ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

大学2回生の囲碁生活

2008-10-03 23:22:01 | 昔話
大学の2回生になると私は囲碁部のレギュラーとして対外試合に出られるようになった。

大学の囲碁部の試合は5人一組の退学対抗の団体戦がメインであった。私たちの学年からは入学時に私よりも強かったA氏と私がレギュラーに入った。最初の1年で私が追いついた形である。二人の実力はほとんど同じだったが私のほうが勝負にこだわるタイプであったのでその分、勝率が良かったように思う。

当時の大学対抗戦は(今でもそうだが)地域別のリーグ戦で京大は関西リーグの一部だった。京大、阪大、同志社、立命館あたりが強くこれらの会社で優勝を分け合っていた。各地域の優勝校は12月に日本棋院で行われる全国大会に出場できる。私の在学中に京大は3度全国大会に出たと思う。

対外試合でよその大学と戦うのは楽しかった。団体戦なので個人戦よりも責任がある分プレッシャーはきつく、大変だったがよその大学の違った雰囲気がわかるのとある程度学年を超えた付き合いができるのが興味深かった。

1回生の終わり頃からだったと思うが一月一回、吉田塾で開催されている京大囲碁部のOB会に参加させてもらった。吉田塾というのは吉田操子先生という女流棋士の弟子であった藤田五郎先生という人が吉田先生の名前を引きついで開催していた囲碁道場で今は藤田塾になっている。その頃藤田先生は既にかなりの年齢で地方棋士として囲碁の普及に尽力しておられた。普通の碁会所というよりは自宅を開放して使っていたので独特の雰囲気があった。

このOB会はまた独特の雰囲気があった。まず、学生ではなく既に社会人でかなりしっかりした仕事をしているような人たちの集まりであったので会話の内容が学生とはまったく違っていた。有名人としては京大の国際政治学の教授であった高坂正堯さんが常連であった。

毎回10人強が参加していたと思うが実力は全員がアマノ6段以上というようなレベルで、ちょっとした詰め碁の話をするときにも皆の実力がうかがえた。当時若手棋士だった坂口隆三(現九段で先日の比叡山の名人戦の立会人)も藤田先生の弟子だったので時々教えに来てくれていた。

私もこの会のおかげで強くなったような気がする。もちろん皆仕事の話は全くせずに、雑談をしながらひたすら碁を打つのであるが楽しい会だった。

大学の対抗戦やOB会を通じて私の活動範囲も少しずつ広がっていったような気がする