Y男の日誌

映画を見た、本を読んだ、どこに行った、何か考えたなどなどのY男の行動記録。政治の話題も。暇な時にしかアップロードしない。

GKBR退治

2013-10-24 22:39:26 | 仕事



ねずみ捕りと同時に俺が取り組んだのはGKBR退治だ。GKBRはもちろんあの黒くて油っぽい平べったい不気味な虫だ。カタカナやひらがなで表記したくないからGKBRなのだ。

ゴミの保管庫だけでなく、従業員用トイレ、バックヤードの通路などに現れて従業員を気味悪がらせていた。俺はドラッグストアでどれが一番効果的なのか吟味して、ブラックキャップという名の商品を選んだ。ブラックキャップには毒えさが入っていて、GKBRはブラックキャップに入って毒えさを食べ明るい場所に行って死ぬという事だ。俺は営業所の外で死ねば、片付けもしなくて良いからいいなと思ってそれを選んだのだ。一箱に12個入っているのでいろいろな場所に仕掛け様子を伺った。ゴミの保管庫ではすぐにGKBRが頭をブラックキャップに突っ込んで毒えさに食らいついていた。俺がドアを開けて照明を点けてもGKBRは逃げもせずに毒えさを貪っていて本当におぞましかった。俺は気になって十分おきくらいにゴミ保管庫に見に行ったがGKBRはずっと毒えさを食いつづけていた。何度目かの時見に行くとGKBRはブラックキャップのすぐ横でひっくり返っていた。明るい場所に行って死ぬのではなかったか。ブラックキャップは毒が強かったようだ。

ブラックキャップの説明書きを読むと、毒えさを食べたGKBRの体内に卵があったら卵にも効くとあった。また、GKBRは仲間の糞や死んだ仲間も食べるらしく、毒えさを食べた仲間の糞やその体を食べればそのGKBRにも毒が回って死ぬらしい。もともと
仲間の糞や死んだ仲間を食べているという事自体が気色悪い事この上ない。だからあんなに不気味な姿かたちをしているのだ。
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ねずみ捕り

2013-10-23 23:04:31 | 仕事



営業所の敷地でよく丸々と太ったねずみを見かけるようになった。建物の外だが商品のストック場所になっているところだ。わがもの顔で縦横無尽に駆けずり回っている。
今のところ被害は無いようなのだが衛生上良くないし、自分達が気づいていない被害があるのかもしれない。捕獲しようと思い粘着シートにさつまいもをのせて仕掛けてみた。数日して何とすずめがかかった。それはどうでも良くて、次の日子供のねずみが二匹かかった。今まで子供のねずみは見たことなかったのだが実際にはいたという事だ。ちなみに非常に大変だったが、すずめはどうにか油を使って粘着シートからはがして逃がした。

数日経ったがその後ねずみは捕獲されなかった。でもねずみは走っている。俺はホームセンターに行って、昔ながらのねずみかごを買ってきた。魚肉ソーセージを餌にして数ヶ所仕掛けてみた。四日目の今朝、ねずみかごを見に行くとかごがひっくり返っていて、中に黒い固まりの様な物が見えた。
掛かったのだ。
多分元気に走り回っていた丸々と太ったねずみはこいつに違いない。
どうしたものかしばし思案したが、水を入れた発砲スチロールの箱を用意してねずみかごごと沈めて処分した。合掌。

ねずみの命を奪った事は気が咎めないではない。しばらく気分が悪かった。
しかし、ねずみとの共存は無理だ。

部下の一人は処分した後に大きなねずみが走り回っているのを見たらしい。丸々と太ったやつは一匹ではなかったという事だ。ねずみとの知恵比べはまだ続く。
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『遁げろ家康』

2013-10-21 19:48:55 | 読書






今『遁げろ家康』という小説をよんでいる。家康が今川の人質だった頃から始まって、桶狭間で今川義元が討たれて独立し、織田信長との同盟のためにたびたび戦に駆り出されるところを読んでいる。

戦国時代から江戸時代にかけての歴史は、大河ドラマや歴史小説で断片的に記憶している。その中でも関ヶ原の戦いは一番面白いところだと思う。司馬遼太郎、堺屋太一の小説は読んだ。俺が強く心惹かれるのは、石田三成、島左近、大谷吉継等の負けて死んだ西軍。嫌悪感を覚えるのは、小早川秀秋、福島正則、吉川広家あたり。石田三成側に立って贔屓目に見てしまうからかもしれないが。恩に報いるとか篤い友情とか、そういう話が好きなのだ。裏切りは許せないし、頭空っぽみたいな奴も大嫌いだ。
歴史小説家はいろいろな角度から歴史を描くから、いくつか読んで自分なりの人物像を結びたいと思う。今回のは家康側から見るタイプの物だ。

先日久能山東照宮と駿府城跡に行く機会があり、しばらくぶりにまたこの時代の事を描いた本に触れたくなったのだ。日光にも来月行く予定。江戸城(皇居)なら遠くないから付近を歩いてみたい。
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同じ古本チェーン店なのに

2013-10-20 22:43:56 | Weblog


同じ市内にあるチェーン店なのになぜこうも違うのか?

