国宝の本堂


長野駅から徒歩で15~20分程度で善光寺に到着。長野の市街地をちょっと歩いてすぐ参道に入る。参道はゆるい傾斜の登り坂。新幹線の駅から徒歩で有名なお寺にたどり着ける。



善光寺の境内に入り、参拝者を迎える最初の門がこの仁王門。この像二つは筋肉隆々とした木像で足の甲まで鍛えられた筋肉が表現されている。現実世界にはこんな人はいないだろう。行きも帰りも目を引く存在感のある彫像だった。

現在のものは大正7年(1918年)に再建されたものとの事。高村光雲と米原雲海の作らしい。有名な彫刻家なのだろう。


歴史はよくわからないが、7世紀くらいに本田善光という人が関わってその名を取って善光寺という名前の寺になったようだ。


本堂の奥に入ると、お戒壇巡りという真っ暗な通路?迷路?がある。入場料500円かかる。傾斜のきつい階段を手すりを伝って下りて、壁伝いに出口を目指す。中程に懸かる「極楽の錠前」に触れると、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただくという道場?なのだ。僕も壁に手を這わせていた時に、何か金属のような物に触れたと思う。錠前の事は後から知ったが、触ったと思う。確かにこの地下通路?の上には秘仏のご本尊があった。ありがたい催し物だ。



山門という門は上に登れるのだが、お金500円を取られる。心臓破りの傾斜のきつい階段を登る。


山門の上から参道を望む


長野は今『真田丸』人気で、長野市よりも真田氏ゆかりの上田市のほうが人気のようだ。そっちも行ってみたかったが、時間がなかった。歴史を勉強してから行きたい。

信州そばの店はたくさんあったが、値段は高めで安いメニューでも1000円前後。一回限りの観光客相手の店が多いようだ。地元の人に人気の店に行きたかった。

『おやき』というのも有名で人気のようだ。小麦粉の皮で野菜のみそ和えなどを包んで焼いたもの。野沢菜とみその入ったものが一番人気。なす、きのこ、つぶあんの入ったのもあった。僕はそんなにうまいとは思わなかったが。


新幹線を使えば、日帰りで遠くまで行けるという事がわかった。長野まで上野から1時間20分くらい。金沢まで2時間半くらい。

歴史を学んだら、岐阜城、長浜城、関ケ原、二条城、奈良の大仏など行ってみたい。そういう場所がたくさんある。
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『功名が辻』司馬遼太郎

2016-09-14 21:54:34 | 読書


今読んでいる本。

山内伊右衛門一豊が織田信長の家臣と言っても、木下藤吉郎秀吉の与力となって戦場で手柄を立て、石高を加増されて出世していく物語だと思う。

まだ一巻の最初しか読んでいない。織田信長が越前の朝倉氏を攻めているところまで読んだ。


先にyou tubeで大河ドラマを見てその原作にあたっているから、そういうストーリーであろう。

やっぱり読ませる作家だ。おもしろい。ページがどんどん進む。
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松田丈志選手引退

2016-09-09 19:31:26 | オリンピック・スポーツ



3大会のオリンピックにわたってメダリストとなった競泳の松田丈志選手が引退を表明した。

本人の9/4のホームページに引退表明がアップロードされていた。9/9の国体のレースが最後という事だ。

宮崎県出身。32歳。
北京五輪   200mバタフライ銅メダル。
ロンドン五輪 200mバタフライ銅メダル。
ロンドン五輪 400mメドレーリレー銀メダル。
リオ五輪   800mフリーリレー銅メダル。


