Y男の日誌

映画を見た、本を読んだ、どこに行った、何か考えたなどなどのY男の行動記録。政治の話題も。暇な時にしかアップロードしない。

台北 街のあかり

2006-09-28 17:25:50 | 




今回の旅で台北の西門という街に行ってみた。
夕方の西門の街の明るさは、東京に比較してずいぶんと暗く感じられるものだった。いくつもの店が営業しているから、街灯やら、事務仕事をしている会社の照明の多寡がその違いを生むのか?
西門のMRT(地下鉄)の駅周辺でさえ薄暗い。台湾の原宿とか渋谷とかいわれる若者の多く集まる街でさえそうなのだ。東京の人口と台北の人口は大きく違うから、単純な比較はできないが。

台北は道路幅が広いから、日本と同じぐらい街灯が有っても、拡散してしまって明るく感じられないのか?
日本人と台湾人では、空間に求める照度の基準がちがうのだろうか?
民族、生活習慣、経済力などの違いなのか?
何らかの法規があるのか?

(写真は西門駅周辺の映画の看板)。
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腰痛のからくり

2006-09-21 23:27:34 | 読書


本を読んだら長年苦しんでいた腰痛から開放された。

ある時、amazon.co.jpで、写真の本にたどり着いた。『腰痛は怒りである』。何の事かわからず、読者のレビューを読むと、この本を読んだら、腰痛が治ってしまいました、という文章がいくつもある。
新興宗教か?、または、自分の診療所を宣伝するために医者が書いた本か?、と思った。しかし、買ってもしデタラメだったとしても、多少のお金と時間を損するだけだと思って購入した。直る可能性があるなら、何にでも賭けたかった。

完全に理解できたわけじゃないけど、こういう事だ。
脳は、嫌な感情(怒り、憎しみなどか?)やストレスが発生すると、自分がそんな感情を持っている事を意識したくない、認めたくないため、体(腰など)に痛みを発生させて、注意を体に向けさせ、そういう感情を抱いてる事に気づかせない様にするらしいのだ。
脳にそういう働きがあるという事を知るだけで、痛みは和らいでいくという。

腰痛自体は、血液中の酸素不足が原因。それは、脳がそういう現象を発生させているのだ。患部には何らの異常も無いらしい。痛みが脳によって引き起こされたものだ、というからくりを本人が意識すると、脳は、自分の作戦が失敗した事を知り、その手を使わなくなるというのだ。
自分がどういう嫌な感情を持っているのか気づけば完治してしまうという。

何度か読んで、実際、俺は、ほとんど痛みを感じなくなってしまった。大崎まで治療に行くのも止めてしまった。本によれば、治療行為は止めてしまう方が良いらしい。本来何の問題も無い、患部?に注意が向いてしまうからだ。

ならば、俺は、どのような嫌な感情を持っていたのか?正確にはわからないが...。

1.仕事に不満があり辞めたいのに、その後どうしていいかわからなくて、何も手を打てないでいる事?
2.部下が、ネガティブ・非建設的で頭も悪い奴で嫌なのだが、転勤も無さそうでしばらくつきあわなくてはならない事?
3.仕事の拘束時間が長く、読書などの時間が少なくなっている事?
4.愛する対象も無く、年を取って孤独のまま死ぬのではないか?という漠然たる不安がある事。
5.両親のもとに帰りたいという気持ちもあるが、田舎に帰って何をして収入を得るのか?何も思い浮かばない事。
6.香港か台湾に住みたい、という初志をどうやって貫徹したら良いのかわからない事。また、5.とどうやって両立させるかわからない。

こんなところか。

脳による腰痛以外に、腰部に痛みを起こさせる重篤な疾患もあるので、専門医の検査は必要との事だ。
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二度目の台湾へ

2006-09-08 00:39:10 | 






出かける前にDVDを買って、侯孝賢の80年代の映画をいくつか見た。『童年往事』、『恋恋風塵』などだ。
PCサイトを探したら、ロケ地をめぐっている人が何人かいて、俺も行ってみたくなった。時間は3泊4日しかないから、台北周辺だけだ。となると、九份とか平渓線のあたりだ。銅鑼、大湖、鳳山は諦める。
俺は、台北車站から瑞芳に行き。瑞芳から平渓線に乗った。せっかくだから、終点の菁桐まで行きたい。一度、十分で降りようとした。線路の両側に迫る商店街のようなところを歩きたかったからだ。しかし、降りると次の列車は一時間半ぐらい後なのでやめた。
とにかく終点まで来た。鉱山の記念館のような建物には植民地時代の写真や街の模型があった。街というか店は駅周辺の極小さなエリアのみ。周りは亜熱帯の植物が繁茂している。単線の線路の両側はすぐ人々の住む家。ネットフェンスなども無い。線路側から出入りする造りの家もある。列車は一日10本強ぐらいしかないのだから、問題は無いのだろう。台北から2時間くらいの距離なのに、本当に本当に田舎だ。

見るべきものはすぐ終わってしまい、帰りの列車の時間を見ると一時間半以上あるので、二駅分歩く。というのも、タクシーやバスが見当たらないのだ。
駅間の距離は、平渓まで1.8km、嶺脚まで1kmと短い。駅前は平渓は店がいくつもあったが嶺脚は菁桐よりも寂れていた。どうにか歩ききって、列車へ。十分にも降りられず、緑のトンネルも見られなかったが、ハイキングの途中、鉄道マニアの少年と友達になる事が出来た。花蓮から来た少年だ。

瑞芳に戻ってバスで九份へ。昨年も来たが、何も食べなかったので、つみれのスープと芋圓の店に入る。いずれも非常にうまい。
昇平戯院の『恋恋風塵』の看板の絵は、俳優達と似てない。主人公達の家になっていた場所はわからず。非情城市の店には入らず。本当に『千と千尋』の舞台かな?と思う。
バスで台北まで直行。青緑色のそごうの前で降ろされた。
とにかく歩きまくった一日だった。
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