最寄駅の西口店(駅の近くの立地)は非常に愛想が良いのだ。入っていけば、『いらっしゃいませ、こんばんは』(過剰な気もするが、このチェーンだけでなくいろいろなチェーンで聞く挨拶)という声が数人の従業員から発せられる。店内ですれ違っても挨拶されるし、お客が見たい、探したいところで従業員が作業をしていたら場所をあける。店内を見て結局何も買わなくても、『ありがとうございました』と言う。お店として当たり前の事がなされている。

しかし、同じ市内の国道沿いの○橋店は違うのだ。
入って行ってもどこからも声は掛からない。店内で従業員とすれ違っても何も言わない。店内の通路はとても狭くて、気づかないはずはないから、気づいていて無視しているのだ。店内で従業員は何人も作業をしているがお客にはお構い無しで作業をしている。大急ぎで作業しなくてはならず、やむを得ずかまっていられないという風にはみえない。作業スピードも速くないのだ。従業員同士よく話をしているから、しゃべれない、聞こえないわけではない。もちろんレジでは普通に接客する。しかし、買っても買わなくても、出ていく時に周りの従業員からはなんらかの声も無い。この店の従業員は、お店でお客にどう接するか、お客の前でどう振る舞うべきなのか全く教育も無いし、従業員本人達も考えていないのだ。

同じチェーンでこうも違うのだ。西口店に行くと何となく気持ち良い。○橋店に行くと欲しい物が手に入っても釈然としない気持ちになるのだ。大手古本屋の本社の幹部の方々はこの実態を知らないのだろう。これは大変怖い事だ。
在庫が豊富だから○橋店にたまには行くけどトータルの買い物としては毎回不満が残る。通路で無視を決め込む可愛いげのない無愛想な従業員達を一度一喝・罵倒してやりたいと思うのだ。やらないけど。
とにかく気持ち良くして欲しいのだ。
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『永遠のゼロ』三回目、靖国神社へ

2013-10-07 18:36:38 | 読書
零戦(靖国神社の遊就館)


靖国神社

永遠のゼロ


たくさん読む本(積ん読)があるのに『永遠のゼロ』を再度読んでいる。三回目だ。一回目の読後感が非常に良かったのでずっと気になっていて最近また読んだのだが、すぐまた読みたくなったので読んでいるのだ。

26歳で特攻で亡くなったという宮部久蔵という人物があらためて魅力的な人物である事を再認識。

俺は中学・高校で近現代史を授業で聞いた覚えがなかったし、自分でもきちんと勉強しなかった。なんとなくミッドウェイ、ガダルカナル、ラバウル、赤城、大和、戦闘機、艦載機、桜花などなど、歴史的な地名や戦争用語などなど断片的に音声として聞いてはきたが、三回も読むとすこしずつ頭の中に整理されていくのがわかる。作者自身も執筆時に参考文献をかなり読んでいるようで、最初は説明臭いのが目についたのだが、知識があまり無くてもイメージ出来るのはその説明が丁寧だからだと思う。

この小説は物語としても非常に引きつけられる。会ったことの無い祖父がどういう人物だったのか、どういう人生を送ったのか、戦友達が語っていく回想の中にあざやかにその人物像が現れていく。例えろくでもない奴だったとしても、罪人とかじゃないならそれはそれで自分の先祖として良い気もするが、この物語では素晴らしい人格者のようだから、ますます文庫本から目が離せなくなる。


触発されて、ちょっと前だが、靖国神社を参拝し遊就館を見た。まだ三回くらいしか行った事がなくて、特に遊就館は何回か一日掛けて見ないと見尽くせないくらいの展示物があるから、あまり見切れてない。今回は硫黄島と真珠湾のあたりの展示物を見た。少しは関係者の名前や地名が頭に入っていて、そうだよなと記憶を再確認するような感じになった。栗林忠道陸軍中将、すり鉢山、バロン西竹一とか。
いつもあのおびただしい数の顔写真には圧倒される。皆若いのだ。二十歳前後の人々が多い。どういう状況でどの場所で死を迎えたのか完全にはわからない。〇〇方面で戦死というくらいの情報だ。法務死というのもあったが、B、C級戦犯という汚名を着せられて処刑された人だろう。

本人達も天寿を全うした死ではない、残された家族は悲しんだ事だろう。彼らの残した遺書や家族にあてた手紙はすがすがしいくらいに決意が固められ、家族に感謝する言葉、思いやる言葉に満ちている。もちろん恐怖を抑えて、家族を心配させないための配慮であって本意・本心ではないだろう。

ガダルカナルやらインパールやらで亡くなっている人達は遺骨もその地にあるだろうし。それもどうにかしたい。

現代の日本人はもっと彼らの事を知る努力をして、感謝申し上げないといけない。中国や朝鮮が何を言っても。
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老化、老衰、認知症

2013-10-06 00:31:17 | Weblog
帰省して入院中の伯母を見舞う。
二年前ぐらいには会話した記憶があるが、今は伯母から言葉は出てこない。
この夏肺炎になって別な病院に入院していたが、それが治って今はホスピスのような病院に移っている。肺炎が治ったから前の病院からは追い出されてしまったのだ。今治療はしていないらしい。死ぬのを待っているだけ?認知症か?寝たきりで家族が介護しきれなくてその病院を選んだらしい。田舎の小さい病院で18時くらいには廊下が真っ暗になっている。看護婦さんが夜中にも一人か二人はいるようだが、入院患者全員を見る事が出来るのだろうか?
いとこは食事の時間に現れてご飯を食べさせている。食が細くならないように出来るだけたくさん食べさせているようだ。もっと大きな病院や介護付きの老人ホームなども検討したようだが、場所が遠かったり、お金が掛ったりで今の病院に決めたようだ。
伯母はごくまれに言葉を発する事があるらしいが、俺のいる時間にはそういう事は起こらなかった。ただ、俺の目をじっと見つめていた。挨拶して俺が病室から出ていこうとすると、目で俺を追って伸びをして体を乗り出そうとしていた。
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