リオ大会で800mフリーリレー銅メダルのメンバー。一番右が松田選手。


宮崎県延岡市の東海(とうみ)スイミングクラブで4歳から水泳を始める。東海スイミングクラブのプールは田んぼの中にあって、骨組みにビニールを張ったビニールハウスのような施設。4歳から水泳を始めた彼は久世由美子コーチと出会い二十数年間、久世コーチの指導のもと競泳人生を歩んできた。二十数年間の師弟関係というのもすごい。松田選手は中京大学に進み、中京大学は久世コーチもコーチとして受け入れた。母親と息子のごとく共同生活を行って、久世コーチは松田選手の食事などの面倒もみてきたのだという。その後松田選手がミズノ、レオパレス21に所属するも契約が終了し、スポンサーを探さなくてはならなくなった時に、久世コーチは様々な企業に600通もの手紙を書いたらしい。


ビニールハウスのプールで久世コーチの指導を受ける松田選手

ロンドン五輪後、2012年12月、松田選手は一旦久世コーチを離れて、北島康介選手を育てた平井伯昌コーチの指導を受ける。しかし、2014年3月、最後はまた久世コーチのもとに戻ってリオ五輪を目指した。今の時代にこんな師弟関係があるなんて非常に驚くべき事だ。非常にすばらしい事だ。

久世コーチは今年69歳。久世コーチにとってもリオ五輪は最後の五輪。松田選手は800mフリーリレーのアンカーをつとめ、期待に応えて日本に銅メダルをもたらした。

まだ引退しなくても良いのでは?余力を残して後進に道を譲るというよりも、ボロボロに負けて辞める方が僕は好きだ。



松田選手と久世コーチの共著もある。











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尖閣諸島の状況

2016-09-05 17:47:10 | 外交・安全保障

8月6日。230隻もの偽装漁船と7隻の公船???が接続水域に侵入


海上保安庁の巡視船 多勢に無勢 取り締まり切れない数


9月4日 杭州G20で握手を交わす安倍首相と習近平



8月5日 海警局船舶3隻、偽装漁船6隻が領海侵入

8月6日 海警局船舶7隻、偽装漁船230隻を接続水域で確認

8月7日 海警局船舶等13隻、偽装漁船多数を接続水域で確認。海警局船舶2隻は領海侵入

8月8日 海警局船舶等15隻を接続水域で確認



偽装漁船と公船??? 公船なんていう変な言葉で呼ばれる海警局の船? 日本の海上保安庁のように見せかけている武装した船。海上保安庁や海上自衛隊の船を公船とは言わないのになぜ中国の船を公船とよぶのだろうか?公船と言うと武装しているようなイメージが薄まるような気がする。中国の海警局の船が脅威では無い存在と見せかけたい勢力が日本のマスコミにいるからではないか?

情報が入って来ないのか?日常化してニュース性が失われてしまったのか?東シナ海のガス田はどうなっているのか?日本が試掘するという話は中川昭一氏が経済産業大臣だった頃あったが、その後の経済産業大臣は試掘を指示していない。日中中間線に中国だけが櫓を築いて、日本の領海の資源までもストローでチューチュー吸い上げ続けている。

恒常的に他国の領土、領海、領空への侵入を繰り返して話題性、ニュース性が無いような状況になるまでそれを繰り返す執念深さが中国にはある。尖閣において彼らはまず、尖閣諸島に関して日本との間に領土問題があるという事にしたいのだ。日本には中国との間に領土問題は無い。無いという立場で政府は対応するのだ。中国は古来尖閣諸島が中国の領土だったと1970年代くらいから主張している。それまでは尖閣諸島が日本領である事を人民日報などでも報じてきたのだ。

安倍政権は中国が侵入するたびに中国政府に抗議している。そのことは大事な事だ。中国には国境は国力に応じて変わるものだという考えがある。一度領土を取りに行くと決めたら、世代が何代かかってもその計画の実現に向けてその決意は引き継がれていく。そういう国が隣にあるのだ。その度にいちいち反応する必要があるのだ。大人の対応なんてしていてはいけないのだ。

安倍首相にはG20参加国の前で中国を批判・非難してもらいたいものだ。友好ムードの演出なんていう手垢のついた言い回しみたいな事なんてしなくて良いのだ。
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